2008年11月19日
死はアドバイザー
友人のお母様が亡くなられたことを
お聞きした。
友人は、かれこれ3年くらい、二人三脚で
お母様の闘病生活を支えてきた。
友人によると、お母様との最期の二ヶ月では
お母様から高潔さ、愛情を感じ改めて教えられたとの
ことである。
僕の父も、先日亡くなった同志もそうだったように
思う。
いわば、自分の死が目の前に迫ってくると
いつもよりもより一層淀みが無く澄んだエネルギーとなる
ような気がする。これをもしかすると本来の自分らしい
状況というのかもしれない。
いわば、死がその人の本質を呼び覚ますのかもしれない。
まさに余計なしがらみや周囲からの雑音に縛られず
自分の思うがままに居させてくれるのかもしれない。
であるから、僕は余計に思う。
死を待たずして、今この瞬間、もっといろいろな淀みを晴らし、
もっとニュートラルに、(これを本来の自分というのかどうかは
わからないが)生きていきたい。
お聞きした。
友人は、かれこれ3年くらい、二人三脚で
お母様の闘病生活を支えてきた。
友人によると、お母様との最期の二ヶ月では
お母様から高潔さ、愛情を感じ改めて教えられたとの
ことである。
僕の父も、先日亡くなった同志もそうだったように
思う。
いわば、自分の死が目の前に迫ってくると
いつもよりもより一層淀みが無く澄んだエネルギーとなる
ような気がする。これをもしかすると本来の自分らしい
状況というのかもしれない。
いわば、死がその人の本質を呼び覚ますのかもしれない。
まさに余計なしがらみや周囲からの雑音に縛られず
自分の思うがままに居させてくれるのかもしれない。
であるから、僕は余計に思う。
死を待たずして、今この瞬間、もっといろいろな淀みを晴らし、
もっとニュートラルに、(これを本来の自分というのかどうかは
わからないが)生きていきたい。
vinnie0816 at 07:54│Comments(2)│TrackBack(0)│
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この記事へのコメント
1. Posted by jun 2008年11月19日 22:35
死を考える時、”今をいきているか?”に
ぶち当たってしまいます。
精一杯 今を生きていれば
死を迎えるときも 満足できるのかというのも ちょっと自信がありませんが
そうする他ないんだと思います。
>いわば、死がその人の本質を呼び覚ますのかもしれない。
>まさに余計なしがらみや周囲からの雑音に縛られず
>自分の思うがままに居させてくれるのかもしれない。
この言葉に心打たれました
ありがとうございます。
ぶち当たってしまいます。
精一杯 今を生きていれば
死を迎えるときも 満足できるのかというのも ちょっと自信がありませんが
そうする他ないんだと思います。
>いわば、死がその人の本質を呼び覚ますのかもしれない。
>まさに余計なしがらみや周囲からの雑音に縛られず
>自分の思うがままに居させてくれるのかもしれない。
この言葉に心打たれました
ありがとうございます。
2. Posted by vinnie0816 2008年11月22日 03:21
junさん、いつもありがとう。
>
> 精一杯 今を生きていれば
> 死を迎えるときも 満足できるのかというのも ちょっと自信がありませんが
> そうする他ないんだと思います。
>
ほんとに、そうする他ないんだよな〜
と思いました。
「今、この瞬間、満足する時間を送っているか?」
正解はないし、絶対的な基準もなかなか見つかりにくいかもしれないけど
問い続けたいな〜と思っています
>
> 精一杯 今を生きていれば
> 死を迎えるときも 満足できるのかというのも ちょっと自信がありませんが
> そうする他ないんだと思います。
>
ほんとに、そうする他ないんだよな〜
と思いました。
「今、この瞬間、満足する時間を送っているか?」
正解はないし、絶対的な基準もなかなか見つかりにくいかもしれないけど
問い続けたいな〜と思っています