aamall

2008年02月26日

書きました報告

今日はお知らせです。

2月25日付けでコラム(というのかな?)が1本載りました。
ブルガリア、ヴェリコタルノヴォ発「世界IT事情」です。
詳細はこちらから。
http://www.nttcom.co.jp/comzine/
皆さん、お仕事や学業の合間に見てみてください。

僕がIT事情について書いているって何だか不思議だけれど、書いています。IT事情から見えるブルガリアについて少しばかり。公の場所に書くというのは緊張します。じゃあブログも公じゃないのかって言われると、ここは公と私の間のラインを彷徨っている場所なのでやはり少し違う。一番の私は、僕のノートやメモ帖、紙切れ。
文字の書かれた紙、身体ならば皮膚に喩えられる、のかな。

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2008年02月19日

時間(time)、次元(dimension)、指先

僕はどうして建築をやっているのだろう。
僕はどうして歴史をやっているのだろう。
そしてどうして都市なのだろう。
都市・建築史は建築学なのだ、そして史学なのだ、そこに都市が来るのだ。

という当たり前のことが(そうかな?)自分の腑に落ちない日々を送っている。
まず腑に落ちたことのない問い。

僕は自分が史学をやっているという自覚に欠ける。
というよりは、そういう自覚を持っていいものかどうかいつも迷う。
例えば西洋史ならば純粋な史学だと思うのだけれど、きっとそういう考え方が脳のどこかにこびりついているということそのものがナンセンスなのだ。そういう風に考えつつも、そこには抗し難い気持ちがある。この思考順路は、一体何なのだろう。

自分は何をやっているのか、
と書いてしまう一句は、
高尚と陳腐の紙一重でどちらにでもなる。

本当はもう少し深く思っている。
言葉にならない部分は、言葉を作ってでもやはり説明すべきなのだろう。

まず一つ、僕は歴史が好きというよりも、「時間」が好きだ。
詩的であり、物理的であり、それが空間と交わることによって発生する出来事の数々。
時間には色々ある。そんなには知らないけれど、例えば円環時間とか、直線時間とか、往復時間とか。僕が一番考えているのは往復時間。僕が考えた言い回しだ。もしかしたらこの言葉はとうの昔に誰かが言っているかもしれないけれど。最近はまず往復時間を当てはめてみたらという仮説で物事を考えている。いや、そんな大袈裟なことじゃなくて、もっと浮遊した適当な思考で。最近の僕の気持ちが、何年か前と今を行ったり来たりしているというところにも原因がある。

そして最近、彼女と「次元」の話をしている。
普通は四次元ぐらいまでしか考えられない。点と線・面・立体・時空。でも十次元まで考えている学者がいるとか、そして始めから終わりまではすべて出来上がっていて、それが幾つもの次元で同時に存在するとか。そして、例えば占いを見てこうしたほうがいいかなと思ったり、勇気を出して踏み出してみたり、逆にどうしようもなくやる気がなかったり、僕らはそういう時にもしかしたら次元を選択して移っているんじゃないか、そういう話をした。一つ一つの選択が、些細な日常のカレーにしようかシチューにしようか、そういうところでも次元は変わるんじゃないか、って。僕らの意思と次元の交わりはそういうところで行われているんじゃないかって。

夜中0時をまわる頃、彼女と僕は同じベッドを並べて、灯りを消した東京という街の小さな部屋で、そんな話をしながらうとうとし始める。真っ暗な部屋、声だけを頼りに宇宙は今何をしている最中なんだろうという会話をする。そして目蓋を閉じて夢を見ながら、また朝を待つんだ。

全然違う話なのだけれど、文章を書くってやはり良いね。
僕はちょっとしたフレーズが浮かんだ時にブログとか書くんだけど、書いているうちにタイプしている指先が文章を生んでいくようなことがあるよ。時々、考えるよりも先に。

2008年02月16日

27

27という数字が面白い。

僕はつい先日27歳になった。

我ながら、素敵な年齢とはこのことだと思う。

22歳までは年を重ねるということについて何も考えていなかった。
見る前に跳ぶことは大好きだったし、それが自分の誇りでもあった。

23、24歳まではどんな立場にいても良いし、好きなことを好きなようにやって良いし、好きなように発言してもそれらはすべて許容されると思っていたからとても気楽だった。

