2006年01月23日

スネオの夏 2

「どこに、行ったんだろうね…」

ドラエもんは、思い出した様にぽつり、と呟いた。

「引っ越したのかな……」

間延びした彼の声が、僕の神経を逆撫でしていく。

「スネオくんのところは、お金持ちだから、新しくおーっきな家でも建てたんじゃないかな……」

やめてくれ、僕が欲しいのは、そんな言葉じゃない。そんな言葉じゃ、ないんだ。

「どっちにしたって心配しても仕方がないよ。またひょっこり顔出す…」

「やめてくれ!!」

たまりかねて僕は、ドラエもんの肩を掴んで詰め寄った。どん、という音がして、彼が壁にぶつかる。
ドラエもんの顔をじっと見つめた。彼は一瞬僕と目を合わせ、ばつが悪そうな表情を浮かべ、すぐに逸らした。

「僕が、僕らが今欲しいのはそんな言葉じゃないことくらい、分かるだろ?僕が君に何をして欲しいか、気付かないわけじゃないだろ?」

僕は一気に捲し立て、彼の返事を守った。

反応は、なかった。

目は相変わらず、僕を見ようとしない。

「……分かったよ、ハッキリ言うよ。尋ね人ステッキを出してくれよ。どこでもドアを出してくれよ。ドラエもんなら、君なら、スネオを探すことくらい訳はない。そうだろ!」

最後は、叫ぶように言った。
あまりの声の大きさに、自分自信が驚いたほどに。

静寂が二人を包む。
僕は彼の言葉を待つ。もう、叫ぶこともない。

永遠にも思われる長い沈黙が二人を支配する。
実際には5分も経過していなかったが、彼の言葉を待つその時、時間は無限に身を委ねた――そんな風に感じられた。

ようやく目を上げて僕の方を見たドラエもんは、諦めたように溜め息を付くと、ようやく口を開いた。

「ポケットは、ないんだ」

言葉に視界が、白く霞んだ。


ポケットは、ない。
不意に浴びせかけられた言葉、僕は虚脱したような気分に囚われた。

そんな僕の様子に、ドラエもんは明らかに躊躇いの表情を浮かべながらも、苦々しく話を続けた。

「……先月のことなんだけどね。ほら、君のために『ムシスカン』を出した時があったでしょ?あの次の日くらいに、四次元ポケットの口が、急に開かなくなったんだ」

覚えている。
僕が自分の不甲斐なさに嫌気が刺し、静ちゃんと距離を置こうとした、あの日のことだ。
そういえばあの日から、ドラエもんが道具を出すのを目にしていない。

「それで今は…修理に出しているんだけど…」

言葉が耳を上滑りする。聞きたくない。僕はそんな言葉は、欲しくなかったんだ。ただ道具を出してくれれば、僕はそれで――

「だから、のび太くん。今回は何もできそうにないんだよ。だから、信じて待とうよ…」

「スペアポケットは!」

気付くと僕は、また泣いていた。泣きながら、また叫んだ。

「スペアポケットがあるはずじゃないか!君の、布団の下には!スペアポケットが!ねえ、そうでしょ?!」

スペアポケット。もう一つの四次元ポケット。あれがあれば、何も問題はないはずだ。彼は意外なところで抜けているので、今の今までその存在を忘れてたとしても、不思議はない。

しかしそれは、その願望は、理想に過ぎた。

ドラエもんは苦虫を噛み潰したような顔で一旦口を閉じたが、深いため息をついた後で、またゆっくりと喋り始めた。

「スペアポケットもないんだよ、のび太くん」

「どうして?!そっちまで壊れちゃったの?!」

「違うんだ……そうじゃなくて……」

そう言ってドラエもんは大きくかぶりを振った。
何かを言いたい、けれども何も言えない、ドラエもんはそんな複雑な表情を浮かべている。僕は彼の目をじっと見た。しばらく時間が経ち、彼は二、三度空咳を繰り返したあと、喋るよ、とぽつり、呟いた。

