なるほどの素

小中高校生のみなさんがよく理解できていないこと、今更質問しにくいことをいろいろな角度からまとめてあります。 若い教育者の方々の参考になればとも考えています。

「英語対訳で読む日本の歴史」

冒頭の PREFACE(はじめに)の中に;
You can kill two birds with one stone!
日本語では「一冊で二度おいしい」とあります。

日本史と英語の学習を一度にできる確かに “一石二鳥” です。

発行=実業之日本社
定価=本体762円+税


jippi

この本の利点を;
「英語を話す外国の方や日本人の帰国子女には、本書で日本の歴史を学んでもらうことができます。」
としています。
確かに、幼少期から海外で育った子女は日本史を習う機会がほとんどないでしょうし、英語の方が理解しやすい場合も少なくないでしょう。
また、外国の人に英語で日本の歴史を説明するのは意外に難しいものです。
京都・奈良を案内したときにも、英語で説明できると便利でしょう。

ある事項にはかなり詳しく記述がある一方で、行基・菅原道真・大塩平八郎については名前すら出てこない。限られたページ数で日本の歴史すべてをカバーするのは不可能でしょうから、日本史のおおまかな流れをつかむあるいは復習する目的に利用するのがいいかと思われます。

1冊本棚に保管しておいて、あの事件は英語でどう説明すればいいんだろうか思ったときに見直してみるように利用するのもよさそうです。

英文は中学校レベルの英文法で読めるように工夫されてあります。
熟語は高校レベルのものもありますが、その都度覚えていくとよいでしょう。
難しい単語には日本語訳が付いています。

【熟語の例】
 according to
=~によると
 on the other hand =一方で
 be in full flourish = 最も栄えた
   come into power =力をのばした
 give up his seat to =~に位を譲る
 bring about =(戦いなどが)起こる
 keep watch on =~を監視する
 rise in arms =兵を挙げる
 come into question =問題となった
 warts and all = ありのままに
 become at its best = 盛んになる
などなど

「浦島太郎」を英語では "Urashima and the KIngdom Beneath the Sea" としているのはなるほどと思います。日本人ならだれでも知っている物語でも、ただ単に "Urashima Taro" だけではどんな話なのか想像もつかないでしょうから。

もう一つ英語対訳の利点は、読み方が分からなかったり自信がない人名や用語も英語(ローマ字)表記にされているとふりがな同様に読むことができることです。
[例]
天寿国繍帳=Tenjukoku-shucho
太政大臣=Daijou-daijin
清少納言=Sei Shonagon (清/少納言で切れる)
さらに、日本語をそのままローマ字にした部分は斜字体で印刷されています。
そのため、no は英語の "no"  で、no は日本語の"能" だと区別することができます。

Column が3点あって、おもしろい知識が載せられています。
映画やドラマでは戦国時代の武将が立派な馬に乗って登場することがあります。
しかし、もともと日本の馬は高さが約1.2m、5世紀頃に中国から伝わった馬でもせいぜい1.4mくらい。
現在の競走馬に見られるような脚がすらりと長く1.6m以上もあるサラブレッドなどの立派な馬は戦国時代には日本には居なかったのです。

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この本で少し残念なのは、年表や図、写真がまったく無いことです。
人物の関連図や写真などが欲しいなと思う単元もあるのですが、まあペーパーバックでこの価格に抑えるためにはやむをえないところでしょうか。できれば事項・人名のさくいんも欲しいところです。
最近は千円でおつりが来る参考書類はほとんどありませんから。

今回購入した同書は2019年12月の初版第11刷発行。
11回重刷できるということはそれだけ人気がありよく売れているということでしょう。
(英語の誤植で気付いたのは1箇所だけ)


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もう1冊同じように「英語対訳で学ぶ日本の歴史」という本があります。
高校レベルの英語力でより詳しく日本史を学習するにはこの本がお薦めなのですが、残念ながら、こちらは重刷されず現在は販売されていません。
古本で入手するか、蔵書で残してある図書館があれば一読をしてみるといいでしょう。

