2006年01月23日

スネオの夏 1

蝉の泣き声が春の終わりを雄弁に語り、夏の始まりを告げる。
全身にまとわりつくような暑さに、体中から汗が吹き出す。
不思議と、不快感はない。

今年もまた、夏がやってきた。
あと何年生きるかは分からないけど、僕はこの夏を、生涯忘れない。


話は少し前に溯る。
6月、梅雨前線はしぶとく列島に停滞し、連日の雨を僕らに運んだ。
グラウンドは雨で使い物にならず、だからジャイアンは昼休みの度に地団太を踏んだ。

そう、丁度このころからである。

スネオが学校に来なくなったのは。


初めて彼が休んだ日は、取り立てて何の感慨も抱かなかった。
長い一年の中で、一日くらい休む日もあるだろう、つまりはそのくらいの感覚だった。
しかし、彼の休む日は2日、3日…と伸びていった。体調不良にしては、ばかに長引いていた。

そして、スネオが学校に顔を見せなくなって、遂に一週間が経過した頃。
この時点で、僕は言い様もない不安を感じた。

そして、8日目。
僕は、押し寄せる不安に耐え兼ねて先生の所へ行った。
スネオの欠席、その真実を知るために。


「先生…」

「ん?おお野日か。どうした?勉強の質問か?」

「いや、そんなことじゃなくて…」

「そんなこと、とは随分だな。…まあ、よろしい。で、何だ?」

「あの、スネオのことなんですけど」

「……」

「スネオは、どうして休んでるんですか?」

「……」

「風邪にしてはばかに長いし」

「……骨川は、風邪だよ。長引いてるんだ」

「でも、先生…!」

「…おっと、職員会議の時間だ。さあ、野日も早く帰りなさい」

そう言って先生は、椅子からそそくさと腰を上げる。
とてもじゃないが、納得なんてできなかった。

のび「先生!本当にスネオは」

先生「早く帰れ、と言っておるんだ」

先生は反論を許さない口調で、ピシャリと言った。
僕は言葉の接ぎ穂を失い、しばしその場を動けなかった。

納得は、やはり、出来なかった。
確かに、ジャイアンほどではないけど、スネオも平均以上に活発で元気な男子だ。
風邪で一週間も寝込んでいる姿なんて、想像だに出来ない。

だから僕は、決意した。

(スネオに会って、直接確かめよう)

放課後、夕焼けに染まる空。
僕はスネオの家へ足早に向かった。

と、校門をくぐり抜けたその時である。

「のび太…」

不意に後ろから声を掛けられ、僕は少しく驚いた。
ゆっくりと振り向いて、声の主を確かめる。

大きな体のシルエット、野太い声、それは確かめるまでもなく、ジャイアンだった。

「先生んとこ行ってきたんだろ?スネオ、なんだって?」

矢継ぎ早に質問するジャイアン。
彼も心配なのだ。スネオのことが――スネオの現在が。

「風邪、だって」

躊躇ったが、僕は聞いたままを告げた。
全く信じていない、おそらく先生の嘘である−−その言葉を。

ジャイアンは、一瞬ぽかん、とした表情を浮かべたが、すぐに激昂した表情になった。

「……そんなわけないだろ!あいつが風邪で一週間も……おまえ、それですごすご帰ってきたのかよ!」

すごい剣幕で僕に詰め寄るジャイアン。
ぐいっ、と両肩を掴まれた。
強い、力だ。そして、悲しい力だ。

僕は何とか彼の腕を振り払い、負けじと強い調子で、言い返した。

「……僕だって!僕だってそんなの…信じるわけないだろ……」

「……わりぃ」

寒々とした空気が二人を包む。
ここで僕らがいさかっても、何の解決にもならないことくらいは分かっているのだ。

「行こうよ……」

「え?」

「スネオの、家にさ」

僕は彼の目をじっと見つめて、そう告げた。
ジャイアンは、そうだな、と息だけの声で、でもハッキリと、答えた。

西の空が赤く染まっている。
カラスが家路に着いている。
僕らは並んで、無言で、友の――スネオの家に、向かって、いる。

足取りが、重い。
真実を確かめたい、でも――知らないままの方が、いい?
矛盾する二つの気持ちが胸でぶつかる。

風邪だ、と思い込むのは楽だ。本当に風邪であれば、それが何よりだ。

しかし、それ以外の何か、分からないけど『何か』がスネオの身に降りかかっているのだとしたら……。

僕は何をして、何をしなければいいのだろうか。
どんな表情で、どんな言葉をかければいいのだろうか。

分からない。

それはジャイアンも、きっと。


スネオの家に着いた。豪華な彼の家は、近隣にその存在を誇示する様に建っている。

うらやましくない、と言えば嘘になる。
しかし僕は、この家を見ると、決まって悲しくなる。
思うのだ。この巨きな容れ物の中に、スネオの居場所はあるのかな?――なぜかそんなことを、漠然と思うのだ。


僕はチャイムを鳴らした。
家の中に人の気配はなかった。
だから、返事も返ってこなかった。

それでも二度、三度とチャイムを鳴らす。返事は、ない。

「…どけ!」

ジャイアンは僕を乱暴に押し退けると、力の限りドアを叩いた。

「おいスネオ!!いるんだろ!!学校休んでどうしたんだよ!!おいったら!!おい!!」

ジャイアンも、スネオがここにいないことくらい分かっている。
でも、それでも。体を動かさずにはいられないのだ。声を張り上げずにはいられないのだ。

「スネオ!!スネオ!!出て来いよ!!野球しようぜ!!ピッチャーやってもいいからよ!!なあ……野球、しようぜ……」

僕は、懸命に叫ぶ彼を見るともなしに見ながら、ふと、視界の端に何かを捕らえた。

「ジャイアン……」

「なんだよ…!」

振り返ったジャイアン。泣きそうな顔をしている。そして僕もたぶん。

「あれ…なんだろ…」

言って僕は、玄関の脇の方にあった張り紙を指差した。


『売家』


ジャイアンは張り紙を見ると、声もなく口をぱくぱくと動かしてから、がっくりとうなだれた。
夕焼けの赤に照らされて、僕らは、声もなく嗚咽した。



野良猫が気怠そうに僕の前を過ぎ去った。言い様のない脱力感に包まれる。ジャイアンは、とうに家に帰って行った。

様々な疑問が、浮かんでは消え、消えては浮かび、僕は思考の迷路に迷い込んだ。

スネオは一体どこに行ったのだろう。
何故家を売らなければならなかったのだろう。
そして何故――先生は嘘を言ったのだろう。

分からない。何も。

部屋に着いた僕はランドセルを放り投げると、机に肘を付いて虚空へと視線をやる。
窓の向こう、遠く、遥か何光年もの彼方に、一番星が仄かに光っているのを見つけた。
でも、僕の見つけたいものは――


眩しい。
南中した太陽が、容赦なく照り付ける。ここは――僕は、砂漠を走っていた。
ひどく暑く、体力は既に限界に近かった。それでも僕は走り続ける。なぜならそこに――視線の先にはスネオが、いるから。

「スネオ!」

叫んで僕は懸命に走る。
しかし、砂に足を取られて歩みは遅々として進まない。
不思議なことにスネオは一人、自然界から埒外の存在であるかのように砂漠をぐんぐんと進む。まるでバギーに乗っているかのように、恐ろしく速い。
僕らの距離は、絶望的に広がって行く。
ダメだ、待ってくれスネオ。

ふと、遥か遠くでスネオが立ち止まった。
地平線の彼方、決して視認できる距離ではない場所にいたスネオの顔はしかし、僕の瞳にハッキリと写った。

ぼろぼろと泣きながら笑う、彼の顔が。


「のび太君、起きなよ。ご飯だよ」

馴染んだ声が、優しく鼓膜を揺する。
いつの間にか寝ていたらしい。
喉がカラカラに渇いている。
僕は無言で立ち上がると、キッチンに行った。蛇口に直接口を付けてごくごくと喉を鳴らして水を飲み、ようやく人心地ついた。