―――ここからは長くなるので簡潔に纏めることにする。

先週。彼がポケットを修理に出した時、突然行政からポケットの監査を強いられた。
彼の道具はつぶさに調べられ、行政から直接の査問経た結果、ある提示される運びとなる。

僕に難しいことは分からなかったが、どうやらドラエもんは『歴史過介入』と判断された。そしてその判断が導いた結論は―――道具使用の無期限禁止、だったのだ。

「そんな……」

「もちろん僕が歴史を変容する目的で過去に来ているわけじゃないことは言ったよ。でも……ダメだったんだ。一応今は、嘆願書を出して、その回答を待ってる段階なんだけど……」

今回のことは、無論、彼のせいではない。僕のためを思ってやったことの積み重ねが、今の状況を作り上げた、そのくらいは分かる。僕にも。

でも……理屈ではなかった。抑えようのない怒り、言葉にできない憤りが、僕の胸でかさを増やし、遂に――爆発した。

「こんな時に…こんな時に何やってるんだよ!ドラエもんにポケットがなきゃ、何も意味がないじゃないか!」

言ってしまった。止めたかった。言葉はしかし、止まらなかった。

「道具がなきゃ、ドラエもんは何もできないんじゃないか!友達の一大事だってのに、何も!」

「そ、そんな言い方はないじゃないか!僕だって好きでこんなこと…」

言葉を遮って、僕は叫んだ。

「うるさいこの青ダヌキ!!」

その言葉に、ドラエもんの顔が怒りに染まるのが分かる。

「僕はタヌキじゃない!!この分からず屋!!」

どうしてこうなるのだろう。喧嘩なんて、するつもりじゃなかったのに。
僕はただ、スネオが、どこにいて何をしているのか、知りたかっただけなのに。


―――これが、この6月にあった出来事だ。
僕とドラエもんの距離は、以前と同じでは無くなった。

彼が憎いわけではない。彼に道具がなくても、彼への思いに揺るぎはない。そんなのは、USO800を飲んだ時から――分かっている。ちょっと笑って、少しだけおどけて、

「ごめんな」

それだけのことで、僕らの仲が戻ることも……知っている。
しかし僕らにはそれができない。『それだけのこと』だから、なおさら。言葉ではうまく言えないけど、きっと。

ジャイアンの元気も、日に日になくなっていった。
初めは、友をなくした喪失感からだろう、と単純に考えたけど、どうやらそれだけではないのかもしれない。

ふと思い出す。
彼がスネオといた日々のことを。

ジャイアンは、いつもスネオを付き従えていた。

彼は粗暴で、いつもスネオから色んな物を取り上げていた。

普通に考えたらそんなものは友達でもなんでもない。
贔屓目に見ても、ひどく歪な関係。

でも、二人はいつも一緒だった。
殴られ、蹴られ、物を取り上げられ……それでもスネオは、ジャイアンのそばに。

(もしかしたら)

不意に思った。

(もしかしたら、ジャイアンは、スネオを愛していたのかもしれない)

そんなことを、何故か、思った。

もしそうだとしたら、ひどく不器用な愛情表現だよなあ、あいつ、彼女ができても苦労するだろうなあ、と僕はつまらないことを考え、つまらなそうに笑い、そしてつまらなそうに溜め息を、吐いた。


7月20日。

一学期最後のホームルーム。プリントが配られ、先生は機械的に夏休み中の注意事項を読み上げる。

海に一人で行ってはいけない。
子供だけで花火をやってはいけない。
夜に家を出てはいけない。
校区外に出てはいけない。
いけない。いけない。いけない……。

どこにも行けない僕。
どこにもいないスネオ。
彼の席は、今も主を失ったまま、学び舎の一室でぽつねんと佇んでいる。

スネオはまだ、帰って来ない。


夏休み。8月15日。
遠い昔、戦争が終わった頃。暑さも最高潮を迎える頃。
裏山に寝転び、流れて行く雲を見ながら、

(戦争の頃も今も、友達の形は、変わらないのかな)

そんなことを考えた。
その答は中空を彷徨い、僕の下へやって来ることなく、ぱちんと弾けてどこかへ消えた。
暑さで頭が回らない。ぎらぎらとした太陽が、僕の体力をゆっくりと奪って行く。