重刷されなかった一つの理由は、英語の校正が不十分だったようで、つづりのミスが目立ちます。
ただ、主に日本語の固有名詞を英語(ローマ字)表記にするときの間違いがほとんで、大勢に影響はありません。気が付かずに読み飛ばしてしまう程度です。
英語対訳の年表もあって、学習の整理に役立ちます。

bungei



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長屋王・吉備内親王の墓

大阪府と奈良県の県境にある生駒山系と奈良県の矢田丘陵の間を南北に走る近鉄生駒線があります。
その平群(へぐり)駅の北に100mあまり歩くと、長屋王(684〜729年)とその妃・吉備内親王の墓があります。
付近には田畑が残ってはいますが、墓の周囲は住宅地になってしまっています。
720年に藤原不比等が亡くなった後、不比等の四子と皇族の長屋王との間の権力争いが激化します。
729年、藤原氏による政治的陰謀とされる「長屋王の変」で長屋王と吉備内親王そしてその子供たちは自害させられます。
737年には藤原四兄弟が天然痘で次々と亡くなり、長屋王の祟りだと恐れられることになります。

平城京の一角にあった長屋王邸跡からは約4万点の木簡が発掘され貴重な歴史資料として話題になりました。

【系図】
長屋系図

※草壁皇子は天武持統の間にできた子供


●「長屋王の墓」
nagaya1

nagaya


●吉備内親王の墓への入り口
kibi2

●「吉備内親王の墓」
 長屋王の墓から100mほど北西にあります。
kibi


「平群駅」=無人駅
heguri

近鉄生駒線(王寺駅~生駒駅)
tansen


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矢田丘陵は200~300mのなだらかな丘が続き、
松尾寺・矢田寺などがある。南の山麓が斑鳩になり法隆寺があります。

【松尾寺】(大和郡山市)
matuo



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将軍・執権は3代目・8代目がポイント

日本史を学習する時に、鎌倉・室町・江戸の各時代の将軍や執権に関する問題が重要になります。
大学受験レベルになるとさらに細かい各代の理解も必要ですが、やはり3代目・8代目が中心になります。
そこで、その将軍・執権の確認をしておきましょう。

【なぜ3代目・8代目か】
初代将軍は前政権を倒す戦に優れた武将(源頼朝・足利尊氏・徳川家康)であることが必要になりますが、勢力関係が少し落ち着いた3代目の頃になると統治能力が必要となり、政権の整備が行われます。
また政権誕生から100年前後の8代目の頃になると世の中の変遷と緩みから矛盾も生じ始めます。さらに天変地異や飢饉が重なると、思い切った改革が必要な時期になります。
この時期の文化との関連も把握しておく必要があります。

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◆鎌倉時代◆
 平氏政権を倒した源氏は3代目将軍・源実朝が鶴岡八幡宮で
 甥の公暁に殺害され、血筋が絶えてしまいます。
 代わって、平氏の子孫を自称する北条氏が実質的な権力を
 掌握するという皮肉な結果になります。
源氏3代

【執権】
鎌倉時代には北条政子の父親である北条時政が執権となって政治に関与し始める。
北条氏は政敵となる有力御家人を次々と滅ぼし、源氏将軍が途絶えると事実上の最高責任者となる。

執権_H

2代目執権・北条義時の代には「承久の乱」が起こり、朝廷側が敗れ、
後鳥羽上皇は隠岐に配流された。
幕府主導の政治体制を固め、北条氏が支配する執権政治が100年以上続くことになった。

「3代執権・北条泰時」(1183~1242年)
1213年 和田合戦では父・義時と共に和田義盛を滅ぼす
1221年 承久の乱では幕府軍の総大将として朝廷軍を京都まで攻める
1225年 連署・評定衆を設置
1232年 「御成敗式目」(貞永式目)を制定。

●連署(れんしょ)=鎌倉幕府の役職。執権の補佐役であり執権に次ぐ重職。
●評定衆(ひょうじょうしゅう)=重要政務や裁判の評議・裁定のために設けた役職。
北条一族と有力御家人ら11人で構成。