後ろからパタパタとドラエもんがやって来る。

「どうしたののび太くん?なんだか様子が変だよ」

ドラエもんは心配そうな顔つきで僕の目を覗きこんで、そう尋ねた。ガラスに映った自分の顔を見る。泣きはらした目、眼球はひどく血走っていた。ひどい顔をしている。

ドラエもんの方に向き直り、彼ならあるいは、と考えた。彼ならば、スネオの行方を追えるかもしれない。そう考え、僕は彼にありのままを話す事にした。

「スネオがさ…いなくなっちゃったんだ」

「スネオくんが?!」

言下に大きな声で聞き返された。狼狽している。いつもは沈着な彼の心が、大きく波打ったように見えた。

「いなくなったって、一体どういうことなのさ」

のび「分からないんだ。10日前くらいから学校に来なくなって…先生は風邪だって言うんだけど…信じられなくて…それでジャイアンと一緒にスネオの家に行ったんだ」

ドラえもんは、僕の言葉を一つも漏らすまいと無言で聞いている。僕は次の言葉を探し、先刻の光景――売家の張り紙を思い出した。視界が霞む。嗚咽がもれそうになる。言葉が、続かない。事実を、認めたくない。

「のび太くん……」

ドラエもんは、僕の手をそっと包んだ。機械である彼の手はいつも冷たい。でもぬくもりは、確かにあった。確かに、そこに。

「辛いことは半分にしよう。楽しいことは倍にしよう。僕らって、ずっとそうしてきたんじゃないか」

そう言ってドラエもんはニッコリとほほ笑んだ。だから僕は、奥歯をかんで、話を続けた。

「スネオの家は、売られてたんだ」


「売られてたって…」

僕の言葉に、ドラエもんは戸惑いを隠せないでいた。無理もない、友人の家が突然売りに出されていたのだ。誰だって信じようはずもない。

「何かの間違いでしょ」

彼は無理に笑って、そう言った。僕は無言でポケットに手を入れ、くしゃくしゃになった紙片を取り出し、開いて見せた。

『売家』

僕らとスネオを断ち切ったあの紙片を。

「これ…なんで……」

ドラエもんは、信じられない、と言った表情で張り紙を見つめる。僕は彼の言葉を待ったが、茫漠と紙を眺めるばかりで何も喋ろうとはしなかった。

「……ジャイアンがさ、張り紙を見てさ、『ふざけんじゃねえ!そんなのって…そんなのって、あるかよ!』ってね、すごい勢いで怒ってさ、ビリビリって張り紙破っちゃったんだよ。人の家なのにね。ジャイアンは本当、短気でさ…こんなことしたらいけないって…分からないんだね……」

嘘をついた。ジャイアンは、それはいけないことだと知っていた。そして、自分の行為に何の意味もないことも。それくらいは、分かる。泣きながら張り紙を踏み付ける彼の姿を見れば、そのくらいは。



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スネオの夏 2

「どこに、行ったんだろうね…」

ドラエもんは、思い出した様にぽつり、と呟いた。

「引っ越したのかな……」

間延びした彼の声が、僕の神経を逆撫でしていく。

「スネオくんのところは、お金持ちだから、新しくおーっきな家でも建てたんじゃないかな……」

やめてくれ、僕が欲しいのは、そんな言葉じゃない。そんな言葉じゃ、ないんだ。

「どっちにしたって心配しても仕方がないよ。またひょっこり顔出す…」

「やめてくれ!!」

たまりかねて僕は、ドラエもんの肩を掴んで詰め寄った。どん、という音がして、彼が壁にぶつかる。
ドラエもんの顔をじっと見つめた。彼は一瞬僕と目を合わせ、ばつが悪そうな表情を浮かべ、すぐに逸らした。

「僕が、僕らが今欲しいのはそんな言葉じゃないことくらい、分かるだろ?僕が君に何をして欲しいか、気付かないわけじゃないだろ?」

僕は一気に捲し立て、彼の返事を守った。

反応は、なかった。

目は相変わらず、僕を見ようとしない。

「……分かったよ、ハッキリ言うよ。尋ね人ステッキを出してくれよ。どこでもドアを出してくれよ。ドラエもんなら、君なら、スネオを探すことくらい訳はない。そうだろ!」

最後は、叫ぶように言った。
あまりの声の大きさに、自分自信が驚いたほどに。

静寂が二人を包む。
僕は彼の言葉を待つ。もう、叫ぶこともない。

永遠にも思われる長い沈黙が二人を支配する。
実際には5分も経過していなかったが、彼の言葉を待つその時、時間は無限に身を委ねた――そんな風に感じられた。

ようやく目を上げて僕の方を見たドラエもんは、諦めたように溜め息を付くと、ようやく口を開いた。

「ポケットは、ないんだ」

言葉に視界が、白く霞んだ。


ポケットは、ない。
不意に浴びせかけられた言葉、僕は虚脱したような気分に囚われた。

そんな僕の様子に、ドラエもんは明らかに躊躇いの表情を浮かべながらも、苦々しく話を続けた。

「……先月のことなんだけどね。ほら、君のために『ムシスカン』を出した時があったでしょ?あの次の日くらいに、四次元ポケットの口が、急に開かなくなったんだ」

覚えている。
僕が自分の不甲斐なさに嫌気が刺し、静ちゃんと距離を置こうとした、あの日のことだ。
そういえばあの日から、ドラエもんが道具を出すのを目にしていない。

「それで今は…修理に出しているんだけど…」

言葉が耳を上滑りする。聞きたくない。僕はそんな言葉は、欲しくなかったんだ。ただ道具を出してくれれば、僕はそれで――

「だから、のび太くん。今回は何もできそうにないんだよ。だから、信じて待とうよ…」

「スペアポケットは!」

気付くと僕は、また泣いていた。泣きながら、また叫んだ。

「スペアポケットがあるはずじゃないか!君の、布団の下には!スペアポケットが!ねえ、そうでしょ?!」

スペアポケット。もう一つの四次元ポケット。あれがあれば、何も問題はないはずだ。彼は意外なところで抜けているので、今の今までその存在を忘れてたとしても、不思議はない。

しかしそれは、その願望は、理想に過ぎた。

ドラエもんは苦虫を噛み潰したような顔で一旦口を閉じたが、深いため息をついた後で、またゆっくりと喋り始めた。

「スペアポケットもないんだよ、のび太くん」

「どうして?!そっちまで壊れちゃったの?!」

「違うんだ……そうじゃなくて……」

そう言ってドラエもんは大きくかぶりを振った。
何かを言いたい、けれども何も言えない、ドラエもんはそんな複雑な表情を浮かべている。僕は彼の目をじっと見た。しばらく時間が経ち、彼は二、三度空咳を繰り返したあと、喋るよ、とぽつり、呟いた。

―――ここからは長くなるので簡潔に纏めることにする。

先週。彼がポケットを修理に出した時、突然行政からポケットの監査を強いられた。
彼の道具はつぶさに調べられ、行政から直接の査問経た結果、ある提示される運びとなる。

僕に難しいことは分からなかったが、どうやらドラエもんは『歴史過介入』と判断された。そしてその判断が導いた結論は―――道具使用の無期限禁止、だったのだ。

「そんな……」

「もちろん僕が歴史を変容する目的で過去に来ているわけじゃないことは言ったよ。でも……ダメだったんだ。一応今は、嘆願書を出して、その回答を待ってる段階なんだけど……」

今回のことは、無論、彼のせいではない。僕のためを思ってやったことの積み重ねが、今の状況を作り上げた、そのくらいは分かる。僕にも。

でも……理屈ではなかった。抑えようのない怒り、言葉にできない憤りが、僕の胸でかさを増やし、遂に――爆発した。

「こんな時に…こんな時に何やってるんだよ!ドラエもんにポケットがなきゃ、何も意味がないじゃないか!」

言ってしまった。止めたかった。言葉はしかし、止まらなかった。

「道具がなきゃ、ドラエもんは何もできないんじゃないか!友達の一大事だってのに、何も!」

「そ、そんな言い方はないじゃないか!僕だって好きでこんなこと…」

言葉を遮って、僕は叫んだ。

「うるさいこの青ダヌキ!!」

その言葉に、ドラエもんの顔が怒りに染まるのが分かる。

「僕はタヌキじゃない!!この分からず屋!!」

どうしてこうなるのだろう。喧嘩なんて、するつもりじゃなかったのに。
僕はただ、スネオが、どこにいて何をしているのか、知りたかっただけなのに。


―――これが、この6月にあった出来事だ。
僕とドラエもんの距離は、以前と同じでは無くなった。

彼が憎いわけではない。彼に道具がなくても、彼への思いに揺るぎはない。そんなのは、USO800を飲んだ時から――分かっている。ちょっと笑って、少しだけおどけて、

「ごめんな」

それだけのことで、僕らの仲が戻ることも……知っている。
しかし僕らにはそれができない。『それだけのこと』だから、なおさら。言葉ではうまく言えないけど、きっと。

ジャイアンの元気も、日に日になくなっていった。
初めは、友をなくした喪失感からだろう、と単純に考えたけど、どうやらそれだけではないのかもしれない。

ふと思い出す。
彼がスネオといた日々のことを。

ジャイアンは、いつもスネオを付き従えていた。

彼は粗暴で、いつもスネオから色んな物を取り上げていた。

普通に考えたらそんなものは友達でもなんでもない。
贔屓目に見ても、ひどく歪な関係。

でも、二人はいつも一緒だった。
殴られ、蹴られ、物を取り上げられ……それでもスネオは、ジャイアンのそばに。

(もしかしたら)

