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日記じゃないよ、自分という“オモチャ箱”(日々のこと、音楽、模型、小説、映画、猥褻、そして心のこと)

カテゴリ: 〔映画〕洋画

配給がアルバトロスというだけで糞臭プンプンですが、結論から言えば、そうでもなかった。
でも、それはアルバトロスにしては、というエクスキューズ付評価だけど。

はっきり言いますけどね、ゾンビなんて出てきやしませんよ。
しかもナースは、主役を追い回して暴れるというほどのキャラでもありません。


車同士の交通事故を起こしたカップル。
運転していた彼氏は救急車で搬送されるも、軽傷の彼女は置き去り。

事故相手の男性も軽傷で、重症だった妹だけが搬送され置き去りに。

彼氏が搬送されたのはいかにも不気味で怪しい病院。

その搬送先の病院を探す彼女と男性。
しかし、手を尽くしても病院が見つからない。

以下省略。



以降、ネタバレ気味。

結局、全くと言っていいほどゾンビ映画ではありません。
系統としては「ジェイコブス・ラダー」「シックス・センス」「パッセンジャーズ」
等に見られる、死を受け入れるネタの映画です。

ゾンビ映画じゃないということをわかった上で見るにはそこそこかも。
けど、こういう映画の良作、前述の三作品を観てないなら、そっちをおすすめします。

原題は「Room 6」。
当然、ゾンビ、ナースの言葉はありません。





休みの間、ゆっくりと映画を観るとこが出来た。

邦画は、おろち、萌の朱雀、感染列島、おっぱいバレー、県庁の星、ベロニカは死ぬことにした、ぼくたちと駐在さんの700日戦争、ギララの逆襲。
洋画は、パッセンジャーズ、バンコックデンジャラス、ファニーゲーム(独版)、パッセンジャーズ。

なんで今頃、と言われそうなラインナップであることは置いとくとして、んまぁどれもイマイチというかなんというか。
気楽な映画も堅い映画もまぜこぜではあるけど、休みの前に見た「青春の殺人者」ほどの“コレは!”感がなかった。
そりゃぁそのとき一緒に観た、梅宮辰夫主演の「不良番長、やらずぶったくり」よりは楽しめたけどw

萌の朱雀
なんですか?これは。
説明が少ないというのは美徳ではあるのだけど、少なすぎて物語りの背景がよく分からず感情移入がしにくかった。

ベロニカは死ぬことにした
真木よう子でなかったら途中で止めたな。
生の大切さを教えるにしては、なんという陳腐な嘘。
まさか、とは思ったが...

ギララの逆襲
途中で寝ましたZzzzz

感染列島」「おっぱいバレー」「県庁の星」「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」は、まぁこんなもんか。

おろち
残念です。
谷村美月ファンとして観たのが失敗かw
死にぞこないの青」に続く魔物役。
もっと可愛い役やらしてやってくれよ。
そんなことは別にしても、肝心のおろち、いなくても物語が成り立つというのがわけわからんがな。

魔物のおろちは、単なる人間の運命の傍観者として登場するだけ。
物語には何の影響も持たない。
ならばいなくてもエエやろ。
最後のオチも見当付いちゃったし。

バンコックデンジャラス」は、まぁこんなもんか。

パッセンジャーズ
前半がかったるすぎ。
ええ?単なる恋愛映画?てなもんで。
もっと不可解な出来事を差し込んで観客の興味を喚起すべきだったな。
ジェイコブス・ラダー」とか「シックス・センス」が好きなだけに残念。

ファニーゲーム」なぁ。
出来としてはいいんだろうけど、苦痛に満ちた1時間半あまりを過ごすにはちょっと年をとり過ぎましたw

のちにスピルバーグなどによりオムニバス映画が作られたりした元ネタ。
原題はもちろん 『トワイライト・ゾーン』。
1959年から放映され、日本では1960年から放映されたらしい。
僕が初めて観たのは中1の頃だから73年ごろか。
深夜の再放送で観た。

回によって趣は大きく異なり、白黒でやや玉石混交ながら非常に良くできた番組だった。
未だに心に残っている回も多い。

何シーズンかあったかもしれないが、ケーブルテレビで放映されたとき、この最初のシリーズは全作ビデオに録画してある。
いつかエンコード、デジタル化して手元に置き続けたいとは思っているのだけど。

『世にも奇妙な物語』 は、案内役の登場など、この番組のリスペクトであることは間違いない。
ちなみに 『世にも奇妙な物語』 のタイトルは、フランス映画『世にも怪奇な物語』のパロディーだろう。
この映画もいつか紹介したい。
それからオリジナルの番組冒頭の音声は、マンハッタン・トランスファーのヒット曲 『トワイライト・ゾーン』 にも使用されてる。
結構シュールなオープニングで好きだった。

そんなミステリーゾーン、例によってニコ動にいくつかこっそりうpされてたので一つご紹介。

この 『遠来の客』 も結構好きな回。

息詰まるような地球人とエイリアンの格闘(爆)をご堪能ください。
ラストのオチが命ですので最後までよろしく。

(たまにネタバレをコメントする不届き者がいるので、右下のボタンでコメントを消して観た方がいいかも)

以前紹介した 『ホーリー・マウンテン』、ニコ動にこっそり(堂々と、か)うpされてました。
もちろん著作権侵害なのだけど、画質は悪いし、正規版は絶版だし、とにかくこの名作をたくさんの人に観てもらいたいので貼り付けときます。
削除されないうちにご賞味ください。

『サンタ・サングレ』 で書き忘れたんだけど、ボーナス映像でアレハンドロ・ホドロフスキー監督が印象深いことを言ってました。

地球上のあらゆる生き物、そしてその屍骸は他の生き物の糧となるのに、人間はなぜそれを拒むのだろうか、と。
確かにそうだ。
先進国ほどその傾向が強い。
多くの国では屍骸は火葬にされ、骨にされる。
それは、食物連鎖の拒絶というよりかは屍骸(けがれ)を一刻も早くきれいにこの世から消し去りたいという願望だろうか。

監督がさらに語る。
自分が死んだら、その死体をバラバラにして、自分は猫が好きだから彼らの餌にしてでも欲しいと思ってる、と。

路は舗装し、強固な建物を次々に建て、永遠に厄介なゴミとなる各種雑多な商品を次々に創り出すわりに、自分の屍骸だけはさっさと無きものにしてしまう。
人間とはおかしな生き物だ。


アレハンドロ・ホドロフスキー監督が 『エル・トポ』 『ホーリー・マウンテン』 の次に撮った映画。
彼曰く、“映像で観客を負傷させたい”。

この監督、4作目の映画にしてはじめて観客にみられることを意識して作品を作ったとか。
と言うことは、前三作はまったくの自己満足?
まぁそう言われればそうかも。

確かにこの映画にはちゃんとしたストーリーがある!笑

サーカス団の少年フェニックス、その父親は団長オルゴ、そして母親はブランコ乗りのコンチャ。
オルゴの浮気に嫉妬したコンチャは、浮気現場に乱入し二人を襲うのだが、逆に両腕を切断されてしまう。
その光景を目の当たりにしたフェニックスは精神を病み、精神病院で青年にまで成長する。
そんなとき病院の窓の外に両腕をなくした母、コンチャの姿が。
精神病院を脱走し、母の元に走るフェニックス。

時がたち、フェニックスの親子はパフォーマーとして舞台に立っていた。
母の後ろにフェニックスが立ち、あたかも彼女が手を持っているかのように振舞うという出し物。
だが、母コンチャの腕をフェニックスが演じるのは舞台の上だけではなかった。
私生活においても彼は母の腕を “演じ” させられていたのだ。

フェニックスの腕は、次第に母コンチャの腕として振舞い始め、次々に悲劇を生んでゆく。

公開当時はホラーとして位置づけられ宣伝されたようだ。
ホラー映画 『サスペリア』 でおなじみの監督ダリオ・アルジェント。
その兄クラウディオ・アルジェントがこの映画の製作に携わっていたので、彼の意向で営業的理由からそうなったのかもしれない。
だが、ホラーとするには無理があるように思える。
強いて言えばサイコ・サスペンスだろうか。

どんでん返しがあるとは言え、ハラハラドキドキするようなものでも、あっ!と驚くようなものでもないので、ホラーと思って観ると少々イメージが違うだろう。
監督自身も、DVDオマケのインタビューで “ホラーではない” としているので、宣伝文句にいらぬ先入観を植え付けられないよう注意する必要がある。

観客にみられることを意識しただけのことはあって、ホドロフスキー監督の映画の中では一番とっつきやすい。
けれど、それによって自由気ままな映像美は大きく失われたともいえる。
作品全般に “らしさ” はあるものの、やはり商業主義に妥協したような感は否めない。

とは言え、ホドロフスキー監督の映画で唯一普通に買える映画といえば、現在これしかないので、興味のある方はこれを買うよりほかはないというのはきわめて残念な現状。
残念と言えば、また意味もなくボカシを入れられて作品の映像美をぶち壊されている。
単に裸なだけで、いたずらにわいせつ感を煽ってるわけでもなんでもないのに、やたらめったボカシを入れるのは芸術に対する冒涜だ。

さらにおかしいのは、本編ではボカされ、予告編でボカされていない箇所があること。
何なんだ、映倫!!

ついでにビデ倫、最近モザイク大きすぎるぞ!!
あんなにモザられてはアナル・ファック物であろうがニューハーフ物(未工事、工事済み)であろうが、さっぱりわからんではないか!

『ホーリー・マウンテン』 の紹介の際、簡単に触れた1970年のメキシコ映画。

出来としては 『ホーリー・マウンテン』 の方が圧倒的にいいのだけど、こっちも捨てがたいです。
なんでも当時、ウォーホール、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、寺山修司などが絶賛したとか。

ストーリーは wiki を参照してください。
とはいえ、ストーリーを楽しむ映画ではないので、あまり意味がありませんが。

魅力は、なんといっても映像とユニークなアイディアに満ちた演出。
オープニングからハマれば儲けもの。
最後まで楽しむことが出来ると思いますが、ハマらなければ止めたほうがいいと思います。

僕はオープニングの映像美ですっかりハマりました。
砂に半分埋まった写真。
裸の子供を馬に乗せ、こうもり傘を差したカウボーイ。
格好いい絵です。

こういった映画を “難解” とする傾向がありますが、個人的には芸術に “難解” はないと思います。
人様の作った作品が、他人に “わかる” はずないじゃないですか。
その手法が斬新だったり前衛的だったりすればなおさらです。
脳みそを弛緩して、自分の中に受け入れられるか否かで判断すればいいのだと思います。
ウォーホール、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、寺山修司などが絶賛しようがどうしようが、観た人個人が気に入らなければその作品はその人にとって何の価値もないんじゃないでしょうか。
それは観た人の能力の限界ではなく、その作品の手法ゆえの限界なのだと思います。

“難解” などというのは、なにやら観る人の理解力を問うているようで嫌な言葉ですね。
はなから理解できないものは難解とは言わないのです。

とはいえこの『エル・トポ』、絶版になっているのか入手難のようです。
ヤフオクや amazon でプレミア付きを買うしかない現状が残念です。
英語の堪能な方はリージョン制限付きの北米版、もしくはリージョンフリーの南米版を買う方法もあります。

画質にこだわらなければ、ニコ動に... ↓

口裂け女 0 ビギニング

  口裂け女 0 ビギニング

『口裂け女2』 もそうだったけど、こちらもなかなかの失敗作。
ところどころ面白いアイデアがあったりするものの、まったくそれを生かしきれていない。
2同様、ドラマ性を持ち込もうとして失敗してる。
B級ホラーとして割り切り、口裂け女をフレディーやジェイソンのように扱えばいいものを、どうしてホラー以上のものに仕立てようとするのか理解に苦しむ。

ちなみに、ポスターは韓国ホラー 『箪笥』 のパクリ?



