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今日はつまんない話をします!

面白い事件もない月曜日。僕は少し微熱が出てしまったため、自己診断書に「新型うつ」と記入。布団にくるまって療養をしていました。やりたくないのに何故仕事をしなくてはいけないのか。生きるためか。でもやりたくないものはやりたくない。たとえ殴られても。まぁ逆に殴られたら辞めて失業保険もらいながら、チクチク少額訴訟でもしますけどね。

何故、人は人を殴るのか。

先日見ていた大相撲中継でも、最近の稽古について「最近の弟子は厳しい稽古をするとすぐ辞める」「ハングリー精神が足りない」「我々なんかはガンガンやられたものだ」などと語り合う場面がありました。竹刀の一本も取り出してバシバシやったんでしょうか。かつてはあったんでしょう。時代も後押しをしていたかもしれません。まぁ竹刀などなくても、10回も兄弟子に胸を借りたらボコボコですからね。そもそも格闘技なんですから。いずれにせよ非常にタイムリーにバツが悪い会話でした。

この件に関して、グッと世間の評判をあげた桑田真澄氏は「叩いても上手くならない」「一番ラクな指導法で、ひきょうな行為」「楽しんでやるのがスポーツ」と語っています。まったくごもっとも。僕などは「叱らないで」「怒らないで」「叩かないで」のサンナイ精神で生きていますから、一発でアウトです。叩かれた瞬間にその人間は敵となり、全力逃亡です。叩かれたら委縮して逆に下手になります。

それでも体罰は昔からあり、今もあるようです。体罰が存在しても、それを容認するという指導者・選手もいないわけではない模様。おそらく体罰は極めて有効な指導法のひとつなのでしょう。別に殴る以外の選択肢もいくらでもあるのに、歴史上体罰は連綿と受け継がれ、いまだに滅んでいないのですから。歴史はウソをつきませんよね。

「ムチとアメ」という言葉があります。

スポーツではコレを「ムチかアメ」と言ったほうがいいでしょう。ムチが体罰、アメがドーピングです。ムチは平手打ちで、アメはアナボリック・ステロイド、EPOなどを含む薬物を想ってもらえば伝わりやすいでしょうか。この2つはよく似た性質でアプローチが違うモノと僕は考えています。

体罰とドーピングはよく似ています。

まず、これは「それなりにできるヤツ」にしか効きません。僕などがいくら殴られても球蹴りが上手くなったりはしません。多少懸命に走るかもしれませんが、いっぱしの相手には通用しません。しかし、それなりに能力があるが自身の全力を使いこなせないタイプの選手には効果覿面です。殴ってでも無理やりやらせれば、使っていない部分のチカラが引き出されます。結果、チームあるいは個人は勝ちます。そして勝利という栄光が、喜びが、成功が、体罰を肯定します。イヤなことがあっても勝ったんだからイイじゃないかと。やらなかった選手を、無理やりやるように矯正できましたし、結果オーライですよね。

ドーピングも同じです。クスリを飲めば誰でもスーパーマンになれるわけではありません。ある程度のレベルにある選手が、クスリの効果を引き出すようなトレーニングを積んで、初めて効果が生まれるのです。効果を引き出すことができれば、記録が伸びます、感覚が変わります、チームあるいは個人が勝ちます。そして栄光が、喜びが、成功が、ドーピングを肯定します。少々の健康リスクがあっても勝ったんだからイイじゃないかと。増えなかった筋肉を、無理やり膨らむように矯正できましたし、結果オーライですよね。

<どうしようもない下手糞にはムチもアメも効かない>

●ド下手糞×体罰=ケガするだけ

●ド下手糞×薬物=健康リスクがあるだけ


<やっても勝てなければムチやアメは効かない>


●平凡人×体罰=痛いし、勝てないし、もうやんねーっす

●平凡人×ドーピング=怖いし、勝てないし、もうやんねーっす

逆にスゴすぎる才能を持った圧勝中の人物の場合。これもムチやアメとは無縁でしょう。まず普通にやっているだけで勝ってしまう。普通に勝つなら、わざわざクスリに手を出すメリットはありませんし、バレたときのリスクが大きすぎます。体罰だってそうでしょう。勝つんなら殴る必要はないのです。優勝の瞬間に殴りに飛んで行く体罰教師って見たことないですからね。勝ちそうな状況で、わざわざ殴って怪我のリスクを負うこともありません。そうしたリスクを負っても上に行きたいという渇望があってこそ…つまり「まだ負けている、あとちょっとで勝てる」という状況で、初めてムチやアメは効果を生むのではないでしょうか。

