2014年04月25日

映画「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」を観ました

 過日、観に行った映画「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」の話(ネタバレ注意)。


この作品のテーマは、恐らく「死んだ人は決して生き返らないし、生き返らすべきではない」と言うことじゃないかと思います。

バダン帝国と言う悪の組織が、生者の世界と死者の世界を逆転させるメガ・リバース計画と言うのを企んでいて、仮面ライダーが力を合わせて阻止するのですけど、歴代平成ライダー達が共通して仲間の死への未練を断ち切れないでいる弱さがあって、それが積み重なっていつの間にか、バダン帝国を育ててしまったのではないかと、昭和ライダーは思っています。

そんな軟弱な奴らに世界の平和秩序の維持を任せる訳には行かないと言うので、昭和ライダーが平成ライダーに戦いを挑んできます。

昭和ライダーとしては、仮面ライダーのスーパーパワーをもってしても死んだ人間までは生き返らせることは出来ないのだし、死者への未練にどこかで区切りをつけて、生き残った者のために、前向きに生きなければいけないんだと言うことを身をもって伝えようと戦いました。

結局最後は、甘いとも思える平成ライダーの優しさも時には必要なんだと理解しつつ、仲直りして、共に悪と戦い続けることを誓って話が終ります。




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雑感 

2014年03月12日

「河野談話」の何が問題か

  私人間で、自分には落ち度も悪い点もないけれど、その場を丸く収めるため、謝罪して頭を下げると言うことは結構ある話です。我が国においては、そう言うのを「大人の対応」だとして称賛される向きがあります。

 しかし、外国ではそう言うのは、ほぼ通用せず、謝罪したらその言葉の額面通りに相手に受け止められてしまいます。だから例えば、スイスのシンドラー社のエレベーター事故があって犠牲者が出ても、決して会社は謝罪などしない訳です。

 私人間はもちろん国家間の外交の場はなおさらです。いわゆる「従軍慰安婦」の強制連行を認めてと解されてしまう内容の平成5年当時の河野洋平官房長官による「河野談話」のおかげで、我が国がやってもいない犯罪をやった国家だと言う不名誉を蒙ることになりました。

(当然、河野氏個人の独断ではなくて、当時の自民党宮沢内閣の了承の上で発表されたのでしょう)。

 問題自体が存在しなかったのに、問題にしてしまったこと自体が失敗でしたが、その問題を「丸く収めるため」に無責任な謝罪をしてしまったおかげに、その後も認めたのなら賠償しろとか言われ、隣国のプロパガンダの道具として使われ続ける出発点になってしまったことに、私は何ともやりきれない思いがします。




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雑感 

2014年03月10日

STAP細胞、追試で再現出来れば文句は出ない。

 小保方博士のSTAP細胞の研究を疑問視する声が出ているそうです。自然科学の実験研究ならば、一般的に言えば、その分野の専門知識のある人が、論文や特許公報に書いてある手順で追試をして、誰でも再現出来れば本当だと言うことになるのでしょう。もしも再現出来ない場合は、論文などの情報(説明)不足があるのか、あるいは研究成果そのものが間違いと言うことになります。

 説明不足の不備にも色々あって、故意に重要な情報を秘匿している場合もあれば、誰でもそうするだろうと思い込んで載せなかった情報が実はそうではないと言う場合もあります。また新しい別な条件に気付いていないにも関わらず偶々そろっていて成功してた場合もあります。

 医学者の野口英世が、明治44(1911)年に病原性梅毒スピロヘータ(真正細菌)の純粋培養の成功が発表して世界的な名声を得ましたが、現代に至るまで他の誰がやっても再現ができないそうで、現在ではこの成果は間違いであろうと言うことなっています。もちろん、この研究が否定されても、他に沢山の研究業績があって野口英世が偉人であることには変わりません。

それでも当時としては野口英世の研究技術が高度過ぎて他の研究者が真似が出来なかったとされていたそうです。現代では、追試で再現できない場合に、そう言う発想はしないでしょうから、早晩にSTAP細胞の真偽が分かると思います。

(私は研究そのものの根幹は正しいと信じてますけど)




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雑感 

表の武士道、裏の武士道

  「武士道」の教えと言うのは、戦国の世が終わって天下泰平の時代に確立されて平和な時代に適合したものになっていて、戦乱の時代のそれとは異なっているのじゃないかと私は思っています。

「武士道」と言えば、儒教の朱子学の影響を受けた主君への忠義とか、山本常朝『葉隠』の「死ぬこととみつけたり」と言うのが思い浮かびますが(「表の武士道」と私は呼ぶ)、

思想としては体系化できなかったけれど、戦国時代には、場合によっては、下剋上をやったり、謀略を使ってでも、生き延びるが勝ちと言ったリアリズムな発想(「裏の武士道」)も一方ではあったのじゃないか。

天下泰平の徳川幕藩体制の間に、裏の方が忘れ去られて、現在まで言われるところの「武士道」だけが残ったのではないでしょうか

もちろん「武士道」は素晴らしくて世界からも称賛を受けているのですが、大東亜戦争に敗北したのも現在の外交の失敗の遠因もうまく裏と表の使い分けが出来ないところにあるのではないかと、たまに思います。




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雑感 

2014年02月11日

「砂の器人生」

 最近見た、駅の売店で売っている夕刊紙の例のゴーストライター事件の見出しに「砂の器人生」とあって思わず笑ってしまいました(その夕刊紙の記事は読んでないですけど)。

松本清張の小説『砂の器』では和賀英良と言う新進気鋭の音楽家が登場するのですが、原作では電子楽器などを使う前衛音楽家となっている一方で、映画ではクラシック音楽のピアニスト兼作曲家に設定が代わっています。

