何処まで邪義を広め御開扉を商売にするつもりか

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摧破異流義考の(P.33)に、悪坊主らの云く「日寛上人以降の御歴代におかれても、六巻抄の理論体系を基として、戒壇についての御教示を展開あそばされた故に、あたかも、広布事相上の戒壇を基本の事の戒壇として、それ以前は、戒壇大御本尊所住の処を義の戒壇とするやの表現が拝せられる」などとし、つづけて「しかしながら、これは、戒壇に関する法義の全てを、未だ明らかにすべき時至らざる間の、時代に応じた御教示たることをしらねばならない」等との記述が見られるが、これが、いわゆる素人騙しの実に巧みな邪義なのである。

確かに日寛上人以前は、「戒壇に関する法義の全てを、未だ明らかにすべき時至らざる間の、時代に応じた御教示」である事は当然であろう。しかしながら、第二十六世の日寛上人が、法華取要抄文段と文底秘沈抄の中で「義の戒壇」「事の戒壇」の意義を定義せられて以来、第六十五世の日淳上人に至るまでの法塔連綿を見るとき、一糸乱れず異口同音に、「義の戒壇」と「事の戒壇」の定義を踏み外して、悪坊主日達が吹聴するよな、「事の戒壇の二重の意義」なるでたらめな己義・邪説を構えて、正系門家の法義を破壊した貫首は、悪坊主日達をおいて一人として存在しなかったのである。悪坊主日達の邪義明らかではないか。

正系門家の法義として「事の戒壇」「義の戒壇」のたて分けは、真に重大な法門なので、此処で改めて日寛上人の定められた富士の流儀を拝見することにする。

日寛上人の文低秘沈抄には「夫れ本門戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に、「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義」と釈するが如し云々。正しく事の戒壇とは一閻浮堤の人懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず梵天・帝釈も来下して踏みたもうべ戒壇なり」として、三大秘法抄の文を引いて説明に代えておられる。

また、法華取要抄文段には「本門の戒壇に事あり、理あり、理は謂く、義理なり、これ即ち事中の事・理にして迹門の理戒に同じからず、その名に迷うこと勿れ、故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と念記せられているのである。ここで日寛上人は「事中の理」すなわち、広宣流布以前の戒壇の大御本尊の在所を「義」の戒壇と定義せられ、悪坊主日達が云うような、戒壇に「事」の二重の意義があるなどとは片鱗も仰せられてはいないばかりか、「故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と強調せられ、これ以外の解釈や表現を排除しておられる。

次に「事中の事」とは、広宣流布の暁に天皇陛下の詔勅を賜り、国家意思の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇の事なのである。その故に日寛上人は、三大秘法抄を引かれて「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて云々」と仰せられる。この戒壇こそが、広宣流布の暁に事相に建てられる「事の戒壇」。これが日寛上人御教示の本門戒壇に関する「事中の事・理」の法門の捌きなのである。

ところが、摧破異流義考の(P.33〜34)が展開する邪義によると、「戒壇の本義については、今日、浅井昭衛の盲説出来を待って、第六十六世日達上人が、甚深の御相承の法義を拝されつつ、初めて体系的に事の戒壇の二重の意義を体系的に明示あそばされたのである」などと、とんでもない邪義を展開し、正系門家七百年の伝統教義を滅茶苦茶に破壊してしまったのである。

悪坊主日達が破壊した事の戒壇の二重の意義なるものを具体的に示すことにする。即ち、日達以後の坊主等の三大秘法の開合の相は変則的な六大秘法となっているのだ。本門の本尊は「人」と「法」。本門の題目は「信」と「行」。次に本門の戒壇は「事」と「事」ということなのだそうだ。こうなれば「義」の戒壇は存在しなくなるのである。その邪義を追求されると、歴代書写の御本尊を他所から持ち出してきて、是れを「義の戒壇」と言い出したのである。これでは、変則的な六大秘法となってしまい、七大秘法となってしまう。これ明らかな邪義ではないか。そもそも三大秘法開合の相という法門は、一大秘法の本門の本尊を開いた時に「三秘総在の本尊」となるのであれば、他所から全然別の本尊を持ち出してきて、開合の相を論ずること事態ナンセンスというものだ。

つづけて「浅井らは、ともかく、御歴代のどなたが仰せである、ゆえに宗門古来からの定義である等と強弁するのみで、法門の道理よりも、単なる「言った、言わない」論に終始しているが、実に低次元極まりない、文字どおりの浅い教学ではないか。そもそも広布の暁に建立されるという戒壇の建物と、大聖人出世の本懐たる大本尊の当体及び所住と、いずれを事の戒の根本として法義を展開すべきか、寛尊の「一大秘法」「三秘総在」との御教示を拝すれば、筋道は明白である」としているのであるが、寛尊の示された一大秘法、三秘総在の御教示は、先に示した如く、本門の戒壇には「義」と「事」に分けられた懇切丁寧な御教示を深く味わうべきである。