片腕マシンガール

  片腕マシンガール

プラネット・テラーの確信犯的パクリはいいとして、主演になんとも華がない。
お姉チャンバラとは好対照(というほどでもないか)。
もうちょっとプリプリしたギャル系のほうがよかったんじゃないか?
などと思うのはオッサンゆえ?

主人公アミの弟の友達の母親(書くとややこしいな)役、どっかで見た顔、どっかでみた柄の悪さだと思ったら怪作 『サイレン島』 に出てきた亜紗美さんじゃありませんか。
一瞬、片足チェーンソーガール状態になってくれるんだけど、もうちょっとそれで暴れさせても良かったんじゃなかろうか。



しかしながら、『片腕ドラゴン』より面白かったとは言わせていただこう。



ハプニング

 ハプニング

もうナイト・シャマランに映画を撮らせるのはやめれ!
高層ビルの工事現場からバラバラと人が降って来るあたりは、おお!今度こそ!と期待させられたが、進むにつれどんどんつまらなくなっていく。
終盤のサイコ婆ぁが意味不明で消化不良。

なんだか困った映画だなぁ。
これほど衝撃を受けつつも、これほど語る言葉が思いつかない映画というのも珍しい。
ありきたりな言葉をいくら並べ立てたところでそのインパクトが伝わるとは思えない。

ストーリーもあるようなないような。
キリスト教、仏教、イスラム教、ヨガの素人受けしそうな上っ面を集めてゴッチャ煮にしたような精神世界を説く伝道師のような男が、キリストの分身(?)みたいな主人公と、煩悩に満ちた残り8人の男女の解脱を目的に聖なる山に上る、というかなんというか。
まぁそんなことを真剣に書いたところでしょうがないような結末だし。

また断片的にシーンを紹介しても。
たとえば、老人が自分の義眼をくりだして少女に渡すだとか、ウンコから金塊を作るとか、たくさんのカエルが爆薬で吹っ飛ぶとか、四肢に障害のある人がたくさん出てくるとか、そういったことを断片的に書いたところで、映画のイメージを違ったものにするだけだと思うし。

ハマる人はオープニングからハマるだろう。
ハマらなければ止めておいたほうがよい。
時間の無駄に終わるだろう。

ただ確かなのは、この映画、とにかく視覚的、心理的アイデアに満ちた映画。

映画の後ろ1/3はダラダラして目ぼしいアイデアも出てこず退屈になるのだけど、前2/3の映像はとにかく凄い。
宗教的、退廃的、前衛的、ポップカルチャー的、背徳的などなどあらゆる要素が盛り込まれた各シーンはどれも衝撃的で官能的。

脳みそを弛緩させ、画面から入ってくる映像と音、音楽に身をゆだねる。
これがこの映画の楽しみ方だろう。

映画の内容や逸話に関しては、もっと饒舌な人たちがネットでいろいろ書いてくれてるので、“映画 ホーリー・マウンテン”でググッてもらえば、と思う。

この映画に関して非常に残念なことが二つ。
一つは国内では廃盤であるということ。
2003年にDVD化されたものが、なんですでに絶版??
しかも映画史に名を残すようなこの作品が。

ひょっとして四肢障害の人を出演させてるのがマズいのか?
それが判断能力のある人の出演ならば、なんら差別にはならんと思うのだが。

昔、レンタルがまだビデオの頃、ふつーに棚に並んでたのに観ときゃよかった。
これのみならず、同様に棚にあった同監督の前作『エル・トポ』も廃盤。

もちろん海外では現在も販売されている。

むかつくことに国内版はプレミア付きで取引されてる模様。
ストーリー分からなくてもいいから海外通販で買うか、と amazon で検索したらリージョンコードの規制が(たった12ドル!)。
ヤフオクを見るに南米版はリージョンフリーのうようではある。

そういうわけで、欲しくとも買うのに難があるので、あの手この手でナニしてやっと『ホーリー・マウンテン』 と『エル・トポ』 を観ることができた。
幸運にも国内版と海外版の両方で観ることができた。

そこで残念の二つ目。
字幕付きの国内版はボカシだらけ。

ビデオから起こしたと思われるファイルを観たのでDVD版はどうだか知らないが、多分同様と思われる。
何がボカされてるかというと、もちろんヘアーと性器。
別にセックスシーンがあるわけじゃないんだけど、やけに裸が多いもので、あちこちボカされるはめになっている。

裸と言っても性的興奮をもよおすようなものではない。
表現として裸が出てきて、結果としてヘアーや性器(ちんちん)が映ってしまってるだけの話し。

こういう映像美でガンガン押してくる映画だけに頻発するボカシは目障り極まりないし、作品に対する冒涜だと思う。
幸い無修正海外版もナニしたので、国内版でセリフとストーリーを頭に入れてから海外版を堪能した。
ヘアーや性器が問題ありで、義眼を目からくりだすシーン(マジ隻眼の人が出演)はOKという倫理規定がよくわからん。

音楽もたいそう気に入ったので買おうと思ったのだけど、これは国内外でも廃盤の様子。
どこかで売ってないものか、とググッてると音源をUPしてるサイトが...

買おうとしても手に入らず、それ以外の方法の方がたやすいというネット社会...
メディアを販売供給する側にも問題あるんじゃないのか?と思わずにはいられない。

やいメディア会社!買うって言ってんだからせめて、ダウンロード販売ででも買えるようにしておけ!
と逆ギレしておきます。

字幕無でもいいから、どうしても『ホーリー・マウンテン』 『エル・トポ』 が観たいという人。
国内版持ってるんだけど、無粋なボカシなしのちゃんとしたものが観たいという人へのヒント。
検索キーワード:holy mountain torrent
ついでに
el topo torrent

サントラ(?)のあるサイト(聞くだけだよ。保存しちゃダメ)
ホーリー・マウンテン
エル・トポ



ついでにエル・トポも

ゴダールがどうの、ヌーヴェル・ヴァーグがどうのと言ってみたくて観ることにした。

序盤はわけのわからなさを我慢して何とか観ていたが、中盤からは意識が遠のいていった。
終盤は熟睡...

で、爆発のエンディングで目が覚めたw

どういう映画だったんですか??これ。

もう一度見る元気はなかった...

僕がゴダールとヌーヴェル・ヴァーグについて語るのは、まだまだ先のことのようです。



気狂いピエロ レンタル
 気狂いピエロ レンタル

1968年、チェコで起こったプラハの春事件を挟み、運命に翻弄された三人の男女を描く88年のアメリカ作品。

有能な脳外科医、トマシュと田舎娘テレサ、そしてトマシュの恋人であるサビーナとの粗放な三角関係。
窮屈な社会主義国でのデカダンな男女関係。
そこに生じた“人間の顔をした社会主義”を標榜する改革運動。

だがチェコにおけるその社会主義改革の実験は、ソ連軍の戦車に蹂躙されてしまう。

反動的粛清の中、追われたトマシュとサビーナが見出したのは、皮肉なことに農村でのつつましい生活だった。

が...

サビーナ役はのちに『蜘蛛女』(絶版みたいで残念)で妖艶な魅力を爆発させてくれるレナ・オリン
テレサ役は、この映画を期に大女優への道を歩むこととなるジュリエット・ビノシュ(最近はパッとしない?)。

と長々と書きましたが、一番の見所はジュリエット・ビノシュの腋毛!ここに尽きます!!



存在の耐えられない軽さ
 存在の耐えられない軽さ

カトリーヌ・ドヌーブ 『昼顔』 が有名な映画監督、ルイス・ブニュエル、1929年の監督デビュー作。
なおかつ、シュルレアリスムの奇才サルバドール・ダリとの共作でもある 『アンダルシアの犬』。
腋毛ポロリもあるよ。



ダリ、映画といえばこの映画が特にオススメ。
ヒチコック監督の 『白い恐怖』。

いきなり観客を映画に引きつける謎。
二転三転するストーリー。
心理学者による夢診断が事件の核心、本質に迫るという異色さ。
そしてなんといってもダリが美術を手がけたその夢のシーン。

個人的にはヒチコック映画の中で一番好きです。

主演は、イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペック。


SAWシリーズも5作目となりました。

さて此度の SAW5 ですが、サスペンス性は ですが、例のゲームに関しては

ゲームの緊張感がないんですよね。
サスペンス部に割いてる時間が長くなったせいか、ゲームの方がアッサリ。
するのか?どうする?しなきゃ死ぬだろ!けど嫌だよ!って感じの葛藤を描ききれてないというか。

内容に関してはこれくらいにしておきます。
あまり書くと面白くなくなっちゃうんで。

それより観るにあたっての注意点。

予習してから観てください!

そうか saw も5か。
で、4ってどんなだっけ?
そこで、5を観る前に4を観直すことにした
と、全然覚えてないことに気が付いた。
そして話が見えてこない。

そこで4観るのやめて3までさかのぼることに
そこでやっと話が見えてきた。
ああ、そうだった saw だったと(←くだらん)

思い出したけど、3、4のストーリーって同時進行だったんだよね。
で、なにやらスッキリしない終わり方。

そうかこれが5繋がるんだな、と。

つまりは、せめて3,4覚えてない人は5観ても話が見えません。
シリーズが初見という不届き者はお金をドブに捨てるようなものです。
1から繋がっており、とくに3,4からの繋がりが濃いです。
観たことない人は1から観てください。

saw5 について、最後に一言。
まだ続きます!

公式サイト

saw に関する深い考察



SAW-ソウ-
 SAW ソウ

SAW ソウ 2
 SAW ソウ 2

SAW ソウ 3
 SAW ソウ 3

SAW ソウ 4
 SAW ソウ 4

『恐怖の足跡』 この映画、500円という価格、そして“知る人ぞ知る幻のカルトホラー”なんて書いてあるものだから、amazon でほかのDVDのついでについつい買っちゃった。
買っちゃったものの、半年以上観ずに今日に至り、今では散らかった部屋のどこにあるかも分からないし、買ったことすら忘れていた。

ところで

先日、ニコニコ動画で

『精神の謝肉祭』 なる映画を観た。
モノクロの古〜〜いホラー映画。

んまぁ、なんだ、
暇つぶしくらいにはなる。
目の肥えたホラーファンならオチは容易に察しがつくが、それもいいだろう。
古い映画だし。

著作権の問題はあるにせよ、どうせ一日100人前後のVIPな(?)お客様だけがいらっしゃるだけの零細ブログだから貼り付けてもよかろうなどと思って、この映画の詳細を添えるべくググッてみた。



ない。

ああ、ニコ動に上がってる映画は取り締まり逃れにタイトルを変えてることが多いから、この映画もそのくちか、と今度は原題“CARNIVAL OF SOULS" でググッてみた。



『恐怖の足跡』 かい!!