25歳、26歳は迷いの年だった。迷い以外には何一つ無かったと言っていい。何をするにもすべてに迷った。もちろん研究の方向に迷ったし、進路に迷ったし、言葉の使い方に迷ったし、誰かに接するときはその接し方に本当に迷ったし、例えば友人を食事に誘うのさえ迷った。いつも何かが怖くて躊躇して踏み出せない日々。それでも氷は少しずつ、少しずつ溶けてはいったのかなと思う。

27歳は多分出来る限りのものに踏み込むだろう。
そんな予感のある年。
僕は「予感」という言葉が凄く好きだ。
予感は先にある時間を感じさせるのではなく、
別の次元を感じさせるからだ。
予感は、決して直線的な存在(気持ち、感覚)ではない。

溜めた迷いは切り返して別のものにする。
これからの一年の僕の責任。

追伸:おめでとうの気持ちをくれた皆さん、本当にありがとうございます。

2008年02月08日

映画感想文堯 慍患躡臓.譟璽縫鵑両啻』

先日までと同じ、アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『牡牛座 レーニンの肖像』を見に行った。映画館も同じく、渋谷のユーロスペース。
上映時間まで少し間があったので、渋谷とは言っても少し奥の人気の無い場所にあるカフェで、時間になるまで珈琲を飲みながら文献を読んでいた。

この映画は社会主義革命家レーニンの晩年を撮ったもの。誤解を招く書き方で申し訳ないのだけれど、ドキュメンタリーではない。全体においてブルーの画面。ドキュメンタリーにブルーの、しかも蒼白な、フィルターを一枚かけたもの。物語と言ったのでは語弊があるが、単に映像でもなく、話でもなく、映画なのだがそうではなく、何と形容していいのかわからない。レーニンは脳梗塞か何かの後遺症で半身麻痺。そして日々の出来事を次々と思い出せなくなっていく。感情の抑制も難しくなっていく。レーニンと家族、護衛の兵士、医者、メイド、誰もが息の詰まりそうな日常を郊外の屋敷で人知れず送っている。

何度も、自分の息までもが詰まりそうになって苦しくなった。
そう、ソクーロフの映画で前にも思ったように、人間は奇妙な行動をとるものだ。
よく奇行に走り、その奇行を見せる、奇行を呼び物にして映画を見せるそんな作品がある。僕はそういうのってうんざりなんだ。だけれどもソクーロフ監督の映画は必ず、人間は日常的に奇妙であるということを教えてくれる。普通の生活を守るために見せる人間の奇妙な行動。至る所に潜んでいる。僕だって、いつかはそういう行動を取るだろうし、今もそうなのだろう。人には見せられないような僕の奇行。誰だって思い当たるところがあるだろう。しかし奇行と思われるものは、やがて日常と添い遂げるのだ。

肝心の部分にまで入ると思っていたけれど、映画はそこまで展開することはなかった。肝心なのは、死期の近いレーニンが何を考え、どういう生活を送っていたかに考えを巡らすことだ。台詞はそう多くはない。でももちろんその台詞の中には政治・思想・社会的意味が大きく込められている。その背景に対する知識がゼロなら、見終わってもこの映画が何の映画なのかわからないままだろう。
肝心の部分は自分で想像するしかない。
描き出したかったのは、死ではない。
持っているのは死への予感だけ。
誰もその後のことは知らない。
想像力を働かせて死後を書いても、それはやはり死への予感を書いていることにしかならないだろう。

機会があれば是非皆さんも見てください。
今月中はとりあえず上映していることでしょう。
渋谷のユーロスペースのみの上映です、たぶん。

2008年01月26日

映画感想文鵝 悒皀好ワ・エレジー』

三日連続で渋谷のユーロスペース。
夜六時半から「モスクワ・エレジー」を見た。時間のせいか人の入りは前日の「ヴィオラソナタ・ショスタコーヴィチ」のおよそ2倍かそれ以上。大学で研究会があったので上映時刻に遅れたが、予告内に到着したため入れてもらえた、感謝しなきゃ。

全体的に凄く悲しい映画のように僕には感じられた。
「モスクワ・エレジー」は、ソクーロフが同じ映画監督であるタルコフスキーを撮ったドキュメンタリー映画。タルコフスキーが暮らしたアパートメント、亡命したイタリア、「サンクチュアリ」の撮影風景、若い頃に出演した映画、パリのロシア教会での葬儀などが映し出される。全編モノクローム。ソ連内には仕事が少なく家族を養えないと理由をつけ、イタリアへ亡命する。タルコフスキーはソ連邦外での評価もとても高かった映画監督だ。