不意に思った。

(もしかしたら、ジャイアンは、スネオを愛していたのかもしれない)

そんなことを、何故か、思った。

もしそうだとしたら、ひどく不器用な愛情表現だよなあ、あいつ、彼女ができても苦労するだろうなあ、と僕はつまらないことを考え、つまらなそうに笑い、そしてつまらなそうに溜め息を、吐いた。


7月20日。

一学期最後のホームルーム。プリントが配られ、先生は機械的に夏休み中の注意事項を読み上げる。

海に一人で行ってはいけない。
子供だけで花火をやってはいけない。
夜に家を出てはいけない。
校区外に出てはいけない。
いけない。いけない。いけない……。

どこにも行けない僕。
どこにもいないスネオ。
彼の席は、今も主を失ったまま、学び舎の一室でぽつねんと佇んでいる。

スネオはまだ、帰って来ない。


夏休み。8月15日。
遠い昔、戦争が終わった頃。暑さも最高潮を迎える頃。
裏山に寝転び、流れて行く雲を見ながら、

(戦争の頃も今も、友達の形は、変わらないのかな)

そんなことを考えた。
その答は中空を彷徨い、僕の下へやって来ることなく、ぱちんと弾けてどこかへ消えた。
暑さで頭が回らない。ぎらぎらとした太陽が、僕の体力をゆっくりと奪って行く。

僕は山を下りて、近くのコンビニへと向かった。



スネオが、いた。
今度は砂漠ではなく、現実の街角で。今、目の前に。

駆け寄り、肩を叩く。元気だったの?心配したんだよ!と声を掛ける。スネオは申し訳なさそうに笑い、何かを言う。それだけのことだ。たったそれだけのことなのに、僕は足を踏み出せずに、いた。

スネオは、以前と同じ風貌ではなかった。目は、麻薬中毒者のようにどんよりと落ち窪み、黒目だけがその存在感を誇示していた。頬と体はすっかり痩せこけ、元々細身である彼は、だから、針金のようになっていた。

何より驚かされたのは、その身を包む衣服だった。彼の家は非常に裕福で、スネオの身なりはいつだって小綺麗であった。

それなのに、今のスネオときたら、どうだ。
ぼろぼろになったスニーカー。
泥に汚れたズボン。
継ぎ接ぎだらけの服。
髪も、満足に手入れをしていないのだろう、ひどくぼさぼさである。

(これが、スネオ……?)

僕は目の前の光景を、受け入れることができなかった。
ちょっと嫌味だったけど、いつも快活だったスネオ。
自信に満ちあふれ、常に溌剌としていたあの頃。
今の彼に、その頃の影を探すことは、僕には叶わなかった。

しばらく茫漠とスネオを見ていた。コンビニ入ったら彼は、きょろきょろと落ち着きなく辺りを警戒しながら、店をぐるりと回った。
僕は店の外から、彼に気付かれぬよう、その様子を注意深く窺う。
スネオは缶詰のコーナーの前で足を止める。目付きが、鋭さを増した。
彼は持っていたぼろぼろの鞄の口を開けると、思うさまに缶詰を鞄に詰め込み始めた。店員は、全く気付いていなかった。
彼の手つきは非常に手慣れていて、だから僕は、それが始めての行為……万引きではないことを、知った。

およそ30個程の缶詰を鞄に移し替えた頃だろうか。
スネオは鞄を掴むと、すっ、と立ち上がり、足早に店を出た。そのまま彼は走り、脇目も振らず交差点の方に向かう。

ふと、あの日見た夢を思い出す。
砂漠を失踪して行ったスネオを。
追いかけても追いつくこと叶わなかったスネオを。
そして……ぼろぼろと泣きながら笑っていた、スネオを。

気付くと僕も、駆け出していた。

駆けっこではいつもビリだった。
しかし、彼を見失わない程度の脚力は、何とかあった。

スネオが缶詰を抱えたまま、10分程走った頃だろうか。
町の景色は一変していた。
ここは……そう、普段からママや先生が

「近付いてはいけない」

と口を酸っぱくして言っている地域だ。
何でも、貧しい人が多く住む場所とかで、あまり安全な土地ではないらしい。

そんな場所にスネオが何故?とは、もう思わなかった。
様々な疑問が、目の当たりにした幾つかの事実により、答に向かって収斂していく。とても、悲しい結論に。

スネオがふと、歩みを止めた。合わせて僕も立ち止まった。
眼前には、蔦の張り巡らされた一軒の古びた建物、
およそ人が住むに値しないようなぼろぼろの住まいが、そこにはあった。

スネオがゆっくりと階段を上がって行く。
僕も存在を悟られぬ様に、そっと。

ふと、アパートと思しきその建物に備え付けられた看板が目に入った。


『時和荘』


なぜだろう、懐かしくも何とも無いその建物は、
その看板の存在によりいちどきに郷愁を帯びた。

だが今は、その感情の理由を探っている暇はない。追わなければ、スネオを。

僕は静かに階段を上がると、一つだけ閉まりゆく扉を見た。

あそこだ。あそこにスネオが。

僕は逸る気持ちを抑え、扉の前に立った。表札は、ない。
代わりに、張り紙がびっしりと……あの日見た張り紙ではない。
いや、ことによると『売家』の方がまだマシだ、と思える様な張り紙が、
ドアの装飾をなしていた。



カネカエセ

ドロボー

サギシ

ジンゾウウッテ カネツクレ



世界が、ゆっくりと形を失っていく。


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スネオの夏 3


チャイムはなかった。あるはずもなかった。
僕は仕方なしに扉を叩いた。
一度、二度。
返事はない。
三度、四度。
返事は、ない。

僕は一瞬躊躇い、しかし次の瞬間には意を決し、どんどん、と強く扉を叩き、
その向こうにいるはずのスネオに向かって、叫んだ。

「開けてくれ!僕だよ!のび太だよ!!」

刹那、うるせえぞ、という怒号が隣家から飛んだ。
地を這う様な低い声に、僕は思わず言葉を失う。

帰りたい、と思った。
でも帰れない。とも思った。
スネオと会うまでは、会って話をするまでは、僕は帰れない。
そう決意した。


そして僕は、再びドアを叩いて叫んだ。


「開けてくれ!頼むよ!会って、話がしたいんだよ!スネオ!スネオ!」

僕は粘り強く語り続けた。

扉は、沈黙を守り続けた。


5分程経った頃だろうか。
扉は、突然に開いた。
最もそれは、隣家の扉だったのだけれど。

部屋から男が出て来る。
シャツの上からでも分かるほど隆々とした筋肉。
二の腕から覗く刺青。
目が、怒りを訴えている。
僕は恐怖にすくんだ。

「このガキ……」

一歩、二歩。
男は息を荒げて近寄ってくる。
怖い。
怖い。
逃げたい。
逃げられない。
三歩、四歩。
男があと1mくらいの所にやって来た、その時だった。

目の前の扉が、がちゃり、と開いた。

スネオだ。


しかし彼は、再会の言葉を交わすより早く、

「さっさと入れ!」

と叫んで、僕を室内に引っ張り込んだ。


スネオの部屋は、昼間だというのにひどく暗く、どんよりとした空気が漂っていた。
僕を強い力で引っ張りいれたスネオは、しかし、ずんずんと部屋の中に進むとどっかりと腰を下ろし、
壁の方を向いて何やらゴソゴソするばかりで、何も喋らない。
僕は、何かを喋ろう、と思うのであるが、すっかり変わってしまった彼の雰囲気に押され、やはり何も
喋れずにいた。
僕は手持ち無沙汰に部屋をぐるり、と見渡す。
薄っぺらな布団と、学校の机ほどの大きさのちゃぶ台を除いて、家財道具は一切ない。
ここからも彼の生活の様は窺える。
台所には、食べ終わった缶詰が散乱し、仄かのな腐臭を漂わせている。
荒んだ、生活だ。