DVD持ってるやん!!orz

もっと高画質で観れたものを...

紹介サイト


振れ、いやブレアウィッチ・プロジェクトから始まったと思われる手持ちカメラ視点(主観撮影)映画。
さすがすぐには模倣できなかったのだろうが、なぜかこの1,2年のうちにフォロワーが続々登場。

『クローバーフィールド』はなかなか面白かった。

得体の知れん怪物が突如NYに現れ、暴れまわる。
たまたまパーティーを撮影していた主人公が、逃げ惑いながらその惨事を記録し続ける(その必然性はちょっと...)。
撮影者の視点なんで、撮影者の得る情報しか作品を観るものにも伝えられない。
このドライさがエエんだわ。

事件に巻き込まれた当人が事件の様子を俯瞰的に知りえるはずがないわけで、その情報の少なさが、主人公の緊張と観るものの緊張を見事にシンクロさせる。

テロだの通り魔だの物騒な時代だが、そこで亡くなった人たちも、やはり事件の具体的なことはなんら知らず終いだったわけで、人生の終わりに感じた無念さ、理不尽さというものは、きっとこの映画のラストに我々が感じたものに近いだろう。

なぜ、どのようにして自分が死にゆくのか。
今際の際にじっくり考え理解できる状況にあった人は、ある意味幸せなのかもしれない。

さぁ本題です。

この主観撮影映画、なんとこの1,2年にゾンビ物で3本もありました!

一番最近のは公開中の『ダイアリー・オブ・デッド』

ゾンビ映画の開祖、ジョージ・A・ロメロ監督ということで大いに期待しましたが、大いにコケ(興行的には知らんが)ました。
なんですか?この緊張感のないゾンビ映画は。

せっかくの“主観撮影もん”なのに、酔い対策のためか揺れが控えめ。
ま、それはいいとして、この手法の肝心なとこは単視点にあると思う。
つまり、単視点ゆえ、死角からワッとゾンビが出てきてビックリ、というのが取るべき手法なのだと思う。
この主人公たち、なんと途中でカメラをもう一台調達してしまう。
言い忘れたけど、主人公はドキュメンタリー映画志望の大学生という設定で手持ちカメラの必然性をこじつけてる。

この映画、録画を後に編集したものという設定なので、二台のカメラ画像はもちろん、防犯カメラの画像なんかも挿入してしまうもんだから多視点になってしまって、

ふつーの映画と変わらんがな!!

で、もう一本『エスケイプ・フロム・リビングデッド』

これイギリス映画ね。
原題が『ゾンビ・ダイアリーズ』。
ややこしいなぁ。
こっちの方が先に作られたみたいだけど。

ゾンビ騒ぎに巻き込まれるジャーナリストという設定で、手持ちカメラの必然性は確保。笑
残念ながらどんな映画か忘れた。汗
ようはつまらなかったってこと。

映画の中で主人公たちが悔しがっているように、イギリスは銃社会じゃないものでゾンビに対抗する武器が少ない。
結果的に、脳ミソばーーーーん!のシーンも少なめ。
これもゾンビ映画としての魅力をスポイルしてる要因か。

と、二本主観撮影ゾンビもんを振り返って感じたのが、『クローバーフィールド』との大きな相違点。
主観撮影もんの面白さは観る側にもたらされる情報の少なさにあるはず。
だがこの二本、ゾンビという確立したキャラを使ったがために、得体の知れなさという大事な部分が無くなってしまった。

“おい!ありゃなんだぁ!?”

って、ゾンビやがな!

噛まれたらアンタもゾンビなるでぇ!とか、頭狙わんと死なんでぇ!とか、詳しい(笑)こっちが情報を無意識のうちに補ってしまうわけね。

ならばゾンビもんで主観撮影もんはアカンのかというと、そうでもない。
それはは先日紹介した『REC』

やっぱりこっちは傑作やわ。




小さな頃から映画やドラマで悪役に感情移入してしまうことが多い。

幼少のころ観たアニメではトムとジェリーのトム、トゥイーティーの相手役、猫のシルベスターでなどであった。
小学生3,4学年ではTVドラマ、バットマンのロビンが大嫌いで、悪者が彼をいたぶっていると嬉しかった。
頭を万力で締め上げられ悶絶しているシーンでは、今思えば性的に興奮していたように思える。

例を一杯挙げたいのだけどなかなか思いつかない。
とりあえず、映画ならコッポラの『ドラキュラ』。
これは激しくドラキュラに感情移入してしまった。
噛んだれ、早よ噛んだれ!早よ血ぃ吸うたらんかい!とかなり熱くなってしまった。

とはいえ、常に悪役に感情移入するわけではない。
どういうキャラ、どういうシチュエーションなら感情移入するのかは自分でもわからない。

前置きが長くなったが、この映画、久しぶりに悪者へ感情移入してしまった。

妙な機械の製作に魅入られてしまったオッサン。
カミさんの白い目にもかまわず、失業状態で組み上げたその機械は、なんと殺人マシーンだったのだ。

手始めにカミさんを機械に突っ込む。
ベルトコンベアに乗せられた身体は刃物で切り刻まれ、最後は粉砕されてしまう。
以降、オッサンは人をさらっては機械に突っ込むようになったのだ。
さらにその粉砕され血と混じった肉片を、スープのように食して暮らしているという破天荒ぶり。

そんな気ままな一人暮らしのオッサン留守中に、空き巣に入ってきた親子がいた。
あっけなく入れた留守宅。
だがそこは入ったが最後、出るに出られぬネズミ捕りのような家だった。

普通なら捕らえられた女性や、空き巣の親子に感情移入するのだろうが、完全にオッサンに感情移入してしまった。

なぜかというと...

人が粉砕されるグロシーンしか見所ないやん!この映画!!

それすらショボいんだけどね。

原作スティーブン・キングとなってるんだけど、調べてみたら彼の短編小説『人間圧搾機』をベースに、その後日談を装いつつもほとんど無関係な作品。
こんな映画の名義使用によく許可出したなぁ、スティーブン・キング。

ということで思い切りZ級のホラーだったので、興味のある方はくれぐれも注意。

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が草分けだと思うP.O.V(Point of view:主観撮影)の手法を踏襲したホラー映画。
最近公開された『クローバー・フィールド』もそう。

テレビのドキュメント取材班(といってもアナウンサーとカメラマンの二人だけ)がとある街の消防署に密着。
その夜間の活動を取材していた。
まったく出動要請がなく平穏無事で退屈な取材に終わるかと思われたとき、一報が入った。
アパートの一室に住人が閉じ込められているのでこじ開けて欲しいとの要請。

簡単な仕事に思えた一行はサイレンも鳴らさずのんきに現場へ向かった。
ところが、現場には警官がおり、部屋からは悲鳴が聞こえたとのこと。
段々消防士やTVスタッフに緊張感が漂いだす。
部屋は簡単にこじ開けられ、警官を先頭に一行が中に。
すると、奥の部屋には血まみれの老婆が突っ立っていた。

ここからが急展開。

最近、ホラーを見ると必ず寝ちゃうワタクシではあるのだけれど、この作品には見入ってしまった。
始まってしばらくはB級を通り越してZ級の臭いすらしたのだが、それは杞憂に終わった。
確かに金はかかってない。
ストーリーも単純。
けども面白いのだ。

簡単に言うと、昔の遊園地のお化け屋敷だな。
急にワッときてビビらす。
P.O.Vという手法がカメラ視点にのみ観る者を感情移入させ、撮ってるカメラマンと同じようにビックリしちゃう。
アホらしいほど臭いビビらせに、いとも簡単に嵌ってしまって何度飛び跳ねたことか。

思えば最近のホラーにはこの単純さ、ベタさがなかったんだわ。
だから寝てしまう作品が多かったんだと納得。
『クローバー・フィールド』も気に入ったけど、こっちの方は娯楽そのもの。

最後に出てくるキャラもイイ。

この映画、女の子と観に行きたいなぁ。
キャーキャー言わせた後は、ヒーヒー言わせて...

公式サイト



REC/レック レンタル
 REC/レック

体制の絶望的な状況、あるいは傾きかけた状況のなかで最善を尽くし力尽きた歴史上人物に非常に惹かれる。
そんな中の一人がドイツ第三帝国軍需大臣アルベルト・シュペーア。
資源の枯渇、戦況の悪化、連合軍の激しい空爆のなか、一時は過去最大の生産量を成し遂げた人物。
悲しいかな、いくらモノを作っても人的資源の枯渇はいかんともしがたく、せっかくの兵器も練度の低下した兵士によって消耗されてしまう。

若くしてヒトラーのお抱え建築家となり、さらにはまったくの畑違いな軍需大臣という要職を任される。
それでも十分に、いや十分以上に職務を全うしたのだから驚かされる。
天才とはそういうものなのか、と。

思えば時代を席巻した独裁者というのは、人を見る目がある。
ナポレオンしかり、信長しかり。
このヒトラーもその才能があったに違いない。
シュペーアやレニ・リーフェンシュタールなどを抜擢したところは、芸術家志望だったヒトラーらしくもある。

ニュルンベルク裁判で禁固20年という刑ですんだナチ要人ということでも異色だ。
裁判において唯一罪を認め、反ナチの論戦をはったというのが一番の要因だろう。
それが本心か法廷戦術であったかは議論の余地があるのだけれど、人間の本性などというものは一面的に論じることは出来ない。

本心でもあり、保身でもあったというのが本当のところじゃないだろうか。

ニコ動にあったので何気なく観たのだけど、猛烈に面白かった。

かつて人気を誇ったSFテレビドラマの主人公たち。
その20年後のファンミーティングから映画は始まる。

地球外でドラマを観ていたエイリアン。
“嘘”の観念がない彼らはそれをドキュメンタリーとして鑑賞していた。
そんな彼らは、敵対エイリアンの攻撃による危機に瀕し、なんと救いをドラマの主人公たちに求めたのだ。

彼らはドラマの設定どおりに宇宙船を建造し、主人公たちを拉致して敵エイリアンの撃退を要請してしまう。

あとはご想像の通りw

西部劇の主人公に悪人退治を依頼してしまうというストーリーだった、『サボテンブラザース』の宇宙版とも言える。

理屈抜きに楽しめるアホ映画。
ド派手で陽気な大団円はまさにハリウッド映画。
とても元気の出る快作でした。

ちなみに劇中劇のギャラクシークエストやそのファンは、スタートレックやトレッキーのパロディーで、同ドラマに捧げるオマージュでもあります。

それにしても、当時すでに50歳になっていたはずのシガニー・ウィーバーの可愛さは驚異的。
異星人クルー、ドクター・ラザラス同様、彼女の美貌も特殊メイクのなせる業?

