受験&教育byベリタス

ベリタスは、東京都町田市南町田(小1~高3)と東京都町田市原町田(小1~中3)にて学習塾を展開しています。学院長と教室長が、生徒・父兄と接して感じたことや教育関係の問題について思うことを綴っています。

2012年04月

公立中学の英語の授業は週に何時間あるかご存知だろうか?

3コマである。1コマすなわち1校時は45分だから、週当たり135分。つまり2時間15分である。筆者が中学生の頃は週当たり4コマであった。当時、教師からは、私立中学では、週5コマあるが、それでも足りないくらいなのに、諸君は週4コマしかないのだから、心して勉強するようにと言われたものだ。それが、今では週3コマである。

なぜ日本人は中学高校大学で計八年間も英語を勉強してくるのに英語が話せないのかと問題視され、いろいろな理由が論じられてきたのは、まさに我々の世代のことである。筆者の親世代は、戦時中の教育を受けているから、勤労奉仕やら空襲やら疎開やらで、そもそも勉強することが出来なかった。そのうえ、敵性語ということで英語の学習自体が出来なかったという事情もあり、英語が話せない理由には事欠かなかった。それに比べて、筆者らの世代は、テープ(当時はカセットではなくオープンリールだった!)でネイティブの発音を聞き、それをまねて発音する教育まで受けてきたのに話せないのである。

なぜだろう。もちろん理由は多岐にわたるだろうが、根本的な原因は、授業時間数の不足に尽きると思う。考えてみて欲しい。英語を母語とする人たちも、生まれた時は、全く英語が話せないのである。それが、3歳ぐらいでペラペラになる。理由は簡単だ。四六時中、英語に接しているからだ。日本人が日本語を習得する過程も同じだ。

授業が年間約40週として、2.25時間を乗じると90時間になる。これを3年分で270時間である。1日12時間起きているとしたら英語圏の子は22日半でその時間数をクリアする。1ヵ月かからないのである。3週間少々である。中学を卒業しても英語が出来ないのは当たり前である。生後1ヵ月の子と同じとは言わないが、幼稚園児にも敵うまい。

英語の絵本を読んだことがあるだろうか?ストーリーのある絵本だと、中学卒業程度の英語では、全く歯が立たない。単語はもちろん中学で習わないものがいくらでも出てくるし、文法だって、仮定法も過去完了も普通に出てくる。英語圏の幼児は、こういう絵本を親に読み聞かせてもらっているのだから、当然、英語力は日本の中学卒業程度よりはるかに上である。

小学校入学時に子供が知っている単語数は、だいたい9,000語と言われている。これは、日本語でも英語でもあまり変わらないらしい。それに対して、日本の中学生が学ぶ英語の単語数は、旧学習指導要領によれば900語(実際に、教科書に登場する単語数は指導要領より多いので900~1,200語程度らしい)。高校と合わせても2,200語だと言う。これを本年度から完全実施する新指導要領では中学1,200語。高校と合わせて3,000語に引き上げる。どうだろう。「ぴっかぴかの1年生」だって、9,000語を使いこなすのに、単語数2,200乃至3,000で、何をしゃべれるのだろうか。言いたいことも言えないのは火を見るより明らかである。

もちろん、幼児が知っている語彙と、中高で日本人が学ぶ語彙とでは、質が違う(幼児語や俗語はほとんど習わない)から3,000あれば大体のことは言えるし分かるとは思う。たしか、昔、Voice Of Americaという短波放送のニュース番組Special Englishは、使われる語彙数が約3,000と言われていた記憶がある(今ネットで配信されるものは約1,500語と言われているが)。だから、ニュースが分かる程度の英語力はつくはずだ。けれども、実際に、Special Englishを聞いて理解できる人は多くない。なぜなら、聞き取れないからである。文字を読めば分かるだろうが、聞き取れなければ、どうにもならない。