僕は少し躊躇ったが、唇を噛みつつ彼に向き直り、聞いた。

「君の……ママとパパは?」

「どうして……学校に来ないんだい?」

「なんで、家を売らなきゃいけなかったの?」

僕はあれこれと、思いつくままに質問を投げかけた。
返事は、ない。
水を打った様な静けさが二人を支配する。
それでも僕は、粘り強くスネオに語りかけ続けた。

「みんな、心配してたんだよ?スネオ、どうしちゃったんだろう、って……
ジャイアンなんて、すっかり元気なくしちゃってさ……」

「心配……」

スネオが、ぴくり、と反応した。

「そ、そうだよ!皆本当に心配したんだよ?急に学校にも来なくなっちゃうし……
だから僕だってこうやって」

言葉が、詰まった。
ふと見上げた彼の表情が、おそろしく侮蔑的なものだったからだ。
口を醜く歪めて笑い、しかし目は激しい憎悪に燃えている。そんな表情だった。
彼の、空白の2ヶ月がどんなものであったのか、その表情は何よりも雄弁に物語っていた。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

遠くで蝉が鳴いている。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

部屋はひどく暑い。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

喉はからからに渇き、僕はごくり、と生唾を飲み込んだ。
スネオは相変わらず、ニヤニヤと笑うばかりで、何も喋ろうとはしない。

「あのさ……」

僕が喋りかけた、その時だった。
ドアが、強い力でどんどんと叩かれる。

「骨川さん!おるんやろうが!さっさと開けえや!」

扉の向こうからは、ひどく乱暴な声が響いた。

スネオはびくっ、と肩を震わせた。
目には怯えの色が浮かんだが、それも一瞬のことで、2秒後には先ほどと同じように、
なんら感情の色の窺えない表情に戻っていた。

「スネオ……」

喋りかける僕の存在などまるで認識していないかのように、スネオはすっと立ち上がる。
無表情でドアの方にスタスタと向かうその姿からは、まるで生気が感じられなかった。
そうだ、先ほどから感じていた違和感はつまり……
彼からは活力というか、生気といった類のものが全く失われていたのだ。
まるで目の前には確かに居るのに、この世には確かに存在しない、幽霊のように。

スネオは無言でドアを開けた。
ドアの向こうには、髪を短く刈り上げた男……おそらくヤクザ、が立っていた。
ヤクザはスネオに目をやり、一瞬部屋の中にいる僕を見ると、
ふう、と言った感じのため息をつく。

「またおらんのかいや……」

憎憎しげに吐き捨てたヤクザ風の男は、胸からタバコを一本取り出し、火を点けた。
肺いっぱいに満たした煙を豪快に吐き出すと、スネオの方を一瞥して、少し笑った。

「なんじゃ、今日は友達がきとるんじゃのう。珍しいこともあるもんじゃ」

友達、とは、おそらく僕のことだろう。
彼のその言葉から、スネオは一日の大半を、いや、ことによると一日の全てを
ここで、一人で過ごしていることを悟った。

男の言葉にスネオは、何の関心もない、といった態度で虚空をみつめていた。

何の返事もしないスネオの態度に男は一瞬気色ばんだ様子だったが、まあええわ、と呟くと
地面にタバコを落とし、そのまま踵で揉み消した。

「のう、スネオくん。わしらも好きでこんなことやっとるわけじゃないんじゃ
そりゃあ分かるじゃろう?一番いけんのんは、金を借りたまま返さんスネオくんのお父さんなんじゃ
分かるじゃろう?じゃけえのう、スネオくんからも言うといてくれや
『パパ。ママ。早くお金を返して』
って言うてのう」

男はゆっくりと、しかし決して反論は許さない調子で、スネオに淡々と語りかけた。
言葉面だけ見たら決して乱暴な言葉ではない。
しかし僕は、男の言葉に体の震えが止まらなかった。
怖い。
スネオは、こんな生活を、二ヶ月間も……。
スネオの方を見た。スネオは相変わらず色のない目をしていた。

「まあ本気で返す気があるんじゃったら」

そう言って男はゴソゴソと懐を探った。

「ここに来い、ちゅうといてくれや」

男はスネオに何やら一枚の紙切れを渡した。

紙切れ。幾つかの光景がフラッシュバックする。

『売家』 とだけ書かれた、あの日の張り紙。
今日、扉の前で見た「金返せ」の張り紙。
そして今、スネオに手渡された、一枚の紙。
紙、紙、紙。
たかだかパルプの成れの果てが、こんなに僕の心を波打たせるなんて。
僕はそう思い、暗澹とした気分に襲われた。

「……まあスネオくんのパパが働くことになる場所は、ぶち寒い場所じゃけえのう
厚着して来い、言うといてくれや」

そう言って男はからからと笑うと、また来るわ、と真顔で呟いて、扉を閉めた。

男が去った後、部屋は再び重苦しい沈黙に包まれた。
スネオは玄関先にぼうっと立ったまま、動かない。
いや、動かないのではなく、動くのすら面倒くさい、動く意味すらない、
そんな退廃的な雰囲気が漂っていた。
仕方なしに僕はスネオの方に歩み寄る。

「スネオ、その紙は一体……」

そう言って、僕はスネオの握っていた紙に手を差し伸べた。
刹那のことである。
先ほどまでぽつねん、と立っていただけのスネオは、紙に触れようとする僕に気づくと
弾かれたように構えの体勢を取った。そのまま、もの凄い力で僕の手をはたき、
ぱーん、という音だけが部屋に鳴り響いた。

再び沈黙が部屋を支配する。
しかし今度の沈黙は、そう長くは続かなかった。

スネオはひどく太く、そして低い声でこう言った。

「のび太には、関係ない」

その語調には、有無を言わせないものがあった。



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スネオの夏 4


太陽はまた少し西に向かって進んだようだ。
夕日が少し、カーテンの隙間から漏れている。
スネオの横顔が照らされ、赤く染まる。
その赤だけが、彼の激情を表しているかのようだった。

「分かるだろう……」

スネオは不意に呟いた。
僕は突然のことに、えっ、と聞き返した。
その反応にスネオは、また口を醜く歪めて、笑った。

「のび太も分かってるんだろ……パパの会社が倒産したってことくらい。
僕らに残されたのは膨大な借金だけってことくらい」

淡々と語る彼の言葉に、初めて現実を直視させられた。
そのくらいのこと、薄々とは気づいていた。
しかし認めたくはなかった。
言葉にして、形にして整理するのが、嫌だった。
だけど僕が嫌ったそれは、今、当事者自身により、形にされた。

「どうして……そんなのって……ないよ……」

たまりかねて僕は呟く。
しかし言葉は、続かない。何も、言うことができない。
あれだけ再会を嘱望した友を目の前にして、僕のできることは、絶望的に、皆無だった。

「そんなのってない。そんなのってないよなあ……うん、僕もそう思う。
でもさあ、そんなのってあるんだぜ、のび太。現実に、今、僕らの前に」

スネオはより一層、醜く顔を歪めた。
西日の赤が彼の表情に影を落とし、スネオの狂気を一層強めたように感じた。

遠くでカラスが、かあ、と鳴き、近くでトラックが走りぬけた。
それ以外の音を、僕らは耳にしなかった。

「……お前、何しに来たんだよ」

スネオが、そう呟くまでは。

言われて、思った。
僕は、何をしに来たのだろう。
スネオに会いたかったから?
確かにそれは、ある。
ではもう、用事は終わり?
そんなわけはない。
じゃあ、どうしたいの?
前みたいに、昔みたいに、笑って、走って、一緒に−−−一緒に?

