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07:00
また花は咲く!

かくも世の中には終わらせたがりと変えたがりが多いものか。辟易します。今は逆風がもっとも強く吹いており、どんな言葉もかき消されるのでしょうが、それでも言わずにはいられない。それは受け取った喜びへのわずかなお返しでもあり、倒れた人をさらに蹴り飛ばすような行為に加担したくないという個人的な心持ちでもあります。

なでしこJAPANのリオ行きがなくなりました。

すでに極めて苦しい状況に追い込まれていましたが、7日の中国VS韓国戦で中国が勝ったことで、なでしこJAPANのリオ行きの可能性が完全にゼロになりました。ある人は「なでしこバブルの終わり」と言い、ある人は「総退陣」を求め、ある人は「このチームは古い」と切り捨てた。その人たちは、あの歓喜を受け取らなかったのだろうか。今、残る感情に感謝以外のモノが混ざる人を、僕は理解に苦しみます。

仮にコレがひとつの時代の終わりだとしても、それは死体に鞭打つような残酷な悲劇ではなく、万雷の拍手で迎えるべき大団円であるはずだ。次回作の話はエンドロールのあとでいいだろう。先に歓喜を受け取ったなら、何故そのぶんを返せないのか。あれほどの奇跡を見たなら、その記憶だけでずっとずっと楽しめるだろうに。

アトランタ五輪で惨敗し、シドニー五輪出場を逃したところから今に至る道は、負けられない戦いの連続でした。ひとつの負けが、このジャンルの命運ごとズドンと断ち切ってしまいかねない恐怖。蜘蛛の子を散らすようにLリーグからチームが消えていった頃を知る選手なら、その恐怖は現実感を伴うものだったでしょう。結果を出しつづけなければいけない。結果を出しつづけなければ消されてしまう。とにかく結果。結果、結果、結果。

結果を追い求めたことがチームの固定化・硬直を生んだことは否定しません。チームを大胆に変革しながら勝てるほどの名将・名選手がいれば話も違ったのかもしれませんが、結果を優先しながらチームを刷新するほどの新戦力はいなかった。試しても試しても、もうひとつフィットしなかったり、局面の脆さが目立ったり。変わりたくても大きくは変われなかった。「勝つ」ことのほうが「変わる」ことよりも重要だったから。

その想い、その危機感は正しかったと思います。

世界一になり、準優勝を二度記録したチームでさえ、負ければこれだけ逆風にさらされるのですから。去年ワールドカップで準優勝したばかりだと言うのに、過去の栄光ごとなかったものとして、無能・下手糞・実力不足の連呼。「すべてを変えなければならない」とスクラップ&ビルドを標榜する向きさえ。これじゃあ、もしも世界一の直後に負けていたら、世界一ごとフロック呼ばわり・間違い認定だったことでしょう。

本当に「終わった」とか「変えろ」と言いたい人は多いんだなと思います。それできっと自分が何者かになったような気がするのでしょう。「はじめる」ことと「つづける」ことのほうが何倍も難しいのに、難しいからこそ、「終わった」「変えろ」と言うのでしょう。気に入らないツボを叩き割る陶芸家は自分でツボを焼き直しますが、「終わった厨」と「変えろ厨」は自分では何もしないぶん厄介です。

なでしこは終わっていないし、何もかもを変える必要はない。

強い逆風が吹く今だからこそ、なでしこには「世界一」の誇りを持ってほしいもの。世界一になったことは、大きな成功体験であり、強烈な記憶です。簡単に捨てていいものではないし、捨てるのは勿体なさすぎる。苦しいときに毎度誰かの背中を見ているわけにはいきません。苦しいとき、迷ったとき、「いや、きっとやれるはずだ」と信じるチカラになるのがあの「世界一」です。

成功体験の上に新たな歴史を積み上げてこそ、継続があるし、意味もあります。結局、戦術にしろシステムにしろ、アチラを立てればコチラが立たずのイタチごっこ。なでしこには、私たちはコレで世界一になったという強烈な歴史があるのだから、その上に段を積み上げていかなくては。相手が自分たちのやり方に慣れてきたとき、ガラッと自分たちを変えるのではなく、正統進化で乗り越えていく。心を合わせる目標は、この先もずっとあの世界一にあるのです。

連動した動きで崩すパスサッカーという表面的なところもそうですが、どんな試合もどんな苦境も楽しみ、心を切らず、労を厭わず、耐えるサッカー。何もあのときだって身体や技術で勝っていたわけではなかったでしょう。ドイツやアメリカにはほとんど負けていた。しかし、そこを耐えきった。心身のコンディションを高めて、耐えきった。それができたし、そうしなければ勝てないという覚悟を持っている。それが、なでしこです。

あえて今予選の敗因を挙げるなら、自分たちが先に崩れてしまったことでしょう。簡単なミスで大きな痛手を負う姿は、「世界一」のなでしこにはなかったもの。ただ、それを緩みだとか経年劣化だとかであげつらうようなことはしたくない。ずっと、集中を保ってきたのですから。北京から足掛け8年。ずっと世界のトップになでしこはいた。2011のドイツ戦、2012のフランス戦、2015ワールドカップの準決勝までの全試合、苦しい試合を耐え切ってきた。たまにはこんなこともあるでしょうよ。

今願うのは、宮間あやが見せるピリピリした緊張感のようなもの、それは女子サッカーが抱える危機感の象徴でもあるわけですが、そのピリピリを今予選の敗退によって解き放つことだけ。確かに、世間は怒ったり失望したりしています。そのこと自体には苛立ちもします。ですが、怒ったり失望したりしているということは、喜びたくて期待しているということでもあります。一言物申す輩が多いということは、そうした輩にも「強いなでしこ」が刷り込まれているということ。

8年間、世界のトップにいたことで、負けて怒られる存在になれたのです。

負けたら無視される存在ではなく、負けると怒られる存在に。

だから、もっとリラックスしてもいい。ひとつも負けられないという恐怖を鎮めて、負けたらリベンジすればいいのだと開き直ってほしい。ボクシングのチャンピオンにリターンマッチが許され、大相撲の大関にカド番が許されるように、世界一のなでしこにも再起が許されていいはずです。胸に輝く星は永遠であるように、何度でも再起する権利があるはずです。

永遠に「世界一」の看板は捨てない。

次にまた、それを高らかに掲げるときまで。

最後までしっかり戦う、なでしこらしさ見せてください。

ベトナム戦、最後はウソみたいに軽やかになった6-1から始まるビクトリーロードを、2019年、2020年につなげていけるように。

以上、みなさまのますますのご発展をお祈りし、私からの感謝のご挨拶に代えさせていただきます。