なぜ、聞き取れないかと言うと、それは、発音ができないからである。英語の発音と日本語の発音はまるで違う。似たような音も、音を出す場所が違うのである。たとえば、英語のRの音は日本語のラ行音よりも奥で出す。日本語のラ行は、ローマ字ではRと母音の組み合わせで表記されるので、ラ行とR音は同じと思っている人が多いが、実は違う。ちょっと似ているだけだ。さらに、L音は、日本語には存在しない。だから、LemonもLifeもカタカナではラ行を使って書くが、英語のL音は、ラ行よりもずっと前で出す。上の前歯のすぐ後ろに舌先を軽く当てるような感じで出す。こんな舌の動かし方は日本語にはない。だから、日本人は、Lが出てくるたびに、意識してやろうとしなければ、きちんと発音できないのである。そのうえ、普段全くしない舌の動きだから、やろうとすると、舌を動かす筋肉がかなり疲れる。それで、皆、Lだろうが、Rだろうが、ラ行で発音してしまう。英語の教師も、いちいち指摘していたら授業が進まないので、それに異議を唱えない。そして、教師自身、ちゃんと英語の発音をしたら、生徒が聞き取れないから、カタカナで発音して授業を進行している。これでは、いつまでたっても日本人は英語の発音が出来るようにならないだろう。したがって、英語を聞き取れるようにもならないと断言していい。

事実、筆者が授業中に単語の読み方を尋ねられた時、英語らしく発音すると、生徒は必ず「え?」と聞き返す。そこでもう一度発音してやると、困惑した表情になる。なぜなら、単語に仮名を振れないからである。何回発音してもらっても、筆者の発音は同じ音に聞こえる。けれども、その音に対応するカタカナの文字がない。そこで、筆者は、そういう時には発音記号を教えるようにしている。と同時に、口の断面図と称して「Ω」を90度回転させたような図を書いて、それに舌の位置を書き入れてやる。それから、その通りに発音させて、音を聞き、舌の位置を調整させる。舌の位置が変わることで、自分の出している音が変化していくのを感じてくれればしめたものだ。英語のCは、カタカナでは、「シー」と表記されるが、日本語のシーとは全く発音が違う。Cは、上下の前歯の隙間を息が通り抜ける時に出る音を子音(以下、s音という)とするのに対し、シーは、上あごと舌先とで形作った隙間を息が通る時に出る音を子音としている。英語でshと表記される音に近い。たぶん英語の方が少し前で音を出しているが、以下sh音と呼ぼう。それで、生徒の半数近くがs音をうまく発音できない。s音とsh音の区別は英語の発音の中では比較的容易に区別できるものであるにも関わらずである。出来ない子は、発音する時に舌が口腔内で持ち上がってしまうのである。舌を下げないとs音は出せない。下の前歯の裏側当たりに舌先を控えさせるのである。そうすると舌の上を滑ってきた息が上下の前歯の間から外へ出る時にs音を出す。舌が上がると上あごとの間で音を出してしまってsh音になってしまう。Sit down.と言おうとしたら、Shit down.になってしまったでは、ちょっと笑えない笑い話である。

発音の習得は時間がかかる。何度も繰り返し発音しないと舌が動きを覚えない。分かれば出来るというものではない。教師は一人一人の発音を聞いて、舌がどう動いているのか判断して修正してやる必要がある。40人学級で週3コマの授業時間では到底見切れない。だから、もう中学の英語は、はなから発音の矯正は諦めている。ネイティブが読む教科書の発音を聞かせてやるから、あとは各自が自主的にやってくれという態度である。

英語は暗記科目である。我々が、日本語をしゃべるのにいちいち辞書を引いて調べたりするだろうか。するわけがない。しゃべる単語は全て暗記しているからしゃべれるのである。全部覚えていなければ話せないのである。暗記もまた時間がかかる。テスト前に丸暗記をしてもすぐ忘れる。覚えた単語がいつでも取り出せるのは、何度も使うからである。週3コマでは、英語に週3回しか触れない子が出てくる。繰り返す頻度が低いからなかなか覚えることが出来ない。だから、英語が使えるようにはならないのである。そもそも習う単語数が少ないうえに、使用頻度も低いとなれば、習得は困難を極める。つまり、中学高校の授業時間数では、使える英語習得は不可能なのである。大学も含めて8年間も英語を学んでくるのではなく、ざっと見積もって1,000時間程度しか学んでこないのである。これで英語が話せるようになれというのは、無理な話である。文部科学省が本気で英語を使える日本人を育てたいと考えるなら、まず授業時間数を3倍くらいにする必要があるだろう。