推理小説ですのでストーリーは内緒ですが(以前当ブログで取り上げました)、前衛音楽家と言う原作の設定だと、映画「砂の器」では感動的なクライマックスにならなかったと思います。

あのゴーストライターをやっていた人は実名では不協和音の前衛音楽で、「現代のベートーヴェン」のために書いていたのは協和音の調整音楽で、後者の方が一般聴衆には受け入れやすい作品なのだと思います。




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話題 

元のタイトルと違う曲として作曲されてもそれっぽく聴こえる件

 リヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」と言う曲は、フリードリッヒ・ニーチェの同名の著作からインスパイヤーされて表現した曲なのですが、発表されたときに批判が多かったそうです。

その理由は、哲学思想を音楽で表現しようと言うのは邪道と言うか、不可能だろうと言うこと。音楽は、音楽でそれ以上でもそれ以下でもないと言う主張に基づいています。

確かにこの曲をいきなり聴かされても、せいぜいストーリーっぽい暗示があるのかなと思うだろうけど、哲学思想まで思い浮かべられないと思います。だいぶ後になって映画「2001年宇宙の旅」のテーマに使われるのですが、そっちの使われかたの方が有名になっています。

あの佐村河内氏の作とされた交響曲第1番HIROSHIMAは、元は代作者が広島とは一切関係ない交響曲第1番 現代典礼と言う名前で作曲されたそうです。後からHIROSHIMAに変えてもそれっぽっく聞こえてしまうのも、そう言う訳ですね。




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話題 

2014年02月09日

こう言う場合も本人の作品なのだろうか?

 十数年前にCBSドキュメントと言う番組で取り上げられたアメリカの芸術家は、作品のイメージを他の画家に伝えて外注して作らせると言う人でした。

その人は、最初から、そう言うやり方で作っていると公言してやっているので、秘密にしている「ゴーストライター」とは異なるのですが、別人の手を借りているので、当人の名前で発表されても、果たして本人の作と言えるのだろうかと言う疑問が生じます。

この疑問に、その芸術家は作品のコンセプトを考えて誰に作らせるか人選をしたり指示を出してプロデュースする過程を含めた全てが、自分の作品である。

自分の名前で発表することで、自分が作品に関する全責任を負っているので、やはり自分の作品としか言い様がないとのことでした。




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雑感 

2014年02月08日

テレビ番組はノンフィクションをより問題にすべき

 日本テレビの番組「明日、ママがいない」(フィクションのドラマ)よりもNHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(ノンフィクションのドキュメンタリー)を問題にすべきですね。「魂の旋律」も10年位前に同じNHKスペシャルで放送された「奇跡の詩人」と同じパターンな気がします。「奇跡の詩人」の方は、特殊なリハビリを受けた障害児が天才児となって詩を創作していると言うドキュメンタリー。

その幼児が文字盤を使って母親とコミュニケーションをとっているとされているのですが、視聴者から、あれはどう考えても母親が作ってるんだろうとの疑問が殺到しました。

「魂の旋律」だって普通に取材していれば、本人が作曲しているかどうか判らないまでも、その疑いを持つだろうと思います。疑わしいだけでもボツにしなきゃいけないはずですが、本当のことを知っていて、金儲けのため(CDが売れたら謝礼が入るとか)目をつぶったのではないかと考える人もいると思います。

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0331/




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話題 

作曲したのは実はゴーストライター

 佐村河内守氏が作曲したとされた交響曲第1番HIROSHIMAをネット配信で聴いたことがあります。決して悪い作品ではないと思いますが、この水準の作品を作れる作曲家は日本には結構いると思います。

でも、日本のクラシック音楽業界で、日本人作曲者の作品が演奏される機会がほとんどなくて、需要がないからこの手の作品が作られないだけの話です。

一連の作品が異例にヒットしたのはやはり、「現代のベートーヴェン」が命を削って作ったと言う物語をくっつけて、その様な先入観で音楽を解釈する人が多かったからでしょう。もしゴーストライター氏の名前で発表されたら注目も演奏もされなかったに違いありません。

音楽は何の先入観も持たずに聴いて楽しむのが本来あるべき姿で、曲そのもの以外の要素で音楽を解釈するのは不純なことだと、考えさせられる事件です。




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話題 

2014年01月24日

『宴のあと』

 昨日(平成26年1月23日)、東京都知事選挙が公示されました。2月9日(日)が投票日だそうです。

 東京都知事選挙が出てくる小説と言えば三島由紀夫『宴のあと』ですね。候補者・野口雄賢のモデルとなった元外務大臣有田八郎からプライバシーの侵害で訴えられた事件の方が有名になって、却って作品自体は読まれてないかも知れません。

主人公の料亭「雪後庵」の女将福沢かづと野口が懇意になって結婚するきっかけは、雪後庵で外務省の同窓会をやっているときに元同僚がトイレに行ったまま中々戻ってこないと思ったら脳溢血で倒れていて、その世話に一緒にどたばたしていたことでした。

野口が革新党の都知事候補に担ぎ出されて、かづがどんなことをしてでも勝たせたいと料亭を抵当に入れて資金を調達してまで奔走するのだけど、保守党の大物のおじさん達(料亭の客でもあったので親しかったりする)の方が権謀術策の政治の世界では上手で、結局野口は敗北。その後二人の生き方の方向性の違いが埋められず離婚と言うことに。

盛り上がった宴とその後の空虚感になぞらえています。




vek2666 at 22:15コメント(0)トラックバック(0) 
読書(漫画を含む)