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08:20
大大関・稀勢の里は死んだ!

最初に苦言からです。大相撲春場所九日目、大変見苦しい一番がありました。多くの好角家がもっとも注目し、今場所の焦点ともなる一番でそれは起き、ゆえに場所全体に対しても汚点を残すような大変見苦しい一番です。

今場所初の大関対決、1敗の琴奨菊と全勝の稀勢の里の取組。綱取りがかかる琴奨菊にしてみれば、負ければ大きな後退…綱取りの可能性が限りなく小さくなる大一番。お客の見たいものはチカラとチカラの激突であり、すべてを出し尽くした死闘であり、勝っても負けても相手を讃えられる大相撲でした。

しかし、稀勢の里はそれを裏切った。

立ち合い、軽く当たってから大きく右に変化。低い体勢で飛び込んでくる琴奨菊に右腕を振るって突き落とすと、琴奨菊はこらえきれずにバッタリと土俵に落ちます。呆気ない決着には館内・茶の間から厳しい声が上がります。バカヤロウ、つまらん相撲を取りやがって、面白くないヤツだ、どれもこれもがもっともな言葉ばかり。その多くは稀勢の里に向けられたものでした。

「当たってから身体が反応した」という弁解の言葉。あぁ、多くの変化野郎がクチにする魔法の言葉です。ため息をつきながら聞きます。鶴竜が横綱になってもなお振りかざす魔法の言葉は、変化野郎の狙いすました変化をついうっかりの偶然だと主張するための定番のウソ。「殺す気はなかったんです」くらい白々しいウソです。

僕がかねがね主張する大相撲の最大の魅力デブデブドーン(※破格の巨漢とド級の巨漢が体当たりする大相撲の稀有なる特長)は、変化によって死にます。大相撲が見せるべき最たるものは変化によって死にます。もちろんルール上認められていることではあるけれど、それをやったらオシマイよの行為。

小兵力士やチカラの劣る者が窮余の策として繰り出すのがギリギリの許しがたい行為であり、注目の一番や、ましてや横綱・大関の取組で繰り出すことなど言語道断。僕も何度変化野郎に対して同じ苦言を呈し、同じ説教を繰り返してきたか。変化がしたいなら総合格闘技でもやれ。好きなだけ避けてこい。デブデブドーンから逃げるのは大相撲ではない!

大関、いや偉大な大大関・稀勢の里は、変化クソ野郎からもっとも遠い位置にいる相撲道の体現者でした。変化などという行為はトンと記憶になく、立ち合いの威力を削ぐことも稀。碧山などの200キロを超える大型力士に対して、照れくさそうに張り差しをするのがせいぜいでした。

稀勢の里は逃げない。それは稀勢の里を愛する者の誇りでした。稀勢の里が相撲道を守っている、そう自負していました。勝てばいいと思っている連中を上から見下ろし、「そうだな、勝てばいいんならアメリカ大統領が最強だな」とせせら笑ってきました。大横綱・白鵬ですら稀勢の里とまともにぶつかれば敗れるのである。43連勝も63連勝も止めてやっただろう。相撲道を守るダイオオゼキとして、燦然と輝く光を放ってきました。それなのに、何だあの相撲は。

稀勢の里、呆れたぞ。

稀勢の里、終わったな。

稀勢の里、みっともない。

稀勢の里、情けない。

稀勢の里、馬鹿者が。

破れた琴奨菊は「自分が低く当たりすぎた」と述べつつも、「あんなことしないでも強いのに」「ああいう相撲しか勝てないんじゃない」「目先の一番ってたかが知れてる」「不完全燃焼」と恨み節しきりだったと言います。もっともです。あんな相撲で綱取りの大一番に泥を塗られたのですから。落ちた自分も悪いけれど、稀勢の里にも責はあります。もっと言え。大いに言え。

稀勢の里は対戦相手からの信頼をもこれで失いました。絶対逃げない稀勢関だからこそ、琴奨菊は思い切ってイノシシのように体当たりできたし、碧山は何度も勝ち星を挙げることができたし、猫だましでビクッとする巨猫・栃煌山も稀勢の里を得意とした。「稀勢関なら思い切って当たっていける」という絶大なる信頼は、失われたのです。

↓すべての人を裏切った、稀勢の里の見苦しい勝利!



ファンの誇りも、仲間からの信頼も、失くして何が残るのか!

ただ勝っただけじゃないか!


稀勢の里が引退したあと、ダイオオゼキとしての貢献を長く語り継ぐことはもうないでしょう。強い大関であったことは確かですが、それとて魁皇には遠く及ぶものではありません。並平凡な大関として、そこそこの成績を残した、ただそれだけの力士になりました。本当に残念です。

そこまでして勝ちたいのなら、なりふり構わず勝ちたいのなら、相撲道を曲げてまで勝ちたいのなら、もう勝つしかない。稀勢の里として積み上げたすべてを汚してまで目先の1勝を手にしたのだから、せめて勝つしかない。勝つしかない、そう思ったわけだ。ハァー、情けない。情けないったら、情けない。

だが、待っていたぞ、その心!

もういい、10年も待ったのだから、もう十分。理想の相撲道を体現してなお強いのはわかった。だが、世間は勝った者しか見ないし、勝った者だけが肯定される。この1ヶ月あまり、琴奨菊の勝ち誇る姿が心底つらかった。思い上がった態度が腹立たしかった。白鵬が言うならまだしも、ほとんどの場所で大関のつとめも果たさず、カド番とクンロク・ハチナナを繰り返しながら、1回勝っただけのヤツに言われっぱなしになるのが本当に苦しかった。誰が10年も日本の相撲道を守ってきたのだ。誰が10年も開催国・日本の期待を背負ってきたのだ。お前じゃない、稀勢の里だ。

見苦しくて卑怯な勝ちに対して非難はするだろうけれど、後ろに「優勝おめでとう」が付け足せるならプラスマイナスゼロでいい。優勝1回の平凡な力士に成り下がるさまを見守ろう。稀勢の里が覚悟を決めたのなら、それを後押しするだけだ。そうだ、いい機会だし四股名を変えよう。今場所をひとつの区切りとし、偉大な大大関・稀勢の里の名を保存するために。町がいい、稀勢の町にしよう。汚さも織り込んで、そのぶん賑わいを見せるような力士として、新たな歩みをつづけよう。

頑張れ稀勢の里、優勝を、横綱・稀勢の町を目指して。

↓平成の大横綱・貴乃花ですら、こんな勝ち方をする日もあった!



貴乃花ほど強くもない男が、何が相撲道かと!

泥にまみれて人生を懸けるのは、今だ!

相撲 2014年 01月号 [雑誌]


オイ、キセ!コッチも引っ込みがつかんぞ!勝つんなら最後まで勝てよ!