受験&教育byベリタス

ベリタスは、東京都町田市南町田(小1~高3)と東京都町田市原町田(小1~中3)にて学習塾を展開しています。学院長と教室長が、生徒・父兄と接して感じたことや教育関係の問題について思うことを綴っています。

中学生

be動詞と一般動詞を峻別せよ。ポイントは形容詞にあり。

英語が苦手な中学生には、be動詞と一般動詞の区別がつかない子が多い。中学3年生になっても、よく分かっていない生徒も時折見受けられる。

たいていの教科書が、はじめにbe動詞から入る。昔は、This is a pen. が定番だったが、会話重視を標榜する昨今は、I am Sato Ken. You are from Australia. あたりから入るものが多い。be動詞の後が名詞だったり、前置詞だったりする統一性の無さも問題無しとは言いがたいが、いずれにせよ、be動詞の現在形、is, am, are を最初に習う。言うまでもなく、これらは、主語と入れ替えて疑問文を作り、後ろに not を伴って否定文を作る。

これに対して、一般動詞の文では、肯定文には登場しない do, does を用いて疑問文や否定文を作る。英語では、疑問文、否定文の作り方は、この2タイプしか存在しないのだが、最初にbe動詞型を刷り込まれてしまうため、一般動詞においても、入れ替えて疑問文を作ろうとしたり、動詞の後ろにnotをおいて否定文としたりする生徒があとを絶たない。

また、主語と一般動詞の間にbe動詞を入れたがる生徒も非常に多い。そういう子たちに共通する認識は、be動詞を、日本語の助詞の「は」に当たるものと思っていることだ。be動詞は「〜である」という状態を示す動詞なのだが、日本語では体言止めにして省略しても不自然ではない語句のせいか、最初に習う例文が「は」と訳しても通じてしまうせいか、これにとらわれて逃れられなくなっている子が多い。

特に、生徒を悩ませるのは、be動詞の後に形容詞が来る場合だ。aやanを伴う普通名詞が来る場合は、すぐにbe動詞が必要だと分かるのに、形容詞が来る場合は、混乱してしまう。「大きい」「小さい」のような単純な形状を表す形容詞では、それほど迷わなくても、「忙しい」「うるさい」のような状態を表す形容詞になると分からなくなるらしい。動作を伴うような感じがするのだそうだ。それで、一般動詞にもbe動詞が必要と感じたり、逆に、be動詞なしに主語の直後に形容詞をおいて事足れりとしたりする。

日本語では、形容詞の終止形は「い」で終わる。日本語で形容詞の言葉は、英語でも形容詞になることが多い。だから、国語の文法知識があれば、それほど迷わないはずだが、最近は小学校の国語の時間にほとんど現代国文法を教わってこないうえ、中学で国文法を教わる時期と英語の形容詞が登場する時期とがリンクしていないこともあって、日本語を援用して英語の形容詞と動詞を区別するということもうまく出来ないようだ。さらに、日本語には形容動詞という別の品詞があって、これが英語では、形容詞だったり動詞だったりするからたちが悪い。「好きだ」は、一般動詞だが、「静かだ」は、be動詞+形容詞になる。

英単語の学習上の重要性を考えると、動詞が最も重要なことは論をまたないと思うが、ポイントは形容詞にあるような気がする。中学で学ぶ形容詞は数も少ないから、be動詞と一般動詞の区別に苦労しているなら、まず、形容詞にはどんなのがあるかを教科書から拾い出して、日本語訳を付けてノートやカードに整理するといいだろう。訳が「〜い」になるものが多いことにも自然と気がつくだろう。形容詞がカバーする概念の感覚というのも何となく分かるようになるかもしれない。

形容詞か動詞か迷わなくなったら、be動詞型と一般動詞型の疑問文、否定文の作り方の違いを改めて理解して欲しい。英語にはこの2タイプしかないのだから、それさえ分かれば、基礎は盤石なのだ。あとは、それを骨組みにして細かい造作を付け足すだけになる。

中学生のためには、本当は、I do love you.のように、一般動詞の肯定文にもdo, doesを使う形から教える方がいいような気もする。日本では、強調表現として高校に行ってから教わる形だが、インターネット上の書き込みでは、ヨーロッパ人は、あまり強調が必要と思われない場合でも、こちらで書く人が多い印象がある。歴史的には、昔は、一般動詞もbe動詞型の倒置によって疑問文を作っていたが、助動詞の用法が確立するにつれてdoを用いる形が発達したというから、こちらの方が新しい表現なのだろう。とはいえ、教科書と受験が英語学習の規範を形作っている現実がある以上、一介の塾屋が肯定文にもdoを使えというわけにもいかないのは、歯がゆいところではある。

<原町田教室>

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最近の生徒は、試験前でも塾を休まない。

原町田教室を学区域に含む地元中学は今、中間考査の真っ最中である。昔は、定期試験の直前となると、塾を休んで、家で試験勉強に励むという子が少なくなかった。そういう時代には、塾は、学校の試験なぞおかまいなしに、入学試験対策の受験勉強を、カリキュラムどおりに進めていたのである。

当時も今も、公立高校の入試は、いわゆる内申点と入試得点とで決まることに変わりはない。なのに、塾が定期試験対策を施すようなことは滅多になかった。理由はいくつかあると思われる。ひとつには、進学塾と補習塾という棲み分けがあって、前者は、成績上位の生徒向けで、定期試験ぐらいは、面倒を見ずともきちんと結果を出す子ばかりだった。一方、学校の試験もおぼつかないタイプの子は、後者の塾で、学校の授業を補い、試験対策もしてもらっていたかもしれない。が、そういうタイプの塾は小さなところが多かった。その頃は、通塾率もあまり高くなく、中間層や成績上位層でも塾に通わない生徒も珍しくなかった。

ふたつ目に言えるのは、学校の評定は、公立高校受験には必要だったが、私立高校の受験には、ほとんど必要なかったので、重視されていなかったということだ。私立受験は、入試当日の一発勝負が基本で、その日の得点だけで決まったのである。いきおい、私立志望のものは、その日のために、全力を傾けるということになる。公立高校が東大合格者ランキングの上位から姿を消し、私立が圧倒的な優勢を誇っていた頃である。学校の成績はたいしたこともないのに超難関校に合格する子もいるような状況だった。

その頃も、専願ないし単願と呼ばれる制度は存在していたが、それを利用するのは、成績が最下位クラスの生徒たちだけだった。当時の学校の評定は、相対評価だから、各教科とも1がつく生徒が必ず7%程度いたわけで、その受け皿がどうしても必要だった。もちろん、中学卒業後に就職をする子も少しはいる時代だったけれど、ほとんどが高校へ進学を希望していた。したがって、専願は、内申よりももっぱら人物と教師の顔で決まっていたようである。

ところが、現代では、私立高校を一般受験の当日勝負で受ける生徒はほとんどいない状況である。推薦をとるか、一般受験の単願か併願を利用するのが当たり前になっている。これらは、絶対評価に変更された学校の評定を合否の資料として使用するから、以前よりも内申点の重要性が高まっている。都立高校入試においても、かつては、内申点は、何点から何点の間は等価として扱うというボックス方式が使われていたのだが、今は、300〜500点に換算するので、換算内申が1点違うだけで1000点満点中の5〜9点程度の差がつく。内申は、1点でも余計に稼いでおきたい。さらに、昨今の公立人気である。ますます重要性は高まるばかりである。