そんなわけだから、近年の私立中学では、英語の授業が6コマも7コマもあるところが増えていると聞く。公立中学の生徒が3年間で倍以上の差をつけられてしまうのは、必然である。中高一貫の私立と都立高校の進学実績の差は、こんなところにも原因がある。都立人気が言われる陰で、私立と都立の格差は拡大している。筆者が高校生の頃、入試難易度で都立高中トップの72群、国立高校の東大合格者数は、35名前後であった(32群の西高はもう少し多く45名前後と記憶している)が、今年度は15名である。当時は45人学級9クラスで、現在は40人学級8クラスという点を考慮しても減少しすぎている。都立トップに返り咲いた日比谷高校(学校群時代は中堅校に過ぎなかった。ただし、それより以前は毎年100名以上の東大進学者を出していた)でも今年は30人である。

塾ベリタスの英語は週1コマだけれど、100分ある。時間にして2校時以上。連続で行う効率を考えると3校時分程度の上乗せが可能だ。町田市が採用する教科書には登場しないが、他社の教科書には登場するような単語は、塾でしか補充できない。都立高校の入試問題を読んでもらえば分かるが、教科書に登場しない単語も入試には使われる。発音のチェックもしている。公立中学から都立高校、そして大学受験を考えているなら、塾に通うのは必須というほかない。

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塾に、なーんにも持たずにやってくる生徒が、ときどきいる。

ブログネタ
今までで一番困った忘れ物、何ですか? に参加中!
鉛筆もノートもテキストも、いっさいがっさい何も持たずにやってくるのんきな生徒が、ときどきいる。いったいここへ何しに来たんだと尋ねたくなる。ノート用紙を与え、鉛筆と消しゴムと赤ペンを貸し、テキストをコピーしてやる。当然宿題も持って来ていないから、答え合わせも出来なければ、定着度の確認も出来ない。実に困ったものである。

だが、本当に困る奴は、忘れ物をしない。なぜかというと、家に帰ってから、ノートを開くこともなければテキストを読むこともないからだ。つまり、彼は、塾の教材一式を鞄に入れたままで、家庭で取り出すことなく、次の塾の日まで温存しているのだ。勉強用具は塾でしか取り出さないから、塾に忘れていくことはあっても、家に忘れてくることはない。

一式全部忘れてしまう生徒というのは、たいてい、前の晩に宿題をやっていて、終わらなかったので翌日学校から帰って宿題を終わらせてようと思っていたのに、帰宅が遅くなって、慌てていつもの鞄を引っ掴んで塾へ来て 、開けてみたら何も入っていないというパターンである。あるいは、塾に来る直前に宿題をやっていて、教材を鞄にしまわずにおやつ食べているうち時間になって、空の鞄を持って来てしまったなんてのもある。直前になって宿題をやっていることは、問題無しとはしないが、一応、家庭で学習しているゆえに、忘れ物をしてしまうわけである。 だから、まだましなのである。

というわけで、塾屋にとって、一番困った忘れ物は、
"everything" ではなく "nothing" という物なのであるが、その次に困るのが宿題である。家で何もしない生徒は、当然宿題もやっていないわけだが、「成績を上げるのに必要なことは、2つだけ。休まないことと宿題をすること」と言うくらい宿題は重要なのである。生徒自身にとって、本当に困る「忘れ物」は、実は宿題なのである。しっかり宿題をやって、忘れずに持ってくる ことが、塾でも学校でも最も大切なのである。

そういえば、溜め込んだ宿題が終わらないので、苦し紛れにわざとノートを忘れて来た生徒がかつていた。 ツケは溜めると払いがきつくなるのは世の常で、宿題が出来なくてノートを持ってこないのは自己破産に匹敵する。破産したら、債務整理をして、もう一度生活を立て直さないといけない。宿題も、やりきれないほど溜め込んでしまったら、整理してやるから、相談に来なさいね。

まぁ、とにかく、諸君、忘れ物を恐れずに、復習と宿題に勤しんでくれたまえ。 忘れたら、塾ベリタスは、必要なものは何でも貸す。だから、忘れ物を心配せずに家でも勉強してくれ(笑)

