2006年01月23日

スネオの夏 3


チャイムはなかった。あるはずもなかった。
僕は仕方なしに扉を叩いた。
一度、二度。
返事はない。
三度、四度。
返事は、ない。

僕は一瞬躊躇い、しかし次の瞬間には意を決し、どんどん、と強く扉を叩き、
その向こうにいるはずのスネオに向かって、叫んだ。

「開けてくれ!僕だよ!のび太だよ!!」

刹那、うるせえぞ、という怒号が隣家から飛んだ。
地を這う様な低い声に、僕は思わず言葉を失う。

帰りたい、と思った。
でも帰れない。とも思った。
スネオと会うまでは、会って話をするまでは、僕は帰れない。
そう決意した。


そして僕は、再びドアを叩いて叫んだ。


「開けてくれ!頼むよ!会って、話がしたいんだよ!スネオ!スネオ!」

僕は粘り強く語り続けた。

扉は、沈黙を守り続けた。


5分程経った頃だろうか。
扉は、突然に開いた。
最もそれは、隣家の扉だったのだけれど。

部屋から男が出て来る。
シャツの上からでも分かるほど隆々とした筋肉。
二の腕から覗く刺青。
目が、怒りを訴えている。
僕は恐怖にすくんだ。

「このガキ……」

一歩、二歩。
男は息を荒げて近寄ってくる。
怖い。
怖い。
逃げたい。
逃げられない。
三歩、四歩。
男があと1mくらいの所にやって来た、その時だった。

目の前の扉が、がちゃり、と開いた。

スネオだ。


しかし彼は、再会の言葉を交わすより早く、

「さっさと入れ!」

と叫んで、僕を室内に引っ張り込んだ。


スネオの部屋は、昼間だというのにひどく暗く、どんよりとした空気が漂っていた。
僕を強い力で引っ張りいれたスネオは、しかし、ずんずんと部屋の中に進むとどっかりと腰を下ろし、
壁の方を向いて何やらゴソゴソするばかりで、何も喋らない。
僕は、何かを喋ろう、と思うのであるが、すっかり変わってしまった彼の雰囲気に押され、やはり何も
喋れずにいた。
僕は手持ち無沙汰に部屋をぐるり、と見渡す。
薄っぺらな布団と、学校の机ほどの大きさのちゃぶ台を除いて、家財道具は一切ない。
ここからも彼の生活の様は窺える。
台所には、食べ終わった缶詰が散乱し、仄かのな腐臭を漂わせている。
荒んだ、生活だ。

僕は少し躊躇ったが、唇を噛みつつ彼に向き直り、聞いた。

「君の……ママとパパは?」

「どうして……学校に来ないんだい?」

「なんで、家を売らなきゃいけなかったの?」

僕はあれこれと、思いつくままに質問を投げかけた。
返事は、ない。
水を打った様な静けさが二人を支配する。
それでも僕は、粘り強くスネオに語りかけ続けた。

「みんな、心配してたんだよ?スネオ、どうしちゃったんだろう、って……
ジャイアンなんて、すっかり元気なくしちゃってさ……」

「心配……」

スネオが、ぴくり、と反応した。

「そ、そうだよ!皆本当に心配したんだよ?急に学校にも来なくなっちゃうし……
だから僕だってこうやって」

言葉が、詰まった。
ふと見上げた彼の表情が、おそろしく侮蔑的なものだったからだ。
口を醜く歪めて笑い、しかし目は激しい憎悪に燃えている。そんな表情だった。
彼の、空白の2ヶ月がどんなものであったのか、その表情は何よりも雄弁に物語っていた。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

遠くで蝉が鳴いている。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

部屋はひどく暑い。

じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ じぃ ……

喉はからからに渇き、僕はごくり、と生唾を飲み込んだ。
スネオは相変わらず、ニヤニヤと笑うばかりで、何も喋ろうとはしない。

「あのさ……」

僕が喋りかけた、その時だった。
ドアが、強い力でどんどんと叩かれる。

「骨川さん!おるんやろうが!さっさと開けえや!」

扉の向こうからは、ひどく乱暴な声が響いた。

スネオはびくっ、と肩を震わせた。
目には怯えの色が浮かんだが、それも一瞬のことで、2秒後には先ほどと同じように、
なんら感情の色の窺えない表情に戻っていた。

「スネオ……」

喋りかける僕の存在などまるで認識していないかのように、スネオはすっと立ち上がる。
無表情でドアの方にスタスタと向かうその姿からは、まるで生気が感じられなかった。
そうだ、先ほどから感じていた違和感はつまり……
彼からは活力というか、生気といった類のものが全く失われていたのだ。
まるで目の前には確かに居るのに、この世には確かに存在しない、幽霊のように。