「8代執権・北条時宗」(1252~1284年)
  文永・弘安の役で蒙古軍の侵入を阻止。
  1279年、南宋から無学祖元を招き、鎌倉に円覚寺を開く。

●文永の役(1274年)
●弘安の役(1281年)

「円覚寺」(臨済宗大本山)
engaku

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◆室町時代◆
足利MAIN

「3代将軍・足利義満」(1358~1408年)
1404年、明との貿易(勘合貿易)を始める。

●明徳の乱=1391年、義満が山名氏清・満幸を挑発して破る。
●応永の乱=1399年、堺で反乱を起こした大内義弘を破る。

●北山文化=伝統的な公家文化と、新興の武家文化の融合され、明との勘合貿易や禅宗を通じて大陸文化の影響も受けた文化。足利義満が建てた金閣寺が象徴される文化。

「鹿苑寺金閣」(1397年)
kinkaku


「8代将軍・足利義政」(1436~1490年)
東山山荘の造営などによる財政難の上に、一揆が続発し、
幕政が混乱。後継者をめぐって応仁の乱が起きる。

●応仁の乱(1467~1477年)
細川勝元と山名持豊の対立に将軍の跡継ぎ争いや畠山・斯波家の家督相続争いも絡んで各地で争いが続いた。その結果、公家勢力・将軍の権威が失墜し戦国時代になる。

●東山文化=能、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開いた。次第に庶民にも浸透し、今日まで続く日本的な文化を数多く生み出した。
応仁の乱で京都が戦火に見舞われたことで多くの文化人・知識人が地方の守護大名のもとへ身を寄せたため、地方にも文化が広まった。
慈照寺銀閣寺に代表される文化。

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◆江戸時代◆
徳川15H
※表の年号は将軍在職期間

江戸時代の将軍では、「生類憐みの令」を出した5代の徳川綱吉、「大政奉還」を行った15代の徳川慶喜も重要ですが、ここでは3代、8代に焦点を絞って確認します。

「3代将軍・徳川家光」(1604~1651年)
  江戸幕府の体制を確立。
秀忠の時代に出された武家諸法度を整備。
1635年 参勤交代を制度化
1637年の島原・天草一揆をきっかけに、
1639年にポルトガル船の来航を禁止、
1641年にはオランダ人を長崎の出島に移した
  → 鎖国の完成

「8代将軍・徳川吉宗」(1684~1751年)
殖産興業に努め米価安定に努力し、米将軍とも呼ばれた。

●享保の改革=1716~1745年の幕政改革。
 倹約・新田開発・増税などによる財政の再建を実施。
 一方で、増税によって農民の生活は苦しくなり百姓一揆の頻発を招いた。

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「バースデイ・ガール」を読む

題名=「バースデイ・ガール」
著者=村上春樹
発行=新潮社
本体価格=1,500円


読書に慣れた人なら10分くらいで読める短編(絵本)です。
中学校の国語教科書(教育出版)にも掲載されたので、よく知っている人も居ることでしょう。
単行本でゆっくりと読み直してみるのもいいのではないでしょうか。
カット・メンシックのイラストを楽しみながらあれこれ想像してみるのも楽しめるはずです。
「三つのお願い」の物語を連想させますが、この小説では「たった一つだけ願い事がかなうとしたら何をお願いするだろうか。」です。

【登場人物】
彼女=現在は、3歳上の公認会計士と結婚していて、子どもが2人いる。
=彼女の話の聞き手であり、この小説の語り部でもある。
イタリア料理店のオーナー=やや謎めいた小柄な白髪の老人。

他にフロア・マネージャー2人のウェイター、1人のアルバイトの女子学生、レジ係の中年の女性。

------------------------------
主人公の“彼女”が十数年前の二十歳の誕生日のできごとを“僕”に話をすることでストーリーが進む。
彼女がアルバイトではたらくイタリア料理店と同じビルにある604号室に居るオーナーの所に食事を運んでいるマネージャーが、急病で彼女が食事を運ぶことになる。
オーナーの顔はマネージャー以外はだれも見たことがない。
指定された時刻にいつものチキン料理を運んで行くとオーナーは彼女と少し話をしたいと言う。
その日が彼女の二十歳の誕生日であることを知ったオーナーは誕生日のプレゼントに<一つだけ願い事をかなえてあげよう>と言う。