<原町田教室>

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ミスは起こるべくして起こる。

3月22日に、ケアレスミスについて書いたが、言い尽くせなかった感があるので、本稿でもう少し考えてみたい。ミスは起こるべくして起こる。という部分である。

筆者は、ミスは、予測が足りないために発生すると考えている。つまり、これから発生するミスを予測する。それから、それを回避する手段を考えるという順序である。車を運転していて、見通しの悪い路地の四つ角にさしかかる。多分誰も出てこないだろうとそのまま行き過ぎる時に事故は起きる。誰か出てくるかもしれないと思って運転しなさいというのは、よく教習所で教えるところである。だが、筆者は、こう思う。「かもしれない」ではなく、「誰か出てきたら、どうなるか。それを回避するにはどうしたら良いか。」と明確に意識する必要がある。「かもしれない」のような漠然とした考え方では、フィフティーフィフティーだから、行っちゃえになりがちだ。「出てくるかもしれない」=「出てこないかもしれない」である。だが「誰か出てきたら」と考える時は、100%誰かが出てくる前提で考えをすすめることになる。その差は大きい。

怪我の多い子供とそうでない子がいる。実は、筆者は、前者だった。筆者は、怪我はしないのが当たり前という考えでいた。だが、友達と比較しても明らかに自分はよく怪我をするし、怪我をすれば遊びも楽しくない。大きな怪我だと遊びにさえ行けなくなる。なんで自分ばかり怪我をするのだろうかと考えたものだ。すると、あるときから「今ここでつまずくと怪我をするぞ」と気がつくようになった。そこで、つまずいたらどうすべきかをつまずく前に考えるようになった。怪我をする前に、怪我しやすい状況で、何が起きると怪我をするかを考えて、事前に回避行動がとれるようになったというわけだ。

試験も同じである。ミスは必ず起きる。だが、この問題では、ここで、こういう風にミスが起きると明確に意識すれば、起きる前にミスを避けることができる。ミスは起きることを前提に準備しておかないといけない。だが、起きないはずのものが起きるのをミスと言うと思っている子が多いのである。つまり、ある問題が分かった。式が立った。計算が出来た。正解が出た。という正規ルートの途中で、問題を読み間違えていた。自分の書いた数字がきたないために6と0を取り違えた。筆算の途中で足し算を間違えていた。正解を写し間違えた。単位の変換を忘れた。など普通はやらないことをやらかして、ルートを外れるのがミスだと思っている。しかし、本当は、正解への道筋にはそういういくつもの分岐点がはじめから用意されていて、複雑な迷路を形作っているのである。ゴールは一つだけれど、そこへたどり着く迷路の入口は複数ある場合も少なくない。けれど、一つの入口から入れば、ゴールへ行けるルートはたったひとつ。それ以外の曲がり角は全て不正解となるミスの袋小路である。ところが、子供たちは、正解への道は、分岐のない一本道と思っている。ミスは道を踏み外したぐらいにしか思っていない。だから、ミスが発生するのだ。自分が進むルートには、いくつもの曲がり角があって、その一つ一つをどちらへ曲がるか判断しながら進まなくてはいけないと考えるべきなのである。最初の曲がり角は、右なのか、左なのか、ここで「問題の読み間違い」をすれば、不正解の袋小路へ入り込むことになると意識して問題文を読み始めなくてはいけない。問題に正解するというのは、そういう小さな曲がり角を、いくつもやり過ごして目的地にたどり着く旅路なのである。

筆者は、そんな風に考えていて、授業は、問題を解く過程で起こりうるミスを逐一指摘しながら進めている。もちろん、解く前に、注意を促しておく場合と、事前に示唆を与えないでおいて、わざと間違えてもらって、そのミスがどうして起きるのか、意識の置き方を含めて対応策を伝授する場合とがある。事前に注意してもらったのに、やっぱりミスして情けないとか、知らずに「罠」にはまって、悔しい思いをしたとか、いずれにせよ、生徒の感情が揺れるように意識している。それは、感情が動いた時ほど強く印象に残るからである。

