2007年02月22日

我思うゆえに我あり

「我思うゆえに我あり」
今日はこの言葉を考えていきたい。
自己言及のパラドックスと言うのがある。
新約聖書のテトスへの手紙のにこうある。

「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。

ここではクレタ人がクレタ人は嘘つきと言及しているが、
クレタ人が嘘つきならばクレタ人は嘘つきということも嘘になってしまう。
発言自体が嘘ならばクレタ人は正直者ということになり、
嘘をついたクレタ人と自己矛盾してしまう。
なぜこの話を持ち出したかと言うと、世の中には多くのパラドックスが存在する。

パラドックスとは一見すると筋が通っているように思えるにもかかわらず、
明らかに矛盾していたり、誤った結論を導いたりするような、
言説や思考実験など、ある目標を追おうとすればするほどかえって
目標から遠ざかったり、ある主義を貫こうとするがゆえにかえって、
その主義に反する事をしなければならなかったりする状況ををさし、
パラドックスは、「生か死か」「在るか無いか」のような
二極が対立する論理において生じる。
ここで、「在るか無いか」に注目する。

物事を在るか無いかと定義するのは自分であり、
そもそも、自分とはなにかを自己を追求していくと、
はたして、この世に自分が存在するという事を証明はできるのだろうか、
証明方法は存在しない。
もしかすると、自己とは高度に発達した者が作り上げた、
コンピューター上の人工知能を持ったAIが作り出した
データーの一部かもしれない。

ここまで読むと猜疑心がわいてくるはずです。
目に映るものは全て幻かもしれない、
自分とは実際にはそうだと思い込んでいる観念だけにすぎず、
この世界も実在しているわけではなく、たんに思い込みが築き上げただけの、
夢のようなものではないのだろうか。
そもそもこうして外界を認識している、自分じたい、思想の連鎖が錯覚させる、
架空の見地なのではないのだろうか。
そして、自分の存在を立証しようと他者に声をかけ反応を窺う、
しかし、他人も自分の作り上げた架空の人なのかもしれない、
ここで、哲学者デカルトは「コギト・エルゴ・スム」
で自己認識と自己存在の結びつきを述べている。
デカルトは感覚的世界も全て自分をを間違わせる為、
全てを無視し考えたあげく、自分がどこにいるのかも分からなくなり、
必死に疑いえない一点を探し続けた。

そして「我思うゆえに我あり」を見つけたのだ。
全ての哲学、全ての学問の出発すべき一点だとデカルトは主張している。

そして彼はさらに「神の存在証明」までおこなった。
簡単に書けば神は単に思考上の条件の一部であり、
主体的に出会う信仰対象ではない、というのである。
これは、多くの哲学者から批評をうけた。

デカルトにとって神とは全ての事柄を保持している、
全知全能で万能な存在と考えているからだ。

物体の基本的な運動、動いている物体は、
抵抗がない限り動き続ける慣性の法則、
一定の運動量が宇宙全体で保存されること運動量保存則など、
地上と無限に広がる宇宙空間において同じ物理法則を適用したのだ。

「神の存在証明」は俺も否定する。
科学を神で片付けてしまうと、発展はしないからだ。

物質の最小構成単位に原子がある。
原子とは原子核の周を電子公転しているのだが、
この宇宙空間は全て同じ法則でなりたっている。
たとえば、太陽系だ太陽を中心に
水・金・地・火・木・土・天・海・冥の惑星が公転している。
正しくは、2006年8月に冥王星は惑星から外れ、
太陽系の惑星は8個になったのだ、現状では区分は矮惑星だが、
決定はしていない。外れた理由は冥王星よりも大きな小惑星
「エリス」が2005年1月に発見されからだ。
冥王星は70年も前に発見されてが、
それよりも大きい天体が、今まで分からなかったのは不思議だ。
名前もこの議論の元となった事を考えてか、
ギリシア神話の不和と争いの女神の名前エリスとなずけられた。
来年から世界中の理科の教科書が変わる事は言うまでもない。