少子化少子化と叫ばれる割には、高校受験は楽にならない。受験者が減れば、それだけ入りやすくなるはずなのになぜだろうか。これには、ちょっとしたからくりがある。私立高校入試の偏差値ランキングを見ていただきたい。昔からよく名を知られている進学校の名前が、軒並み上位から消えているのにお気づきになるだろう。中学受験の偏差値ランキングと比べてみれば一目瞭然である。消滅したブランド校は、中高一貫化によって、高校募集を停止した学校である。入りたくてももはや高校から入学するすべはないのである。どうも、高校からの入学者の進学実績がふるわないとか、高校の定員を減らして中学にまわさないと優秀な生徒が確保出来ないとか、いろいろ事情があるようである。早大高等学院のような高校しかなかった学校も次々に中学を設置し始めているし、中学を休眠させていた学校が復活させる例も増えている。優秀な生徒の青田買い、あるいは囲い込みが始まっているという見方も出来るだろう。

かつての上位校が消えた結果、どうなったかと言うと、中堅校が上位に進出しただけでなく、かつては専願を受け入れていたような下位校までが上位に名を連ねる状況が生み出されている。もちろん、少ないながら今も高校募集を続ける有名校はさらに難度を増している。下位校の裏技は、特進コースの設置だ。定員のうちの1クラス程度を「特進」という名で募集して、推薦や単願で生徒を確保しておいて、一般入試の難易度をぐっと上げてしまうわけだ。そして、コストをかけた授業で彼らに進学実績を挙げさせて、普通コースの生徒集めにも波及効果を及ぼすというビジネスモデル?で成功している学校もある。さらには学費免除や成績に応じた奨学金を出して優秀な生徒の確保に走っているところもある。

下位校の難易度が高まると、それがかつて受け入れていた成績最下層の生徒は、行き場を失う。そういう生徒たちの受け皿になっているのが、通信制高校とタイアップしたサポート校と呼ばれる学校である。評定が絶対評価に移行した結果、中学校によっては、ほとんど1を付けない学校も存在する。そのためか、推薦や単願の基準に「1は不可」とするところが増え、評定に1があると、行ける高校がないという状況も生じている。

公立でも、中高一貫化が進んではいるが、かつての学区2番手校が多く、トップ校は、相変わらず、高校入試で入れる。しかも中学入学組がいないので、高校3年間できっちりと結果を出すように努力している。成績上位層は、私立中高一貫に途中から入るより公立高校を選ぶ傾向が強いと言われている。最終的な目標は、有名大学であって、有名高校ではないからだ。また、親も同等の成績ランクに並ぶ私立の学校名を見ると、昔のイメージを引きずっていて、この学校に入れるくらいなら、公立の方がいいとなる。とくに、中堅クラスには、昔の下位校が並ぶから、その傾向が顕著である。そのためか、校名変更もちょっとしたブームである。公立の最下位クラスは、私立も含めた全体では最下位に沈むことはない。このクラスは、私立か公立かをかけた激戦の中にあって高倍率が出ることも多い。このように、公立高校は、上位、中堅、下位とも高い人気を集めており、今年の都立全日制全体の実質倍率は過去最高の1.42倍となり、普通科の合格率も3年連続で70%を切った。そのため、専門学科へ流れる生徒も多くなり、こちらも激戦となっている。

公立、私立とも、少子化が進行しているにも関わらず、高校入試は楽にならないからくりのもう一つが、「公私間協議」といわれる教育委員会と私立学校の協会との話し合いで、毎年、高校進学者数を推計して、それをもとに公立高校の定員を決定する仕組みである。私立高がつぶれないように私立分の進学者を確保するために公立の定員をしぼっている。その結果が、昨今の公立高校の統廃合である。が、見積もりを誤ると2010年のように定時制の追加募集という形で吸収を図るはめにもなる。

私立中堅・下位校の難化は、推薦や単願、併願のニーズを高め、私立高側も生徒を早めに確保したいという思惑から、それらを積極的に導入している。また、公立高校の人気上昇もあって、内申点の重要性は高まるばかりである。こうなると、塾としても、学校のテスト対策は自分でやってくださいとも言ってられなくなる。学校の試験対策は、入試結果に直結する時代になったのだ。

そんなわけで、塾ベリタスも定期考査の2週間ほど前から、通常のカリキュラムを停止して、試験対策を行っている。定期試験は、学校により、先生により、千差万別なので、塾としてはなかなか大変な作業なのだが、学校のノートやワーク、プリント類などを持参してもらって、どういう風に勉強を進めたらいいか、どこから手を付けるか、分からないところはないかと面倒を見ている。だから、最近の生徒たちは、試験の前日や試験期間中も塾を休まない。ありがたいことだが、試験期間というと開店休業状態になった一昔前が懐かしいこともある(笑)

<原町田教室>

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みんな先生のおかげですよ(卒業生談)ーーーちょっと照れるな(笑)

先日、手伝ってもらいたい仕事があって、卒業生をアルバイトに呼んだ。今、高校生活をエンジョイしている連中である。塾生時代は、塾へお金を払うばかりだったわけだが、今度はお金がもらえるとあって、喜び勇んでやってきた。日当は安いが、仕事は、簡単な軽作業で昼食付き。まぁ、高校生のバイトには悪くないだろう。

仕事は作業の進行に合わせて断続的にあるので、休憩時間がときどき入る。その間、彼らだけにしておいたら、昔話に花が咲き、「先生に習ったことベスト3」なるものを黒板に書き始めた。その筆頭は、例の「英語の第一法則」。次いで「〜に到着する」の3つの言い方。3番目は、「〜だそうだ」(伝聞)の3通りの表現だと言う。書き上げて、わざわざ筆者を呼びにきて「先生、見てください」と自慢げに言う。

通塾していた頃には、いくら繰り返しても、ちっとも覚えなかったくせに、卒業したら、さらさらと黒板に書き出して、人の物まねまでして、笑っている。まったく、かわいい奴らである。ベスト3の他にもランク外で、目的語に動名詞をとる動詞だとか、「stop to smoke」だとかいろいろ出ていたが、「write to 人 ⇔ hear from 人」が出てなかったのは気になるな。これは「ちっとも覚えてくれないベスト3」に入るのだが(笑)

「高校に入っても、英語でいい点採ってます」「OC(オーラルコミュニケーション)が90点でした」「いやいや、みんな先生のおかげですよ」などと口々に言われると、お世辞だとしても嬉しいものだ。OC高得点の彼は、発音が下手で、何度も練習させたものだが、その甲斐があったようだ。中学時代、英語が苦手で、当塾に通い始めたもう一人の彼も、高校では英語を苦もなくこなせているという。本人によると「第一法則」のご利益らしい(笑)