一番印象的だったのは、タルコフスキー自身が映画に関して語っている場面。
「映画が監督に属するのではない。監督が映画に属するのだ。」
「自分とかけ離れた映画を撮ってはいけない。監督はその映画に責任を持つ。自分とかけ離れた映画を撮る人を見ると、不思議だなと思う。」

特に二つ目の言葉が印象的だった。
そしてこの言葉は僕になぜか勇気を与えた。
奇跡譚や恐怖譚は確かに人目を引くものだ。しかしそれはどうやって書かれたのだろう。それは何と接点を持つのだろう。接点のない物語というのは何なのだろう。
僕の中にそんな疑問が言葉にならないままに漠然とあったのを、タルコフスキーのこの言葉が言語化させてくれた。しかし、僕がここで使う「接点」という言葉の意味を、僕自身がまだ説明できない。それは現実との接点なのか、自分との接点なのか。自分との接点があれば、それは現実とも繋がっているのだが。しかし物語が現実と接点を持つ必要があるのか、そういった様々な疑問も派生してくる。
僕らは最終的にこの現実から逃れられはしないのだから、だから・・・?

そういえば、不思議なところで涙が流れた。
修道女たちが教会内(もしくは修道院内)を歩いているシーンがあった。
足音が大きく切られた石を並べた立派な石畳に響く。コツコツと、少し砂を踏むような音もする。数人の歩く音が重なり合って、小さな雑踏を作る。
建築の音だなと思ったんだ。
土の上を歩いても、砂の上を歩いても、砂利の上でもあの音は出ない。
綺麗に切られた硬い石の平面上でしか出ない音なんだ。
もちろんそこまでは考えずに涙はもう少し直感的なものだったのだけれど、そうか、こんな音がするのかと胸に響いた。

***

今日も相変わらずショスタコーヴィチの5番を聴いていた。
まだ7番を聴く気にはなれない。5番がとても良くてまだずっとずっと聴いていたいのだ。たいして読めなくても総譜を見ながら聴きたいと思ったけれど、もう少しこのまま何も知らずに聴き込んでみることにした。オーケストラの演奏するものにこれほど関心を抱くのもはじめてた。
大学からの帰り、地下鉄。ショスタコーヴィチを聴きながらその外側に聞こえる駅構内の足音やエスカレーターの動く音は、一膜かかってまるで映画の中の音のように聞こえた。

論文作業はあまり進んでいない。
大きく変わっていないとは言え、19世紀のブルガリア語を僕一人で読んでいくのは大変な作業だ。地下鉄の中でじっと地図に見入った。面白いことが思い浮かんでも、次の瞬間には、それは当然かもしれないと思う。その時々の精神状態によって判断を誤ることもある。
こんなにも密接に僕と関係しているもの、それはとても多く在る。

2008年01月24日

映画感想文髻 悒凜オラソナタ・ショスタコーヴィチ』

今日も渋谷のユーロスペースで朝早くから起き出して映画を見てきた。
朝起きると雪。
当然、渋谷も雪。そのせいなのか時間のせいか、渋谷なのにたいして人がいなかった。
人がいないと普通の街みたいで、渋谷なのにちょっと良い感じだなと思った。

昨日と同様、ソクーロフ監督の映画『ヴィオラソナタ・ショスタコーヴィチ』。
観客は20人少々といったところ。
あの、映画が始まる一瞬、すべての光が落ちて闇になるとき、宇宙に沈み込む感覚になる。その数秒が凄く好きだ。

ショスタコーヴィチは、音楽の時間にちょっと聴いたことがあるかどうかといったぐらいだ。名前は知っているけれど、ロシアの作曲家だということも多分知らなかったし、もちろんその曲はわからない。音楽はどのジャンルも全然詳しくない。クラシックだったら、勉強する時にラフマニノフを聴いているぐらいなんだ。
映画は、動かないもの、つまり写真や文章をカメラを回して撮っているシーンが結構あったんだけれど、ショスタコーヴィチの写真はなぜか時々動いているように見えたんだよね。もちろん動いてないんだよ。
最後のほうの、ショスタコーヴィチの曲を弾いたピアニストがショスタコーヴィチ本人にその出来如何を聞くために電話してきたときの会話を録音したもの、あれが何だか凄く良かったな。とても早口なの。タタタン、タタタンって音を口で言うんだ。