(僕は、スネオと、一緒に笑えるのだろうか)

今思うと、おそらくそれだけは考えてはいけなかった。
しかし僕は、実際にそう思い、そして微妙な表情の変化は、はっきりとスネオに伝わったのだ。

「なあ。もう無理だよなあ……僕たちはもう、違うんだもんなあ……」

ひひっ、と上ずった声でスネオは笑い、またすぐ真顔に戻ると、帰れよ、と息だけの声で呟いた。

「スネオ、違うんだ、僕はただ……」

「帰れっつってんだよ!!!」

怒号が、部屋に響いた。
同時に額から垂れた汗が、足元に落ちた。
この部屋が、ひどくむし暑いことを、思い出した。

僕らはお互いをまんじりと見つめる。
ドラエもんと諍ったあの日のように、時間の流れはやけに遅い。

チッ チッ チッ チッ

時計の音だけが、虚しく鳴り響いていた。

「……みんな、離れていったよ」

だしぬけにスネオが喋り始めた。

「パパの友達も、会社の人たちも、みんな離れていった。
パパの仕事が上手くいってる時は、ちやほやちやほやしてさあ。
骨川さん、骨川さん、ってさ。
そりゃあ、楽しかったよ。
でも、会社が潰れて……パパも潰れていく様子を指くわえて見てただけじゃなかった
あちこちに連絡して、いろんな人に助けを求めた。
でもさあ。誰も、何もしてくれないんだよなあ。
今忙しい、とか、電話は取り次げません、とか言ってさ
ある人なんて
『僕はお金を持ってる骨川さんが好きだったのになあ』
なんてハッキリ言いやがって……もう笑うしかないって感じだよな」

僕はスネオの言葉に、ただ静かに耳を傾けた。

「そんなもんなんだよな、所詮。人と人との繋がりなんてさ…ハカナイよな」

ハカナイ、という言葉が僕の頭の中で「儚い」に繋がるまで、少し時間が掛かった。
それだけ彼の声は平板で、だから余計に、説得力があった。

「……僕がこの2ヶ月間、どんな気持ちで過ごしたか、分かるのか?
何を思って、何を感じてこの部屋にいたのか、のび太、お前に分かるのか?」

分かる、だなんて言えなかった。
言葉にすれば、全てが嘘になるような気がした。
だから僕はまた、何も言えず、スネオの言葉をただ待った。

「……分かるわけないよなあ。のび太の家には、パパがいて、ママがいて、暖かいご飯があって、
柔らかい布団があって……そして、ドラエもんがいて」

最後の言葉だけ、一層暗い声でスネオは吐き捨てた。
そして僕は気づいた。
彼も期待していたのだ。ドラエもんに。彼の道具に。自分を不遇から救い出してくれることに。
おそらく。きっと。

「……なんで、今頃来たんだよ」

絞り出すような声で、スネオは言った。
なんで、なぜ、どうして……。
この2ヶ月間で、僕の頭の中を幾つの疑問符が巡ったのだろう。
そしてその幾つが答に辿り着いたのだろう。
僕は今また、その問いに答えられずにいる。

「……本当は、もっと前から心配してたんだ。
君が休み始めて一週間くらいの頃から……」

「聞きたくないね!」

叫びに言葉を遮られた。
思わず怯みそうになる。しかし、ここで言葉を折るわけにはいかない。

「本当なんだよ!本当に……僕は……僕らは……
6月のあの日、君の家に行って、『売家』って張り紙を見つけて、信じられなくて、
ジャイアンと二人して、泣いて……それで……」

それで?僕はふと思った。それで僕は何をした?

「それで現在に至る、って訳か」

スネオはまた、ひひっ、と上ずった声で笑った。
嫌な笑い方だ。前は、こんな笑い方をする奴じゃなかった。

「知ってて、何もしなかった、って訳か」

スネオは、今度は笑わなかった。
ぎょろっとした黒い目で、僕を覗き込んでくる。

(やめてくれ、そんな目で、僕を、見ないでくれ)

心で叫ぶ。言葉にはならない。してはいけない。
甘んじて受けなければいけない。そんな気が、する。

「……もういいよ。僕はもう、いい」

ふうっ、とため息をつきながらスネオはそう言った。
しかしその言葉は僕を許したことを意味したのでなく、
僕とスネオとを決定的に別つものだった。

「もう僕は何にも期待しないし、誰も信じない。
一人で生きるんだ。
のび太も見たんだろう?僕が……」

スネオは言葉を途中で切り、缶詰でぱんぱんに膨れ上がった鞄を一瞥する。

一人で生きていく……

彼の過ごした2ヶ月間は、彼をしてそう思わしめるに十分なものだった。
しかし、その結論を遵守するために選んだ手段が万引きであるならば……
悲しすぎる。あまりにも。

「……そういうことさ。まあ新しい玩具も漫画も手に入らなくなった今の僕に、
もとより人が寄ってくるとも思えないけどね」

「そんなことはない!!」

たまりかねて、僕は声を荒げた。

「そんなこと、あるもんか……」

視界が、霞む。スネオの顔が、歪む。
彼の意思ではなく、今度は僕の涙のせいで。

「確かに君には玩具も、漫画もないかもしれない。
でもこれまで過ごした僕らの時間は、今も残ってる。
少なくとも、僕の中には。
君と行ったコーヤコーヤ星を、僕は忘れない。
君と作った雲の王国を、僕は覚えている。
君と過ごした海底での時間は、まだ胸に残っている。
残っているんだ……。」

最後は、掠れた声で、言った。
スネオは、何も言わない。

そしてこの日最後の沈黙が、僕らの周りを包んだ。

「……じゃあ、助けてくれよ」

スネオもまた、泣いていた。
泣きながら、最後の言葉を、呟き始めた。

「この、最悪の現実から、僕を助けてくれよ!
できるんだろ!ドラエもんの力を借りれば!
僕の生活を!平和だったあの頃に!戻すことくらいできるんだろ!
してくれよ!今すぐに戻してくれよ!
なあのび太!なあ!」

泣き喚きながら、スネオは叫んだ。
彼は、この日初めて、自分の感情を露にした。
それも、もっとも見たくない形で。

「……できないんだろ」

スネオはぽつりと呟いた。
その目はもう涙に濡れてはおらず、また、絶望に彩られた目つきに変わっていた。

「……帰ってくれ。そしてもう、姿は見せないでくれ」

僕は何も言えず、何も言葉を掛けることができず、虚脱したような気分で、家に帰った。




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スネオの夏 5


帰路。足取りはひどく重かった。
とっぷりと日が暮れたころ、ようやくと僕は家に辿り着いた。
窓から洩れる光が、眩しい。
眩しくて、少し目がくらんだ。

スネオの家の暗さを思い出した。
彼の、真っ黒に落ち窪んだ目を、思い出した。

暗澹とした気分が僕を包む。

「ただいま……」

ふすまをガラリと開けると、そこにはドラエもんがいた。
珍しい。あの日からというもの、ご飯を食べる時と
必要に駆られて外出する時以外は、ほとんど押入れの中にいたドラエもんが。

何より僕を驚かせたのは、ただそこにいるだけではなく、ひどく機嫌が良さそうだったからだ。

「おかえり」

にこにこと笑って僕を出迎えてくれる。
彼の笑顔を見たのも、やはり2ヶ月ぶりだった。

「どうしたの。珍しいじゃない、押入れから出てくるなんて」

僕は直截にそう告げた。ひどく疲れた頭では、
思いやりのある言葉なんて、何一つ浮かばなかった。
しかしドラエもんは別段気にした様子もなく、
相変わらずにこにこと笑っていた。
僕は少し安心した。

「のび太くん!聞いてよ!四次元ポケットが返ってきたんだよ!」

四次元ポケットが返ってきた――彼のその言葉に、僕は少なからず驚いた。
しかし僕は何も言わず、黙ってドラエもんを見つめた。

「これでやっとスネオくんを探せるね!今どこでもドアを出すから、待っててね!」

そう言ってごそごそとポケットを探り始めるドラえもん。
その手を無言で制する僕。
ドラエもんは、きょとん、とした顔で僕を見ている。

「どうしたのさ、のび太くん」

「スネオは、見つかったんだ」

「スネオくんが?」

「そう、さっきまで会って、話してきた。だからもういい、もういいんだ……」

ぴたりと押し黙るドラエもん。
僕の言葉の外に、深刻な事情を感じ取ったのかもしれない。
ドラエもんは、黙ってタイムテレビを取り出すと、かちゃかちゃと操作を始めた。
おそらく僕とスネオとの、一部始終を知るために。