<勝ってるヤツにはムチもアメも効かない>

●絶対王者×体罰=ケガで勝利を失うリスクを負うだけ

●絶対王者×ドーピング=バレたら失格になるリスクを負うだけ


<もう少しで勝てそうなヤツはムチやアメが効く>

●そこそこ×体罰=普通にやって負けるよりは、痛くても勝ちたい

●そこそこ×ドーピング=普通にやって負けるよりは、危なくても勝ちたい

「やったら、勝った」

これがムチやアメを常態化させる要因ではないでしょうか。もちろんただただクスリ好きとか、ただただ生徒を殴るのが好きなオッサン監督とかもいるでしょうが、多くの場合は違うはず。みな目指すのが勝利であり、実際に目標にある程度届き、「これもアリだな」という想いが生まれるからこそ、ムチやアメは肯定されてしまうのです。しばしば有力選手がドーピングを摘発され、強豪校から体罰事例が聞かれるというのも、「やったら、勝った」構造があるから。周辺から「練習熱心」であるとか「優秀な先生」という評価が出るのも、むしろ自然だと思います。

「やめるのが、怖い」

そして、ムチとアメが怖いのは使用後です。ムチもアメも癖になります。せっかく「勝利」という目標へ到達させてくれた解決方法を捨てることなんてできません。「この前はクスリで勝った」「クスリがなかったら負けるのでは?」「またクスリを飲まなくては」となるでしょう。成功した手法を捨てるなんて、現実世界でもそうそうできるはずがないのです。美容整形を始めるとハマってドンドン肉体改造してしまうのと同じ。一度成功したら、ハマっちゃうのです。

「アイツがやって勝ったなら、俺も」

そして、ライバルがそうした手段に手を出せば、追随するものが現れます。負けてしまうから。すべてを奪われるから。アイツがやるなら、俺もやらなきゃ損だ。バレなければいいのだ。つい先日も、ツール・ド・フランスを7連覇したランス・アームストロングがテレビでドーピングを告白していました。悪びれた様子もなく、「みんなやってたから必要だった。クスリなしで7連覇なんかできるわけないだろ」と語るアームストロング。誰かがズルをしたとき、告発するのではなく、追随するパターンは大いにあり得るのです。

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あと少し早く走ったら、あと少しの時間頑張ったら、あと少し記録が伸びたら勝てる。勝てばすべてが肯定される。その「あと少し」を後押しするのに効果的なのが、体罰とドーピングだとすれば、なかなかなくらないのは当然です。

しかし、そのふたつが似ている性質であるならば、少なくともムチのほうはやめられるはずです。ムチは運動能力を向上させるわけではありません。「もともとできること、サボっていることを強引にやらせている」だけです。アメのように、本来なら届かなかった場所に到達するための後押しではない。アメよりも初歩的で、単純な方法です。アメを使う段階まで行った選手は、今さら殴られても記録が伸びやしないでしょう。

ムチで引き出せるチカラは、ほかの手法でも引き出せるはず。

言葉で指導し、やる気を出させるというのも手。一緒に苦しむことで、サボらせないのも手。自らのカリスマ性で、あの人のようになりたいと憧れさせるのも手。ただ、それ以上に必要なのは、真っ当なトレーニングです。ムチの段階は、まだ伸び代がある。アメのように、追い込んで追い込んで追い込んでも勝てない人が手を出すものとは段階が違います。伸び代があるなら、伸ばす方法はある。別に殴りたくて殴っているわけではないはず。伸ばすための方法を、殴るより効果的な方法を知らないから殴っているだけでしょう。

