2006年01月23日

スネオの夏 1

蝉の泣き声が春の終わりを雄弁に語り、夏の始まりを告げる。
全身にまとわりつくような暑さに、体中から汗が吹き出す。
不思議と、不快感はない。

今年もまた、夏がやってきた。
あと何年生きるかは分からないけど、僕はこの夏を、生涯忘れない。


話は少し前に溯る。
6月、梅雨前線はしぶとく列島に停滞し、連日の雨を僕らに運んだ。
グラウンドは雨で使い物にならず、だからジャイアンは昼休みの度に地団太を踏んだ。

そう、丁度このころからである。

スネオが学校に来なくなったのは。


初めて彼が休んだ日は、取り立てて何の感慨も抱かなかった。
長い一年の中で、一日くらい休む日もあるだろう、つまりはそのくらいの感覚だった。
しかし、彼の休む日は2日、3日…と伸びていった。体調不良にしては、ばかに長引いていた。

そして、スネオが学校に顔を見せなくなって、遂に一週間が経過した頃。
この時点で、僕は言い様もない不安を感じた。

そして、8日目。
僕は、押し寄せる不安に耐え兼ねて先生の所へ行った。
スネオの欠席、その真実を知るために。


「先生…」

「ん?おお野日か。どうした?勉強の質問か?」

「いや、そんなことじゃなくて…」

「そんなこと、とは随分だな。…まあ、よろしい。で、何だ?」

「あの、スネオのことなんですけど」

「……」

「スネオは、どうして休んでるんですか?」

「……」

「風邪にしてはばかに長いし」

「……骨川は、風邪だよ。長引いてるんだ」

「でも、先生…!」

「…おっと、職員会議の時間だ。さあ、野日も早く帰りなさい」

そう言って先生は、椅子からそそくさと腰を上げる。
とてもじゃないが、納得なんてできなかった。

のび「先生!本当にスネオは」

先生「早く帰れ、と言っておるんだ」

先生は反論を許さない口調で、ピシャリと言った。
僕は言葉の接ぎ穂を失い、しばしその場を動けなかった。

納得は、やはり、出来なかった。
確かに、ジャイアンほどではないけど、スネオも平均以上に活発で元気な男子だ。
風邪で一週間も寝込んでいる姿なんて、想像だに出来ない。

だから僕は、決意した。

(スネオに会って、直接確かめよう)

放課後、夕焼けに染まる空。
僕はスネオの家へ足早に向かった。

と、校門をくぐり抜けたその時である。

「のび太…」

不意に後ろから声を掛けられ、僕は少しく驚いた。
ゆっくりと振り向いて、声の主を確かめる。

大きな体のシルエット、野太い声、それは確かめるまでもなく、ジャイアンだった。

「先生んとこ行ってきたんだろ?スネオ、なんだって?」

矢継ぎ早に質問するジャイアン。
彼も心配なのだ。スネオのことが――スネオの現在が。

「風邪、だって」

躊躇ったが、僕は聞いたままを告げた。
全く信じていない、おそらく先生の嘘である−−その言葉を。

ジャイアンは、一瞬ぽかん、とした表情を浮かべたが、すぐに激昂した表情になった。

「……そんなわけないだろ!あいつが風邪で一週間も……おまえ、それですごすご帰ってきたのかよ!」

すごい剣幕で僕に詰め寄るジャイアン。
ぐいっ、と両肩を掴まれた。
強い、力だ。そして、悲しい力だ。

僕は何とか彼の腕を振り払い、負けじと強い調子で、言い返した。

「……僕だって!僕だってそんなの…信じるわけないだろ……」

「……わりぃ」

寒々とした空気が二人を包む。
ここで僕らがいさかっても、何の解決にもならないことくらいは分かっているのだ。

「行こうよ……」

「え?」

「スネオの、家にさ」

僕は彼の目をじっと見つめて、そう告げた。
ジャイアンは、そうだな、と息だけの声で、でもハッキリと、答えた。

西の空が赤く染まっている。
カラスが家路に着いている。
僕らは並んで、無言で、友の――スネオの家に、向かって、いる。

足取りが、重い。
真実を確かめたい、でも――知らないままの方が、いい?
矛盾する二つの気持ちが胸でぶつかる。

風邪だ、と思い込むのは楽だ。本当に風邪であれば、それが何よりだ。

しかし、それ以外の何か、分からないけど『何か』がスネオの身に降りかかっているのだとしたら……。

僕は何をして、何をしなければいいのだろうか。
どんな表情で、どんな言葉をかければいいのだろうか。

分からない。

それはジャイアンも、きっと。


スネオの家に着いた。豪華な彼の家は、近隣にその存在を誇示する様に建っている。

うらやましくない、と言えば嘘になる。
しかし僕は、この家を見ると、決まって悲しくなる。
思うのだ。この巨きな容れ物の中に、スネオの居場所はあるのかな?――なぜかそんなことを、漠然と思うのだ。