そして、太陽系が属する銀河も中心の巨大ブラックホールを公転している。
ブラックホールと聞くと全てを吸い込む、光さえも吸い込む為、
一般には異次元の入り口のように解釈されがちだが、
実際は大質量の恒星が超新星爆発した後、
自己重力によって極限まで収縮した状態の天体を指し、
重力が極端に大きな、ただの天体なのだ。
そして、銀河も数十個から数千個の銀河が含まれている。
銀河団を周回しており、さらに銀河団は
1億光年以上の広がりをもつ超銀河団に属するのだ。
さらに、これまでに知られている最も大きな構造の一つである。
グレートウォールは我々から約2億光年離れた位置にあり、
5億光年以上の長さと約3億光年の幅を持つ
「グレートウォール」なるものまで存在する。

こうして考えれば3 次元空間の基本は球体であり、
その回りを同じ球体が公転しているのだ。
真空上ではあらゆる液体はもとより、物質もいずれ球体の形となる。
球体とは3 次元空間でもっとも適した形なのである。
これは科学で証明されており、神で片付けるのはあまりに無知である。

面白い例がある。球体を2次元にすると、円となるのは常識だが、
人間には正確に理解する事は出来ないのだ、
バカな事だと思うだろう、円は誰にでも認識できるからだ。
もっとも単純にて複雑な難問である円の正方形化を例に挙げてみる。
紙にコンパスで円を書くとする。
直径は2cmの真円だ、それは誰が見ても明らかに
ただの円であり容易に認識できる。
しかし、その円と同じ面積の正方形を描く事は人類には出来ない。
この数十年、世界中の有能な数学者が証明しようと試みたが未だに証明できない。
そして、永久に証明することはできないのだ。
なぜなら、円の正確な面積を求める事は出来ないからだ。
半径×半径×π、すなわち1×1×3.141592……=3.141592……
πは超越数であり終りが無い、よって面積は求められないのだ。
この事実により不可能だと言う事は証明できる。
球体と円は実在する究極の形であると俺は理解している。

この宇宙を例にあげたのは、この世は、
おそろしくシンプルであることがお解り頂けたことと思う。
だが、人の思考だけは、なぜこれほどまでに複雑なのか、
人間の脳細胞の数は約140億個されている。
大脳新皮質は脳の部位のうち、表面を占める皮質構造であるが、
その機能は「理性」である。すなわち自分である。
ほかの部分は生命活動を維持したり、記憶を蓄積したり、
考えや空想するために使われるのだが、
理性があるのは、地球上の生物では人間だけである。
ほかの動物は本能で生きている為、自我の意識は持たない。
人のDNAと95%同じのチパンジーでさえも、
人の脳は約1.4kgあるが、
マッコウクジラは世界一大きい脳を持つ動物で平均7kgもあるが、
自我も文明も持たない。脳の大きさは関係ないのだ。
大脳新皮質が発達したがゆえに、人は発達してきたのだ。
人間の脳の処理能力は半端ではない、
普通の人はパソコンの方が処理能力が高いと考えがちだが、
先日、世界最速のスーパーコンピューターが
人間の処理能力超えたと報じられた。
それほどまでに人は優れているのだ。
人の脳が約1.4kgに対してスーパーコンピューターは
バスケットボールのコート2面分、重量は197トンもある。
それでも、人間の脳は、いくつかの点において、
スーパーコンピューターに勝るのだ。
普段、無意識に物を見ているが、人間は、数百万から、
1000万色の色を見分けられるといわれています。
ちなみにコンピュータは24ビット設定で、約1680万色表示できるが、
すでに人間の分解能を超えており。
最近のテレビは10億色を超える色表現とあるが意味がない。
瞬時に1000万色の色を見分け、その空間その物との距離、
その物の使い方を途切れなく理解する処理能力は半端ではないのだ。

そして人は考える自分の存在証明を。

俺は「我思うゆえに我あり」が自分の証明にはならないと考える。
前回の究極の彼方で述べたように、自分の意味を理解しているからだ。
ここまで、長々と読み「それで終わりかよ」と言いたい気持ちはよく解るが、
こればかりは文章で表現するのは、まだ早いのだ。
この先、このブログを読んで頂き、あなたにも気づいてほしいのだ。

そして、俺はこう理解する「我思うゆえに我あり」は自己追及の結果の
逃げ道であると。


versatile_creator at 15:26│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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