スネオは無言でドアを開けた。
ドアの向こうには、髪を短く刈り上げた男……おそらくヤクザ、が立っていた。
ヤクザはスネオに目をやり、一瞬部屋の中にいる僕を見ると、
ふう、と言った感じのため息をつく。

「またおらんのかいや……」

憎憎しげに吐き捨てたヤクザ風の男は、胸からタバコを一本取り出し、火を点けた。
肺いっぱいに満たした煙を豪快に吐き出すと、スネオの方を一瞥して、少し笑った。

「なんじゃ、今日は友達がきとるんじゃのう。珍しいこともあるもんじゃ」

友達、とは、おそらく僕のことだろう。
彼のその言葉から、スネオは一日の大半を、いや、ことによると一日の全てを
ここで、一人で過ごしていることを悟った。

男の言葉にスネオは、何の関心もない、といった態度で虚空をみつめていた。

何の返事もしないスネオの態度に男は一瞬気色ばんだ様子だったが、まあええわ、と呟くと
地面にタバコを落とし、そのまま踵で揉み消した。

「のう、スネオくん。わしらも好きでこんなことやっとるわけじゃないんじゃ
そりゃあ分かるじゃろう?一番いけんのんは、金を借りたまま返さんスネオくんのお父さんなんじゃ
分かるじゃろう?じゃけえのう、スネオくんからも言うといてくれや
『パパ。ママ。早くお金を返して』
って言うてのう」

男はゆっくりと、しかし決して反論は許さない調子で、スネオに淡々と語りかけた。
言葉面だけ見たら決して乱暴な言葉ではない。
しかし僕は、男の言葉に体の震えが止まらなかった。
怖い。
スネオは、こんな生活を、二ヶ月間も……。
スネオの方を見た。スネオは相変わらず色のない目をしていた。

「まあ本気で返す気があるんじゃったら」

そう言って男はゴソゴソと懐を探った。

「ここに来い、ちゅうといてくれや」

男はスネオに何やら一枚の紙切れを渡した。

紙切れ。幾つかの光景がフラッシュバックする。

『売家』 とだけ書かれた、あの日の張り紙。
今日、扉の前で見た「金返せ」の張り紙。
そして今、スネオに手渡された、一枚の紙。
紙、紙、紙。
たかだかパルプの成れの果てが、こんなに僕の心を波打たせるなんて。
僕はそう思い、暗澹とした気分に襲われた。

「……まあスネオくんのパパが働くことになる場所は、ぶち寒い場所じゃけえのう
厚着して来い、言うといてくれや」

そう言って男はからからと笑うと、また来るわ、と真顔で呟いて、扉を閉めた。

男が去った後、部屋は再び重苦しい沈黙に包まれた。
スネオは玄関先にぼうっと立ったまま、動かない。
いや、動かないのではなく、動くのすら面倒くさい、動く意味すらない、
そんな退廃的な雰囲気が漂っていた。
仕方なしに僕はスネオの方に歩み寄る。

「スネオ、その紙は一体……」

そう言って、僕はスネオの握っていた紙に手を差し伸べた。
刹那のことである。
先ほどまでぽつねん、と立っていただけのスネオは、紙に触れようとする僕に気づくと
弾かれたように構えの体勢を取った。そのまま、もの凄い力で僕の手をはたき、
ぱーん、という音だけが部屋に鳴り響いた。

再び沈黙が部屋を支配する。
しかし今度の沈黙は、そう長くは続かなかった。

スネオはひどく太く、そして低い声でこう言った。

「のび太には、関係ない」

その語調には、有無を言わせないものがあった。



vip9 at 21:10│Comments(1)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 土屋直毅   2006年02月03日 10:06
やべ

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