僕はチャイムを鳴らした。
家の中に人の気配はなかった。
だから、返事も返ってこなかった。

それでも二度、三度とチャイムを鳴らす。返事は、ない。

「…どけ!」

ジャイアンは僕を乱暴に押し退けると、力の限りドアを叩いた。

「おいスネオ!!いるんだろ!!学校休んでどうしたんだよ!!おいったら!!おい!!」

ジャイアンも、スネオがここにいないことくらい分かっている。
でも、それでも。体を動かさずにはいられないのだ。声を張り上げずにはいられないのだ。

「スネオ!!スネオ!!出て来いよ!!野球しようぜ!!ピッチャーやってもいいからよ!!なあ……野球、しようぜ……」

僕は、懸命に叫ぶ彼を見るともなしに見ながら、ふと、視界の端に何かを捕らえた。

「ジャイアン……」

「なんだよ…!」

振り返ったジャイアン。泣きそうな顔をしている。そして僕もたぶん。

「あれ…なんだろ…」

言って僕は、玄関の脇の方にあった張り紙を指差した。


『売家』


ジャイアンは張り紙を見ると、声もなく口をぱくぱくと動かしてから、がっくりとうなだれた。
夕焼けの赤に照らされて、僕らは、声もなく嗚咽した。



野良猫が気怠そうに僕の前を過ぎ去った。言い様のない脱力感に包まれる。ジャイアンは、とうに家に帰って行った。

様々な疑問が、浮かんでは消え、消えては浮かび、僕は思考の迷路に迷い込んだ。

スネオは一体どこに行ったのだろう。
何故家を売らなければならなかったのだろう。
そして何故――先生は嘘を言ったのだろう。

分からない。何も。

部屋に着いた僕はランドセルを放り投げると、机に肘を付いて虚空へと視線をやる。
窓の向こう、遠く、遥か何光年もの彼方に、一番星が仄かに光っているのを見つけた。
でも、僕の見つけたいものは――


眩しい。
南中した太陽が、容赦なく照り付ける。ここは――僕は、砂漠を走っていた。
ひどく暑く、体力は既に限界に近かった。それでも僕は走り続ける。なぜならそこに――視線の先にはスネオが、いるから。

「スネオ!」

叫んで僕は懸命に走る。
しかし、砂に足を取られて歩みは遅々として進まない。
不思議なことにスネオは一人、自然界から埒外の存在であるかのように砂漠をぐんぐんと進む。まるでバギーに乗っているかのように、恐ろしく速い。
僕らの距離は、絶望的に広がって行く。
ダメだ、待ってくれスネオ。

ふと、遥か遠くでスネオが立ち止まった。
地平線の彼方、決して視認できる距離ではない場所にいたスネオの顔はしかし、僕の瞳にハッキリと写った。

ぼろぼろと泣きながら笑う、彼の顔が。


「のび太君、起きなよ。ご飯だよ」

馴染んだ声が、優しく鼓膜を揺する。
いつの間にか寝ていたらしい。
喉がカラカラに渇いている。
僕は無言で立ち上がると、キッチンに行った。蛇口に直接口を付けてごくごくと喉を鳴らして水を飲み、ようやく人心地ついた。

後ろからパタパタとドラエもんがやって来る。

「どうしたののび太くん?なんだか様子が変だよ」

ドラエもんは心配そうな顔つきで僕の目を覗きこんで、そう尋ねた。ガラスに映った自分の顔を見る。泣きはらした目、眼球はひどく血走っていた。ひどい顔をしている。

ドラエもんの方に向き直り、彼ならあるいは、と考えた。彼ならば、スネオの行方を追えるかもしれない。そう考え、僕は彼にありのままを話す事にした。

「スネオがさ…いなくなっちゃったんだ」

「スネオくんが?!」

言下に大きな声で聞き返された。狼狽している。いつもは沈着な彼の心が、大きく波打ったように見えた。

「いなくなったって、一体どういうことなのさ」

のび「分からないんだ。10日前くらいから学校に来なくなって…先生は風邪だって言うんだけど…信じられなくて…それでジャイアンと一緒にスネオの家に行ったんだ」

ドラえもんは、僕の言葉を一つも漏らすまいと無言で聞いている。僕は次の言葉を探し、先刻の光景――売家の張り紙を思い出した。視界が霞む。嗚咽がもれそうになる。言葉が、続かない。事実を、認めたくない。

「のび太くん……」

ドラエもんは、僕の手をそっと包んだ。機械である彼の手はいつも冷たい。でもぬくもりは、確かにあった。確かに、そこに。

「辛いことは半分にしよう。楽しいことは倍にしよう。僕らって、ずっとそうしてきたんじゃないか」

そう言ってドラエもんはニッコリとほほ笑んだ。だから僕は、奥歯をかんで、話を続けた。

「スネオの家は、売られてたんだ」


「売られてたって…」

僕の言葉に、ドラエもんは戸惑いを隠せないでいた。無理もない、友人の家が突然売りに出されていたのだ。誰だって信じようはずもない。

「何かの間違いでしょ」

彼は無理に笑って、そう言った。僕は無言でポケットに手を入れ、くしゃくしゃになった紙片を取り出し、開いて見せた。

『売家』

僕らとスネオを断ち切ったあの紙片を。

「これ…なんで……」

ドラエもんは、信じられない、と言った表情で張り紙を見つめる。僕は彼の言葉を待ったが、茫漠と紙を眺めるばかりで何も喋ろうとはしなかった。

「……ジャイアンがさ、張り紙を見てさ、『ふざけんじゃねえ!そんなのって…そんなのって、あるかよ!』ってね、すごい勢いで怒ってさ、ビリビリって張り紙破っちゃったんだよ。人の家なのにね。ジャイアンは本当、短気でさ…こんなことしたらいけないって…分からないんだね……」

嘘をついた。ジャイアンは、それはいけないことだと知っていた。そして、自分の行為に何の意味もないことも。それくらいは、分かる。泣きながら張り紙を踏み付ける彼の姿を見れば、そのくらいは。



vip9 at 22:11│Comments(3)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by 通りすがり   2006年01月25日 17:21
どうでもいいけど、一番星とは金星(或いは水星)のことです。
そう、太陽系の地球より内側の惑星です。
何光年どころか、最大でもほんの14分ほどの時間で届きます。
ご一考を。
2. Posted by 【管理人】   2006年01月25日 20:59
不勉強の致すところです。精進します。
3. Posted by アーロニーロ   2008年04月18日 12:42
5 今日から読み始めます。
スゲー期待しております。笑

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