そんなわけで、教えても教えても、ちっとも覚えてくれない生徒でも、何度も何度も根気よく繰り返せば、いつの間にか覚えてくれることを再確認できた週末であった。そんな彼らから元気をもらい、また、これからも、捲まず撓まず同じことを説き続けていこうと、気持ちを新たにすることができた。(同じこととはいえ、表現方法の改善やら最新学説の動向、入試問題の傾向などを取り入れて、年々バージョンアップしているのだが)

<原町田教室>

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試験勉強のやり方

原町田教室の地元学区の中学は、来週の火曜日から期末試験である。試験勉強を始めるには、少々遅いが、最後の週末には間に合うので、シケベンのやり方がわからないという方の為に簡単にレクチャーしよう。

試験勉強に何をやっていいかわからないと言う生徒は多い。塾ベリタスでは、授業で試験対策も行うし、何をどれくらいやればいいかも折に触れて話している。試験勉強に入るにあたり、まず大切なのは、この「何を、どのくらい」やるかである。これには決まった質量はない。あなた次第である。だから、まず、自分で「何を、どのくらい」やるかを決めなければいけない。

「何を」やるべきかは、たいてい学校で配られる試験範囲表に記されている。筆者の中学時代には、こんな便利な表が配られたことは一度もなかった。試験範囲は、授業中に発表され、それをメモしておかなければならなかった。そのとき、教師はどんな問題を出すかのヒントのようなことを言う。よって、そのときのメモの優劣が勝敗を分けることもあったように思う。今でも、きっと授業中にそういうヒントをくれる先生がいらっしゃることだろう。ゆめゆめ聞き逃す事なかれ、である。まあ、今は、とにかく、便利な時代というか、過保護の時代というか、ご丁寧に試験範囲表が配られるのだから、そこに記されている試験範囲は、当然、すべて勉強しなければならない。教科書は、何ページから何ページ。ワークブックやドリルなどの補助教材は、どこからどこまで。配布されているプリントは何番から何番。などと書かれているだろう。特にどこを良く読んでおけとか、何をやっておけとかとも書いてあるだろう。それらは全部やるのが当たり前である。教師が出すと言っているのだから、それは、試験に出るのである。出るとわかっているのにやらないのは、やらない方が悪い。やらずに点が悪かったとて、誰も恨むことは出来ない。おのれを呪うばかりである。

さて、やることが決まったら、次は、それらをどういう順序で、試験当日までに仕上げるか、計画を練るべきである。闇雲に片っ端からやっていって、当日までに終わりませんでしたでは、お話しにならない。勉強できる時間は限られている。試験期間は部活もないから、普段よりはたくさん出来るが、学校へ行く前か、帰った後にしか出来ないことに変わりはない。まず、勉強できる時間を勘定する。平日何時間、週末は何時間と算出する。その時間内に出来る量は、人によって違う。1時間あれば10ページ進む人もあれば、1ページがやっとの人もいる。自分がやるべき勉強量とやれる時間が一致するか、時間が余る人はいい。各科目のやるべきところをスケジュール表に書き込んで、後はひたすら、計画どおりに勉強することだ。

だが、どう考えても、時間が足りないという人もいるだろう。はじめは予定どおりこなしていても途中から遅れを取って間に合わなくなる人もあるかもしれない。そういう時は、優先順位を決めて、やるべきことを端折っていくしかない。教科書の試験範囲は、きっちりノートにまとめたい。けれども時間がなければ、試験範囲を通読するだけにすることも出来る。それでも読まないよりはましだ。授業中のノートやプリント類も、改めて自分の手でノートにまとめ直したい。けれども時間が足りなければ、教科書を読みながら、その進行に合わせて、一緒に読み進めるといい。すると、何が重要かわかりやすい。だぶっているところが重要なのだ。そういう最重要ポイントだけでもいいから、ノートにまとめていく。うまくまとめられなければ箇条書きでもいい。カンニングペーパーを作るとしたら、小さな紙に書けることは限られているだろう。書くことは厳選しなければならない。だからそんなつもりで、重要事項を絞り込めば、ノートまとめの時間はかなり短縮できる。

読んだりノートにまとめたりする作業は、インプット、すなわち知識を入れる作業である。これに対して、問題練習は、アウトプット、つまり覚えた知識を出力する練習で、どちらも試験対策として重要なことは間違いない。だが、よくある試験勉強の勘違いは、このアウトプットにばかりこだわって、問題を解こうとするばかりで、知識を確認し、入れなおそうとしないことだ。知識がなければいくら問題を解いても実力は向上しない。だから、まずは、教科書を読みノートにまとめる作業を優先して欲しい。特に、実技4科は問題集など滅多にない(ベリタスは過去問をストックしているが)から、必然的にやるべきことはノートまとめだけになる。それをきっちりやれば大丈夫だ。けれども、数学では、いくら公式を覚えたところで、問題を解いていなければ使い物にはならない。問題を解くのは案外時間がかかるが、すくなくとも、教科書の試験範囲の問題は、すべて解いておくことが必要である。そのうえで、さらに時間があれば、問題集を難易度ごとに一通り解いていくようにしたい。いずれにせよ、自分が出来る分量を、与えられた時間と相談のうえ決定し、それをこなしていくしかない。時間が足りない人は、試験勉強を人より早くスタートする。そうすれば、端折らなくても、やり通せるだろう。

試験勉強の肝は、計画にある。ご親切にも試験勉強の予定表(計画を立てさせる為の表組みで、各自書き込むようになっているもの)まで生徒に配布してくれる中学もある。ところが、塾生にそれを見せてもらうと、まともな計画などまるで書かれていない。それどころか、試験が終わってから、提出があるのでと書き込んでいる者さえいる。それでは、試験勉強の内容など推して知るべしである。試験を頑張るとは、試験を受けているときに頑張るのではなく、試験前の勉強を頑張ることである。きちんと、試験範囲を全てやりきれるように計画を立て、自分の進捗状況に合わせて随時見直す。そうやって、試験範囲を漏れなく、着実に勉強して欲しい。

<原町田教室>

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授業中に習ったことは、授業中に覚えてしまおう。

そんなの無理!という声も聞こえてきそうだが、本当にそうだろうか?たしかに、覚えきれないことはあるだろう。しかし、要は、その場で覚えようという気があるかないかだ。今、覚えてしまおうと思って授業を受けているのと、あとで覚えればいいやと思っているのとでは、結果は自ずと違ってくる。自宅の番地や電話番号を覚えていない人がいるだろうか。まずそんな人はいない。では覚えるのにどれくらいの時間を要したろうか。たいてい一発で覚えてしまったはずだ。番地や電話番号というのは、全く意味のない数字の羅列に過ぎない。意味の無いものほど覚えにくいものは無い。にもかかわらず、簡単に覚えられるのはなぜか?それは、覚えようとして覚えるからだ。覚えなければ非常に困ったことになるから、必ず覚えなければならないと思って、本気で覚えようとする。だからこそ、あっという間に覚えられるのである。