昨日の映画感想文に比べて今日は随分稚拙。
まったく疎い分野だとこうなるのかな。
それで、映画を見てすぐに渋谷の蔦屋(本当にこう書く)でショスタコーヴィチのCDを借りてみた。そして大学に行って、机で聴いてみた。
まだ感想は言葉にできない。音楽を描写する言葉ってどうしたらいいのかよくわからないんだ。唯、思っていたよりもずっとエキセントリックな旋律だったんだ。借りてきたのは交響曲第5番、第7番レニングラード。まだ5番しか聴いてない。けれどこれは、暫くちょっと聴き込んでみようかな。

さ、布団に入って論文。
やっているうちに寝る。
やっぱりなかなか書けないな。
自分を把握できなくて歯がゆくてたまらない、そんな感じ。

2008年01月23日

映画感想文 『日陽はしづかに発酵し・・・』

夕方から渋谷のユーロスペースでアレクサンドル・ソクーロフ監督の「日陽はしづかに発酵し・・・」(1988、ロシア)を見た。
2月2日に公開される「牡牛座 レーニンの肖像」の公開記念イベントとして行われている「ソクーロフと戯れる」の一環。ソクーロフ監督の過去17作品が上映されている。

僕はソクーロフという名を今日はじめて知った。
皆あまり知らないと思う。でも、「エルミタージュ幻想」を撮った人と言えばわかる人は結構いるんじゃないかな。90分ワンカットのあの有名な映画。僕はまだ見てないけれど、前から見たいと思っていた。今回のイベントのプログラムにも入っている。

「日陽はしづかに発酵し・・・」は、理解するのがとても難しかった。
ストーリーを少し書くと、ジーマという名のロシア人青年がソ連邦内にある中央アジアのどこか小さな町にいる。医者で、論文をタイプしている。人数は僅かだけれども色んな人がやってくる。姉、向かいの家のロシア人、サーシャ、兵士・・・。皆唐突に、何の脈絡もない。

その町は貧しいというのではなく、何かに乏しい。
大陸の強い風に吹かれて、じっと耐えながらもそのままどこかへ転がっていってしまいそうな不安な景色の町。生活基盤がどこにあるのか、あるのかどうかわからない。でも皆何とか今までやってきている。何処へ動いて行くこともないけれど、宙に浮いて揺れているような、根が地中ではなく地面の表面を這っているような、社会主義特有の不安定な匂いがした。そう、そして人間の言動というのは本来これぐらい奇妙さに満ちたものなのだ。僕は日本に戻ってからというもの、そういうことから目をそむけてきたんだな。

確かなものを求めてはいけない。
確かなもので出来ている確かな世界は存在しない。
僕らの住む日本もこの東京もその現在も、映画に撮ってみればあの中央アジアの町とそう変わらない世界なのかもしれない。心から「安定」を望む僕に、そんなものを求めることは無意味だと思わせる映画だった。これは映画のメッセージがそうだったのではなく、映画の中の景色や青年の行動から僕が感じ取ったこと。メッセージはまた別のところにあるのだと思う。印象に残るシーンが幾つかあって、それを繋ぎ合わせればそれなりに筋道の通るストーリーが出来上がるのだけれど、それはここで書いてしまうにはもったいない。気になる人は機会があったら是非見て欲しい。

もちろんブルガリアのことを思い出した。
全然違うけれど、何かは同じなんだ、本質的な部分で。
生々しくて、終盤で少し吐き気がした。
その辺のホラーや戦争映画より余程人間が生々しく映っている。

2008年01月05日

90s' TimeMachine

あけましておめでとうございます。
本年もこのブログともどもどうぞよろしくお願いいたします。
そして、おじぎ。

特にこのブログの抱負なんてものはないのです。
けれども、コメント欄を復活させました。
少し前にコメント欄を消した理由は、何となくコメントがもらえるように媚びた文章を書きそうな気がしたから。けれども、そんなことはなかった。むしろコメント欄を消すと、自分の書きたい文章を一方的に押し付けて読ませているような気がして、それもどうかなと思っていた。
コメント欄があろうとなかろうと僕の書く文章に違いがないのなら、前者も後者も思う必要のないことなのだけれど、一方通行にかわりはないのだけれど、何かが少し違うのだろう。気のせいかな。僕のいつものこういう口調で書いておいてコメント欄がないのも、矛盾、している?