「こういうトレーニングをしたら伸びるよ」「こういう技術を身につけたら勝てるよ」というのがわかっていれば、先にソッチを試すのではないでしょうか。今実施していない新手法があれば、試してみようとなるのではないでしょうか。ダイエットだって、いきなり脂肪吸引はしません。簡単で効果がありそうな方法を試すもの。ムチを振るうのは、ほかに効果がありそうな方法の引き出しがないからです。

アメを禁止するには、基本的には「追放」しかありません。いろいろやって、ある程度のところまでは来たけれど、それ以上伸びなかったのでアメを飲んだのですから。しかし、ムチはやめられる。ムチ以外の方法がまだたくさんある。全部試す前にムチに手を出すのは、安易です。「もうクスリでも使うしか伸びる方法はないな」と思うまでやれたのか。やれていないでしょう。自分の知っている原始的なトレーニングでは効果が得られなくて、短期的に有効な体罰に依存しているだけ。

「苦労する・練習する・耐える→伸びる→楽しい→褒められる→気持ちいい!→また苦労する・練習する・耐える→…」

どんな世界だって、このサイクルで人は成長していくのではないでしょうか。重要なのは最初の苦労を打ち消すだけの「伸び」。伸びなければやる気が出ないのは当たり前。意味がない行為に感じられるますから。逆に「伸び」を感じれば人間は簡単にハマります。ソーシャルゲームなどでも、その「伸び」で人間がハマるケースを聞きます。「課金する→効果がある→ハマる」の構造です。


ならば、対策もスポーツ部の活動を停止したりするより、もっと効果的なものがあるはず。活動停止や廃部なんてのはアメ用の制裁です。ムチ用の対策は、ムチ以外の方法を与えることです。指導者にも選手にも、それは無駄に苦しいだけで非効率的だと教え、もっといい方法を与えることです。殴って罰走させるよりも、適切なフィジカルトレーニングのメニューを与えたほうが、確実に効果があり、お互い楽しいはずです。効果があって楽しいほうを選ばない理由はありません。ダメな指導者を追い出すだけではなく、指導者を指導する仕組みで体罰に頼らずに済む知識を。

そして、もうひとつ。体罰はアンフェアであるという認識を再確認することです。体罰はアンフェアです。殴って言うことを聞かせるのはクスリで運動能力を上げるような話です。「効果があるのは知っているが、やっちゃダメな方法だよね」と社会で決めているんですから、ナシです。不正行為、インチキです。そりゃあ殴れば言うこと聞くでしょう。でも、それをやらずにどれだけやれるかって勝負なんです。ドーピングが禁止される理由とまったく同じ理由で、体罰も禁止すべきだと僕は思います。

<WADA規定によるドーピングが禁止されるべき理由3点 JOCアンチ・ドーピングより>

●スポーツの基本理念、スポーツ精神に反する
 フェアでない、反則

●競技者の健康を害する
 副作用

●反社会的行為である
 薬物汚染、青少年への悪影響

http://www.joc.or.jp/anti_doping/about/index.html

体罰が健康を害すること、反社会的「暴力」行為であることは明白。ただ、「フェアではない」という議論はなされていないように感じます。堂々と指導の効果を語る指導者や、体罰があったから強くなったと公言する選手もいます。「程度問題」だと思っているのです。「このくらいならアリだよね。怪我もしなかったし」と。それではなかなか体罰はなくなりません。

指導者・選手に効果的な方法を学んでもらうという施策の前段階として、まず体罰はアンフェアだと社会が認識すること。程度の問題ではなく、その手法を用いること自体が反則であることを、認識していくことが必要なのではないでしょうか。クスリに手を出せば、過去の栄光はすべて泥にまみれます。それは健康を害したからでも、青少年に悪影響を与えたからでもなく「フェアではない」からです。体罰も同じように、栄光を損ねるアンフェアなものだと認識することが、こうした事例をスポーツから遠ざける第一歩だと、僕は思います。

殴って勝つのは、卑怯です。

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相手選手を殴って勝つのと、味方選手を殴って勝つのと、何が違うんだ!