人気レポーター・マノロは、子供ばかりを狙う連続殺人犯“モンスター”を追って、エクアドルにやってきた。事件を追うTVクルーは偶然、聖書販売員のビニシオが無実の罪で投獄される現場に居合わせる。翌日、追跡取材で留置所を訪れたマノロに、ビニシオが耳打ちする。「番組の力で無実を証明してくれ、そのかわり誰も知らない“モンスター”の情報を教えよう」マノロはビニシオが、犯人ではないかと疑いながらも、取材を始める。
<USEN より>

惜しいなぁ、惜しい。
実に惜しい。

いい映画なんだけど、スタンスが中途半端な気がしてならない。
サスペンス映画に仕上げるにはもう少しエンターテイメント性があって欲しかったし、そうでないならビニシオとマノロのやりとりをもっと厳しいものにしてよかった気がする。

その辺がサラッとしてるから、事件の悲劇性、ラストに漂う無力感が生きているのかな、というふうに思えなくもないが。

しかし後味悪りぃなぁ...

ところでこのたび逝去された水野晴郎氏。
wikiでは本名、水野和夫となってるんだが、メディアの訃報では本名:山下奉大となってる。
ああ、それで『シベ急』で山下奉文大将演じてたわけね、と納得しかかったら...
改名してたんかい、このジジィ!!

ちなみに水野センセイ、アノ噂の真相は墓場まで持って行かれたのですね...
合掌

うだつの上がらない楽器販売会社の営業マン、プチット。
そのくせ見栄を張るものだから金がない。
すっかり落ち込んでる彼の携帯に突然知らない声で電話がかかってくる。
「おめでとうございます。幸運にもあなたはゲームの参加者に選ばれました。これから13のゲームをクリアすると、最大3億円の賞金を獲得できます。挑戦しますか?」

最初は、ハエを殺せ。
次は、それを喰え。
子供を泣かせろ。
難易度が上がるにつれ賞金も上がってゆく。
同時にプチットの理性も崩壊し始める。
ゲームは一体どこまでエスカレートするのか。
レベル13に待ち受ける試練とは...
ってとこでしょうか。

ゲームのレベルが上がっていくにつれ、観てる方もちょっとしんどくなっていくんだけど、それがこの映画の狙いだとして評価いたしましょう。
心身の調子の悪いときに観るのはどうかなぁ。

ネタバレというほどでもないんで書くけど、犬のウンコ食わすのはずいぶんと掟破り。汗
しばらく食欲なくなったよ。
幼少のころ、落ちてたレンガを拾ったら裏に犬のウンチがへばりついていて、そのムニュッとした感触といつまでも取れなかった臭いがトラウマになってるんだけど、それが蘇ってきた。
あとグロシーン、ありがちな首チョンパにせず、頭上半分チョンパにしてさらにその状態で悶絶させるアイディアはグロ好きとしては高ポイント。

そんなわけでこの映画、お子様にはまったくオススメできません。
最初の軽いノリに油断して子供に見せちゃうとトラウマになります。

ハリウッドでリメイクが決定したとか。
でも、そっちを観たいとは思わせないなかなかの完成度。
『マッハ』とか、ホラーものとか、最近のタイ映画ってレベル高いんだなぁ。

ちなみに主人公、いわゆるハーフなんだけど、小さい頃いじめられるのってバンコクいや万国共通なのね...

邦画『1303号室』

海辺のとある賃貸マンション。
その1303号室に入室した女性は必ず自殺していた。
主人公真利子の妹、沙弥香もそんな一人だった。
彼氏と同棲をはじめるために借りた1303号室。
幸せなはずの沙弥香が、こともあろうに引越し当日に自殺などするわけがない。
死因に疑問を感じたは真利子は、その真相を調べずにはいられなかった。

B級ながら、なかなかいい線いってるかも。
単なる怖がらせに終始せず、背景に親子の情を持ってきたことで、作品に深みを与えている。
でも、幽霊話しに徹すればいいものを、妙な妖怪っぽいノリで登場するシーンには興ざめ。
合成技術が低く、死後のクライマックスが合成バリバリで昔の東宝怪獣映画か!って感じなのもいかがなものかと。

それと、ラストは賛否両論じゃないかなぁ。
僕は疑問。

ちなみに、前住人がそこで自殺している場合、その物件を仲介する不動産業者は、その旨を客に伝えなくてはなりません。
これは法律ではありませんが、裁判になると必ず不動産業者が負けているようです。
よって、映画に登場した不動産業者は悪徳業者といわざるを得ません。笑


洋画『1408』

スティーブン・キング原作。
NY、ドルフィンホテル1408号室。
その呪われた部屋では、かつて宿泊者56人が自殺していた。
今では開かずの間となっているその部屋に、オカルトジャーナリスト、マイクが宿泊し超常現象の真相に挑む。

単に一泊中の部屋での出来事だけを見せる映画。
次から次へと息つく暇もなく押し寄せる怒涛の超常現象。
主人公同様、観てる方もヘトヘトに疲れます。

前述の1303号室より映像等はよく出来ているが、ただただお化け屋敷的な映画で深みはまったくない。

6月公開予定。
どうやってお前は観たんだなんてヤボなことは言いっこなしよ。


生と死というのは、そもそも人間の考えた観念。
葬式をする都合や、今日的に言えば臓器移植の都合で線引きを計っているに過ぎない。
これをもって生、これをもって死とはなかなか言いえないものなのである。

僕は、いわゆる心とか魂というものが存在するならば、それは宇宙規模に広がるものだと思う。
個々の脳がそれを観測した時点で“我”というものが自己の中に出現すると考えている。
その観測のズレみたいなものが幽霊?とも思う。
別に妙な宗教を信仰しているわけでも、自分の妄想に浸りきってるわけでもなく、そう考えれば面白いし、自分的にはスッキリするからそうじゃないか?と言ってるだけではあるのだけど。

ニコール・キッドマン主演の『アザーズ』
ホラーとされてるようだけど、ホラーがひたすらグロな近年にあっては誤解を呼ぶくくり方だ。
我々が持つ幽霊話しへの憧憬をこめて、幽霊映画と呼びたい。

1945年、英仏海峡のチャンネル諸島の島が舞台。
大きな屋敷で二人の幼い子供を守りつつ、戦争に行った夫の帰還を待つ女性(ニコール・キッドマン)が主人公。
厄介なことに二人の子は極度の紫外線アレルギーで、カーテンを閉め切ったなかで日中を過ごさなくてはならない。
極端に閉鎖的な“家”に起こる数々の心霊現象。
それは誰?それはなぜ?

この地理的、家庭の事情的孤立が映画のミソ。
これ以上言うとネタバレ。

ラストのどんでん返しでは唖然!
と言いたいところなんだけど、この手のものは結構観てるのでそうでもなかった。
でも余りそういう映画になじんでない人には驚愕のラストだとは思う。

生と死は表裏一体。
そんな味わい深さが、この作品を価値を荘厳なものに高めている。
オススメの佳作です。

でも1時間ぐらいですみそうなストーリーでもあった。

スティーブン・キングの『スリープウォーカーズ』と間違えて観てしまった。苦笑
舞台が北欧みたいだから、おかしいなぁと思ったんだよねぇ。

中年技師のウーリック。
家族と別荘での休暇を終え帰宅。
いつものように睡眠薬を服用して就眠。
ところが翌朝目覚めると、隣にいるはずの妻の姿がない。
それどころかシーツに血痕までも残っている。
心配になった彼は子供部屋に駆け込む。
ところが二人の子供の姿もない。

片っ端から知り合いや病院に電話するも手がかりなし。
万策尽きて警察に捜索を依頼することにした。
キッチンで遅い朝食をとろうとしたとき、棚から泥まみれになった自分の長靴と血まみれのシーツ、そして愛車のキーを見つける。
慌てて愛車を調べるウーリック。
なんと彼のボルボは夜のうちに35キロ走行していた。

さまざまな状況から、彼は自分が夢遊病患者ではないかと疑い始める。
夢遊状態で家族に手をかけたのではないか、と。

その夜、彼は肩の上にビデオカメラを固定し、睡眠薬を飲んでベッドの横たわった。
次の朝、ビデオを再生した彼が見たものは...

どうです?
面白そうでしょ?

でも期待しすぎちゃダメ。
僕みたいに、あれ?間違った?まぁいいか、てな軽いスタンスで観ると面白い。
でも、面白ければそれでいいのか?って疑問の残るオチではある。
なぜならサイコサスペンスにおける禁じ手を使ってるから。

詳しく書くとネタバレになるので書かないけど、お笑いに例えると下ネタかな。
笑っちゃうけど、お笑いのレベルとしては低い。
そんな感じ。

どんどん夢遊状態の頻度が増していってカオスな世界に迷い込むあたり結構見ごたえあるだけに、オチさえ良ければ満点あげたのになぁ。
惜しい佳作です。

先日『アイデンティティー』を観たというモーテルつながり(笑)で『モーテル』を観ました。

離婚間近の夫婦が、車の故障で仕方なく泊まった田舎のおんぼろモーテル。
けどモーテルというのは表向きの姿。
実はスナッフ・ビデオの秘密製作現場だった。
殺人をショーとして盛り上げようする連中。
知恵を絞って逃走を計ろうとする夫婦。
果たして殺人ゲームの行く末は、ってとこでしょうか。

心理サスペンス物を立て続けに観たせいで、いらぬ深読みしちゃったよ。
なんのひねりもありません。
上記の説明に尽きます。

ま、確かに怖い。
怖いけどメリハリがないんだよねぇ。
ずーーーーーーーと緊張しっぱなし。
単純なストーリーながら見終わったらドッと疲れました。
結構音でビビらせてくれるので、カップルで楽しめば?
ラブホ試写会なんて企画もしてたみたいですね。

公式サイト


サイコサスペンス物には目がないワタクシですが、これは面白かった。

嵐の夜、すべての道が通れなくなったため、同じモーテルに泊まることになった11人。
そんな彼らを次々に襲い始める連続殺人。

ストーリーを、サスペンスから次第にサイコでカオスな世界へと変化させ、思いもよらぬ形で収束させるテクニックは秀逸。
予定調和的なミスリードを序盤に持ってくることで、ストーリー全体を覆う驚愕の真実を観るものに予想させない凝った作り。

先日紹介した『メメント』、そして本作と立て続けに気に入った作品を観れて満足感に浸ってます。

ブラム・ストーカー著『吸血鬼ドラキュラ』を版権が取れず、無許可で映画化した無声映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』。
その’79年リメイク版が『ノスフェラトゥ』。

世間的には名作のようではありますが...
寝ます。
とにかく寝てしまいます。
淡々とした展開に必ずウトウトしてしまいます。

この映画の見所はクラウス・キンスキー(ナスターシャ・キンスキーの父)の怪演。
特に貼り付けた場面が大好きです。
怪我した指にむしゃぶりつくその姿は、吸血鬼というよりただの変質者。
さらにたたみかけるように襲いかかるのか!と思いきや、そうでもなかったりとわけのわからん演出が光ります。
掘られるんか?と別の恐怖を抱いたかもしれませんね。

