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14:37
心を閉ざしても、木鶏たり得ない!

ボタンの掛け違いは手元のひとつだけを直せば済むというものではありません。一度すべてを外して、イチから掛け直す必要があります。大相撲春場所のギクシャクした空気感は、まさにボタンを掛け違えたまま34ボタンほど締めたロングコートのようでした。一日も早く、この掛け違いが解消されることを願ってやみません。

白鵬の舌禍問題とされる一件があります。初場所後の一夜明け会見で白鵬は確かに口を滑らせました。十三日目の稀勢の里との取組が取り直しとなったことについて、「疑惑の相撲がある」「(自分が)勝ってる相撲」「子どもが見てもわかる」「もう少し緊張感を持ってやってもらいたい」と審判部を非難したのです。しかし、実際にビデオを見れば、審判部の説明にあるように、白鵬の足の甲が返ったタイミングは極めて微妙であり、同体取り直しはむしろ白鵬に有利な裁定とも言えるものでした。

↓大相撲初場所十三日目、稀勢の里との一番は子どもが見てもわかるほど簡単な一番ではなかった!


確かに体が落ちたのは稀勢の里が先のように見えるが、それよりも先に白鵬の足の甲がついているようにも見える!

この類のは取り直しが適当!

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確かにコレは言いすぎました。そもそも判定を非難すること自体もよろしくなく、非難の内容も筋が悪いものでした。白鵬は「足の甲」の件について気付いていなかったのでしょう。単純に体の落ちる速さだけを見て、自分の勝ちを取り消されたと思ってしまった。事の仔細を知ったときには「しまった」と思ったでしょう。盛大に非難をぶち上げたのに、実は自分のほうが負けっぽいのですから。その意味で白鵬にも落ち度はあります。

しかし、この件についてはあくまでも審判部ひいては相撲協会と白鵬の間での話。その意味ではすでに北の湖理事長から師匠の宮城野親方を通じて注意がなされており、済んだ話です。白鵬自身も審判部非難をぶち上げたあとの1月31日に出演したテレビ番組で「場所後の件ですが、多くの人々にご迷惑をかけ、ご心配をかけ、お詫びしたいです」と語り、その件について謝罪の意を示しています。そして、春場所後には優勝力士インタビューの中で「いろいろ騒がせましたけど(※長い沈黙)、頑張ります」とバツの悪さを見せました。自身の失着については、十分に反省していることでしょう。

ここで表面上の全面的な謝罪を行なえば、問題は終息するのかもしれません。詫びを入れる姿に世間も溜飲を下げるのかもしれません。処世術だけで言うならば、白鵬は早くお詫びパフォーマンスをして、問題を片づけるほうが得策でした。そのほうが賢明な判断と言えたかもしれない。

しかし、それは掛け違ったボタンの最後のひとつを直す作業に過ぎません。もっと根っこにある、掛け違いのひとつめを正すことを考えるべきでしょう。白鵬が審判部を非難した際、うしろにつづいた言葉があります。「本当、肌の色は関係ないんだよね。同じこの土俵に上がってマゲを結っていることになれば、日本の魂なんです。みんな同じ人間です。偉いとか偉くないとか関係なく。盛り上がりどうこうじゃないんだよね。こっちは命懸けてやってますからね」というものです。

あえて「肌の色」という言葉を出した。モンゴル人と日本人とで僕には肌の色に違いがあるような気はしませんが、それでも肌の色と言うからには、ここには「人種差別」「国籍差別」に対するやるせない不満を読み取るべきでしょう。その掛け違い、長きに渡って白鵬の中に積み上がってきた小さな疑念たちが、「取り直しという裁定は国籍差別だったのではないか」という形で爆発した。今回の舌禍事件は、単なる審判部非難ではなく、角界の鎖国体質そのものを問い直す機会としてとらえるべきものでしょう。

現在、大相撲は多くの外国人のチカラによって支えられています。競技者である力士たちには、モンゴルなど異国からやってきた者が数多くいます。その数は幕内だけでも17人。42人中の17人ですから3分の1以上は外国出身の選手です。そして集う観衆にも多くの外国からの観光客が含まれ、たどたどしい日本語で力士たちに声援を送る姿も散見されます。英語などで書かれた観光客向けのパンフレットが置かれているのも、インターネットを通じた取組映像の配信を行なうのも、そうした国外ファンを意識したものでしょう。相撲は日本の国技を自認しつつも、実際には世界に支えられているのです。

しかるに、外国人力士をめぐる環境は、必ずしも開かれたものではありません。その最たるものが年寄名跡をめぐる問題です。引退後も角界に残り、大相撲に関わっていくには年寄名跡を取得した「年寄」、いわゆる親方になる必要がありますが、これを取得するには日本国籍を有する者である必要があります。「年寄」にならなければ引退後に協会員となることができないばかりではなく、指導者として部屋を興すこともできません。「コーチ」などの形で技術指導をすることはできるものの、上に「親方」を戴く以上その活動は大きく制限されます。外国出身で現在は後進の指導にあたる武蔵丸(武蔵川)、琴欧洲(鳴戸)らも日本国籍に帰化し、年寄となっています。