僕は山を下りて、近くのコンビニへと向かった。



スネオが、いた。
今度は砂漠ではなく、現実の街角で。今、目の前に。

駆け寄り、肩を叩く。元気だったの?心配したんだよ!と声を掛ける。スネオは申し訳なさそうに笑い、何かを言う。それだけのことだ。たったそれだけのことなのに、僕は足を踏み出せずに、いた。

スネオは、以前と同じ風貌ではなかった。目は、麻薬中毒者のようにどんよりと落ち窪み、黒目だけがその存在感を誇示していた。頬と体はすっかり痩せこけ、元々細身である彼は、だから、針金のようになっていた。

何より驚かされたのは、その身を包む衣服だった。彼の家は非常に裕福で、スネオの身なりはいつだって小綺麗であった。

それなのに、今のスネオときたら、どうだ。
ぼろぼろになったスニーカー。
泥に汚れたズボン。
継ぎ接ぎだらけの服。
髪も、満足に手入れをしていないのだろう、ひどくぼさぼさである。

(これが、スネオ……?)

僕は目の前の光景を、受け入れることができなかった。
ちょっと嫌味だったけど、いつも快活だったスネオ。
自信に満ちあふれ、常に溌剌としていたあの頃。
今の彼に、その頃の影を探すことは、僕には叶わなかった。

しばらく茫漠とスネオを見ていた。コンビニ入ったら彼は、きょろきょろと落ち着きなく辺りを警戒しながら、店をぐるりと回った。
僕は店の外から、彼に気付かれぬよう、その様子を注意深く窺う。
スネオは缶詰のコーナーの前で足を止める。目付きが、鋭さを増した。
彼は持っていたぼろぼろの鞄の口を開けると、思うさまに缶詰を鞄に詰め込み始めた。店員は、全く気付いていなかった。
彼の手つきは非常に手慣れていて、だから僕は、それが始めての行為……万引きではないことを、知った。

およそ30個程の缶詰を鞄に移し替えた頃だろうか。
スネオは鞄を掴むと、すっ、と立ち上がり、足早に店を出た。そのまま彼は走り、脇目も振らず交差点の方に向かう。

ふと、あの日見た夢を思い出す。
砂漠を失踪して行ったスネオを。
追いかけても追いつくこと叶わなかったスネオを。
そして……ぼろぼろと泣きながら笑っていた、スネオを。

気付くと僕も、駆け出していた。

駆けっこではいつもビリだった。
しかし、彼を見失わない程度の脚力は、何とかあった。

スネオが缶詰を抱えたまま、10分程走った頃だろうか。
町の景色は一変していた。
ここは……そう、普段からママや先生が

「近付いてはいけない」

と口を酸っぱくして言っている地域だ。
何でも、貧しい人が多く住む場所とかで、あまり安全な土地ではないらしい。

そんな場所にスネオが何故?とは、もう思わなかった。
様々な疑問が、目の当たりにした幾つかの事実により、答に向かって収斂していく。とても、悲しい結論に。

スネオがふと、歩みを止めた。合わせて僕も立ち止まった。
眼前には、蔦の張り巡らされた一軒の古びた建物、
およそ人が住むに値しないようなぼろぼろの住まいが、そこにはあった。

スネオがゆっくりと階段を上がって行く。
僕も存在を悟られぬ様に、そっと。

ふと、アパートと思しきその建物に備え付けられた看板が目に入った。


『時和荘』


なぜだろう、懐かしくも何とも無いその建物は、
その看板の存在によりいちどきに郷愁を帯びた。

だが今は、その感情の理由を探っている暇はない。追わなければ、スネオを。

僕は静かに階段を上がると、一つだけ閉まりゆく扉を見た。

あそこだ。あそこにスネオが。

僕は逸る気持ちを抑え、扉の前に立った。表札は、ない。
代わりに、張り紙がびっしりと……あの日見た張り紙ではない。
いや、ことによると『売家』の方がまだマシだ、と思える様な張り紙が、
ドアの装飾をなしていた。



カネカエセ

ドロボー

サギシ

ジンゾウウッテ カネツクレ



世界が、ゆっくりと形を失っていく。


vip9 at 21:11│Comments(1)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by 土屋 直毅   2006年02月02日 09:42
やべ、彼女ほしい

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