ところで、発生するミスには、不注意によるミスもあれば、出題者側が意図的に引っ掛けてくる場合もある。どちらの場合も、発生したミスをいかに発見するかが重要である。答えが出たけど間違っていたというのがミスなのだから、そもそもミスの発生に気づいていないことがミスの本質である。

前者のミスの場合、いわばケアレスミスであるが、いろいろな発見法がある。たとえば、計算ミスを見つける方法は、一の位同士のかけ算の答えの一の位と筆算結果の一の位の数字が一致しているかどうかを見たり、上から一桁の概算でどの程度の数になるかチェックしたりする方法がある。検算というのを学校で習うが、あれは実用性が低い。なぜなら、確かめたい計算と同じくらい時間がかかるからだ。1分かかった計算を確かめるのにまた1分かかるのだったら、もう一回計算し直すのと変わらない。検算して間違っていると分かったら、もう一回計算し直すことを考えるといかに実用性が低いか分かるだろう。いずれにせよ、各科目ごと、問題分野ごとに様々な方法があって、塾ベリタスでは、そういう方法を授業の中で伝授している。中には、筆者が母親から教わった、戦前からの古い方法なんかもある。けれど、最近の若い先生はご存じない方が多い様で、生徒たちには新鮮に聞こえるようである。

後者の場合、これは、もう出題者が意図的にやっているわけだから、「お約束」のミスである。落とし穴が掘ってある細い小道を知らずに進んでいけば落ちるに決まっているのである。逆に言えば、そこに落とし穴があると知っていれば落ちることはない。この手の出題ではここに引っかけがあると覚えておけば良いだけの話である。教師の的確な問題選択と十分な問題練習量とによって、習熟しておけば良い。塾の教師は、「よくあるパターン」を熟知しているから、それらを授業で網羅する。このあたりが独習者や学校では対応しきれない点だと感じている。

ミスの対策には、まずは、ミスが発生することを前提に準備するという意識の問題。次いで、ミスをどうやって防ぐかという技術的問題がある。それには、自分の犯したミスを発見する技術と、ミスを犯す前に何に注意するかという出題意図を見抜く技術とがある。技術は、教わっても、習熟しなければ身に付かない。そして、何より技術の前提となる意識を持たなければ話にならない。縁あって塾ベリタスで学ぶ諸君には、折角だから、この点をたっぷりと伝授することにしている。ミスの対策は、どんな職場でも常に重要な課題であるから、これらは生涯にわたって役に立つだろうと考えている。

<原町田教室>


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ブログランキングについて考えつつ、学校選びに思いを馳せる。やっぱり上位じゃないと駄目っしょ。

当ブログは、ライブドアのサーバを利用している。他のサイト(mixi, twitter, gree)との連携を考えて、一番使い勝手のいい所を選んだつもりだ。このライブドアブログには、レベル別ブログランキングというのがあって、ブログを5つのレベルに分類して、それを星の数で表している。当ブログは、開設後しばらくして★が一つ付与され、長らくそのままだったが、2月下旬、ブログ管理画面を見ていて、ふと気がつくと、★が二つに増えていた。で、何気なく、その★をクリックしたら、レベル別ブログランキングなるものが表示され、★2の5位にランクされていた。これは、なんかすごいなぁと思っていたら、3月初めに、再び管理画面を開くと、★が三つに増えてレベルアップしていたのはいいが、順位が9299位である。上のレベルの下位より、下のレベルで上位の方が嬉しいのだが、どうも、下のレベルで上位になるとレベルが上げられてしまうらしい。

実は、このレベル別ブログランキングなるものが、どういう基準でレベルを決めているのかよくわからない。サイト内をあちこち覗いて、説明を探してみたが、見当たらなかった。たぶん、直近のアクセス数で決めているのだろうと思う。だが、その「直近」がどのくらいの期間なのか、また、アクセス数がいくつならレベルがいくつになるのか等は、全くわからない。

今回短期間で星が増やされたのは、アクセスが集中したからなのは明らかである。というのは、2月22日に917PV(ユニークユーザ数343)翌23日に632PV(同290)を記録していたからだ。普段は1日に20~30PV程度だから、この瞬間最大風速は当ブログとしては凄まじいものだ。22日は都立高校入試の前日、翌23日が入試日である。アクセス先は、都立高校の最終応募倍率に関するエントリーに集中していた。みんな倍率を気にして検索してきたのだろう。