いかに相撲道に通じていても、日本国籍がなければ第二の人生は相撲と袂をわかつことになる。やたらとメシを食わされてデブにさせられた挙句、人生の後半は「日本人でないから」と放り出される。すでに日本の中で完結するものではなくなっている大相撲にあって、外国出身力士のチカラにこれほど助けられながら、彼らの出口はない。髷を結い、和服を着て、日本語を話し、日本の伝統に寄り添いながらも、どこかで「あなたは外国人」という線引きがされる。

愛されたいと願っても、どこかで拒絶されているような感覚。

白鵬も勝利を重ねるごとに疑問を募らせてきたのでしょう。平成二十五年の九州場所では、稀勢の里が白鵬を下した際に場内で万歳三唱が起きました。平成二十六年の五月場所千秋楽結びの一番においては、星ひとつの差で追走する稀勢の里を応援する意図か、取組相手・日馬富士への大コールが起きました。もちろんコレは「もつれろ」という観衆の素直で当然な反応でもあり、白鵬も気にする素振りはありませんでした。しかし、「やはり日本人贔屓なのか?」という疑問は完全に拭えるわけではない。

その疑問の地固めをするように、土俵内外から聞こえる「日本人力士の優勝」「日本人横綱の誕生」を期待する声。そうした声はNHKでの放送中に解説者の口から飛び出したり、立行司が定年を迎えるにあたって「日本人横綱の相撲を裁けなかった」ことを惜しむなど、日本のアチコチに深く広く存在します。勝てば勝つほどに負けを期待され、勝てば勝つほどに疎まれる。それが初場所での取り直し裁定に至って、「客だけでなく審判までもか。それはないだろう」と暴発してしまった。だからこその「肌の色」発言でもあるでしょう。

↓何故か万歳三唱が起きる白鵬VS稀勢の里の取組!



そりゃまぁ、今日で優勝が決まるか、千秋楽にもつれるかだから、もつれたほうが客はわくだろう!

それは当然だが、惜しむらくは「いつも白鵬の負けが期待される」ということだ!

だって、白鵬が強いんだもん!

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ここにはふたつの大きな掛け違いがあります。ひとつは白鵬が負けを期待されているのではなく、「強すぎる横綱」の負けが期待されているということです。横綱に昇進してからの47場所で白鵬は31回(※技量審査場所を加えれば32回)の優勝を果たしています。こんなに勝てば、誰でも飽きます。そりゃあ相手方の勝ちを期待もするでしょう。しかし、それは「相手方」というだけで稀勢の里に限ってのことではありません。

鶴竜が優勝争いをした際は鶴竜に、照ノ富士が優勝争いをした際は照ノ富士に、「もつれろ」という意味での支持が起きます。かつて北の湖も「憎らしいほど強い」と評され、子どもが嫌いなモノを示す「江川・ピーマン・北の湖」なる言葉まで生まれたと言います。これは国籍や人種による差別ではなく、絶対王者よりも適度に負けるオッチョコチョイのほうが愛される面倒臭い国民性によるものです。

もうひとつの掛け違いは、協会構成員と実技指導者が兼務であるということに起因する国籍要件の存在です。日本相撲協会の構成員として、大相撲の運営に携わるにあたって、日本国籍を有する者という制限を設けることはおかしなことではありません。日本サッカー協会も、日本バレーボール協会も、日本ラグビーフットボール協会も、協会の構成員は日本人です。「日本協会」の意志決定を日本国籍を有する者が行なうのは当たり前です。

ただ、日本相撲協会が特殊なのは、協会の構成員は運営者でもあり実技指導者でもあるという点。例えばサッカー協会の理事には選手経験を問われることはなく、経済界など他の分野での活躍によって招かれるケースもあり、逆に実技指導者である監督には外国人が就くこともあります。しかし、日本相撲協会は構成員=運営者であり、構成員=実技指導者です。大相撲の運営をするのも、後進の指導をするのも、とにかく「年寄」でなければならない。

この「年寄」が競技運営も実技指導も十把一からげに行なうという構造の独特さが、「国籍差別」に近い状態を生んでいるように思います。「日本」相撲協会の意志決定をモンゴル国籍のままでやるのは確かに難しかろうとは思いますが、白鵬部屋の実技指導をモンゴル国籍の者が行なうことには何の不都合もないはずです。サッカーだってバレーボールだってラグビーだって外国人監督はいます。サッカー日本代表の監督は外国人です。逆に運営組織のほうがラモス会長、武田副会長、前園専務理事とかだったら、その組織ポンコツすぎるでしょう。そもそも論として「運営」と「実技指導」を兼務するほうが難しいはずです。

↓手元のメモ帳から目を離すことなく、懸命に自分のコメントを読み上げる運営トップ・北の湖理事長!


