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大雨、すごかったですね💦

ステラでは庭のノウゼンカズラごと絡ませていた柵が倒れてしまいました😭。
また、更衣室が水浸しに😱なっていました!!
水の侵入経路が分からず、とりあえず応急処置をしましたが、まだこの後も雨が降る様子。

これ以上の被害が出ませんように。


最近はコロナ禍で外出が減り、同じような毎日を過ごす中、「感謝」についてよく考えます。   

日々どんなに仕事や家事を頑張っても、誰からも感謝されることも褒められることもないのが日常です。 
  
そこで自分の心を守るために、まず始めに考えるのは「諦める、期待を手放す」という心の状態を作る作業だと思うのですが、これもなかなかうまく行かない。

なんとも言えない虚しさと戦う毎日です。


思えば誰かに感謝されないと幸せになれないのでは、あまりにも不自由な生き方ではないか。
だからこそ相手ではなく、自分の心の問題として、ここをなんとか乗り越えたい!と強く願うわけです。


そもそも「感謝」とは何でしょう?

私は長らく自然に湧き上がってくる感情のことだと思っていました。
そう思っている人が大半なのではないでしょうか?
あなたが感謝して欲しいとは願っている相手はどうですか?

でも、そうであるなら日々の暮らしの中で感謝など、されることもすることも無くて当たり前です。
いちいち心の奥底から湧き上がるほど感情が揺れ動いていたら、毎日忙しくて疲れてしまいます。


だから人は日々接する人、特に近くにいる家族には、なんの感謝も感じないのでしょう。

いて当たり前、やってもらって当たり前。
毎日自分のことで忙しいし、何より待っていても心の底から何も湧き上がってこないのですから。


そうなんです。
私は相手の中に存在し得ないものを、ひたすらずっと待ち望み、求めていたことに気がつきました。


ならばもう期待に応える必要があるのでしょうか?


感謝してもらおう、認めてもらおうと頑張れば頑張るほど心は疲弊するだけです。

失って初めて気がつく人も多いとは思いますが、感謝とは感情ではなく、習慣化するべき思考です。


日々意識して、これは「有り難いこと」であると自分に言い聞かせる。
朝起きられて有り難い。今日もやる事がある、着る服がある、話をする相手がいる、蛇口をひねれば水が出る、その全てが有り難い事だと自分に気付かせる。

これを習慣化することで、期待を手放し、相手の存在そのものに感謝できるようになるのだと思います。

その事実に気付いている人だけが、周りから愛され、豊かな人生を送っていける。


感謝の思考を習慣化して、周りにいる大切な人に出来るだけ伝えてあげましょう。
側にいてくれる事に感謝していると。

まぁ、これはあくまでも失いたくない人がいるのであれば、の話ですが。
ご自分が大切な人は、どうぞそのままご自由に。


そして今、自分が感謝されないこと、肯定されないことに傷つき悩んでいる方は、そもそも無いものを追い求めている事に早く気づいて楽になって欲しいです。


自分が苦しい思いをしてまで人の期待に応えなくて良い。他人なんてガッカリさせていいんです。