更に坊主等の邪義は止めどなく続く「日達上人が御相承の法門の上から、戒壇に事・義を立て分けられ、さらに根源の事の戒壇とを広布の事相における事の戒壇とを説き示された御指南は、日寛上人の御教示の奥に拝せられる御真意と、いささかも異なるものであはないのである」などと、驚くべき己義・邪説を展開しているのであるが、そうして悪坊主日達の己義・邪説と日寛上人の定義された法門に天地ほどの相違を「いささかも異なるものではない」などと強弁を張ることができるのか。この明らかな相違を認めようとしない坊主等の罪は誠に深いと指摘しておく。

折角の機会であるため、拙者が悪坊主等の展開する幼稚な邪義を完膚なきまでに粉砕してお目に掛けることにしましょう。日寛上人は、文低秘沈抄の御文の中で、天台の文句第十を引かれ「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義」と釈するが如し云々と御教示のように、広宣流布以前の戒壇の大御本尊の所住の処は、塔の中にお住まいの秘仏のお姿をお示しなのである。それを坊主等の商売のために大衆の面前に晒すことは、明らかな大聖人の御心に違背する違法行為である。

現在のような坊主等の金儲けの為に信心の薄い大衆が無差別に動員され、戒壇の大御本尊様の御宝前に、先を争ってなだれ込むような軽佻浮薄の御開扉は間違いであり、大謗法に当たるのである。いくら内拝と雖も度が過ぎるというものだ。坊主の中には、欠伸をしながら度重なる御開扉に付き合わされているというような、驕慢の態度が見受けられる不埒な者も散見される有様だ。

法華経寿量品第十六には「若見如来・常在不滅・便起憍恣・而懐厭怠・不能生於・難遭之想・恭敬之心」等とあるが、此の文を解釈するならば、若し仏さまは常におわして滅することもなければ、たちまち憍恣を起こして、厭だな、しかも鬱陶しいと思う心に支配され、仏様に対して恭敬の心を持つ事すら忘れてしまう。とういうことになるのである。これが現今の宗門の御開扉の実相なのである。正本堂を解体を契機に戒壇の大御本尊は、御宝蔵にの奥深くに御遷座申し上げるべきだったのである。この精神を文句の第十に、「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義」と釈するが如しと仰せられたのである。商売に目が眩んだ悪坊主日顕は、罰当たりも極に達したというべきであろう。

北面武士さんの仰せられる富士大石寺の行儀を述べられた件に「江戸期の御内拝への正式な請願文である内拝請願文(寂日坊所蔵)の中にも「御慈悲ヲ以て事戒壇タル奥御宝蔵ニテ、戒壇之御本尊ヘノ御内拝ヲ願イ奉ル」となっており、檀家の代表が本門戒壇の大御本尊様に内拝申し上げる時には、峻厳な自覚と緊張をともなった良き事例を述べておられるが、是れが正系門家の七百年の伝統だった事を考えれば、現今の御開扉の精神とはまた隔世の感があることが解る。



出鱈目な教義解釈が無気力の元凶だ

北面の武士さま、お待たせしました。今日は少々時間が取れましたので、お浚いのつもりで掻い摘んで申し上ることにしましょう。貴方の御主張にはこのようにあります。

[『我ら檀家の間では古来「事の戒壇」と言えば「戒壇の御本尊様所住のところ」を呼んでおりました。』と言う伝統的な事実を申し上げたのであり、これは教義解釈ですらありません。ですから貴殿の言われる「明かな教義解釈云々」は日本語としてな回答になっておりません]等とあります。

これは明らかな矛盾ですね。伝統的な教義解釈が常態化していたからこそ、「戒壇の御本尊様所住のところ事の戒壇」と呼んでいたのではありませんか? 

続けて「それに、代々の檀家は御歴代との正式目通りも多く、その席上でも御歴代から「事の戒壇」と言う呼び名への叱責をされた事は聞き及んだことはありません。また江戸期の御内拝への正式な請願文である内拝請願文(寂日坊所蔵)の中にも「御慈悲ヲ以て事戒壇タル奥御宝蔵ニテ、戒壇之御本尊ヘノ御内拝ヲ願イ奉ル」となっており、檀家の見識とも一致しております」云々とありますね。

