なまはげ 1-2














秋田県の風習に、”なまはげ(神様?妖怪?)” というものがある。
夜、小さな子供のいる家に「なまはげ」が訪れ、
「いい子にしているかぁ〜?!
 いい子にしていないとただではおかないぞ~ぉっ!!」
と脅すのである。
当然未だ物心のつかない幼い子供達は、
泣きじゃくり乍ら ”なまはげ” に約束する、
「ワーン!! いい子にするぅ~っ、いい子にするからぁ~っ!。」 と。

秋田県の「平成17年人口1,000人当たりの犯罪件数」は最小、
つまり単位人口当たりの犯罪件数の少なさは「日本一」である。
(令和4年警察白書によると、島根、鳥取に次いで第3位。)
こうした幼児期の経験による「良い意味での」トラウマは
犯罪の抑制になると思う。
「悪い事をすれば ”なまはげ” にさらわれる、或いは殺される。」
これは

「ひと気の無いところでも、自分は必ず何者かに見られている。」

という理性が構築された人の考え方である。

元ヘビー級世界チャンピオンのボクサー
「イベンダー・ホリーフィールド氏
(”アイアン”マイク・タイソンにも勝った事のある兵)」は、
試合前のインタビューでも
じつに「穏やか(おだやか)な顔」でこう応える。

「神が私を必ず勝利に導いてくれる。
 私はそれを信じてベストを尽くすだけだ。」

リディック・ボウとの一戦の前にリング上で談笑する彼を見て、
一見不謹慎に見えるかもしれないが、
今迄の彼を知る私にはスポーツマンとしての彼の完成度、
とりわけ一人の人間としての大きさを強く感じた。
(神父でもある「ジョージ・フォアマン氏」は、
 ホリフィールドについて
「すぐにわざと頭をぶつけるような汚い野郎だ」
 と言っていたので、聖者とは言えないかも知れないが・・・)

先人は、
「おてんと様は見ているよ。」
「神様は知ってるよ。」
と表現した。
折角の言葉なのに通用しない今が嘆かわしい。

私は20世紀最大の芸術の一つ(だと思う)、「映画」の話をよくする。
「プライベートライアン」という映画がある。

戦争に全ての子供を送り出した母親から大統領に書簡が届く。
「私の息子達は次々と戦死して、あと一人しか残っていません。
 何とか生きて私の元へ返して下さい。」
大統領の命で数人の精鋭部隊が、ライアン二等兵の救出に向かう。
隊員は一人また一人と命を落とし、或る疑問が持ち上がる。

「何人もが命を落として一人の命を救う?」

ここに戦争という異常な状況への問題提起がある。
果たしてライアンは生還するが、
救出部隊の隊長は、瀕死の状態でライアンに託す。

「これを(で)稼げ・・・稼げよ。」
(リスニングが間違っているかもしれない。)
※一般的な企業の原価率に置き換えると、
「私たちの命は原価(約30%)なので、
 その3倍の価値のある人生を生きるべき(そうしなければならない)。」
 と読みとれる。

・・・時は流れてライアン軍曹はすっかりおじいさんに。
子供や孫達を連れて隊長の墓石の前に立ち、言う。
「今日は私の家族を連れて来ました。
(これには『あなたに救って頂いたおかげで繋いだ命です。』
 という意味が込められている。)」

「私はあなたに恥ずかしくない生き方が出来ているでしょうか?」

敬礼。
星条旗がフェイドインして "THE END”。
※ただ、旗は逆光で撮影したため色褪せている。
(そこには何らかのメッセージが隠されていることは間違いない。)

「シンドラーのリスト」
にも同じ様なテーマがみてとれる、
是非一度どちらも御覧あれ。

私もまたこの楽曲を創り、撮影し乍ら、 いつかこのような日
(写っている父上が今はもういないという現実)がくることを
想像していたのを思い出す。

ENSEMBLE ~"TOMMY" MURAKAMI~
ENSEMBLE(Spotify)
父上、母上、未だ未だ誇れるような息子でなくてごめんなさい。

※ 勿論、なまはげは子供達をとても大事にする存在だと心得ております。
なまはげ 2















2010.11.20.(土)投稿