勉強も同じである。今、この場で覚えてしまおうと、本気で思って、授業を受けていれば、その場で覚えられるものだ。覚えようとして授業を受ければ、気迫も違うし、集中力も高まる。あとで覚えればいいやと思っているから、集中が途切れ、理解が曖昧になるのだ。だいたい、学校の授業で1時間弱、塾だと2時間半ほどの時間を費やしているにも関わらず、何も覚えられず、習ったことは家に帰ってから、復習して、理解して、覚えますでは、無駄もいいところだ。そもそも、それだけの授業時間に習ったことを覚える為に、また授業と同じ時間をかけようと思っているのだろうか。そんな時間をどうやって捻出する気なのだろうか。むろん、ひねり出せるわけが無い。結局、覚えられずじまいになるのである。

時間は誰にでも平等に与えられている。勉強に使える時間は、誰しも大差ない。それなのに、出来る子とできない子に分かれてしまう。人はそれを、頭の善し悪しのせいにしたり、家庭での勉強量の差のせいにしたりする。けれども、成績の良い子の話を良く聞いてみると、案外、勉強時間が少ない。まるで勉強していないこともあるほどだ。それでは、ものすごく頭が良いかというと、そうでもない。成績の悪い子との一番の違いは、授業中の集中度にある。成績の良い子は、必ず授業に集中している。その時間に目一杯集中して、授業時間を無駄にしない。極端な話、授業中に理解し覚えてしまえば、家庭で勉強する必要は無い。その時間を部活にでも趣味にでも費やせる。もちろん、授業中ですべてが覚えられるわけではないから、家庭で、軽く復習し、授業を思い出して、知識を整理し、覚えきれなかったところを補充したり、問題を解いたりする必要はあるし、宿題もやらなければならない。だが、授業中に何も覚えていない生徒に比べれば、家庭でしなければならない作業量は圧倒的に少ない。授業中に理解し覚えてしまった量が多ければ多いほど、後でやらなければいけない勉強量は減る。そうして浮いた時間を問題演習や参考書で知識を深める作業にまわすことが出来る。そうすれば、授業で習ったことをまた一から家庭で覚え直している生徒との差はどんどん広がるし、成績もどんどん上がっていく。

授業中に習ったことは、授業中に覚えてしまおうと、本気で思って授業を受けているかどうか。そう思っていれば、授業の受け方は自然と変わっていく。ノートの取り方や話の聞き方、質問の仕方まで変わっていく。どうすれば、授業中に覚えてしまえるかを考えて、工夫するからだ。それこそが、成績を上げていく上で重要なポイントなのである。

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英語の第一法則とは

「第一法則」と検索すると「熱力学第一法則」だとか「ニュートンの運動の第一法則」だとかが引っかかる。第一法則とはなかなかかっこいいネーミングである。そこで、筆者が中学生に英語を講じるにあたって最も重要だと考えていることに「英文法第一法則」と名前をつけてみた。ちなみに中学の理科では熱力学第一法則は、エネルギー保存の法則として、運動の第一法則は慣性の法則として教わる。もちろん、「英文法第一法則」も中学で教わる。教わるのだが、理科のように、法則としての体裁が整えられていない。だから、生徒たちは、法則として認知できていない。

「英文法第一法則」とは、英語の語順の決まりである。英語は日本語ではない。むしろ何から何まで正反対と言ってよいほど異なる言語である。したがって、もちろん、語順も異なる。そして、英語が苦手な生徒はこれに手こずる。

そもそも文法と言うくらいで、言語というのは、一定の決まりに従って話したり書いたりするように出来ている。もちろん、我々が日本語を話す時も書く時も、日本語の文法に従って行っているわけだ。けれども、自然に身につけた日本語では、文法を意識する必要がない。ちょうど、普通に生活していれば法律に違反することがない(つまり、法律に従って生きている)のと同じだ。けれども、普段やらないこと、たとえば、会社を設立しようと思ったら、法律を調べて、その決まりを意識して、それにしたがって行動しなければならない。外国語を学ぶのも同様で、文法を知って、それに従って話したり書いたりする訓練を積まなければならない。

英語の語順は、主語/動詞/目的語・補語/修飾語句の順に並んでいる。これを筆者は、わかりやすく『英語は「だれが/どうする/なにを/どのように/どこで/いつ」の順序に並ぶ』と教えている。これが「英文法第一法則」である。英文を作る時も訳す時も常にこの並びを意識して、日本語を並べ替えて考えないといけない。だが、どういうわけか、英語が苦手な子たちは、それが出来ない。英文を作るときに、日本語の語順そのままに英単語を並べたり、訳すときに、英語の語順のまま単語を日本語に置き換えて無理矢理、助詞助動詞を挿入してつなげたりする。そのため珍文奇文が続出する。そこで筆者は、その度に「第一法則」とささやいてやる。ささやかれると、語順を意識してやり直し出す。すると、まともな解答を導き出せることが少なくない。にもかかわらず、黙っていると、また同じように日本語の順序に戻ってしまう。

まったく、生まれてからずっと馴染んできた言語の影響力というのは凄まじいと思う。常に意識していないと、骨身に染み付いた日本語に引きずられて仕舞うのだ。「英語は日本語ではない」そんな当たり前のこと言われなくても分かっていると生徒たちは思うだろうが、やっていることを見たら、「それは日本語でしょ」と言いたくなる。そんな生徒たちには『君たちは「日本語戦隊エイゴジャナインジャー」だな』と冗談を言う。すると、「誰がレッドですか?」などと言い出すから恐れ入る。

日本語の影響力と言えば、発音もそうである。喉口には、日本語の発音が染み付いているから、似た発音のない英語独特の発音は、真似するのが難しい。Sの音、thの音、Lの音などは、みな苦手だ。いちいち舌を正確に動かすよう意識して毎回やるかどうかにかかっているが、心がけている生徒はまずいない。耳にも日本語の発音の型がしみ込んでいるから、聞こえた音を日本語の音として識別しようとしてしまう。ちょうど、鳥のさえずりの聞きなしのようなものだ。そのため日本語に無い音は別の音に聞こえてしまって聞き取れない。聞き取れるようになる為には、自分の中に英語の音の型を作ることが重要だ。それには、まず発音ができるようになる必要がある。発音できない音は聞き取れないのだ。だから、塾ベリタスでは正確な舌の動かし方を丁寧に指導している。

「第一法則」が身に付くと、英語の各単元が、「第一法則」に示されたどの部分の話かわかるようになる。各単元でその例外を学んでも、それ以外の部分は「第一法則」どおりでよいと理解することが出来る。たとえば、命令文では「だれが」が無いけれど、その他は「第一法則」どおりだとか、五文型の話は、「なにを」の部分がどうなるかは「どうする」に入る動詞によって決まっていて、場合によって「なにを」が無かったり「だれに/なにを」と二つに分かれたりすると理解することが出来る。英語の構造が明確になって、非常にわかりやすくなる。

そんなわけだから、英語が苦手な人は、常に「第一法則」すなわち語順を意識して、英文を読んだり書いたりして欲しい。ベリタスでは、小学生向けの英語の授業も行っているが、それ用のオリジナルテキストは、この「第一法則」が自然に身に付くように工夫されている。ネイティブの発音を聞いて、英語の発音を自然に身につけるには、小学校高学年では既に遅いが、語順感覚は、まだ間に合う。もちろん、中学生であっても、きちんとした指導を早くに受けることで身に付いていくのである。

<原町田教室>

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ブログランキングについて考えつつ、学校選びに思いを馳せる。やっぱり上位じゃないと駄目っしょ。