90年代ってどんな時代だったかなというのを最近ずっとずっと考えている。昨日、従兄弟と話していたら、好きな音楽は90年代、ともすれば80年代と言っていた。従兄弟は僕よりも4つ年下。それでもわりと僕と同時代なんだ。BOOWY、T-BOLAN、WANDS、B'z、TMNetwork、・・・勿論もっと沢山の音楽がある、そしてあの歌詞も旋律も忘れられない。「切ない」という言葉は音楽から覚えて音楽に感じたと思う。

少し前にバブルの頃を題材にした映画が出たり、本が出たりした。つまりそれは80年代を客観的に捉えられるようになった、ということは不十分ながらも歴史になった、そして一つの時代として魅力的になった、魅せられるテーマの一つになったということだ。
そして90年代は、僕が30歳になる時にはきっと歴史になっているんじゃないかな。
僕と同じように、90年代が体のどこか、そして記憶のどこかに甦り始めた人は結構いるんじゃないかと思っている。今日のタイトルみたいにやたらと英単語が出てきたと思うんだけど、こういう英単語の流行りっていつから始まったんだろう。歌詞や、服のプリントにやたらと出てくる英語の数々。もう少しするとそれもきっと帰ってくる。でもまだ、続いているかな?

過去が未来に帰り、過去に未来を感じ、あの頃描いていた未来のイメージに過去を感じる。時間や記憶は錯綜して複合体を作り出す。反復はその位置をずらしていくという言葉(デリダかな?)は実践されている。個人においても、人々においても。時間と記憶が作り上げるイメージが、時代?
うん、ちょっと適当に言い過ぎたかも。

何か90年代を探るヒントがあれば、皆さんの体験、実感も教えてください。
(コメント欄はこういうところにも使えるんだね。)

コメント欄、なぜか機能しなかったんだけれど、たぶんこれで直っていると思います。
もしコメントしようとしてくれていた方がいらっしゃったら、ごめんなさい。
以後、よろしくお願いします。

vazdishka201 at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!音、歌 

2007年12月31日

31.Декембри.2007

2007年は終わりです。

今年もこのブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

2008年も今までと変わらず、少しずつ書いていきたいと思います。

何があるか、何が起こるかわからないけれど、強く生きていきたい。

そんな2008年とこれからにしたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。

皆様にも良い年が訪れますよう、お祈り申し上げます。

2007年12月24日

ヴェセラ コレダ

コレダですね。
ブルガリアではクリスマスのことを「コレダ」と言います。
メリークリスマスは「ヴェセラ コレダ」。
2年前のこの日は街の教会に出かけました。何と言う歌かわからないのだけれど、とても好きな聖歌が一つあります。ブルガリアではきっと一番大事でよく知られた歌です。何故か調べたことがない。ただその歌が聴けるだろうと思って教会に行きました。街は驚くほど静かで青い闇夜に雪が降っていた。

ブルガリア正教会のクリスマスは、今のところ12月25日としているようだけれど、本当はロシアと同じで1月7日じゃないのかな、と思います。これに関しては諸派あるようです。やはり家族と一緒に過ごすもの。日本とは違ってとても静かな一日。ブルガリアでは春のヴェリクデン(復活祭、つまりイースター)の方がクリスマスよりも重要で派手にお祝いするので、クリスマスは少しの物足りなさもあります。

ヴェセラコレダの「ヴェセラ」は喜びの、という意味だったと思います。
その言葉にちなんでブルガリアの女性の名で「ヴェセリーナ」という美しい名前があります。ブルガリアの女性の名も美しいものが多いのです。ナデージュダ、フリスティーナ、ビリャナ、リリヤ、ヴァレンティーナ、ナーデャ、ナターリア・・・・・
女性の名は普通あ段で終わります。それがブルガリアの女性名詞だからです。最近は昨今の日本と同じように変わった名前もありますが、大体はこの言語の規定力の範囲内にあります。

今年は一人なのに何故かほっとしたコレダを迎えています。
最近は人に会い続けて煩わしかったので、冬休みに入ってほっと胸を撫で下ろしているといったところです。

皆様も良いクリスマスを。
ヴェセラ コレダ。