2008年04月29日
衛門三郎
伊予国荏原に衛門三郎という強欲な長者がいた。
門前に一人のお坊さん(弘法大師)が托鉢に来ましたが、三郎は強欲な人間で少しの金をも惜しんで御布施をしなかった。 大師は、あくる日も、その次の日も托鉢に来ました。
毎日来る大師に三郎は激怒し、大師の持っていた托鉢用の鉄鉢(てっぱち)を奪い地面に叩きつけ、鉄鉢は八つに割れ飛び散りました。そして大師を追い払い、それから大師は二度と来ることはなかった。それから後、衛門三郎の八人の子供達は、次々と原因不明の病に倒れ死んでいった。衛門三郎は初めて自分の悪業に気付き、さては、あのお坊さんは、弘法大師だったのではないかと思い、弘法大師に会って罪を詫びるため、大師の後を追った。これが遍路の始まりといわれている。改心した三郎は、大師を求めて霊場巡礼に旅立つ。
四国霊場を回ること二十数回、しかし大師に会うことが出来ない。そこで三郎は、逆に回れば会えるかもしれないと思い、逆回りで巡ったが、大師に会うことが出来ず、ついに第12番札所焼山寺の手前で行き倒れとなり意識が薄れてきた。その時、弘法大師が現れた。三郎は、息も絶え絶えに自分の罪を詫びた。大師は、汝の罪は四国を修行して歩いたことで消えたといい、さらに死に行く衛門三郎に、何か望みはないかと聞くと、「私は、伊予城主河野家の一族です、もし生まれ変わることが出来るなら、その世継ぎに生まれ、今度こそは天下万民のためにつくしたい」と言った。すると大師は、三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせると、三郎は安心して息を引き取った。その後、河野家に世継ぎが誕生しが、その子の左手は開かない。困った父親が安養寺の住職に加持を頼んだ。住職が祈祷すると手が開き、その手中に「衛門三郎再来」と書かれたの小石が握られていた。それがこの石である。
門前に一人のお坊さん(弘法大師)が托鉢に来ましたが、三郎は強欲な人間で少しの金をも惜しんで御布施をしなかった。 大師は、あくる日も、その次の日も托鉢に来ました。
毎日来る大師に三郎は激怒し、大師の持っていた托鉢用の鉄鉢(てっぱち)を奪い地面に叩きつけ、鉄鉢は八つに割れ飛び散りました。そして大師を追い払い、それから大師は二度と来ることはなかった。それから後、衛門三郎の八人の子供達は、次々と原因不明の病に倒れ死んでいった。衛門三郎は初めて自分の悪業に気付き、さては、あのお坊さんは、弘法大師だったのではないかと思い、弘法大師に会って罪を詫びるため、大師の後を追った。これが遍路の始まりといわれている。改心した三郎は、大師を求めて霊場巡礼に旅立つ。
四国霊場を回ること二十数回、しかし大師に会うことが出来ない。そこで三郎は、逆に回れば会えるかもしれないと思い、逆回りで巡ったが、大師に会うことが出来ず、ついに第12番札所焼山寺の手前で行き倒れとなり意識が薄れてきた。その時、弘法大師が現れた。三郎は、息も絶え絶えに自分の罪を詫びた。大師は、汝の罪は四国を修行して歩いたことで消えたといい、さらに死に行く衛門三郎に、何か望みはないかと聞くと、「私は、伊予城主河野家の一族です、もし生まれ変わることが出来るなら、その世継ぎに生まれ、今度こそは天下万民のためにつくしたい」と言った。すると大師は、三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせると、三郎は安心して息を引き取った。その後、河野家に世継ぎが誕生しが、その子の左手は開かない。困った父親が安養寺の住職に加持を頼んだ。住職が祈祷すると手が開き、その手中に「衛門三郎再来」と書かれたの小石が握られていた。それがこの石である。