この映画のオススメはなんといっても音楽。
サウンドトラックをドイツのプログレ・バンド“ポポル・ヴー”が担当してます。
怪しく重厚でドス黒いサウンドは必聴もの。

はっきり言って映画はどうでもいいです。

オープニングから引きずり込まれる映画で、駄作はまずない。
逆に序盤に引っかかりのない映画に、名作はまずない。
最近は観る映画観る映画序盤の入りきれないものが多く、途中で止めてしまうものが多かった。
もちろんこっちの忍耐力が年々衰えているということもあるのだろうけど。

そんななか、予備知識無しに見たこの映画。
いきなり“なんじゃこりゃ”と思わせるオープニング。
殺人直後のしばし静寂のシーン。
そこからいきなり時間が逆戻りし始める。

そう、この映画は時間をさかのぼる映画なのだ。
逆回転シーンはオープニング以外はそんなになかったように思うが、物語を一歩進めるごとに二歩戻してゆく。
きわめて斬新な手法の映画だ。
理解するためには画面の前に座り込んで凝視をし続けなくてはならない。

脳に損傷を受け、記憶が10分程度しか残らない男が主人公。
実際にある脳障害で、障害以前の記憶や習慣、身体で体得した行為などは忘れないが、新しい記憶はすぐに消えてなくなるのだ。
だから彼はさまざまな新しい知識や出来事を、メモ、ポラロイド写真、そして非常に大切なことはタトゥーにして残す。
そこに残されたものだけが彼の人生なのだ。

ただ日々生きることさえ困難な彼の生きがいは、最愛の妻を殺した犯人を捜すことだった。
記憶の持続するわずかな時間を、調査や考察に当て、それらをさまざまな方法で記録に残す。
忘れればまた手元の記録を見て思い出し(実際には思い出せないので、記憶として蓄積するしなおす)、調査の続きを行う。

困難を乗り越え核心に迫ってゆく主人公。
彼の障害をいいことに利用する回りの人々。
時系列的にはラストから始まるこの映画。
だが、核心はその時系列をさかのぼっていったところにあったのだ。

なかなかの隠れた名作。
できれば二、三度観て内容を噛み締めたい映画だ。

岩井志麻子の出世作『ぼっけえ、きょうてえ』を映画化したもの。
まっっっったく期待せずに観たが、なかなかこれはいい。
ホラーというくくりになるのかもしれないが、その怖さは超常現象ではなくあくまでも人間がテーマ。
人間の社会、人間の心、その暗部をこれでもかと見せ付ける。

将来を約束したものの、行方の分からなくなった女郎、小桃を捜し、色町を尋ねまわる米国人クリス。
成り行きで買った女郎が小桃を知っていた。
だが彼女から聞かされた話は彼を狂乱させる。

岩井志麻子作品の嫌〜な雰囲気を、監督なりの解釈で実に嫌〜な感じに仕上げている。
原作に忠実すぎず、また離れすぎず、映画なりの手法にうまく変換していると思う。

米国CATV向けに作られたものの、内容が残酷なため放映されなかったというマヌケないわくつき作品。
米国向けのせいか、舞台が日本でありながらメイク、衣装、セット等は無国籍的。
それがまたいい味を出している。

主演が工藤夕貴。
岩井志麻子も友情出演(?)で怪演を披露。

グロ、残酷、背徳、それらをぎりぎりの域で芸術に昇華するさじ加減が秀逸。
こんな映画が一般にヒットしては困りものだけど、埋もれてしまうには惜しい。
そんな微妙な映画です。
とりあえず、まともじゃない人にはオススメの逸品。

公式サイト

ああ、またツマらぬものを観てしまった。

大手林業会社がバイオテクノロジーで木の成長を早める薬を開発。
自社の森林で実験を行っていたところ、思わぬ惨事が。

冒頭、環境保護団体の抗議運動から始まるんで、こりゃぁ木の精霊が際限のない森林伐採に怒って...と思って観ていたら、

ゾンビかい!!

その薬を投与された木の樹液が血管に入ると、なぜか人間がゾンビ化します。
人を追い、喰らいつくゾンビ。
喰い殺されるか、もしくは助かっても噛み付かれたなら、自身もゾンビとなります。
結局のところゾンビまずありきで、設定なんてどうでもいいんですね。

ゾンビの動きもギクシャクした例の動作。
もはや様式美の世界ですね。
この原点はやはりジョージ・ロメロの作品なのでしょうか。

いくらB級とはいえ、なぜなんのひねりもないこの映画の企画が通ったのか、謎です。

パッケージの『木、切るな!!』のコピーが笑えます。
だから、森林伐採なんて映画に全然関係ないやん!
ま、このコピーが一番ウケた映画でした。

フォレスト

ナイト・シャラマン監督『レディ・イン・ザ・ウォーター』、遅ればせながら観ました。
感想は一言...
もうコイツに映画を撮らすな!

こんな映画の詳しいあらすじは書く気がしないので、下のamazonnちゃんをご参照ください。
水の精を元の水の世界に帰そうと、あるアパートの住人が大騒ぎで活躍する映画です。

文句言い出したらキリないんですが、まず主人公が韓国人のバァさんから聞く伝説。
およそ東洋の伝説ではなく西洋的なんだな、これが。
昔ならこういう役回り、日本人なんだけど。
ああ、ジャパン・パッシング。

その伝説とアパートのプールに住み着いた水の精を結びつける強引さ。
また伝説の登場人物が、アパートの住民にそれぞれ対応してると決め付け、だれそれはガーディアンだの、あいつはシンボリストだ、ヒーラーだ、ギルドだ、などという勝手な思い込みの人選がどんどん進んでいきます。
ええ?なんでなんで?などと思ってる観客はほったらかしです。
挙句、あれ?やっぱり人選間違ったか?とか。
だから何なんだ!と怒りたくなります。

そして水の精はなぜか空へ〜
めでたしめでたし。
何が?へぇ?

シックスセンスが良すぎた。
その後サインヴィレッジ、そしてこの映画と観てしまったが、どれもサッパリ。
きっとあの映画は奇跡だったに違いない。

もう一度言います。
もうコイツに映画を撮らすな!

ストーリーは簡単。
秘密殺人クラブに拉致された主人公が脱出を試みるというお話。
前作に比べ残虐シーンは若干エスカレートしたものの、作品的な内容はレベルが落ちた気がする。

こういう映画は物凄く好きです。
残虐シーンがエゲツないほど好きです。
とはいえニュースやドキュメントなどでの残虐シーンは苦手です。
もちろん本当に人を殺したいだとか虐待したいだとかは、これっぽっちも思いません。

作りものなら過激なほどいいのに、ニュースやドキュメントで映し出される本物は苦手。
現実にそういったものを目の当たりにするのは、さらに苦手。
結局のところ、プレイとしてのバイオレンスは好きだけど、本物はNGということ。
この自分の残虐嗜好の根っこは、本物に対するものニセモノに対するもので全然別なものだろうか。
それとも一つの根っこから出ているものだろうか、と考えてしまった。

僕の映画に対する残虐嗜好は根深い。
少年の頃からTVでホラー物が放映されると逃さず観ていた。
四肢がもげたり、首が飛んだりすると嬉しくてたまらない。
だというのに、商店街などで不自由な身体をさらし募金活動をしていた傷痍軍人を見かけると、卒倒しそうなくらいに怯えた。
親や親戚から、おかしな子だ、とからかわれたものだ。

小学校3,4年の頃だっただろうか。
バットマンのドラマを観ていたら、相棒のロビンが台に縛り付けられ、巨大な万力で頭を締め付けられる拷問を受け始めた。
このシーンを見てわけのわからない興奮を覚えてしまった。
これが自身の残虐嗜好(作り物の)の発露だと思う。
ロビンの頭が砕けることを求め興奮し、悪役に激しく感情移入していた感触を今も鮮烈に覚えている。

そして小学校6年生のときに観た『世にも怪奇な物語』。
この映画では、もうその嗜好が性的興奮にまで高まってしまった。
1967年、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ、そうそうたる映画監督、俳優が集まって作ったオムニバス怪奇映画だ。

生体解剖をしようとしたり、ブリジット・バルドーを鞭打ったりするアラン・ドロンに感情移入し、加虐的性興奮を覚えた。
皮のボディースーツや乗馬ブーツに身を包んだ、ジェーン・フォンダ演じる気ままな女主人には、被虐的、崇拝的性興奮を覚えた。
作り物的、プレイ的なものを求めてもリアルなものは嫌悪する僕の嗜好というのは一体どういったものなのだろうか。
心のどこかでリアルな残虐性を求めつつ、それを単に理性が押しとどめているだけなのだろうか。

世界のそこここで戦争・紛争は存在し、今日も街のどこかで残酷な犯罪の犠牲者が生まれる。
また、こういう映画がそれなりにヒットする一方で、人は愛と平和を語る。
自分のみならず、人間の心の根っこは一体何を求めてるんだろう。
人間とは不可解で興味深い生き物だ。

ホステル2 公式サイト

ウイルス物ではありますが、結局のところゾンビ映画です。
結構評判が良かったようなので観てみました。
映画としてはそこそこ。
ゾンビ映画としてはXといったとこでしょうか。

ゾンビなるもの、両手を前に伸ばしノソノソと寄ってくる。
そういうイメージでしょう。
ところがこのゾンビ、速い速い!
全力疾走で寄ってきます。
狙われたらほぼ終わりです。
これが僕的には気に入らないんですよね。

ドン臭そうなゾンビをナメてるうちに油断して墓穴を掘る。
またノソノソ寄って来るゾンビどもを、巧みなフットワークでかわして危機を脱する。
これこそがゾンビ映画の醍醐味。
こんな速いとあっけないやないか!

また何で噛むのか意味不明。
肉を喰らってるようでもない。
自主規制?
ただ襲う、ただ噛む、ただ血をぶっ掛ける。
これだけでは怖さがイマイチ。

後半、生き残ってる軍の小部隊に保護されるのだが、この連中が少々常軌を逸していた。
ここに力点を置いて映画にしたほうが面白かった気がする。
まともだと思ってた連中の狂気がだんだんと顔を出す、みたいな。
すぐに先が読めて消化不良。

お暇な方はどうぞ。

SF洋物って書くと卑猥な感じがしますね。笑

真田広之が出てるってので観ました。
タイトルがダサいし、きっと『宇宙からのメッセージ』みたいなB級カルトSFなんでしょ?などと斜に構えてたら違いました。
ちゃんとしたSF映画です。オイオイ
人類の希望を託した宇宙船の船長役っつーんで、デューク真田も本格的に国際俳優にステップアップ?
師匠のソニー千葉以上の有名国際俳優(?)になってほしいもんだ、と観てたら...死ぬやん!!1/3強ぐらいのとこで!
ポスターとかで真ん中にいてるのは日本向け?