当ブログは、ライブドアのサーバを利用している。他のサイト(mixi, twitter, gree)との連携を考えて、一番使い勝手のいい所を選んだつもりだ。このライブドアブログには、レベル別ブログランキングというのがあって、ブログを5つのレベルに分類して、それを星の数で表している。当ブログは、開設後しばらくして★が一つ付与され、長らくそのままだったが、2月下旬、ブログ管理画面を見ていて、ふと気がつくと、★が二つに増えていた。で、何気なく、その★をクリックしたら、レベル別ブログランキングなるものが表示され、★2の5位にランクされていた。これは、なんかすごいなぁと思っていたら、3月初めに、再び管理画面を開くと、★が三つに増えてレベルアップしていたのはいいが、順位が9299位である。上のレベルの下位より、下のレベルで上位の方が嬉しいのだが、どうも、下のレベルで上位になるとレベルが上げられてしまうらしい。

実は、このレベル別ブログランキングなるものが、どういう基準でレベルを決めているのかよくわからない。サイト内をあちこち覗いて、説明を探してみたが、見当たらなかった。たぶん、直近のアクセス数で決めているのだろうと思う。だが、その「直近」がどのくらいの期間なのか、また、アクセス数がいくつならレベルがいくつになるのか等は、全くわからない。

今回短期間で星が増やされたのは、アクセスが集中したからなのは明らかである。というのは、2月22日に917PV(ユニークユーザ数343)翌23日に632PV(同290)を記録していたからだ。普段は1日に20~30PV程度だから、この瞬間最大風速は当ブログとしては凄まじいものだ。22日は都立高校入試の前日、翌23日が入試日である。アクセス先は、都立高校の最終応募倍率に関するエントリーに集中していた。みんな倍率を気にして検索してきたのだろう。

ブログの順位なんてのは、はなから気にしていなかった(だって、学習塾のブログなんて、入塾を考えている人か同業者しか見ないでしょう)ので、順位を見ようと思ったこともなかったのだが、最大瞬間風速直後の順位はどのくらいだったのか、ちょっと気になるところだ。上のレベルの下位より、下のレベルで上位の方が、そのレベルのランキングを表示させた時に最初のページに登場するから、人目に触れる可能性が高そうな気がする。レベルが上でも順位が低いと下の方のページに沈んでしまって、なかなか人目に触れない。

ところで、学校選びにも似たようなことが言える。上位校で下位の成績を取るより、下位校で上位の成績を取る方が良い場合がある。昔の話だが、大学へ進学してからの成績は、前者より後者の方が良いという調査結果があると聞いた事がある。理由は、高校時代に成績が良かったという自信が大きくものを言うというところにあると、筆者にその話をしてくれた高校の先生は、おっしゃっていた。

校内で成績が良ければ、その学校の中心的人物として、生徒からも教師からも一目置かれる。有利な取り扱いもあるかもしれない。これに対して、たとえ成績上位校であっても、校内成績が低ければ、頭の悪い奴、駄目な奴というレッテルを貼られかねない。学業以外の活動でも、積極的な姿勢は出てこないだろう。大学は、教わるというより、自ら学び取る場所である。積極的な姿勢が欠けていると、4年間が内容の薄いものになってしまう。そのあたりが、大学での成績を左右するのだろう。

成績上位の高校を選ぶにこしたことはない。成績の良い生徒の中で揉まれることは、刺激になるし、面白い友人も出来る。しかし、あまり背伸びをしすぎて、自分に不釣り合いなほどの高校に進学してしまうのも、考えものである。もちろん、揉まれる中で、やる気が出て、自分が向上していくこともあるから、一概には言えないが、自分が校内で成績上位になれる高校も捨てたものではないということだ。志望校選びは、自分の性格や能力も勘案して、慎重に行いたい。受験学年になる生徒諸君は、早めに志望校の検討に入られるようお勧めする。

ところで、入試シーズンが終了を告げたとたん、当ブログへのアクセスも平常に戻ってしまった。一度上がったレベルは下がることがあるのか、疑問に思っていたのだが、アクセスの減少とともに★が剥奪されて、再びレベルは★一つに戻ってしまった。順位ももちろん4桁の下位である。そこが定位置なのだろうが、一度「栄光」を見てしまうと、なんか残念である。高校へ進学した諸君も、学校での成績が下位だと目も当てられませんよ。第1志望校でなかったとしても、その学校で上位の成績を取るのはたやすい事ではないでしょう。それに挑戦し、自信をつけて、次の大学受験に備えてください。それになにより、成績上位者として過ごす学校生活ってのは、なにかと快適ですよ(笑)

そして、今春から中学に進学する諸君もだ。公立中学へ進学する場合、私立中学を受験して自ら選び取った進路と違い、何となく受動的になりがちだ。目標を持って、進学したわけではないからだ。だから、なるべく早く目標を見つけたい。それもなるべく高く持ちたい。それに向けて集中することで、中学生活が充実したものになる。中学三年間は諸君が思っているよりずっと短い。

また、私立中へ進学した子たちは、たいてい合格(入学手続き)後に宿題を出されている。つまり、すでに中学の勉強をスタートさせているわけだ。これに対して、公立組は、まだ何も始めていないだろう。スタートラインが既に違っているうえ、私立は、土曜日も授業のある学校が少なくない。毎週半日分ずつ差がついてそれが三年間、積み重なっていく。私立組と公立組には、明らかな差がついてしまうのである。のんびりしていると、六年後の大学受験で私立組に苦杯を舐めさせられる。それを避けるには、公立中学で1年生から、きちんと上位の成績を収めていくことが大切だ。公立に進学する新中学1年生でも、一足先に塾の春期講習からスタートした子もいる。遅れをとらぬようにしたいものだ。

塾ベリタスの新学期は4月9日からである。もちろん、入塾随時受付中である。無料体験も出来る
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成績を上げるのは簡単だ。

このエントリーを見ているのが、生徒本人なら、事は簡単だ。先生にいわれた事を言われた通りにやればいい。その積み重ねによって必ず成績は向上する。成績が上がらないのは、言われた事を言われた通りにやっていないからだ。嘘だと思うなら、一度やってみるといい。まず、自分が、先生から何をやれと言われたか、メモする。そのメモを見ながら、それをやる。やったら、言われた通りやったかどうかチェックする。言われた通りに出来なかったら、やり直す。

そうすると、たいてい、言われた事をきちんとやっていなかった事に気づくだろう。さらに、やったとしても、言われた通りのやり方ではなかった事に気づくだろう。言われた事を言われた通りにやるのは、案外、面倒だ。どうしても我が出て、自己流になる。だが、自己流でやるならば、わざわざ教わる理由は無い。教わっているのは、大げさに言えば、人類がその歴史を通じて練り上げてきた、最も効率の良い、正しいやり方を身につけるためだ。教師は、「生徒の発達段階に応じて」という但し書きがつくけれど、その一番いいやり方を生徒に伝授している。簡単に言えば、先生が教える方法が最もいい方法で、それ以外はだめな方法だ。あなたの自己流でも出来るかもしれないが、それよりもっと良いやり方があると先生は教えている。まず、それに従うべきだ。そして、もし、先生の言う通りに出来るようになったうえで、もっといい方法があると思ったなら、その方法を試して、教師に問いかけてみると良い。そのやり方のどこがどう良くないか教えてくれるだろう。時には、その方が良い方法だと認めてくれる事もあるだろう。後者の場合、教師は、生徒が最初に教えたやり方を理解したら、次の段階として提示しようとしていたやり方である。たとえば、算数の鶴亀算で解ける問題は、数学の一次方程式でも連立方程式でも解ける。どの方法が最良かは、生徒の発達段階や知識、能力によって異なるのである。いずれにせよ、まず教師の示した方法に習熟する事が先決だ。