オーナーの老人の会話は外国語を日本語に直訳したような口調で、なんだか仙人のような雰囲気も漂わせている。
「お嬢さん、五分ばかり君の時間をもらってかまわないだろうか?」
「お嬢さん、君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」
「もちろん。私はかまわんよ。君がそう望むなら


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◆さて、あなたは「たった一つだけ願い事がかなうとしたら何をお願いするでしょうか。」

“彼女”がお願いしたのはどうやら<物>や<金銭>でないことは確かなような気がします。
「三歳年上の公認会計士と結婚していて、子どもが二人いる」
「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に女友だちとテニスをしている。それが今の私の人生」
「時間のかかる願いごとなんだ?」と僕が尋ねたのに対して、彼女は「そうね、そこでは時間が重要な役割を果たすことになる」と答えている。
経済的にはやや余裕があり、ごく平凡な生活をしている彼女はどんな願い事をしたのか?
オーナーの老人は「ああ、君の願いは既にかなえられた。お安いご用だ。」と言ったが、本当にその願いはかなえられたのだろうか?
そしてそれはかなったのかどうか?
もっと他の願い事をすればよかったと後悔はしていないのか?

とにかく想像は限りなくふくらみます。

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村上春樹自身の「あとがき」もしっかりと読んでみましょう。
「この世界に生きる誰しもが、誕生日をひとつ持っている。誰もがおへそをひとつ持っているみたいに。ひとつも持たない人はいないし、ふたつ持っているひともいない(たぶんいないと思う)。」
「お金持ちも貧乏人も、有名人も無名人も、のっぽもちびも、子供も大人も、善人も悪人も、みんなその「特別な日」を年に一度だけ与えられている。」
 
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●もうとっくに二十歳の誕生日が過ぎてしまった人はあの日に何をしていたか思い出してみる、これから二十歳の誕生日を迎える人は何をしているだろうかと想像してみるのもいいのではないでしょうか。

●既に家族がある彼女と十数年前の出来事の話をしている“僕”と“彼女”はどんな関係なのだろうか?

●604号室、11月17日という数字が何かを象徴しているかも知れないと想像してみるのは考えすぎでしょうか?
 1117は素数だとか、西暦604年に聖徳太子(厩戸皇子)が17条の憲法を制定とか・・・。

短編がゆえに何度でも読み返せるので、中学生の読書感想文の材料としても最適なように思います。


●ほぼ全ページの見開きでドイツのカット・メンシックによるイラストがあります。
illust


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藤原姓の歴史上人物の整理

日本史を勉強していると藤原○○という人物がたくさん出てきてこんがらがってしまいます。
そこで体表的な人物を整理してみましょう。

◆藤原氏の家紋 「下がり藤」
F家紋

大化改新(乙巳の変)に功績のあった中臣鎌足が死の直前に天智天皇から藤原の姓を賜ったことが始まり。以後、藤原氏の子孫は平安時代後半まで政権の重要な座を占めることになる。

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藤原鎌足(614~669)
中大兄皇子(後の天智天皇)と共に大化改新を推進した。
20円札
昭和6年~昭和21年まで使用された20円紙幣の人物像は藤原鎌足。
左側の十三重塔は談山神社。

藤原不比等(659~720)
鎌足の子。大宝律令(701)の制定に参画。
平城京遷都や養老律令(718)編纂の中心人物。

◆奈良時代◆
【藤原四子】
不比等の4人の子(兄弟)
武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)
宇合(うまかい)・麻呂(まろ)
4家

奈良時代前半に四兄弟が政権を握ったが、737年に天然痘で次々と病死
その後、一時的に藤原氏が政権から離れる。

藤原広嗣(?~740) 
宇合の子。橘諸兄政権の玄昉・吉備真備を除こうと九州で挙兵したが敗死。
→「藤原広嗣の乱」(740)