確かに貴方の仰せのように、戒壇の御本尊の在所は「事の戒壇」には間違いありません。それは、法華経迹門の「理の戒壇」と相対すれば、今更云うまでもないことですね。

しかしながら、『戒壇の御本尊の在所は何時でも、何処でも「事の戒壇」』 『広宣流布の暁に建てられる戒壇も「事
の戒壇ならば、早い話が広宣流布なんぞ、どうでも良い話になってしまうのである。何故ならば、「事の戒壇」は現に既に建っているのであれば、次に建てる「事の戒壇」なんぞは、遥か遠い将来に誰かが建てればそれで良いだけの話であって、慌てて急いで建てることもなければ、目標に据えて頑張る必要も無い。ただ時の流れに身を任せていればそれで済む話である。折伏もやりたい者がやればそれで良し。各々は、目前の即物的な欲望を充足する事のみに明け暮れて、太平楽を漕いで居れば、それで事は済むからである。そのような弊害を克服するために、日寛上人が敢えて「義の戒壇」と「事の戒壇」とに峻別されて定義づけられておられるのである。

日寛上人の文低秘沈抄には「夫れ本門戒壇に事有り、義有り。所謂義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義戒壇に当たる故なり。例せば文句の第十に、「仏其の中に住す。即ち是れ塔の義」と釈するが如し云々。正しく事の戒壇とは一閻浮堤の人懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず梵天・帝釈も来下して踏みたもうべ戒壇なり」として、三大秘法抄の文を引いて説明に代えておられる。

また、法華取要抄文段には「本門の戒壇に事あり、理あり、理は謂く、義理なり、これ即ち事中の事・理にして迹門の理戒に同じからず、その名に迷うこと勿れ、故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と念記せられているのである。ここで日寛上人は「事中の理」すなわち、広宣流布以前の戒壇の大御本尊の在所を「義」の戒壇と定義せられ、悪坊主日達が云うような、戒壇に「事」の二重の意義があるなどとは片鱗も仰せられてはいないばかりか、「故にまた義の戒壇と名づけんのみ」と強調せられ、これ以外の解釈や表現を排除しておられる。

次に「事中の事」とは、広宣流布の暁に天皇陛下の詔勅を賜り、国家意思の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇の事なのである。その故に日寛上人は、三大秘法抄を引かれて「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて云々」と仰せられる。これが日寛上人御教示の本門戒壇に関する「事中の事・理」の法門の捌きなのである。

翻って貴方が引用された、江戸期の御内拝への正式な請願文である内拝請願文(寂日坊所蔵)の文面の中に、「事の戒壇」の文が見られると雖も、広宣流布は遥か先の夢物語で語られていた時代であれば、慣習として御本尊の在所を「事の戒壇」と呼んでも何等弊害は無かったのであるから問題はない。

ところが、正本堂が建てられる機に乗じて日達管長が池田大作に諂って、正本堂は正しく「事の戒壇」であり、広宣流布は達成した」などと言い出した。そして、俄かに戒壇に「事」の二重の意義」が有るなどという教義を立てることは間違いであって、このような邪義が如何に弊害を生み出すかを考えなければならなかったのである。

現今の宗門の無気力と堕落は、「本門戒壇に「事」の二重の意義がある」と云う邪義から始まっているのである。そもそもの戒壇に事の二重の意義があるとする邪義が定着しているから、現今の宗門の姿が物語っているように、広宣流布に対する熱い情熱は坊主を始め在家の何処を探しても、まるで存在しないではないか。

今の法華講の無気力な体たらくは、山羊の群れも同然で目も当てられない有様ではないか。このような僧俗の無気力な元凶は、あの悪坊主日達の創唱した「戒壇に事の二重の意義」が存在するという邪義から発生しているのである。悪坊主日達の新説したこの邪義によって、宗門七百年の宿願たる本門戒壇、すなわち国立戒壇が永久放棄される事態となってしまった。職業坊主の横行や信徒の無気力の蔓延は、悪徳坊主等の堕落と教義歪曲によって齎され、広宣流布へ向けた大情熱の喪失は、無慚にも、袈裟の権威ではぐらかされた結果なのである。

話は変わるが、本門戒壇の大御本尊を個々人が信じて口唱することによって、宿命を転換し成仏を適えさせて頂けるのである。更に、国家・国土の成仏は、国家の積極的な意思を以って本門戒壇、即ち「事の戒壇」(国立戒壇)を建てることに依って、この時、はじめて日本の国家・国土の成仏が敵うのである。その時、戒壇の大御本尊の妙用によって、日本の国土そのものが防非止悪の当体となり、三災七難等の災厄から解放され、日本民族の興隆が現実のものとなり、日本民族の勃興がはじまるのである。

なんと素晴らしい希望に満ちた新しい夜明けではないか、これこそが新時代の到来であれば、血沸き肉躍る壮大な文明開化ではないか。広宣流布とは夢の実現であり、「事の戒壇」とは立正安国論の実践の果実であり、かくも気宇壮大な大事業なのである。それには、「事の戒壇」と「義の戒壇」との明確な立て分けが必須の条件なのである。