あの光景をもう一度見る気にはとてもなれず、僕は黙って庭の物置に向かった。

気づくと、眠っていた。夢のない眠りだった。
起きると物置の中は真っ暗で、僕は目を開けているのか、
それとも瞑っているのかさえ、分からなかった。

戯れに、闇に向かって手を伸ばす。

何も掴めない。何も触れない。

暗闇の中で、ただ僕一人が存在していた。

いや、本当に存在しているのかも、分からない。何も。


不意に一筋の光が差し込んだ。
後光を纏って、ドラエもんが扉の外に立っていた。

「のび太くん……」

アルカイックスマイル、とでも言うのだろうか。
底抜けに優しい微笑みを浮かべながら、ドラエもんはそっと僕の肩を抱いた。

手が、僕に触れた。
ひんやりとした手は、蒸し暑い夏に、ひどく心地よい。
でもそこから伝わる温もりは、もっと。

「今度こそ、僕は、力になれるかな。
君の苦しみと、悲しみを、半分にできるかな」

ドラエもんは優しく僕に語り掛ける。
僕は彼にしがみつき、声を上げて、泣いた。

部屋に戻り、僕とドラエもんは差し向かいに座った。
瞼が腫れぼったい。随分と泣いたものだ。
ドラエもんは、神妙な面持ちで何かを考えている。

「……ドラエもん、事情は分かっただろう?
お願いだ、スネオの為に、何かしてあげて……何か道具を出してあげてくれない?」

ドラエもんは、相変わらず厳しい顔をしている。
僕は構わずに続けた。

「もう頼れるのは君しかいないんだ。君の知恵と……君の道具に頼るしか…
僕にはそれくらいしか、もう……」

「事情は、分かったよ……」

ドラエもんは、一言一言かみ締めるように喋り始めた。

「でも、道具を出すことは……できない」

ドラエもんは、笑って、任せてよ、と言って、道具を出す。
そうだと思っていた。そうだと信じていた。
予想外の彼の言葉に、僕の心は大きく動揺した。

「ど、どうしてさ!君なら、君の道具なら、彼を今の状況から救うことくらい、
簡単じゃないか!それなのに、なんで……」

「確かに、簡単だろうね。スネオくんのお父さんの借金を消すことくらい、
何ともないよ」

ドラエもんは一旦そこで言葉を区切り、でも、と続けた

「……でも、それでスネオくんが本当に救われるのかな」

その言葉に、深い闇を帯びたスネオの目を思い出した。
泣きながら笑う、彼の顔を、思い出した。
一人で生きていく――決然とそう言いのけた彼の言葉を、思い出した

「もしもボックスで、借金を消すことはできるよ。
でも彼の心を、彼の闇を取り除くのは、タイムふろしきでも、無理なんだよ」

僕は、あっ、と思った。
借金が消えても、借金をした、という事実は消せない。
彼が経験した現実は、曲げることができない。
借金が消え、もとの生活に戻っても、スネオは、スネオだ。
それは、良くも悪くも、そうなのだ。
そして今のスネオは―――もう、誰にも心を開くことは、ないだろう。

「じゃあ、僕は一体どうすれば……」

悲嘆にくれる僕に、ドラエもんは、優しく言葉を発する。

「のび太くん、いいかい、ちょっと分かりにくい話かもしれないけど……
確かに僕の道具は便利だよ。君だってそれは分かっているよね。
そんな君だからこそ、一番わかると思うんだ。」

ドラエもんはそこまで喋ると一息ついて、また、ゆっくりと喋り始めた。

「道具のために人があるんじゃなくて、人の為に、道具はあるんだ」

僕には一瞬、それが何を意味するのか、よく分からなかった。
だから黙って、次の言葉を待った。

「人の為に道具がある……まず人がいて、道具がある……
だから、まず、その『人』そのものがきちんとしていないと、
しっかりしていないと、どんな便利な道具でもそれは何の意味もなさないんだよ」

ドラエもんはいつだって説教くさい。
この言葉にだって、手放しで「分かったよ」なんて言うことはできない。
スネオの今をまず救うこと、例えスネオが今まともじゃなくても……
まずは何かをしてあげること、それが大事だと、やっぱり思う。

でも、ドラエもんの言うことは、やっぱり正しいんだろうと思う。
スネオの、あの目を思い出すと、なおさらに。
彼の言葉は、正しい。よく分からないけど、たぶん。
上手く言葉にはできないんだけど、きっと。


「今、スネオくんは、道端でつまづいて、転んで、ひざ小僧から血が流れている。
泣いているスネオくんに、優しく手を差し伸べて、消毒してあげて、
絆創膏を貼ってあげることは簡単だろうね。」

曇り空の切れ間から、月が顔を出した。
今夜は、満月だった。柔らかな光りが、僕らの顔を照らす。

「でも彼は今、転んだまま、立ち上がろうとしていない。
そんな彼を無理やり立たせて、消毒させても、彼はきっと、何も変わらない。

ところでのび太くん、君はまだ、スネオくんのことを友達だと思っているのかい?」

突然、神妙な顔をしてそんなことを尋ねてきた。

唐突な質問に僕は一瞬言葉を失ったが、しかしすぐに、強い口調で、言った。

「僕とスネオは、今も、ずっと、これからも友達だ!」

キッパリと、言った。

ドラえもんは、すると、にっこり笑ってこう言った。



「君がしてあげることは、

消毒してあげることでも、

無理やり手を差し伸べることでもない

人は、転んでも、何度だって立ち上がれるってことを、教えてあげることなんだよ

それができるのは、のび太くん、きみしかいないんだよ」


ふと、懐かしい情景が蘇る。
僕はおばあちゃんっ子だった。
やさしい、おばあちゃんだった。
幼かった僕は、いつもおばあちゃんに甘えて、我侭を言って…そうやって過ごしてきた。

ある日のことだ。
僕は庭で遊んでいる時に、こけて、膝をすりむいた。
大きな声で泣き喚く僕は、おばあちゃんが優しく抱き寄せてくれるのを、ただ待った。

しばらくして、おばあちゃんはやって来た。
おばあちゃんはいつものようににこにこと笑って、僕を見ていた。

おばあちゃんは、しかし、僕を抱き寄せることをしなかった。
僕は、一層強く泣いた。

おばあちゃんは、片手に持っていた達磨を、僕の脇に放り投げた。
ころん、と転がる達磨。
ぐらぐらと揺れながら、けれど最後には、達磨は元のように立ち上がった。

「達磨さんも一人で起きれたよ。
のびちゃんも、一人で起きないとね」

そんな情景が。今蘇った。


今のスネオは、あの日の僕だ。
痛みに泣き、寂しさに喚き、抱かない祖母を恨めしく思ったあの日の僕だ。


だから僕は、達磨を、スネオにとっての達磨を、あげよう。


僕と、そしてジャイアンで、スネオに、達磨を―――


道具は、使わない。そう決意した。
でも僕は、ドラエもんに一つだけ「あること」をお願いした。

ジャイアンと連絡を取った。
夏バテと、スネオがいなくなった喪失感から元気がなくなっているのは声だけで分かった。
しかしスネオが見つかったことを告げると、彼は幾分元気を取り戻した……ように感じた。

「僕は、今からスネオと話をしに行こうと思う。
だからジャイアン……君にも付いてきて欲しい」

無言。しかし電話越しに彼が頷くのは、ハッキリと分かった。

月が、雲に隠れたり現れたりしながら虚空に佇んでいる。
星は、あまり見えない。
みんなで、様々な星へ行ったことも思い出した。
またみんなで、行けるのか、今は、分からない。
分からないけど、きっと。
きっと僕らは。

ジャイアンが家にやって来た。
若干痩せたようだ。目の下にも、隈が浮かんでいる。
しかしその目は強い決意と生気に満ち溢れている。
友を心配する光も、その目に少しだけ。



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スネオの夏 6


僕らは、どこでもドアでスネオの家に向かった。

ドアを開けた瞬間、僕らは一瞬どこにいるのか分からなかった。
闇。完璧な、暗闇。
月明かりも何もかも、カーテンに遮断され、何も。
その中に、スネオはいた。
部屋の中でじっと押し黙っていたスネオは、僕らに気づくと、
嘗めつけるような目で睨んできた。