自己流でなく、先生の言う通りにやるには、素直である事が最も大切だ。そして、常に、言われたとおりにやろうという意識を持ち続けなければならない。いつでも、言われた通りにやろうと意識していないと、正しいやり方は身に付かないものだ。さらに言えば、それが出来るようになったら、もっといい方法はないか、考えてみるともっと良い。

成績を上げたいと思って、このエントリーを読んでいるのが、親や教師だったら、その上げたい成績は、自分のではなく、他人(子供や生徒)の成績という事になろう。これは、ちょっと骨の折れる事と覚悟して欲しい。馬を水場に連れて行く事は出来るが、水を飲ませる事は出来ないと、昔からよく言われる通りだ。

親であれば、まず、子供の生活時間の管理から始めると良い。「管理」というと聞こえが良くないが、「規則正しい生活」と言い換えても良い。これなら、どこの小学校でもお題目のように唱えている。最近の小学生は、夜更かしや朝食抜きなどが、問題になっているけれど、それでも、中高生に比べたら、ずっと規則正しく暮らしているように見える。中高生となると、ちょうど今、春休み期間だけれど、こういう長期休暇期間には、とてつもなく不規則になって、昼夜逆転の生活になる事も珍しくない。けれども、それは、結局成績向上につながらない。それどころか、必ず悪影響を及ぼす。

休暇中は、まず、きちんと、朝早く起きて、朝日を浴びること。朝食をしっかり取ること。午前中に勉強すること。昼食後に十分な休憩時間を取る事。夕食前にもう一度勉強すること。寝る前にも今一度勉強する事。勉強時間の目安は、午前3時間、午後2時間、夜1時間。これで、計6時間の勉強時間が確保できる。学期中の休日も同様に過ごすと良い。とはいえ、これくらいやれるのは受験学年ぐらいだろうが、その他の学年でも、午前中の3時間ぐらいは、しっかり勉強するように、生活時間を管理してやると良い。

小学生の場合は、勉強している間、不即不離の間合いで、そばにいてやるのが効果的である。勉強というのは、孤独な作業で、小学生にとってはかなり寂しい事なのだ。近くに親の気配を感じていると、子供の集中力は高まる。ただし、口出しは無用。「できたの?」とか「こんなのもわからないの?」とか、言われるとたちまちやる気が失せてしまう。まず、朝起きて朝食をきちんと取るようにさせたら、午前中は勉強する約束をして、その事を納得させておかないといけない。納得すれば、きちんとやるものだ。強制は反抗を生む。これは、年齢が上がるほど顕著である。中高生の場合、じっくりと話し合って、納得のうえ、子供の勉強のタイムキーパーとして協力してやるという形をとるのが望ましい。

最後に、教師の場合だが、これが最も難しい。本人との関係が遠くなればなるほど、やる気を出させるのが難しいからだ。だけど、教師は、勉強の専門家である。まず、出来るようにしてやること。出来なかった事を一つずつでいいから、出来るようにしてやる。そのためには、繰り返し練習させるしか方法はない。スポーツのコーチングと同じだと思う。なぜこれをやらなければならないかを納得させて、粘り強く、辛抱強く、反復練習をさせる。そうして、一つ出来るようになる。そうしたら、次へいく。最も重要な部分から、基礎を作り直してやる。どこから始めてどのような道筋でやっていけば良いかを、明確に指示してやる。それが当たり出せば、生徒は教師を信頼し、応えようとする。そうなれば、しめたものだ。自然と生徒はやる気を見せ出す。

春休みも半ばまで来た。新年度は好成績を収めたいと思うなら、生徒諸君は、とにかく、先生にいわれたことを言われた通りこなすと言う意識を持って、それをやり抜いて欲しい。とにかく、やるだけだ。親には、きちんとした生活時間の管理をお願いし、教師には、何をどうやっていったら良いか、明確な指示を求めると良い。やり抜けたら、きっと、驚くような結果が待っているだろう。

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出来ない子供に ケアレスミスなし

「うちの子はケアレスミスが多くて。」
入塾の際に、そうおっしゃる親御さんは多い。だが、そんなに心配はいらない。むしろ喜んでいい。なぜなら、表題の通り、出来なくて間違えているわけではないからだ。つまり、分かっているからこそ、ケアレスミスが問題になるということだ。ケアレスミスは、その名の通り、不注意から生じる。分かっているのに間違える。ちょっとした計算ミス、単位の取り違え、設問の指示に対応した解答になっていない等々、もう少し注意深くすれば、正解できたのである。

だが、ちょっと注意が必要だ。親は、ケアレスミスだと見なしているけれど、実は、根本的に分かっていないという場合があり得るからだ。単なる計算ミスに見えたものが、本当は計算のやり方を理解していなかったとか、単位を取り違えたように見えるが、実は、単位換算が理解できていないとか。我々、塾の教師が見れば、すぐ分かるのだが、保護者の方には見抜けない場合もあるのだ。

我々は、生徒自身さえ、単なる不注意だと思い込んでいるミスの根本原因を探り出す。もちろん、単なるケアレスであればいい。けれども、よく見れば、基本的なやり方を理解していなくて、ただ、類題のやり方を当てはめているだけという場合もある。小学生の算数の場合、割り算がくせ者である。文章題で割り算を使う場合、(大きい数字)÷(小さい数字)と思い込んでいる子が多い。割り算の意味を理解していれば、割る数と割られる数の取り違いなぞ、まず起こらない。にもかかわらず、そういう間違いをやっていたら、それはケアレスミスではない。初めて、割り算を習う時は、たしかに(大きい数字)÷(小さい数字)しか出てこない。それは、1より小さい数、分数や小数を習う前だからだ。1未満の数を学習すれば、当然、商が1未満になる割り算、すなわち(小さい数字)÷(大きい数字)も出てくる。それが、割合(百分率・歩合)の単元へと繋がっていく。割合が苦手な子は多いが、それは、割り算の理解が不十分なことに端を発している場合が少なくない。

ところで、冒頭でケアレスミスを容認するような書き方をしたけれど、実は、ケアレスミスほど重大な間違いはない。最も非難されるべき間違いである。分からなくて間違えたなら、それは仕方ないと言える。だが、分かっているのに間違えて、得点にならなかったというのは頂けない。

それが、5点配点の問題だったとしよう。自分が分かる問題はライバルも分かる。ライバルたちは、正解して5点獲得している。自分もそうすべきところが、ケアレスミスで0点だったとすると、ライバルたちに対して-5点のビハインドである。けれども、自分が分からない問題は、ライバルたちにも分からない。自分も0点だけど彼らも0点なのだから、差をつけられることはないのである。だから、生徒諸君が軽視しているケアレスミスによる失点は、実は致命傷なのである。