摧破異流義考の邪儀を嗤い正系門家の無謬性を憂う

摧破異流義考の(P.28)に、悪坊主らの云く、「およそ、広宣流布以前に事の戒壇がなかったり、広宣流布によって初めて、大聖人の三大秘法・六大秘法が成就するなどということは、よくよく考えれば、大聖人が宗旨を成就せられぬまま御入滅されたことになってしまうのであり、本仏日蓮大聖人の円満無欠の御化導において、かかることがありえよう筈はない」などと、また、本門戒壇については、「大御本尊まします事の戒壇、この戒壇は、何時いかなる所であろうとも事の戒壇、という根源の意である」として、「正本堂は正しく事の戒壇であり、大聖人の御遺命の広宣流布は達成した」等と、昭和47年当時、今から約40年も前に全宗門の一千名の全坊主等は、異口同音に広宣流布達成を吹聴し、狂気の乱舞に明け暮れていたのである。

その証拠を示す。初めに悪坊主日達の云く「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と。(大白蓮華 201号)

此処で改めて一期弘法抄と、三大秘法抄の御教示を静かに拝読してみる事にする。

一期弘法抄には「日蓮一期の弘法白連阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

次に三大秘法抄「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」云々とある。

ところが、正本堂の落成を直前にした昭和47年に発せられた悪坊主日達の「訓諭」には、「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり、すなわち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり、但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」とあるが、何とも訝しい矛盾だらけの内容である。

次に、日達から相承を受けたと自認する悪坊主の阿部日顕の云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、初めてその実現の大光明を顕さんとしている」と。(大日蓮 昭和42年10月号)

佐藤慈英・宗会議長。云く「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒法』のじつげんであり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼荼羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命された大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇となるので御座います」(同大日蓮)

大村寿顕・宗会議員。云く「この大御本尊安置の本門戒壇堂の建立をば、『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に御遺命されたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちりりと組み合わさって、此処に新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります。(同大日蓮)

椎名法英・宗会議員。「富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ」との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」(同大日蓮)

菅野慈雲・宗会議員。云く「正本堂建立は即ち事野戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」(同大日蓮)などと。

此処で改めて悪坊主日達のバカげた訓諭をお浚いしてみることにする。「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」とあるが、何処を探したら正本堂建設に際して、一期弘法抄でお示しの「国主」が存在していたのか。或いは、「三大秘法抄の意義を含む」とあるが、何時、王仏冥合の実現が成り、勅宣である天皇の詔勅を奉戴した事実が有ったのか。また、御教書たる国家意思の表明、即ち国会の議決が申し下された事実が存在したのか。この訓諭は端からでたらめであり、また、「現時における事の戒壇なり」とあるが、事の戒壇に「現時」も「来時」もあるものか。正本堂は最初からニセ戒壇であり、御遺命違背の魔の殿堂だったのである。

つづいて「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」とあるが、これでは事の戒壇を広宣流布もしない内に、前もって建てたということになり、大聖人の戒文に違背することになるではないか。大聖人は「時を待つべきのみ」と勘誡せられ、戒壇として建物だけを先に建てる事を固く禁じておられるのである。本門戒壇とは、広宣流布の暁に天皇陛下の勅宣を賜り、国家意思の表明を以て富士山天生原に建立される国立戒壇なのである。

つづけて「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」とあるが、此の訓諭を読んでいて空恐ろしくなってくる。「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず」とあるが、此の文を見ただけでも広宣流布は達成していないことを証明しているではないか。

大聖人は「権教権門の輩を一人もなく攻め落として法王の家人とせよ」と御教示であれば、何が「謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊は公開せず」なのだ。三大秘法抄には「三国並びに一閻浮堤の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」御示しの通り、広宣流布の時の本門寺の事の戒壇とは、全世界の人々の前に開かれた懺悔滅罪の戒法の道場となり、更には、大梵天王・帝釈等の諸天善神も来下して参詣する未曾有の事相の戒壇のことを仰せなのである。

元々正本堂はニセ戒壇であるが故に、大聖人は此のニセ戒壇の存続を許し給わず、建設から僅か26年にして轟音と共に崩れ去り跡形も無くなったのである。このようにしてニセ戒壇は無くなったが、坊主等の心の中は何等の反省も自己批判も無く、依然として現今の宗門は無謬性ばかりを強調し、派閥をつくり袈裟の権威で肩で風を切って信徒を睥睨している有様だ。そうして供養金を収奪する事だけを半ば強制し、本山の七堂伽藍ばかりをきらびやかにする事のみに明け暮れているのである。




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