何しに来た、帰れ、帰れ、顔を見せるな。

言葉にせずとも、瞳が呪詛に渦巻いている。
絶望に彩られた瞳に、僕らは思わず気圧されそうになる。

逃げるな。前を向け。自分に言い聞かせる。
僕が、達磨を、投げてやるんだ。
左手に持ったあの日の達磨を握り締め、僕はスネオに声を掛けた。

「高井山に、行こう」

「高井山?なんでそんな所に行かなきゃならないんだよ」

スネオは冷たく笑う。
僕は黙る。

「行きたきゃ勝手に行けよ。なんで僕が……」

ため息をついて、そっぽを向く。
僕は黙る。

「大体、もう来るなって言っただろう。さっさと帰」

僕は黙る。
ジャイアンは、叫んだ。

「うるせえ!!ゴシャゴシャいうとぶっ飛ばすぞ!!!」

叫んで、スネオの胸倉を掴んだ。
スネオは、冷たく笑う。


ジャイアンは拳を上げたまま、動けずにいた。
スネオはまた、ひひっ、とあの笑い方をして、ニヤニヤと笑っていた。

「どうしたの?殴らないの?ジャイアンらしくないんじゃないの?」

笑いながらジャイアンを挑発するスネオ。
二人の関係も、あの頃と比べるべくもなく、絶望的に遠く。

ジャイアンはプルプルと震えながらも、そっとスネオから手を離した。

「高井山、行こうぜ……」

力なくそう言うジャイアンに、もはやガキ大将の影を見つけることはできなかった。

スネオは、ひと思いに殴られてこの状況をさっさと終わりにしたかったのだろう。
分からないけど、そんな気がする。
だから、スネオは黙って頭を下げるジャイアンのことを、ばつの悪そうな顔で見つめた。
ジャイアンは、頭を上げない。
スネオは何も喋らない。

窓を揺らす風の音だけが、僕らの鼓膜に届く。

何分くらいそうしていただろうか。
不意にスネオが

「何か、道具を出してくれるんなら、行くよ」

と、小さな声で呟いた。
瞳の色は……暗くて読み取れなかった。
僕は、彼の手を取り

「道具は、出す。だから、行こう」

そう言って、どこでもドアをくぐった。


僕らは高井山に着いた。
吹き付ける風に、木々がざわめいている。
月が、雲の隙間からまた顔を出した。
柔らかな月光が、スネオの顔を優しく照らす。
彼は、笑っているような、泣いているような、そんな複雑な表情をしていた。
その顔は、いつか見た夢の顔と、不思議と似ていた。

「……早くしてくれよ。さっさと道具、出してくれよ」

スネオはそう言って、貧乏ゆすりをしている。

「……こっちに来てくれ」

僕が導くと、スネオは黙って着いてきてくれた。
ジャイアンとドラエもんも、その後に続いて。


目の前に、茫洋と広がる湖があった。
湖面は、風に波打ちながら月明かりに照らされきらきらと光っている。
僕たちは、この湖を知っている。
この湖を訪れたことがある。




鉄人兵団と戦った、あの日。

「覚えてるだろう……ロボットが大挙して地球に押し寄せてきた、あの日のこと」

「……」

スネオは黙って、水面を見つめている。

「僕らは、たった4人で、鉄人兵団に立ち向かった」

「……」

びゅう、と強い風が吹いて、水面は激しく凪いだ。

「それだけじゃない……原始時代の日本にも行ったし、魔界にも行った。
ブリキの王国でのことも、牛魔王とのことも、全部、みんなで…
みんなで乗り越えてきた。そうだろう?」

僕は一言一言、ゆっくりと語りかけた。

風は、もう止んでいた・


「……だから、どうしたって言うんだよ!」

耳をつんざく刹那の嬌声。
スネオが声を荒げた。

「確かにそんなこともあったよな!
でも昔のことだろ!
もう過ぎたことだろ!
それが、それが今の僕に……なんの関係があるっていうんだよ!」

スネオが僕に掴みかかってきた。
手を振り解こうとは思わない。
殴られるのならば、それでも、いい。
しかしスネオは、殴ることはしなかった。
そのまま力なく、手を放した。

「どうせ君たちに僕の気持ちは分からないよ。
のうのうと幸せな生活を送っている君たちに、僕の気持ちなんか…」

言い終わる前に、スネオは弾け飛ぶように地面に転がっていた。
ジャイアンが、拳を握ってスネオの前に立っていた。


「……お前一人が、不幸なわけじゃねえ」

はあはあと息を荒げながら、ジャイアンは喋り始めた。

「俺の父ちゃんは、ジャイ子が産まれてすぐに死んだ。
かあちゃんは、女で一つで俺たちを育ててくれた。
うちは貧乏だったし、今だって貧乏だ。
でもそれを憎むつもりも恨むつもりもねえ。
それなのにお前は……
黙って聞いてりゃ、うじうじつまんねえこと言いやがって……」

そう言って、再び拳を握ったジャイアンは、スネオににじり寄った。
その時である。

「貧乏が辛いんじゃない!」

スネオは絶叫した。
ジャイアンは、びくっ、と肩を震わせ、そのまま立ち止まった。


「人は、裏切るんだ……」

ぽつり、とスネオは喋り始めた。

「どんなに心を通わせたと思っても、人は、いつか去っていくんだ」

スネオは、問わず語りに喋る。
昼間。スネオが話した言葉を思い出す。

『お金がある骨川さんが好きだったのになあ』

そんな言葉を投げつけられたスネオ。

新しい玩具。
新しい漫画。
別荘、海外旅行。

財を使って友人の心を引き付け続けてきたスネオ。
そして今、財を失ったスネオ。

彼は今、何を思っているのだろうか。

「僕にはもう、何もない。
もう何も失いたくない。
失うくらいなら、最初から何も、いらない」

スネオは語り続ける。


「無償の友情、無償の愛なんて、有り得ないんだよ。
そうだろ?ドラエもん」

ドラエもんに向き直って、スネオは言った。

「君だってさ、表向きは見返りなしにのび太のことを助けてるけどさ、
結局は君の将来だってそれで明るくなるんだろ?
だから一緒にいるんだろ?」

違う、とは言えない。
ドラエもんは、僕の未来を変えるために、やって来た。
僕の孫、セワシの命令で。

「ジャイアンもさあ、僕といたのは、僕の玩具や漫画が目当てだったんだろ?」

ジャイアンは複雑そうな顔をしている。
幾度となくスネオから物を取り上げた光景が、瞳の裏で蘇る。
そんなことはない、と言うのは簡単だ。
しかし、その理由を説明するのは……ひどく難しい。今のスネオには。



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スネオの夏 7


でも、そうじゃない。
そんなことはない。
無償の友情は、きっとある。
無償の愛だって、きっと。
僕はそれを教えるために今、スネオと対峙しているのだ。

「……もういいだろ。もう昔の僕じゃないんだよ。
君らとこうして話してるのだって、正直辛い。
だから、さっさと道具出してくれよ。
一人で生きれるための、道具をさ」

そう言ってスネオは、ドラエもんに向かって、手を差し伸べた。
ドラエもんは困ったような顔をして僕を見る。

僕はドラエもんの目を見て、こくり、とうなずいた。

ドラエもんがポケットに手を突っ込む。




ポケットから、一体のロボットが、現れた。


「ミクロス……」

「そう、鉄人兵団との事があった時……君が作った、ロボットだ」


ミクロスは表面上は単なるラジコンロボットだ。
でも、ドラエもんの道具により知能を与えられ、自身で考え、活動ができる。
しかしロボットが勝手に動き、喋るその姿は、世間的にあまりにも不自然であったため、
鉄人兵団との一件からしばらくして、ドラエもんが預かることになった。

そのロボットが、今、スネオの眼前に、いる。


ミクロスはスネオの下に、静かに歩み寄った。

「スネオサン」

「……」

スネオは、何も答えない。

「スネオサン、オヒサシブリデス」

「……」

スネオは何も、答えない。

「オゲンキデシタカ?」

「……元気なわけ、ないだろ」

やっと、答えた。



「ソウデスカ。デハ、アソビマショウ」

ミクロスは、無邪気に喋る。
ロボットらしく、平板な口調で。
その口調が、その言葉が、スネオの神経を逆撫でした。

「……うるさいんだよ!放っておいてくれよ!
ロボット風情に……ロボット風情に僕の気持ちが、分かってたまるか!」

スネオが、ミクロスを突き飛ばした。
瞬間、弾かれたようにジャイアンがスネオに殴りかかったが、
僕とドラエもんで必死に止めた。

「スネオサン、ドウシタノデスカ?」

ミクロスは、相変わらず呑気に聞いている。


「スネオサン、スネオサン」

ミクロスは立ち上がり、スネオの周りに纏わりついた。
スネオはまたミクロスを突き飛ばす。

ミクロスは、何度でも立ち上がる。
スネオは、何度でも突き飛ばす。

「スネオサン、スネオサン」

ミクロスの、平坦な声だけが夜の高井山に響いた。

「……なんなんだよ!!」

はあはあと息を荒げて、スネオは言った。

「なんで僕に構うんだよ!
何度も何度も突き飛ばされて!
痛いだろ!ムカつくだろ!
なんなんだよ!なんなんだよお前は!!」

ミクロスはまた立ち上がり、きょとんと――表情のないはずの彼は、確かにきょとんとして、
スネオを見つめた。

「ダッテ、スネオサンハ、ボクヲツクッテクレタ」

平板な声、でもそこには確かに、感情が込められていた。

「ボクハ、スネオサンノオカゲデ、セカイヲシリマシタ
スネオサンノオカゲデ、ソラヤ、ツチヤ、ハナヲシリマシタ
スネオサンハ、ボクノスベテデス。
ナニガアッテモ、ナニヲサレテモ、ボクハズット、ソバニイマス」