全く分からなくて手も足も出なかった問題が0点なのは当たり前だ。だが、99%正解に達していたのに最後の最後で、うっかり数字を写し間違えただけでも0点なのである。ともに得点にならないことに変わりはない。正解到達度0%~99%までは、等しく価値がないのが試験というものの性質である。100%だけが得点になるのである。これは、なにも試験に限ったことではない。スポーツだって同じだ。バスケットボールのゴールリングに弾かれて入らなかったシュートも0点なら、バックボードにすら当たらない見当外れのシュートも0点である。そもそも、論理というものが、そうなのである。1%でも誤謬を含めば、99%が正しくとも、その命題は真とは言えないのだ。だから、試験だけを非難しても始まらない。100%の正解を出すには、どうしたらいいかを考えながら勉強しなくてはならない。

ところが、生徒諸君の勉強の仕方を見ていると、だいたい出来ればいいやという態度が散見される。しかし、「だいたい出来た」=「一部出来てない」である。一部でも出来てなければ、前述したように、それは得点にならないのである。でも、分かっているからいいや、ケアレスミスだったからしょうがない。そう思っている場合が多い。これでは、いつまでたってもケアレスミスは無くならない。

ケアレスミスは、起こるべくして起こる。人はミスをする動物である。だから、古来、人はミスをいかに減らすかに腐心していろいろな方法を編み出してきた。たとえば、駅員やバスの運転手が、指差し確認で安全を確認する。安全かどうかは、そちらの方向を見れば、確認できるにも関わらず、わざわざ指差しを行うのは、なぜか。それは、確認漏れを無くすためである。すなわちミスをなくすためである。

学習においても、同様に、ミスを減らすためのいろいろな方法がある。算数・数学なら、図を書くとか、計算を消さずに残しておくとかという基本的なことから、自分の犯しやすいミスを意識するための復習法とか、ノートの取り方とか、細かいノウハウがいろいろある。塾ベリタスでは、ノートをとる際の注意から丸付けの仕方、テキストへの書き込み、復習のやり方、問題を解く時のこつなど、いろいろなところで、どうしたらケアレスミスが無くせるかを意識した指導をしている。「この問題は、ここでケアレスミスが起きるから、注意して」というように、問題のタイプごとに起きやすいケアレスミスに注意を向けさせる指導もしている。

ケアレスミスの最大の原因は、練度不足である。そもそも練習量が足りないことが要因なのだが、ただ単に問題練習を増やせばケアレスミスが減るかというとそういうものでもないのである。やはり、ケアレスミスを無くそうという意識を持って取り組まなければ、なかなか無くならないのである。自分一人で勉強していると、どうしても、その意識が無いままに、ケアレスミスを繰り返すということになりやすい。そういう人は、ぜひ、塾ベリタスの授業を受けて欲しいと思う。きっと目から鱗が落ちるはずである。

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続きはこちら。(2012.4.12追記)

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国語で最も大切なのは、言い換える力。

同じことを別の言葉で言い換える能力が読解力と言える。その語句とこの語句が同じことを言っていると分かれば読解問題は苦もなく解ける。そもそも説明するとは、ある言葉を他の言葉で言い換えること。だから説明文は言い換えの連続で出来ている。繰り返し、同意の表現が出てくる。その飛び石をわたっていけば、設問箇所と解答箇所とが離れていても対応できる。

文中のAという部分の意味を問う問題を解くには、Aと同じことを言い換えている部分Bを見つけることが必要だ。だが、「AはBである」のように主部Aに対する述部が解答になることはまずない。それでは簡単すぎるからだ。まず「AはCである」と書いてあり、別のところに「BはCである」という記述があって、そのBが解答になるというパターンは多い。ここでは、A=C, B=C, ゆえにA=Bという三段論法が成り立つ。出題者は、問題を難しくしようと思えば、この前提の数を増やしていけばいい。A=B, B=C, C=D, E=D, E=F ゆえにA=F というように、間に挟まる等式が増えれば増えるほど難問となる。しかし、丁寧に言い換えを追いかけていきさすれば、本文中の語句を抜き出したり用いたりする問いは楽に解けるのである。このような、筆者が「国語の公式」と呼ぶ言い換えの構成パターンはいくつもあるが、ベリタスの授業では、それらを図解して、生徒たちに分かりやすく、立体的に示している。テキスト上への傍線や矢印の入れ方なども指導して、本文を解答へ至る地図として利用できるように教えている。

上例の各英文字で表した部分は、名詞などの単語とは限らない。一続きの語句だったり、代名詞だったりする。また、辞書を引いても、同義だとは書いてない言葉である場合もある。その言葉が指す内容は、辞書的な意味を超えて、文脈に依存するからだ。たとえば、隠喩を用いれば、どんな言葉でも全く辞書に出ていない意味を持たせることが出来る。「雪やこんこ」で始まる文部省唱歌「雪」の一節「枯れ木残らず花が咲く」を本当に花が咲いたと解する人はいないだろう。「花が咲く」とは、ここでは「雪が載っている」という意味だが、辞書をいくら引いても、そんな意味は出ていない。読解における語義は、文脈が全てだといってもいい。前後の繋がりから最適な意味を探り出す必要がある。この場合、「雪が降る季節だから、花は咲かない」という論理的な思考と、花が咲く木のイメージと枝に雪を載せた木のイメージとを重ね合わせる感性が求められる。

言葉が持つ意味をイメージに置き換えて、そのイメージを再度言語化することができれば、本文中の言葉を用いなくても自分の言葉で解答を作り出せる。人が言い換えたものを探すのではなく、自分で言い換えてやる作業だ。これは、難関大学の入試問題には必要な能力だ。抽象的な表現を読んで、具体例を想起できなければ、解けないような問題もある。思いついた具体例をさらに抽象的に表現すると解答になるというパターンもある。この手の問題は相当な難関校でないと出題されないけれど、言い換える力がありさえすれば、必ず解くことが出来る。それには、いろいろな雑学的知識があると有利である。物事を知らなければ、抽象的な表現を見て、具体例を思い浮かべることは困難だからだ。国語の得意な子に物知りが多いのは、そういうことと関連しているのである。

