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07:00
脱・9秒台の呪縛!

僕は長年に渡り「日本人はもうすでに9秒台で走っている」というスタンスでいました。長く陸上男子100メートルの日本記録に君臨し、10秒の壁をイヤというほど意識させてくれた伊東浩司さんのベストタイム10秒00。僕はこのタイムは紛れもなく日本人が9秒台を記録した瞬間だと思っています。

そもそも陸上の計時というのはどうやっているかご存じでしょうか。ストップウォッチを持った係員が感覚でカチッとかやることもなくはないのでしょうが、基本的に電気計時という機械での測定となっております。ただ、これも赤外線のラインを選手が通過したらカチッとなるわけではありません。

ゴール前に設置されたカメラで1000分の1秒、あるいは2000分の1秒といった単位で連続写真を撮りまして、それを合成しまして、ゴールライン通過の瞬間を目視で確認していく形。最後はできあがった連続写真を見ながら「この瞬間に胴体がゴールラインに達しているな」というタイミングを判定員が見定めるという流れになっています。生中継で時計に出るのは「赤外線カチッ」の速報値で、最終的な記録は写真判定で行なっているのです。

先ほど「1000分の1秒単位」という話をしましたが、違和感がないでしょうか。たとえばウサイン・ボルトの男子100メートル世界記録は9秒58。100分の1秒までしか表示されていないですね。そこが10秒台の最後の最後の抵抗となって、日本陸上界の前に立ちはだかってきたものの正体です。

実は、陸上の記録は1000分の1秒単位を「切り上げ」なのです。だから、伊東浩司さんの10秒00という記録は「9秒991〜10秒000」の範囲のどこかということになるのです。伊東さんは、多分、9秒台です。10秒000かもしれないですが、9秒台だと思います。ホントのホントの物理的な移動にかかった時間は。

↓もしあのジャラジャラした金のネックレスがなければ、もしゴール時に胸を前に倒していたら!



この最後の最後の1000分の数秒を倒すのに、こんなに苦労するとは、そのときは思わなかった!

幻の9秒台から約20年!

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だから僕は9秒台で走るかどうかということに、取り立ててセンチメンタルではありませんでした。そもそもが追い風だったら記録が伸びて、向かい風だったら記録が悪くなるような競技です。追い風の9秒99よりも、向かい風の10秒05とかのほうが価値があることもあるでしょう。タイムはあくまでもタイムであり、勝負とは別次元である、と。しかし、今実際に9秒台を確認したとき、それはウソだったなと思います。「ついにやったか」とこみ上げてくるものが、ウソを吹き飛ばしていきます。

高校3年時にジュニア世界記録と並ぶタイム(※非公認)を記録し、間違いなくいつか9秒台を出すと確信できた男・桐生祥秀さん。「自分の本番に弱い」という難しい属性を備えながらも、リレーメンバーとしてはリオ五輪・銀、世界陸上・銅と世界のメダルを獲得してきました。

すでに追い風参考ながら9秒台の計時も記録しており、あとはもう本当に出すだけ。いい風が吹いて、そこそこのコンディションであれば、あとは出すだけというところまできていた。まるで便秘のように、そこまできているのに出なかったそのタイム。ついにそれが「出た」。

9月9日に行なわれた第86回天皇賜盃日本学生陸上競技対校選手権大会、男子100メートル決勝。スタート好反応でわずかに先行する世界陸上代表の多田修平さんを中盤で抜き去って、そのまま一気にゴールを駆け抜けた桐生さん。速報値のタイムは9秒99。

そこからの確認の時間。風は追い風1.8メートル、大丈夫。そして正式なタイムは……9秒98!幻ではない、本物の9秒台が、大学生活最後のレースで「出た」。少なくはないけれど、決して多くもない観衆が、その数に似合わないどよめきで迎え、まるで会場ごと揺れているかのよう。歴史を作る瞬間は、迎えてみれば本当にあっけない!

↓全日本インカレ決勝、ついに出た日本人初の9秒98!



これをインカレで出すのが桐生さんらしいというか!

普通はコレを世界陸上か五輪でやるのだ!

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出るか出ないか、ただそれだけの問題だと思っていたものが、いざ出てみるとまるで違って見える。地平が開けていくような不思議な感覚。もう9秒台ということを意識しなくてもいいんだ、もうそんなことにとらわれなくていいんだという心の軽さが、腹の底のほうで自分自身も「9秒台」にものすごくとらわれていたんだと教えてくれます。「実質出ている」じゃ、やっぱりダメだったのだと。

最近は統計の発展やら、より深い分析やらのおかげで、「実質的な名選手」が簡単に見つかるようになっています。「勝ち星は少ないけれどWHIPの指標がいい名投手です」的な。それは素晴らしいことだなと思いつつ、どこかスッキリしない気持ちもありました。その正体が、今こうして「持論と現実のギャップ」を感じて、わかったような気がします。

実質じゃない、有無を言わさぬ「真の数字」。やはり心は、それを求めていたんだと。向かい風をタイム換算なんかしたところで、納得するのは頭だけ。心を納得させるのは、わかりやすくてシンプルな数字だけなんだと。桐生さんはこの日、真の数字を持つ男になりました。「切り上げ」だとか「追い風参考」だとか「風速計の問題により非公認」だとか、いろんな注釈がつく男ではなく、誰がどう見てどう測っても「9秒台」という真の数字を持つ男に。

いろんなデータが取れる現代だからこそ、こうした真の数字をもっと意識してほしいな、と思います。細かい指標は給料の査定のときに見ればいいのであって、野球の投手なら「味方の援護どうこうを計算に入れず、有無を言わさぬ勝ち星」で語ってこそ、心に響くのだと。掲示板に表示された「9秒98」は、距離差にして2センチほどでしかない「10秒00」とはまったく違って見えたように。

↓おめでとう!そしてありがとう!有無を言わさずスッキリさせてくれて!

9秒98は選手ランキングで言えば世界歴代99位タイ!

歴史上の100人に飛び込んだ!

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これからいろいろと「9秒台が出た理由」が分析されるのでしょう。フォームやらスタートやら。ただ、桐生さんのチカラはとうにこの領域に届いていたので、今から分析するのは少し違うのかなとも思います。あえて理由をあげるなら、日本陸上界の成長あればこそだなと僕は思います。まず、全日本インカレというローカルな舞台に9秒台を狙える選手がふたりいたということが大きい。独走よりも競り合うほうが伸びるのは世の常。自分の本番に弱いタイプの選手が「リラックスして臨めるくらいの舞台」に、「9秒台の目安にふさわしい目標」が出場していて、「勝ち負けを意識する」だけで自然と10秒0前後の争いになるという環境が整っていた。

このお膳立てがあってこその、桐生さんリラックス疾走なのではないかと僕は思います。その意味では、多田修平さんの急速な伸びと抜群のスタート能力こそが、この記録を「出した」と言えるのではないでしょうか。先行する多田さんを抜けば「9秒台」という素晴らしいターゲットに、このレースに限ってはなっていたのではないかと。今後は選手が入れ替わりながら「アイツに勝つ」ということだけを考えた走りで、どんどん9秒台が出ていくように思います。「9秒台って普通だな」「勝ち負けのほうが難しい」と、目指すベクトルを勝ち負けに向けながら。

2020年東京では、記録と結果を決勝の舞台に刻んでほしい。

100メートルで決勝進出、リレーで金、あると思います!


長い長い9秒台への挑戦の物語、期待通りの結末で大満足です!