見上げると雲はもうなく、満天の星空が、僕らを包んでいた。


「ロボットが……ロボットが分かったようなことを……言うな!!」

ミクロスの言葉は、スネオに届かなかったのだろうか。
スネオは、振り上げた拳をミクロスに叩きつけた。
がしゃん、という音がして、ミクロスは遥か後方に弾け飛んだ。

瞬間、僕の横を大きな影が過ぎ去った。
ジャイアンだ。

平手で、スネオを横殴りにはたくと、そのまま馬乗りになって、殴りつけた。

「おめえは…いつまでそうやって!
いつまでそうやって文句言ってるつもりなんだよ!」

ジャイアンは、泣きながらスネオを殴った。
スネオも泣いていた。
僕も、そしてドラエもんも。


ジャイアンは、何度も、何度もスネオを殴りつけた。
口は切れ、鼻血が流れ、スネオの顔中が腫れていく。
それでもジャイアンは、殴るのをやめなかった。
そして、誰よりも痛そうな顔をしていたのもまた……ジャイアンだった。


どのくらいの時間が過ぎただろうか。
はあはあと肩で息をしているジャイアン。
顔を真っ赤に腫らし、ぼろぼろと泣いているスネオ。

静寂だけが、あたりを包んでいた。


その時だった。
ジャイアンの左方からミクロスがやって来て、ジャイアンを殴った。
あまりにも非力なそのパンチは、しかし、ジャイアンを止めるには十分すぎるほどだった。

「スネオサンカラ、テヲハナシテ……」

ジャイアンはバツの悪そうな顔をしながらも、わかったよ、と呟いてスネオから離れた。
ジャイアンはスネオを上から見下ろしながら、静かに言った。

「スネオ、これでも、こいつがロボットだからお前の気持ちが分からない、
とか言うのか……?」

スネオは、もう何も言わなかった。
何も言わず、ジャイアンの方に近づく。
刹那、スネオは―――ジャイアンを突き飛ばして、山を駆け下り始めた。

「追おう!」

僕らも、後を追って全力で走った。


ミクロスの気持ち、そして言葉は、確かに伝わったはずだ。
スネオの涙を見れば、分かる。そのくらいは。

しかし……それでもなお。
スネオのトラウマは克服できなかっただろうか?


(もう、失いたくないんだ)


スネオの発した言葉が、耳に残る。
頼む、スネオ。
もう一度、僕らと―――


山を降りると、目の前には国道が広がっていた。
スネオは―――いた。前方50mほどの場所を、ひた走っていた。
その姿を見るが早いか、僕らは駆け出した。

「スネオくん!」

ドラエもんが叫ぶ。

「スネオ!!」

ジャイアンが大声で呼ぶ。

「スネオーー!!」

そして僕もまた。

しかしスネオは止まらない。
何かを振り切るように、懸命に走っている。

そしてスネオは―――赤く光る横断歩道に、飛び込んだ

vip9 at 21:05|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

スネオの夏 8


瞬時、世界はストップモーションの様にゆっくりと動き始めた。

スネオの右側から、大きな、大きなダンプカーが、やって来た。

ジャイアンは、声の限りに叫び、届くはずもない手を、スネオに向かって差し伸べる。

ドラエもん、泣き叫びながら、ポケットの中に手を突っ込む。
ガラクタのような道具ばかりが、あたりに散乱し始めた。
ドラエもんは、いつもこうだ。

そして、僕は。

膝から崩れ落ち、目がくらむほどのライトに包まれたスネオを、ただ見つめた。

スネオの顔は――泣きながら、笑っている。






刹那。


一陣の風が、僕の横を、通り抜けた。


一瞬のことだった。


トラックは直前でブレーキをかけたのだろう。
ギィィィィィィィ、と凄まじい音を立て減速し、
一瞬後に、どん、という音だけが、国道になり響いた。


僕は立ち上がり、横断ほどに駆け寄った。

僕らが見たのは、転んだ拍子にしりもちをついて呆然とするスネオと、
ばらばらになった、ミクロスの姿だった。


誰も動けなかった。
誰も、何も言えなかった。

ただ、バラバラになったミクロスの姿だけが、そこにあった。

トラックの運転手は、スネオが無傷なのを確認すると

「気をつけろ!!」

とだけ言って、そそくさと走り去った。


スネオは暫く放心したような状態になり、しかしすぐにミクロスの破片をかき集めると
ドラエもんに詰め寄った。

「復元ライト!復元ライトを貸しておくれよ!!」

スネオは、泣きながら懇願した。
ドラえもんは、こくり、とうなずくと急いでライトを出した。

ライトの強い光が、ミクロスを包む。

ミクロスは元の形に戻った。

しかし、ミクロスがまた喋りだすことは、なかった。

「……なんで?なんでだよ!なんで動き出さないんだよ!
なあドラエもん!どうしてなんだよ!!」

ドラエもんに激しく詰め寄るスネオ。
ドラエもんは、苦々しく言葉を繋いだ。

「ミクロスは、もう、ただの機械じゃなかったんだ……
観念的な話になるけど……君と過ごした生活の中で……その……
魂みたいなものが、宿ったんだと思う」

スネオはドラエもんの肩を掴んだまま、離さない。

「壊れたパーツを集めて、繋ぎ合わせることはできるけど……
形のない魂は……僕の道具でも、復元、できないんだ……」


スネオは、がっくりと崩れ落ち、声を上げて、泣いた。





9月1日――――

あの日から、約2週間が過ぎた。
僕はと言えば、相変わらずの毎日を送っている。

「時和荘」の家は、ひどく湿っぽく、壁だって薄いし、何より住んでる人が、怖い。

パパの借金は、未だ莫大な額が残っている。
ママは、やっぱり家にあまり帰ってこない。

最悪の現実は、こうして続いていく。

でも

これでいいんだ、とも思う。

ドラエもんは、僕に借金を消す助力を申し出た。
僕は、少し悩んだけど、それを断った。
前みたいに、頑なになっているわけではない。
自分の意思で、そう選んだ。


今回のことで、僕は真正面から自分の心の弱さに向き合った。
僕の心は、弱く、臆病だった。
臆病だったから、現実を憎み、社会を憎み、友を、憎んだ。

心の強さとは、なんだろうか。
僕には、まだ、よく分からない。

よく分からないけど、ちょっとは、強くなれたかな、と思う。

僕はもう、迷わないのだから。
おせっかいで、情に厚くて、自分より他人のことが大切な、みんながいるから。

それに……


その時、窓から爽やかな風が吹いた。
部屋の片隅に集められたミクロスの欠片が、かたかた、と音を立てた、そんな気がした。




夏が過ぎ 風あざみ

だれの憧れにさまよう

青空に残された 私の心は夏もよう

夢が覚め夜の中 長い冬が

窓を閉じて 呼びかけたままで

夢はつまり 想い出の後先

夏祭り 宵かがり 胸の高鳴りに合わせて

八月は 夢花火 

私の

心は

夏もよう






―――――エピローグ


校庭が見える。
チャイムが鳴っている。
僕は、息を切らして走り、教室に向かう。

ジャイアンとのび太には、あれ以来会っていない。

怒られるかもしれない。

「心配かけんな!」

と殴られるかもしれない。

でも、それで、いい。
殴られたあと、にっこり笑って、また馬鹿をやれれば、それで、いい。

僕の、最初に言う言葉はもう、決まっているのだから。





「みんな、おはよう!」



(スネオの夏 END)

vip9 at 17:05|PermalinkComments(79)TrackBack(0)