言い換えるためには、多くの言葉を知らなければならない。多くの言葉を手に入れるには、日常生活以外の場に出て行くことが必要である。日常生活の範囲で手に入る言葉は、身の回りにある言葉でしかない。それ以上を手に入れるには、手を伸ばして、探し求め、つかみ取る以外にはない。それが、読書、新聞、インターネット、テレビ、ラジオといったものだ。この例示は、あとへ行くほど、効率が悪くなる。知らない言葉は、耳から入っただけではなかなか獲得できない。目に見える文字情報であることが重要である。その点でラジオはもっとも分が悪い。テレビはキャプションが出る事もあるが、すぐに消えてしまうし、そもそもこの二者で使われる言葉は、話し言葉であり、日常生活範囲の言葉の域を出ない。インターネットは、どんなサイトを見るかに大きく依存しているが、子供が自らの興味で覗くようなサイトには、あまり期待できない。話し言葉をそのまま文字にしたようなものが大半であろう。新聞は、子供にとっては、知らない言葉の宝庫だと思うが、中学卒業程度の国語力で読み取れるように書かれているから、レベルが上がっていくと役に立たなくなる。やはり、読書が、新しい言葉を手に入れるには最適のツールである。読書は、己のレベルと興味に合わせて作品を選べるうえ、各学年ごとに選定図書や推薦図書が豊富にリストアップされている。それを手当たり次第読んでいけば、多くの言葉を手に入れられるだけでなく、雑学的知識も増えていく。分からない語を辞書で調べる余裕もある。作家ともなれば、新しい語を手に入れるために辞書さえ読むという。ノーベル賞作家の大江健三郎氏は、広辞苑を何冊かぼろぼろにするほど読んだと聞く。

入手した語は使ってみることで自分のものになる。使わなければ、自分のものにならない。自分のものになっていない言葉は、言い換える力を高めてはくれない。小さな子供は、新しい言葉を覚えると、すぐにそれを使う。変な使い方をして、周りの大人を笑わせる事もあるが、それによって、言葉を獲得していくのである。新しい言葉を使ってみるのに、おすすめは、日記である。もちろん日常の会話で試すのもいいが、日記を付けて、そこで試してみるのは、文章力も同時に高める事が出来て一石二鳥である。作文や小論文が課される推薦入試や中等教育学校入試の下準備となる。本格的な入試対策としては、それに特化した構成の立て方や記述の仕方があり、これは、ベリタスの得意とする分野である。授業でしっかりとノウハウを指導している。その中で感じるのは、最近の生徒は、そもそも文字を書くのに慣れていないという事である。筆者が小中学生の頃には、学校でしょっちゅう作文を書かされたものだが、近頃は授業時間数が不足していてそういう余裕があまりないようだ。そういう意味でも、日頃から短くていいので、日記を付けておくとかなり違う。三行程度の日記からはじめて、だんだん長くしていくとよい。ついでに言うと、なるべく漢字を使うようにするといい。うろ覚えの漢字は辞書を引いて正しく書く事で漢字力も高められる。

読解問題においては、言い換える力が最も重要だと述べてきた。だが、この力は、国語だけではない。算数・数学や、英語などの外国語学習においても威力を発揮する。算数・数学では、言葉を数式に置き換え、英語では、日本語を英語に置き換える過程で、別の日本語へ言い換える作業が必要になる事があるからだ。もちろん、英語自体の言い換え表現もまた頻出である。してみれば、言い換える力こそ学力そのものに他ならないのかもしれない。

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頭で考えるな。手で考えろ。

生徒諸君は、難問にぶちあたったとき、どうしているだろうか。教室で観察していると、一様に考え込んでいる。そして、考え込んでしまった生徒が、解答に達することは、まずない。そこで、筆者はこうアドバイスすることにしている。
「2分考えて、手が動かなかったら、あきらめろ。時間の無駄だ」

都立高校の入試は、各科目50分である。1科目は19問〜25問ある。一問当たり2分程度しか時間がない。にもかかわらず、いつまでも考えているのは、実戦的でない。だから、2分以内に攻略の糸口を掴めなければ、時間切れなのである。もちろん、習熟するまでは、いくら時間をかけても、じっくり考えるべき場合もある。しかし、受験学年であれば、この時期にそんなやり方をしている道理はない。そんなことより、自分の合格必要点を知り、捨てる問題と取る問題を素早く峻別して、取るべき問題に時間をかけた方が良い。この点については、既に述べた

では、2分以内に着想を得るにはどうしたらいいだろうか。それには、2分も考えていてはだめなのだ。考えは目に見えない。目に見えないことは捗らないのである。考えが堂々巡りを繰り返してしまう。だから、いつまでも考えるのではなく、考える前に、作業を開始するべきなのである。考えることは作業することだと言ってもいい。作業を進めながら、考えるのだ。

作業には、科目ごと、問題の種類ごとにいろいろなものがある。が、共通するのは、手を動かして何かを書くということだ。たとえば、簡単なところでは、筆算がいい例だ。複雑な計算を暗算しようとして「う〜ん」と考え込むより、さっさと紙に書いて筆算してしまった方が早いということはよくあることだ。同じく算数に例をとれば、図形問題は、図を自分の手で書き直す。文章題は、作図してみる。問題文にある情報は漏らさず書き込んで、分かった数値も書き入れていく。そうすると、図が出来上がる頃には、自然に解けていたり、式が立っていたりする。これを筆者は「絵解き算数」と呼んでいる。当教室では、そんな作業の方法を各種取り揃えて伝授している。

算数・数学では、問題用紙の余白に、筆算したり、図や式を書いたりするのに、なぜ国語では何も書かないのだろうか。そういう生徒が非常に多い。読解問題であれば、本文中のキーワードに線を引き、キーワードとキーワードの関係を横の線で結んだり、内容別に問題文を区切ったりという作業をしてみるだけで、こんがらがっていた頭がすっきりと整理されるものだ。また、算数で筆算するように、国語では下書きをするべきだ。「何文字以内で書け」という類いの問題を前に、考え込んで手が止まっている生徒も多い。考えている暇があるなら、思いつくままにどんどん書いたらいい。たくさん書いてから、余計な語句を削って制限字数以内におさめた方が、たいてい良い解答になる。逆に、一言しか思いつかないなら、その一言を書いて、読み直したらいい。何が足りないか自然に分かるはずだ。足りないと思う語句を付け足していくうちに制限字数に達するだろう。作文も同じ。思いつくことをメモしていって、それをどういう順序に並べるか、どれを割愛するか、構成する。まずその作業から始めるといい。

頭の中で考えるのではなく、手で書いて考える。それは、思考の過程を、目に見える形で残していくということである。そして、それを見て考えるのだ。頭で考えたことは、頭にある。それは、覚えておかなければならない。一方で覚えておきながら、他方で考えるというのは、脳にとって二重の負担である。当然、効率が落ちる。さらに、覚えていることは忘れる。せっかく思いついたのに忘れてしまえば間違うことになる。だが、書いておけば忘れない。それを参照すれば、間違わないし、脳は思考に専念できる。

「下手の考え休むに似たり」という言葉がある。考え込んでいる生徒を見ると、全くその通りである。その証拠に彼らは、たいてい鉛筆を机の上に投げ出している。受験生にとって鉛筆は、侍にとっての刀であり、兵士にとっての銃である。合戦の場で刀から手を離す武士や、戦場で銃をおく兵士があるだろうか。そんなことをすれば討ち死には必至である。ところが、生徒たちはのんびりと鉛筆から手を離して考えているのである。せっかくの武器から手を離しては、勝てるわけがない。その武器を生かさなければならない。鉛筆を持って、とにかく何かを書こうとして欲しい。うまく解こうとするのではなく、石にかじり付いても正解に達するのだという気持ちを持って、「作業」をして欲しい。その先に必ず目指す正解が待っているのだから。

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原町田教室は、12月30日から1月3日まで休業いたします。 冬期講習は、1月4日より再開します。
 
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