藤原仲麻呂(706~764)=恵美押勝
道鏡に対抗して乱を起こしたが敗死。
→「恵美押勝の乱」(764)

藤原種継(737~785)
桓武天皇の下で長岡京遷都を進めていたが、暗殺された。

◆平安時代◆
藤原薬子(くすこ)
種継の娘。兄の仲成と共に政治に関与したが
嵯峨天皇と対立して810年、薬子の変で敗れ自殺。

藤原仲成(764~810)
薬子の兄。薬子の変で敗れ処刑された。

藤原冬嗣(775~826)
娘が仁明天皇の妃になり、文徳天皇を生む。
821年、勧学院を創設。

藤原良房(804~872)
娘が文徳天皇の女御となり清和天皇を生む。
外戚として権力を握り、摂政に就く。
842年に承和の変866年に応天門の変で他勢力を排除し藤原氏北家の権力を確立した。

藤原基経(836~891)
陽成天皇を廃し、光孝天皇を即位させて、関白に就いた。
阿衡の紛議で宇多天皇を牽制。

藤原時平(871~909)
左大臣になり、菅原道真を讒言によって大宰府に左遷した。

【藤原氏・北家】
冬嗣
藤原兼家(929~990)
娘が一条天皇を生み、摂関・太政大臣になる。

原道長(966~1027)
4人の娘を次々と一条・三条・後一条・後朱雀天皇の妃にし、外戚として藤原氏の全盛期を実現した。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

藤原頼通(992~1074)
後一条・後朱雀・後令泉天皇3代の摂政・関白。
宇治に平等院を建てた。
道長

※頼通の後、藤原氏の勢力は衰え始める。

藤原秀郷(ひでさと)
 平将門の乱(939~940)を平定した。

藤原純友(?~941)
瀬戸内海の海賊の棟梁となって939年に乱を起こし、
大宰府を焼き討ちしたが、平定された。
→承平・天慶の乱

藤原公任(966~1041)
詩歌に優れ「和漢朗詠集」「拾遺和歌集」の撰者。

藤原忠通(1097~1164)
関白・摂政・太政大臣を歴任。
頼長と対立し、保元の乱では後白河天皇側についた。

藤原頼長(1120~1156)
忠通の弟。保元の乱で崇徳上皇方につき、敗死。

藤原通憲(?~1159)
後白河天皇の側近で、平清盛と結んで勢力をのばしたが、平治の乱で自害
法名は信西。

藤原信頼(1133~1159)
源義朝と平治の乱を起こしたが、敗れて処刑された。

◆奥州藤原氏◆
藤原清衡(1056~1128)
後三年の役で源義家に協力し、奥州藤原氏の最初。

藤原基衡(1056~1128)
清衡の子。毛越寺を建立。

藤原秀衡(1122~1187)
基衡の子奥州藤原氏の最盛期を築く。
源頼朝に対抗して、義経を保護した。

藤原泰衡(1155~1189)
頼朝の要求に応じて、義経を殺害したが、
後に頼朝勢に攻められ敗死。
=奥州藤原氏の滅亡。

※清衡・基衡・秀衡が藤原三代


◆鎌倉時代◆
藤原隆信(1142~1205)
後白河法皇の近臣。
「源頼朝像(伝)」「平清盛像(伝)」などを描いた似絵の名手。

藤原定家(1162~1241)
「新古今和歌集」撰者の代表的人物。
「明月記」は定家の日記。

藤原(九条)頼経(1218~1256)
鎌倉幕府4代将軍。
摂家将軍になったが、執権北条氏と対立して
将軍職を解任され京都に送還された。

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「談山神社」(奈良県桜井市)
談山神社に鎌足が祭られている。
大阪府高槻市・阿武山古墳から改葬され談山神社の裏山の御破裂山(ごはれつざん)に鎌足の墓がある。
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「興福寺」
不比等の時代から藤原氏の氏寺として続く南都七大寺の一つ。
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藤原頼通が建てた「平等院鳳凰堂」
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【参考図書】
 「藤原氏---権力中枢の一族---」(倉本一宏)中公新書
  他
  

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