相撲以外ではファンを不安にさせる達人だぞ!

大阪府立体育館の売却問題に揺れた2008年には、「体育館売らないで」と陳情しに行ったのに、陳情書だけ渡してずっと沈黙していたこともあるぞ!

相撲が強かったという理由だけで、こんな事務仕事をしなければいけないのは逆に辛い!


白鵬は日本国籍を取ろうと思えば取れるでしょう。奥さんは日本人ですし、日本語に不自由もありませんし、日本に生活の基盤もあります。逆にモンゴルに帰れと言われても困る。奥さんや子どもたちの生活環境を変えるのは難しいはずです。しかし、仕事のためにホイホイ変えられるほど国籍というのは軽いものでないのも事実。まして白鵬はモンゴルの英雄の子。本人も母国の労働栄誉賞(※国民栄誉賞)を受賞したばかりです。本人の気持ちだけではままならないものもあるでしょう。

そして日本国籍を取ったとしても本質的な部分での疑問が拭えるかどうかはわからない。それはモンゴルの先輩・旭天鵬の優勝の際に現れていました。旭天鵬は平成二十四年の五月場所に幕内最高優勝を果たしていますが、これは旭天鵬が日本国籍に帰化して以降のものでした。その意味では「日本人の優勝」です。しかし、実際には「日本人の優勝」を望む声は消えず、旭天鵬はあくまでもモンゴル人、あくまでもノーカンの扱いです。

正直、僕も「日本出身力士の優勝」「日本出身横綱の誕生」は見たい。それは各種のスポーツイベントで開催国のファンが自国代表の活躍を願うのと同じ気持ちです。悪いことではない。ただ、大相撲は事実上「日本一国開催」の競技。そこで地元贔屓を過度に打ち出すことは、排他的に見えがちな行為でもあります。より慎重に、より自制されるべきものでしょう。イチローの打席でUSAコールをやられたり、バットを突き立てる仕草に難癖をつけられたり、内野安打によるヒット数にケチをつけられれば、多少なりともカチンと来るもの。それと同じようなことを、日本のファン・メディアは白鵬に対してやっていないか。

結局は、日本出身の日本の流れを汲む人間にしか、本当のところの扉は開かれていないんじゃないのか。白鵬やその他の外国出身力士がそう考えたとしても不思議はありません。とにかく何をやっても白鵬は非難されるという昨今の状況。「究極の理想」と少しでも異なるところがあれば、やれ「汗が出すぎ」だ、やれ「懸賞金の受け取り方が汚い」だ、やれ「勝負俵を踏むな」だ、すべてが非難の対象となる。白鵬のスタイルを受け入れるのではなく、白鵬に理想を押しつける形でしか接することができない。「強すぎて気に入らない」というだけの感情を正当化するために、相撲のあるべき姿などの理想を持ち出してはいないでしょうか。

↓春場所千秋楽で執拗に「勝負俵を踏む行為」に苦言を呈するNHK中継!
アナ:「横綱白鵬もですね、先々代の時津風親方(11代・14代時津風)、豊山の内田さんが(言っていたんですが)、仕切っているときに勝負俵を踏んでいると。これはやはり失礼であるということで、あれは直すべきだとかなり厳しく話していらっしゃいましたからね」

解説:「じかに双葉山というのは見ているからね。そういう話を聞いているだろうし。そういうのは昔はもっとやかましかったんですよ。ただ最近はそういうことに触れないから。言っても聞かないらしいからね」

アナ:「そういうことはやはりしっかりと、勝負をつける所を囲んでいる俵ですので、勝負の前にそこで踏むというのは蛇の目(※土俵周りの砂。足がつくと砂の乱れでわかる)にも響いてきますし、その部分はしっかりと、特に大記録を作っていて、時代を作っていて(という白鵬にはしっかりとやってもらいたい)」

アナ:「世界的にも、この間ヨーロッパで見た力士たちは、みんな勝負俵を踏んでいたんですよ。僕はおかしいなと思ったんですが、白鵬の相撲などをインターネットで見ながら、そういうものだとマネをしているのかなぁと。こないだ内田さんの話を聞いて思ったんですけどね」

解説:「ひどいのになると足の砂をこすって落としているのがいるからね」

アナ:「それはやはり横綱白鵬が、それだけ大きくなっているからこそ、もう一度所作ですとか礼儀ですとかを手本となるために見直すというのが必要なのかなと」

ていうか、ほとんどの日本人もそんなの知らんやろ!

外国の力士も見てマネしてるのと違うと思うで!