いきなりのネタバレですみません。

2057年、太陽が急速に輝きを失い始め、地球は凍てついた。
人類滅亡の危機を救うべく、巨大宇宙船が太陽に向け打ち上げられた。
任務は、太陽にマンハッタン島大の大きさの核爆弾を打ち込み、太陽内部に太陽を作ろうというもの。
その船長が真田広之演じるカネダ。
当然映画ですからミッションがスムーズに進むわけもなく、さまざまなトラブルに見舞われます。

しかしなんだな、最近の地球危機物SFは自己犠牲のパターンが多すぎ!!
アメリカ人と自己犠牲って相容れないものだと思ってたが、相容れないだけに自己犠牲の精神に対する憧れだけは異常に強いのかも。
そんなことを感じさせられます。

2/3あたりまではテンポもよく楽しめるのだけど、それ以降が少々しんきクサい。
7年前に同じ任務のために打ち上げ、遭難した宇宙船を見つけてドッキング。
そこまではいいんだが、ドッキングして遭遇するミステリーが力不足で盛り上がらない。
任務妨害の動きが出てくるんだけど、“宇宙の摂理を曲げちゃいかーーーん!神に逆らっちゃいかーーーん!”というその主張も説得力が無い。
人間、遺伝子操作までしちゃってるわけで、何をいまさら...
毒喰わば皿まで。
太陽が元気ばなくなったから喝入れちゃるだけばい!何んが悪かと!って感じです。
根底に流れるものは怪作『さよならジュピター』に近いものを感じます。

ま、そこそこ見ごたえはあるので、そこそこオススメ。

ついでに地球危機物の名作『妖星ゴラス』もどうぞ。
矮星衝突の危機を回避すべく、南極に巨大なロケットエンジン作って地球を動かしちゃう豪快な映画です。

組織に背いたことで、宿敵リッキーから中国製の毒薬を注射された殺し屋シェブ。
その毒薬とは、体内のアドレナリン量が一定以下になると死ぬというものだった。
アドレナリンを分泌させるため、車でバイクで市内を爆走しつつリッキーを追うシェブ。
無理やり興奮させながらリッキーを捜し、敵と戦い、恋人を守り、自分の助かる方法も模索するという滅茶苦茶忙しい彼。
毒薬の効能というその設定まずありきのノンストップ馬鹿アクションムービー。
肉体版『新幹線大爆破』or『スピード』と言えるか。
このせわしなさと言ったら映画史上最高?
アクション、コミカルさ、スピード感、そしてタランティーノ風バイオレンスなどのバランスがうま〜くとれた秀作。

ここまでアドレナリンをバシバシ分泌させたら、何でもできそうな気になるかも。


ところで、最近映画を観ていて気になるのは、“日本”が絡んでこないこと。
一昔前なら日本のヤクザ組織だとか、日本の企業絡みのストーリーが多かったように思うのだが。
本作でも出てくるのは中国マフィア。
アクションシーンのあおりを受けるのは、韓国人の町工場。
また韓国人観光客も出てきたと思う。

ヤクザ、企業でネガティブな印象を与えたり、事件のあおりを受ける観光客として揶揄の対象にされたりするのも不快ではあったが、昨今の映画のようにスルーされてしまうのも寂しいものだ。
映画でもバッシングからパッシングへと日本の扱いが変貌しているのは、喜ぶべきか哀しむべきか...

全米を震撼させた連続殺人犯“ゾディアック”を扱った映画。
未解決事件とのことで嫌な予感がしたのだけど、やっぱし...
見事なまでに消化不良のエンディング。

同じく未解決事件をテーマにした韓国映画『殺人の追憶』がすばらしい出来に仕上がっていることを思えば、この消化不良感が“未解決”だけのせいでないのは明らか。
とにかく終始中途半端で消化不良なのだ。

まず、サスペンスにしたいのか、事件を通して家族を描きたいのかがはっきりしない。
担当刑事の父親を家庭に取り戻したい一心で、自分なりに事件を推理する息子。
暗号解読の糸口を見つけたんで、さぁ事件が急展開するぅ!!
のかと思いきや、それっきり。

二組目の犠牲者が出てプロファイラーにプロファイリングしてもらうのだが、それもそれっきり。
三組目では凶器が銃からナイフにかわり、犯人が処刑執行人の扮装をし、なおかつ四件目の犠牲者はたまたま乗り合わせたタクシーの運ちゃん。
この犯人の手口の変化を、プロファイラーがどう分析するのか興味津々だったというのに。

誤認逮捕に至るシーン。
編集の意図がミエミエで予想通りの展開。
見終わってから、ああ、アレが山場だったの!?というお粗末さ。

崩壊しかける家族の描写も、演出とはいえ息子が終始無表情で盛り上がらない。
特にラストシーンの主人公、妻、息子。
彼ら全員がとにかく無表情で、見るものの失望感を逆なでする。
『殺人の追憶』におけるラストシーン、ソン・ガンホの表情とはエラい違い。

それでもやはり腐ってもハリウッド映画。
ラストまで観る者を引き付けちゃうから罪深い。
つまらんならつまらんで、途中で止めるのに。
嗚呼、1時間半、無駄に時間を使ってしまった...
amazonでこんな映画に満点つけてる人の感性を疑います。

昔、何かの映画を観に行ったとき予告編を観た映画(1985年作)。
なんとなく気にはなったが、なんとなく見逃した。
以降ずっとなんとなく気にはなっていたが、やっぱりなんとなく見逃し続けたものの、先日やっとなんとなく観た。

宇宙の覇権争いをしている地球とドラコン星。
空中戦(宇宙戦?)していた両軍の戦闘機が2機、ある惑星に不時着した。
惑星で生き残り、そして取り残されてしまった両星の二人。
互いの姿を見つけ殺し合いを始めるのだが、厳しい自然の猛威に襲われた二人は闘うことをやめ、力を合わせて生存の道を模索し始める。

互いの異文化を理解し始める二人。
彼らは互いの言葉や文化を学び始め、固い友情で結ばれるようになる。
ドラコン星人は雌雄同体で、そのジェリバにも出産の時期が来てしまう。
だが体調を崩していたジェリバは出産と同時に死んでしまった。
あたらいい生命ザミスを残して。
死に際してザミスの養育とドラコン星への帰還を依頼された地球人ダビッジは、そのことを硬く心に誓った。

暗中模索ながらザミスを育てるダビッジ。
成長の早いドラコン星人は、あっという間に少年に成長していった。
そんな時、地球人の宇宙船が惑星にやってきた。
だが、それは鉱石あさりのならず者が乗った船。
連れてきたドラコン星人を奴隷としてこき使い、炭鉱を掘り始めた。

ダビッジの忠告にもかかわらず、自分以外のドラコン星人への好奇心から宇宙船に近づくザミス。
不注意な行動から彼は地球人に捕らえられてしまう。

文化、習慣、言語、容姿の異なる人種・民族が反目しあうのはたやすい。
信頼関係を築くには、まず互いをよく知ることが大事だし、それしかないと言ってもいい。
それだけに異なる人種・民族は反目しあいがちだ。
この映画、宇宙という舞台を借りながら、訴えようとしているのは人種・民族問題に他ならない。

最初と最後のアクションシーン以外は、ドラコン星人と地球人の二人しか出てこず展開もやや地味。
そのせいかやけに長い映画に感じてしまったが、2時間弱の標準的な長さだった。
なかなかいい映画ではあったが、佳作といったところか。
amazonのみんなの評価は高すぎるような気もする。
けれども、“なんとなく観る”ということではお勧めの映画である。

画像はコチラのサイトをどうぞ

今頃観ました。
先週、インフルエンザの退屈な病床で。

ミリタリーファンとしては、歩兵戦術の勉強(?)になるところも多く、ま、面白いといえば面白かったけど。
結局のところ、それ以上でもそれ以下でもなかったかな。

バストーニュで101空挺師団が包囲され、苦戦を強いられる。
弾薬、食料、冬服、医薬品などが欠乏し、防戦は難渋を極める。
という回があったけど...
そんなもんで辛いだのなんだの言うてどないするねん!!この馬鹿チンがぁ!!
わが皇軍兵士の惨状に比べたら天国みたいやがな。
と、主役E中隊の連中が甘ったれの鼻垂れ小僧に見えてしまった。

そんなことはともかく、ふと人種的な構成に気が付いた。
ヒスパニック系、ユダヤ系などはちゃんと出てくるのだけど、黒人が見当たらない。
スピルバーグらしくないな、と思いつつも、各種戦場写真に黒人の姿を見かけたことがないことにも思い当たった。

ネットで調べてみると、黒人兵士は前線に投入されず、後方任務についていたらしい。
どうりで戦場写真で見かけないわけだ。
意図的に従軍カメラマンが写さなかったということもあるかもしれないが。
とくに黒人兵士の活躍で有名なのは補給輸送部隊“レッド・ボール・エクスプレス”とのこと。
ならば、タミヤが発売しているGMC CCKW353トラックの“レッドボール急行”
ドライバーには、黒人兵士フィギア入れて欲しかったなぁ。

“バンド・オブ・ブラザース”の公式サイトを見ると、ちょろっとそのドライバー役で黒人兵士が出ていたらしい。
気が付かんかった。

近未来、なぞの原因で生殖機能を失い十数年がたつ人類。
数少ないティーンエイジャーの死が、世界中のトップニュースとして駆け巡る。
世界は荒廃の極みに達していた。
そんな中、唯一まともな国として残っているのが舞台となるイギリス。
しかし、そのイギリスもテロが日常茶飯事として横行し、流入する難民の処遇をめぐって治安は極度に悪化していた。

元活動家のセオ。
その彼に、現役活動家の元妻から一人の女性を託された。
なんと託された女性は妊娠していた。
彼女を国外に脱出させ、大西洋の島にあるという共同体へ送り出して欲しいと。

観終わって振り返ってみれば単純な話だった。
けれども圧倒的にリアルな演出が、観ているときは単純さを感じさせない。
現実離れしない程度で、荒廃した社会が丹念に描きこまれている。
特に圧巻は終盤の市街戦。
隔離された難民街でゲリラとイギリス正規軍が衝突する。

各種兵器の音や炸裂。
銃弾に倒れる兵士や難民の倒れ方。
どれをとってもリアルだ。
難民街を逃げ回るセオを狙った流れ弾が近くの難民に当たったとき、なんとカメラのレンズに血しぶきが付いた。
それでもカメラはそのまま長回しを続け、逃げ回るセオを追う。
その様はまるで従軍カメラマンのようだ。

大勢の非戦闘員が巻き添えとなり、パレスチナ自治区やレバノンの戦闘とはまさにこうなのだろう、と暗澹たる気分にさせられる。
また、都市迷彩を施した戦車やAPCも不気味にリアルだ。

その荒廃しきった世界に誕生した小さな命を、難民たち兵士たちゲリラは神々しいもののように見つめる。

たった一つだから聖なるものとして受け止める劇中の人々。
けれども、今現在世界中にひしめき合う数十億の命一つ一つが尊く神聖なものなのだ、と映画は逆説的に主張する。

追記:
途中で、キング・クリムゾンの名曲『クリムゾン・キングの宮殿』のイントロが流れます。
また、文化庁の庁舎は多分ピンク・フロイド『アニマルズ』のジャケの建物です。
ご丁寧にブタのバルーンまで浮かんでます。
監督のお遊び?


