日本統治時代に丁稚(でっち)奉公先の家族と一緒に日本への帰国を誘われながらも、台湾に残った女性が、先日、憧れの日本旅行から帰国した直後に死亡していたことが分かった。

tokyo



芸術家の謝東哲さんの母親、謝春金さんは1930(昭和5)年、現在の嘉義県新港郷古民村で8人兄弟の6番目として生まれた。しかし父親と母親は目と手にそれぞれ障害を持ち、一家の生活は困窮していたため、春金さんは幼い頃から日本人の家庭に丁稚奉公へ行き、農作業などを手伝っていた。

太平洋戦争末期の16歳の時、日本人一家は帰郷することになり、一緒に日本に行ってはどうかと誘われたが、故郷を離れたくないと断り、嘉義に残ったという。

東哲さんは母親から聞いた話として、その日本人一家が乗った船は、米軍の攻撃に遭い沈没したというが、春金さんは度々日本へ行ってみたいと口にしており、先日になって念願だった日本旅行に出掛けたという。しかし旅先で体調を崩し、台湾帰国後まもなくして帰らぬ人となった。

家族によれば、春金さんは20歳で結婚、24歳の時には夫と一緒に石を運んで小さなダムを作り、農作業に精を出すかたわら子育てにも励んだ。1959年には「八七水害」と呼ばれる災害に見舞われ、1966年には集団移転を迫られ、それに伴い借金も膨らんだが、6人の子供を養うため、午前2時には起床して仕事に出掛けたという。その後夫が寝たきりになってからは16年にわたって介護を続けた。

子供を立派に育て上げ、やっと待望の日本旅行に出掛けた金春さん。以前は自転車で仕事に出掛け、とても健康だったといい、突然の悲報に家族や親戚は驚きと悲しみに包まれている。

参照:http://japan.cna.com.tw/news/atra/201311270011.aspx

路人甲
R.I.P.

恐龍
婆さんの最後の願いだったってわけか。冥福を祈る~~。

abwave
義理人情。素晴らしく美しい人生の幕引き。

kj
私は52歳。私の両親は台湾人で、彼らは幼い頃日本人だった。
日本の本を読み、小学校の卒業証書は日本語で書かれている。
母親はとても日本を懐かしみ、日本の童謡を私に聴かせ、着物を着せた。彼女は漢字も書けず完璧な中国語も話すことができないが、中国語の名前は書くことができる。そして、よく簡単な日本語の文字を書き、小学校の頃に習った文字だと言っては、それを忘れることができない。


乖乖
婆さんは日本を見て思っただろうな。日本が統治時代に築いた礎が、更にこの何年かで馬英九によって破壊され、中国人がこれほどまでに無能だということを。

LEE kafe

冥福を祈る!!

小鳥遊六花

このニュース.......最後まで真剣に読んだけど記者が何を表現したいのかわからない.....。

年年
記者の表現したいこと:人生は、辛く悲しいことも楽しく嬉しいことも起こる!そして死は必ず訪れる!

言先貝先

このような報道をする場合は、ポイントをもう少し詳しく述べるべき。
少なからず意見の闘争を生んでしまう。私たちの精神を試そうとしてるようにも受けとれる。


年寄りは冬に日本に行くべきじゃないわ。

上官雲龍

婆さん…冥福を祈るぜ。

趴腫桶

そもそも数百万の台湾人は日本人に従い日本へ移住するべきだったんだよ。そう言ってしまうと、皇民化を肯定するのかと騒ぎ立てられるだろうけど、中国人に統治されてからそうするべきだったと思ったんだろ。

777

もし日本が戦争に勝っていたら今頃私たちは全員日本人だよね。もっと良い暮らしをしてるはず。こんな風に思わない人のほうが少ないでしょ。

YR
台湾人は日本人を恨んではいない。台湾には日本に負けたという屈辱がないからね。日本人を恨んでいるのは中国人と韓国人。なぜなら、正確には中国と韓国は日本に勝利したというわけではないから。
台湾人が恨むとすれば、無能な中国人と、元を辿れば西太后と李鴻章の北洋艦隊が壊滅したことじゃないか?
香港は99年間イギリスの植民地だったわけで、台湾の日本統治と比べると倍の期間だ、しかし香港人がイギリス人を恨んでいると聞いたことがあるか?マカオ人がポルトガル人を恨んでいると聞いたことがあるか?どちらもないだろ。理由は台湾人と同じだよ。
香港・マカオ・台湾は、それぞれの国に負けて屈辱を受けたわけじゃない。そして、それぞれの国は中国にはない現代国家としての繁栄と進化を私たちにもたらした。そこで何を恨む必要があるんだ?


ami亞美

台湾には、中国よりも日本から授けられた「台湾人」のほうが多いよ。

無名

馬が早く故郷の中国の湖南へ帰りますように。