ブログの順位なんてのは、はなから気にしていなかった(だって、学習塾のブログなんて、入塾を考えている人か同業者しか見ないでしょう)ので、順位を見ようと思ったこともなかったのだが、最大瞬間風速直後の順位はどのくらいだったのか、ちょっと気になるところだ。上のレベルの下位より、下のレベルで上位の方が、そのレベルのランキングを表示させた時に最初のページに登場するから、人目に触れる可能性が高そうな気がする。レベルが上でも順位が低いと下の方のページに沈んでしまって、なかなか人目に触れない。

ところで、学校選びにも似たようなことが言える。上位校で下位の成績を取るより、下位校で上位の成績を取る方が良い場合がある。昔の話だが、大学へ進学してからの成績は、前者より後者の方が良いという調査結果があると聞いた事がある。理由は、高校時代に成績が良かったという自信が大きくものを言うというところにあると、筆者にその話をしてくれた高校の先生は、おっしゃっていた。

校内で成績が良ければ、その学校の中心的人物として、生徒からも教師からも一目置かれる。有利な取り扱いもあるかもしれない。これに対して、たとえ成績上位校であっても、校内成績が低ければ、頭の悪い奴、駄目な奴というレッテルを貼られかねない。学業以外の活動でも、積極的な姿勢は出てこないだろう。大学は、教わるというより、自ら学び取る場所である。積極的な姿勢が欠けていると、4年間が内容の薄いものになってしまう。そのあたりが、大学での成績を左右するのだろう。

成績上位の高校を選ぶにこしたことはない。成績の良い生徒の中で揉まれることは、刺激になるし、面白い友人も出来る。しかし、あまり背伸びをしすぎて、自分に不釣り合いなほどの高校に進学してしまうのも、考えものである。もちろん、揉まれる中で、やる気が出て、自分が向上していくこともあるから、一概には言えないが、自分が校内で成績上位になれる高校も捨てたものではないということだ。志望校選びは、自分の性格や能力も勘案して、慎重に行いたい。受験学年になる生徒諸君は、早めに志望校の検討に入られるようお勧めする。

ところで、入試シーズンが終了を告げたとたん、当ブログへのアクセスも平常に戻ってしまった。一度上がったレベルは下がることがあるのか、疑問に思っていたのだが、アクセスの減少とともに★が剥奪されて、再びレベルは★一つに戻ってしまった。順位ももちろん4桁の下位である。そこが定位置なのだろうが、一度「栄光」を見てしまうと、なんか残念である。高校へ進学した諸君も、学校での成績が下位だと目も当てられませんよ。第1志望校でなかったとしても、その学校で上位の成績を取るのはたやすい事ではないでしょう。それに挑戦し、自信をつけて、次の大学受験に備えてください。それになにより、成績上位者として過ごす学校生活ってのは、なにかと快適ですよ(笑)

そして、今春から中学に進学する諸君もだ。公立中学へ進学する場合、私立中学を受験して自ら選び取った進路と違い、何となく受動的になりがちだ。目標を持って、進学したわけではないからだ。だから、なるべく早く目標を見つけたい。それもなるべく高く持ちたい。それに向けて集中することで、中学生活が充実したものになる。中学三年間は諸君が思っているよりずっと短い。

また、私立中へ進学した子たちは、たいてい合格(入学手続き)後に宿題を出されている。つまり、すでに中学の勉強をスタートさせているわけだ。これに対して、公立組は、まだ何も始めていないだろう。スタートラインが既に違っているうえ、私立は、土曜日も授業のある学校が少なくない。毎週半日分ずつ差がついてそれが三年間、積み重なっていく。私立組と公立組には、明らかな差がついてしまうのである。のんびりしていると、六年後の大学受験で私立組に苦杯を舐めさせられる。それを避けるには、公立中学で1年生から、きちんと上位の成績を収めていくことが大切だ。公立に進学する新中学1年生でも、一足先に塾の春期講習からスタートした子もいる。遅れをとらぬようにしたいものだ。

塾ベリタスの新学期は4月9日からである。もちろん、入塾随時受付中である。無料体験も出来る
(^^)m

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