千代鳳のフェイントみたいに揺れる立ち合いも、琴勇輝の「ホゥッ」も、旭日松の大量塩まきも、稀勢の里の目パチクリも、稀勢の里の唇モーニョモニョも、稀勢の里の緊張で顔真っ赤も、見ようによっては礼を失してみっともない行為だろうに、白鵬だけあげつらうのはどうなのか!


↓ていうか、踏むか踏まないかで言ったら、栃煌山も立ち合い前に踏むからね!



「白鵬がー」「品格がー」「モンゴル人がー」の問題ではないだろう?

そういうマナーをしっかりと伝える仕組みがないのではないか?

「白鵬の」「気に入らない所作」「だけ」を問題視していないか?


↓そもそも引き合いに出された双葉山(12代・時津風)の時代の力士は、ナチュラルに踏んで行き来しているように見えるが?(動画の1分50秒頃、3分30秒頃)


誰かがマナーを言い出すと、マナーになっちゃうパターンでは?

「俵に失礼」とかもはやオカルトのレベル!

そもそも時津風部屋はもっとビール瓶に失礼のないように生活すべき!


↓変化と言われる相撲にしても、これは稀勢の里の右上手を警戒して、相手の左手側にずれたら、稀勢の里が勝手にコケただけだろ!


稀勢の里の前方不注意タックルを毎回真正面で受け止めてくれるお人よしなんて、貴乃花くらいしかおらんわ!

そりゃ、ドーンと受け止めてほしいのはヤマヤマだが、白鵬だけを非難するのは無理筋すぎる!

稀勢の里、この程度でコケるな!

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白鵬は騒動の中で、自分の本当に伝えたい想いが伝わらず、ただただ口を滑らせた部分だけを採り上げられたことに心を痛めたことでしょう。「口は災いの元」という言葉を知ったかもしれません。そうした失着を責め立てるように、執拗に詫び入れを求めるメディアには、取材現場での態度を含めて失望したかもしれません。何だ、コイツらは俺が目障りなのかと。

過去にも多くの選手がメディアとの軋轢の中で口を閉ざしてきました。ブログで本心を書き綴ったり、ツイッターで逐一訂正を出すのはマシなほうで、ただただ貝になるという対処を取る者もいました。それは誰にとっても得のない、つまらないことです。白鵬は相撲の横綱ではあるけれども、人間としてはやっと30歳を迎えたばかりの若輩者であり、言葉を操るという意味では素人なのです。ちょっと言い過ぎることも、言葉が足りないこともあるでしょう。そのとき本意を汲んでやるのが協会やファンやメディアの仕事のはず。

かの大横綱・双葉山は自身の連勝が止まったとき「いまだ木鶏たり得ず」と語ったと言います。木鶏とは闘鶏において何事にも動じず、まるで木彫りの鶏のように泰然とする最強の態度を示す言葉だそうです。当然その逸話を知るであろう白鵬は、木鶏のように無言で相撲に打ち込む気かもしれませんが、心を閉ざすことと木鶏たることはまったく違うものです。

白鵬から審判部への歩み寄りを求めるのと同じ気持ちで、日本の協会・ファン・メディアから白鵬への歩み寄りもあっていいはず。「肌の色」という誤解……誤解だと信じていますが、掛け違えたボタンを掛け直そうとする歩み寄りはあっていいはずです。その大きな懐が、白鵬が今閉ざそうとしている心を、もう一度開かせることにつながるはずです。

一代年寄に限って国籍要件を緩和するでもいいです。日本相撲協会の構成を再検討し、実技指導者としての「親方」と運営者としての「年寄」を分け、親方に関しての国籍要件を緩和するでもいいです。話を聞く態度を示すだけでもいい。何か理由をつけて審判部長が宮城野部屋をフラリと訪問してもいいでしょう。笑顔で談笑する写真でも撮らせればいいのです。向こうから詫びを入れてくるのを待っているだけが能ではない。

これだけの技量があり、長きに渡って大相撲を支えたスターを、こんな小さなことで痛めつけ、放逐するようなことになっては角界にとっても損失です。「気に入らないなら出て行け」と言い捨てるには白鵬は大きすぎる存在ですし、「気に入らないから出て行け」と追い立てるのはあまりにも器が小さい。

一日も休まず、土俵を守りつづけた事実そのものが、何よりも白鵬の相撲への真摯さを示すものです。新聞が悪しざまに書いた言いがかりのような苦言よりも、揺るぎない事実だけを見ていくのが肝要です。お互いのため、大相撲のため、白鵬を悪役にするのではなく、歩み寄る気持ちというのが大切だと僕は思います。大体、白鵬に敵がいれば、白鵬を悪役にすることもなかったでしょう。それで責められても困ると言うものです。


怒りの矛先は、てんで弱くて優勝しやがらない稀勢の里に向けてください!