10年ほど前、食事しながら夕方のニュースを見ていたら、セルゲイ・パラジャーノフなる映画監督の上映会を紹介していた。
いきなりその映像に目が釘付けとなった。
なんじゃこの映画手法は!!と。




グルジア出身アルメニア人で旧ソ時代の映画監督(1924年〜1990年)。
共産党の弾圧もあり、生涯に4本の長編映画しか残していない。

ストーリーなんてものはあってないようなもの。
登場人物はカメラ目線が多く、観る者の感情移入を妨げる。
彼の作品は観るものではなく眺めるものなのだ。



とにかくすべてのカットが絵画的。
風景や人物を絵画的に撮るっていうんじゃなく、セットや人物、衣装、大道具小道具を絵画的に配置している。
その配置や色彩の組み合わせは、まさに絵画の構図そのもの。
音楽も中央アジアっぽいノリですばらしい。
これは映画でもあり絵画でもあり詩でもあるのだ。




そんなもんだから、最初から最後まで眺めるなんていうことにこだわらず、眺めたいときに眺めたいところだけを眺めるという楽しみ方ができる。

ワタクシ、映画は好きだけども、DVDとかで手元においておきたい人じゃない。
けれどもこのパラジャーノフの映画だけは手元においておきたい。
4本中3本持っていて、あと一作の「火の馬」も欲しい。
お勧めは「ざくろの色」「アシク・ケリブ」。
「スラム砦の伝説」はイマイチでした。

youtubeにあった動画です。音楽はオリジナルではありません↓





俺屋

伝統ある名門医大の解剖学セミナーに合格したパウラ。
現地に向かう列車の中で難病を抱えた少年と知り合う。
だがその数日後、彼女はセミナーの解剖台の上で死体となった彼に再会する。

動揺しながらも彼の死体を解剖するうち、死因がその難病ではないことに気付く。
周りのものに冷笑されながらも、彼の死因に迫ろうとする彼女に何者かが警告を発し始めた。
名門医大に潜む闇組織が彼女を狙う。

解剖という気色悪さをサスペンスに盛り込み、現地ドイツではヒットしたらしい映画。
中国映画『黒い太陽』を観てしまったような猛者には物足りないだろうが、結構痛そうでウウッとくるものはある。
しかし、物語2/3あたりで犯人が明らかになるのはチョット早すぎる気がせんでもない。
もうちょっと引っ張って、最後に“ああ〜”となるほうがインパクトあったんじゃなかろうか。

主演女優の不細工さとあいまって、少々惜しい作品になってしまっている。

標本に『人体の不思議展』などでお馴染みのものが出てきます。
プラスティネーションっていう手法らしい。
ウィキによると、“この死体が中国で大量に執行されている死刑の産物である疑惑が持ち上がっている”とのこと。
さすが前述『黒い太陽』でモノホンの死体を使っただけのことはある。

プラスティネーション、オフィシャルサイトもどぞ。

食わず嫌いしていた米ドラマ『24』。
すっかりハマッてしまって、年末から立て続けに見始めシーズンVまで計120話、一気に観た。疲

主役のジャック・バウアー(キーファー・サザーランド)と敵の力関係がコロコロ逆転するところが魅力だね。
味方が敵に、敵が味方に、妥協して敵を味方に、そんなスリリングさもたまらん。
ジャックやその上司、果ては大統領が毎回究極の選択を迫られるのも見所。

豪快なアクションシーンてんこ盛りで金のかかった作品をTVドラマでやってしまう米エンターテイメント界のパワーには、あらためて感服。
日本の刑事物だと、ぶっ壊れる車はたいていポンコツだし、カーアクションシーンは一般車両がまだ入れないような埋立地の道路とかだし。
このドラマではバリバリの新車やヘリまでがボカスカ壊される。
それも街中で。

とまぁそんなことはフツーの感想なんだとろうけど、もうひとつ僕を惹きつけてやまないものがある。
それは主人公の一人、クロエちゃん。
不細工な上にいつもしかめっ面で無神経な言動。
でも本当は性格のいい子で、頼まれると(特にジャックから)嫌と言えない性格。
そしてCTU(テロ対策ユニット)きってのPC通で、いまやユニットには不可欠な人材。

シーズンIIIからの登場だったと思うが、アメリカで放映中のシーズンVIでも登場している。
でも、元亭主が職場に戻ってきたせいか、妙に髪型や服装に気を使ってるのが不満。
やっぱりクロエは野暮ったくなきゃぁ。
でもこの女優さん、キャラクターつくりがうまいなぁ。
マジこういう人なんだろうと思わされてしまう。

ということでシーズンVIの予測。
軽〜いキャラのクロエの元亭主が敵に買収され裏切る。
ブサ女性好きのジャック(テリー、ニーナ、家主熟女、オードリーと全部不細工)がクロエをほっとくはずがない。
当然の帰結として、二人は結ばれる。

クロエ

春、キャノピー磨きの際誤ってキャノピーパーツを割ってしまったアリイ(旧オオタキ)のP−47(1/48)。
引越しの荷造りの際処分してしまったのだけど、どうにも惜しい商品だ。
タミヤ、ハセガワのそれに比べるとキビシイものがあるのだけど、定価840円(?)という猛烈な安さ、そして当時は決定版といわれたスタイルを考えるとまだまだ存在価値を感じる。
けど、キャノピーパーツの痛み具合が残念。
機体パーツのそこここに見受けられる傷は、まぁどうにかなる。
でも透明部品の傷を修復するのはハードルが高い。
透明部品にペーパーかけるのは勇気がいる。
当然僕も苦手としている。

それでも模型店に行くたび気になるのがアリイP−47。
もう一度キャノピー磨きに挑戦すっかなぁ。
と結局、再度買ってしまった。
2割引で672円。
安っす〜!

改めて見るキャノピー。
傷というより、くすみに近い。
そもそもパーツの材質自体がくすんでたりして...と不安がよぎる。
意を決して、400番のペーパーを両面にかけ始めた。
真っ白になっていくキャノピー。
大丈夫か?俺。

ペーパーの番を上げ、コンパウンド磨きへ。
こんな単調な作業は、映画など見ながらするのがよろしいと気がついた。
ちゅうことで最近ハマッてる『プリズン・ブレイク』を観ながらキュキュキュ、キョキュキュ。
一話観終わってもう一話。
それでもキュキュキュ、キュキュキュ。
コンパウンドが終わったらパジャマのすそで、さらにもう一話観ながらキュキュキュ、キュキュキュ。

おかげでどうにか見れるキャノピーになりました。
でもよく見ると、透明プラの中に二か所微小な異物が混入してるんだな、これがまた。
アリイ(マイクロエース)社に品質管理などという意識はないのか...
まぁ気にせんときまひょ。

この単調な作業をしながら思ったのが水晶ドクロ
オーパーツとして有名な逸品。
製作目的はもちろんその製法も不明。
当時の道具で作ったとしたら100年かかるとも言われている。

前にも書いたけど、キャノピー磨きながら改めて思った。
100年かけて磨いたんだよ、きっと。
3,4世代が引き継いで。
今の感覚で考えちゃダメだね。
趣味や道楽や商売で作ったんじゃなく、きっと宗教的な目的だったろうから、それぐらいの年数かけてでも作る意義があったに違いない。

ひょっとすると磨くことに意義があったりして。
形になれ、形になれ。
形になったら、今度はきれいになれ。
きれいになれ、きれいになれ。
そう祈りをこめて磨くことに意義があったんじゃないか?

磨くことは祈ることかもしれない。
キャノピー磨きも祈りなのだ。
アリイのP−47よ、まだまだ死ぬな、まだまだ死ぬな、みたいな。


テッド・バンディなる連続レイプ殺人犯の名は『FBI心理分析官』ロバート・K. レスラー (著)で知っていたので、タイトルだけで観たくなった。
ストーリーは単純だ。
自身の生い立ちや学歴にコンプレックスをもつテッド・バンディが、レイプ、死姦の味を覚え、次々に殺人を犯した挙句、逮捕され死刑になるというものだ。

テッド・バンディに何の感情移入もせず淡々と彼を描く手法は、ある意味ドキュメンタリー的でもある。
その最たるものが処刑前後の描写だろう。
弁護も批判も哀れみもないその描写は、紛れもない現実だ。
殺人という罪を、処刑によってしかあがわなせることができない人間社会の限界と矛盾を、最後に映画はクールに突きつける。

久々に嫌な映画を観た。

これが僕なりの賞賛の言葉だ。

テッド・バンディ 全米史上最高の殺人者
テッド・バンディ 全米史上最高の殺人者

こういう映画が好きなんだなぁ。
日常性の中に割り込んでくる非日常性のうすら寒さ。
精神科医サムの日常。
その日常が、長期休暇した同僚の患者ヘンリーを診察したことから徐々に崩れだす。
過去、未来、現在が、そして虚構と現実とが次第に境界を失い入り乱れだす。
一体なんなんだぁ、と観客を不安にさせ、ラストのどんでん返し。

なかなかいいタッチの作品ではあるのだけど、手法はモロ『ジェイコブス・ラダー』だなぁ...

あまり書くと観る楽しみを奪うのでこれ以上は書けない。
でも、なんで精神科医サムが主人公なんだろう。
それがちょっと釈然とせん。
『ジェイコブス・ラダー』を観てるだけにそう思うのかな?

ちょっと絵的にいい感じなので、何度か観直すかも。

こんな酷い映画観たのは初めてかも。
1992年のニュージーランド製コメディー・ホラー『ブレインデッド』。
理屈なんかどうでもいいゾンビもの。
とにかくグロい。
グロけりゃいいのか!ってぐらいにグロい。
後半の小一時間、血しぶき肉片が飛び散る残酷シーンのみ!
特殊メイクや特殊効果、よく出来てると思えるところもあれば、滅茶苦茶チープなところもある不思議な作品。
グロいのもこれだけ長時間続くと麻痺しますな。

ゾンビ同士が交尾し、すぐに子供出来ちゃうところが斬新か!?
そのガキがまたチャッキーみたいに憎ったらしく、悪さばかりします。
人形バリバリの出来ながらエエ味出してます。
惜しむらくはヒロインがブサイクなこと。
もっと美人おらんかったんかい!

レンタルやセルがあれば紹介しようと思ったのだけど、廃盤のようですね。
そんな希少な逸品がamazonに出品されとりました。↓
10万円ってアホかコイツは!!
この猛烈に強気な値段設定の根拠が知りたい...

どうしても欲しいなら、うちのバナー経由で買ってね。
バックマージン入るから。
10万円のマージンっていくらだぁ?

デビット・リンチ監督の、と紹介しかけてふと思った。
主演じゃなく監督の名をもって紹介される人は案外たくさんいる(主演が無名のせいもあるが)。
ヒッチコック、ヴィスコンティ、フェリーニ、ゴダール、タルコフスキー、コッポラ、キューブリック、ジョン・ウェイン、黒澤明、小津安二郎、村西透などなど考えてみると昔の人に多いのだけど、デビット・リンチ、タランティーノ、北野武などは、そういう意味では昨今稀有な存在なのかもしれない(スミマセン、映画ファンでもないのにわかったようなこと言って)。

でもそのなかでデビット・リンチ監督、いわゆる名作傑作撮ったかなぁ、というと微妙なところ。
そりゃぁエド・ウッドみたいな位置づけの人じゃないけど、消化不良、欲求不満を感じる作品が多いように思う。
一見娯楽作品なようで、観てみるとわけわかんない、ってのが多いね。
ま、娯楽作品撮っても『デューン/砂の惑星』みたいにズッコケ(死語...)ちゃうんだろうけど。

ちゅうことで、この『ロストハイウェイ』もやってくれてます。
次々現れる謎と疑問、それら全てがほったらかし。
主人公が途中で入れ替わって、そんでまた戻ってとか。
普通のサスペンス映画だと思って観た人は憤死間違いなし。
どうせそんな映画なんでしょ、と思って斜に構えて観たのでショックは少なかったですが。

それでも最後までボーッと観てしまったのは、妙な居心地の悪さ、不安感、不気味さ、映像美、音楽などの微妙なバランスだけは一貫してる作品だったからか?
考えてみると、“夢”ってこんな感じだよね。
ストーリーは急に変わるし、意味はないし、もどかしかったり。
この映画、きっと“夢”なんだわ、それも今わの際に観る夢。
そう思って観れば許せる作品。

万人向けじゃないけど、妙に気に入った。

内容は書くのが面倒(汗)なので↓をご参考ください。


Story
"Lynch is back!"デヴィッド・リンチ監督5年ぶりの衝撃作。めくるめく「リンチ・ワールド」を、DVDでまた再び!!リンチは『ロスト・ハイウェイ』で「ツイン・ピークス」的テイストをダメ押しし、「X-ファイル」的状況...(詳細こちら

1945年4月、ベルリン総統本部地下壕におけるヒトラーの最後をドキュメントタッチで描いた作品。
狂乱と正気、誇大妄想と自信喪失を繰り返す第三帝国総統の末路を、この俳優さん、見事に演じている。

戦争映画の範疇に入るのかもしれないが、ほぼ全編のバックに響く砲声のわりに戦闘シーンは少ない。
地下壕での哀れなドタバタ劇がメインなので、戦争映画とするならば極めて地味な作品だ。
だが生存者の証言をもとに正確を期して製作されたとするならば、非常に興味深い作品だ。
地下壕という密室描いたそれは、戦史ファンのミッシングピースを埋めるに値する。

だが同時に、当時の状況を知らない人にとってはなんのこっちゃさっぱりわからん映画だろう。
ドイツ人をはじめとするヨーロッパ人にとっては、一般常識として当時の状況や人物に対する基礎知識があるので映画の世界に入り込めるだろうが、一般の日本人には無理だろう。
1945年4月、東西の戦線はどうなっていたのか、ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリング、エヴァ・ブラウン、このあたりの人物を知らないと話しにならない。
だがそれだけに、知る者にとっては非常に興味深い作品たらしめているのだ。

それでも、『ちょっと』と思ったのは、ラスト、実在人物だった主人公自身が生前に語った懺悔のようなインタビュー。
本人はヒトラーの書記だったのだが、ナチに加担したとはいえ善意の第三者だったと思う。
その彼女が大戦やユダヤ人虐殺を自身の罪のように懺悔する。
彼女の本心とはいえ作品としては蛇足の印象は否めない。
ドイツ国民の多くが先の大戦、ユダヤ人虐殺を深く反省していることは、世界中のだれもが知っている。
エッセイスト、作家、浪費家の中村うさぎ氏はその著書の中で太宰治『人間失格』のラストを自己憫憐にみちた余計な文章で、作品をぶち壊している、と批判していたが、同様の批判がこの映画にも当てはまるだろう。

やたら砲声、破裂音が鳴り響いていたわりにソ連軍兵士の姿がほとんど出てこなかったのもちょっと。
戦闘シーンがもっと見たかったというのもあるが、ベルリン市民恐慌の原因が戦火だけでなくソ連軍兵士による蛮行にもあったことを描いて欲しかったのだ。
エスカレートした復讐心と戦時の異常な状況がソ連軍兵士を略奪、レイプ、虐殺へと駆り立てた。
だから東部のドイツ市民は西へ西へと逃れていったのだ。
いや、市民だけではない。
前線部隊もシベリア送りを恐れて西側連合軍のいる西へと逃げていったのだ。
ヒトラー亡き後、ドイツ軍司令部はソ連軍に対し出来るだけの抗戦を試み部隊の西側連合軍への投降を促する作戦に出たほどだ。

こまかいことをいくつか。
まず、ゲッペルスの人となりを意外に感じた。
もっとずる賢い性格なのかと思ったが、愚直なまでのファシストとして描かれていた。
国民を洗脳すると同時に、自身も洗脳したのか。
エヴァ・ブラウンとの結婚は、簡素ながらも式を挙げたものと今まで思い込んでいた。
それと女性パイロット、ハンナ・ライチェ。
戦火の真っ只中、ヒトラーに呼び出された将校を乗せベルリンに軽飛行機シュトルヒで強行着陸という離れ業を演じたのは有名なエピソード。
ハリウッド映画並みのアクションシーンを挿入して欲しかった。
地下壕で、よくやった、と褒めてもらうシーンだけだったのは残念。

それと、もうちょっと兵器を出して欲しかったね。
ドイツ軍88ミリ対空砲に見立てたソ連製85ミリ対空砲と張りぼてのタイガーIだけじゃぁね。
兵装と小火器はなかなか良かった。
末期らしいまちまちでヨレヨレな軍服と大好きなMP44が見れたのはうれしい。

ということで、戦史を少々知ってる人にはお勧め、知らない人はスルー、そう評しておこう。




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『蝋人形の館』

昔のホラー映画っぽいタイトルなのだけど新作。
バスケの試合を観に遠くの街まで行く途中大渋滞に巻き込まれ、キャンプを余儀なくされてしまった若者達が体験する恐怖の物語。
キャンプ!!そうですアメリカン・ホラーの王道です!!
んで次の日出発しようとした二台の内の一台が故障。
これもアメリカン・ホラーにありがちですねぇ。
グループのうちのカップル一組が、怪しいオッサンに教えてもらった近くの街へ部品を買いにいく。
やっとたどり着いた街、そこには不気味な蝋人形館があった。

ヒットすることなどはなから頭にないようなホラー。
お盆になるとTVで心霊ものをやったりする(最近はそうでもないか)ように、なんか毎年こういう映画を作らないかんのでしょうか。
実はこの街...というオチにはちょっとだけ新鮮味感じました。

『ボーンズ』

ラッパー、スヌープドッグが幽霊役やってます。
終わり。

と終わってしまうのもなんですので少々補足。
黒人スラム街にポツンと建ってるゴシックな建物。
黒人実業家のボンボンはそれに目をつけ、クラブに改装しオープンさせるのだが...
と言うお話。

小規模ながら、建物の雰囲気はアメリカン・ホラーの王道を行く建築様式。
それがスラム街にあるってとこが目新しいと言えば目新しいか。
だいたい森の奥にあって嵐の夜に若い衆が駆け込むものと相場が決まってるんだけど。

黒人ギャングの幽霊ってのも目新しいですね。
でも幽霊になったスヌープドッグよりも生きてるときの彼のほうが、そして彼にやられる黒人ギャングのほうが怖いと感じるのは、なんじゃかんじゃ言いながらも安全な日本で暮らしてるせいでしょうか。
お暇な方はどうぞ。



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ジョージ・ロメロ監督の最新ゾンビ映画。
ゾンビものは同監督の元祖以来、大体パターンが決まってるのでまったく期待せずに観たのだが、今回のこれ、ちょっとひねりもあり、なかなか楽しめた。
もちろんライフルで脳ミソが吹き飛ばされます。
首が飛ぶ、腕はもげる、はらわたは引きずり出される、鮮血がほとばしる。
そんなグロさも、最新技術を駆使してリアルさを増し、残酷映画(もちろん作り物の)ファンには溜まらんです。

徘徊するゾンビにすっかり被いつくされたアメリカ。
そのなかに唯一存在する人間の住む街が舞台。
なにやら西部開拓時代の砦をほうふつさせます。
人間達はときどきゾンビたちのいる街跡に部隊を繰り出し、店に残る食料品、日用必需品、薬などを調達してしのいでいる。
そんな街を支配する秩序は“法”ではなく権力者の“力”だけなのである。

あるとき、アホなゾンビたちの中にちょっとお頭のマシなゾンビが現れたから大変。
ヤツはあたりのゾンビを従え街を襲い始めた。
一方、街でも事件が起こる。
権力者の汚れ仕事をさせられていた男が反旗を翻した。
二つの事件が同時に起こり、ゾンビたちが街中に殺到してしまう事態へと発展する。
これまでのゾンビ映画と違って、ちょっとひねってまっしゃろ?

一応、異質なモノたちとどう接するのか、という問題提起的ラストに仕上げてはいるがそんなことはどうでもよろしい。
どうせ子供やまともな人に観せられるような映画じゃないんだから。

ゾンビの脳ミソ吹き飛ばしシーンで、思い切り日ごろのストレスを発散させてください。

ランド・オブ・ザ・デッド ディレクターズ・カット

久しぶりによく出来たサイコサスペンスを観た。
ものすご〜く嫌〜な気分にはなったが。

一年間に及ぶ不眠症がたたって骨と皮にまでやせこけた機械工、レズニック。
汗と油の入り混じった臭いがする機械工場、それが彼の職場だ。
彼が時々つぶやく気の利いたジョークが、健康だった頃の人柄をかろうじてしのばせる。
レズニックを初め、職場仲間、常連の娼婦、行きつけのカフェの女性。
登場人物すべてに、大なり小なりの疲労感が漂っている。

不眠と食欲不振による健康の悪化。
その影響がレズニックの意識をも蝕んでいく。
途切れ途切れになってきたかつての記憶。
何かの拍子にデジャヴュのようにフラッシュバックしては消えてゆく。
さらには、現実に妄想が割り込んでくる。

段々と行き場を失うとともに、徐々に壊れだすレズニック。
完全に壊れるかと思われたそのとき、彼は無意識のうちに拒んでいた“ある記憶”を受け入れた。
それは厳しい現実と罪だった。
だがそれらが彼をやさしく包み、安眠へと導いたのは皮肉な結果である。

この主演男優さん、この映画のため4ヶ月で30キロも減量したとのこと。
健康だった頃のシーンも出てくるので、撮影期間中に減量したことになる。
これぞ役者魂。
ロン毛やデブに特攻隊を演じさせる日本映画では考えられない。

いきなり激ヤセの不気味なオッサンが主人公だったので、最初は少々観るのをためらったが、すぐに映画の世界に引き込まれた。
ちょっとした小物を不気味に見せるテクニックも素晴らしい。

少々先が読めるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
日常的ながら非日常を感じさせる不気味な映像、主演男優の鬼気迫る演技。
コアなサイコサスペンスをお探しの貴兄に、謹んでご紹介させていただきます。




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『バットマン ビギンズ』のクリスチャン・ベールが30キロに及ぶ減量をし、1年間眠っていない男を演じたサスペンススリラー。平凡な機械工のトレバーは、原因不明の不眠症で365日眠れずにいた。そんなある日、自宅の...(詳細こちら

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