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07:00
本当のチカラの持ち主は怪我になど負けない!

オリンピックというのは尊い舞台です。それは4年に一度だけやってくる夢。自分のタイミングではなく、相手のタイミングでやってくる不都合な幻。今日の自分が最高であっても、オリンピックの日の自分が最高とは限らない。だからこそ、そこで勝つというのは本当の強さが問われる、険しく、厳しく、神々しいものです。

とりわけ、今すでに強い者にとってはそうです。勝ち負けの当落線上であれば、思い切って一発ドーンと大勝負するしかないので、ある意味気楽です。しかし、勝つべきチカラを備えながら、不都合なその日を迎えるのは本当に難しいことです。「10回やったら9回勝てる相手」との戦いも、ダメなほうの1回をオリンピックで引いてしまうかもしれない。魔物と称される原因不明の「何か」に見舞われてしまうかもしれない。

だから、10回やって10回勝てる自分になりたいと願い、けれどそう上手くはいかなくて、震えながら大本番に臨む。不確かなその日に人生の4年、あるいはすべてが乗っかっている。「100円ライターに火をつける」「ゴミ箱にゴミを投げ入れる」という簡単な軽作業でさえ、「命を懸けて一発必中でやれ」と言われたら手が震えるでしょう。それをやり遂げた人を、僕は尊敬せずにはいられないのです。眩しいのです。一瞬だからこそ、より強く輝く生命がそこにあるのです。

その日、その時、その場所に、人生最高の輝きがある。

だから、すべてを乗り越えないといけない。もちろん順風満帆であれば言うことはありません。しかし、ときには不都合もあるでしょう。肝心なときに怪我をするかもしれない。怪我は怖い。怖いから何もせず家で寝ていたい。でも、それではやっぱり勝てない。ギリギリまで自分を追い込み、ライバルを上回るだけの負荷をかければ、そこに怪我のリスクは必ずあるのです。怪我する可能性ゼロパーセントの練習など、ない。怪我しないことを最優先に考えて勝てるオリンピックなど、ない。

ならば、いつ怪我をしたとしても、怪我をした自分を受け入れてやるしかないでしょう。「足が折れてもやる」なんて言うと、前時代的と非難されそうですが、足が折れた日にオリンピックがきたら、足が折れたまま戦うしかないじゃないですか。弱音を吐いても仕方ない。足を引きずりながら勝った選手、折れた指で勝った選手、動かないヒザで勝った選手、いくらでもいる。怪我は即敗戦の不都合ではありません。簡単ではないけれど、勝ち筋がある相手。怪我をも上回る、本当のチカラの持ち主ならば。



という話をしたのは、もちろんフィギュアスケートGPシリーズ・NHK杯の前日練習で、羽生結弦氏が怪我をしたからです。そして、その怪我が「緊急事態」と騒がれることに、冷や水でも浴びせようかと思ったからです。

僕自身もこの怪我に関して、驚きはしました。心配しないわけではありません。しかし、緊急事態だと騒ぐかというと決してそうではなく、非常に落ち着いているというか、「なるほど」と受け入れるばかりです。「楽観的」と言うと誤解を招きそうですが、大丈夫だろうと思っています。

まず第一に、怪我の状況は極めて深刻とは思われないこと。公式会見を休む以上、怪我ではあるのでしょうが、右足を痛めたと思しき転倒のあとも、自分で歩き、振りつけの練習はこなしていました。靭帯断裂などの極めて深刻な怪我の場合、立って動くこと自体ができないもの。多くの「深刻な」事例では、その場で動けなくなり担架で運ばれるのが通例です。

転倒の様子からすると肉離れではなく、ヒザの靭帯や半月板でもなさそう。強くひねったとみられるのは足首ですが、足首であるならば深刻なことにはなりづらいはず。すね付近まである硬いスケート靴をはいた状態で、足首を物理的に破壊するのはやろうとしても難しいでしょう。もともとギプスでもつけているようなものですから。

第二に、この流れは経験済みであること。2014年のGPシリーズ中国杯では、練習中の他選手との接触によって頭部から流血するような事故がありながら大会をまっとうしました。同じ年には尿膜管遺残症での手術を行ない、そこから短期間の調整で世界選手権に合わせるという経験もしました。

「どこまでができて、どこからはできないか」「どのくらい休んで、どのくらいの状態なら、どのくらいできるか」といったことを羽生氏本人とコーチ陣が実体験として把握できています。怪我による不安や、怪我による焦りに屈することはない。経験は無駄にはならないものです。

そして第三に、今日がオリンピックではないこと。NHK杯の成績如何ではグランプリファイナルへの出場がなくなるかもしれませんが、まぁそこは最悪勝てなくても構わない試合です。出られなかったからといって五輪出場がなくなるわけでもないですし。今、立って歩ける状態から年末の全日本を目指すというのは決して無茶なスケジュールではありません。

自分を追い込む練習において、転倒することは日常茶飯事です。そのなかの残念ながら「怪我をした回」を引いたのが、全日本選手権や五輪の当日でなかったのは幸いでした。当日に同じ怪我をしたら、この状態のままやらねばならなかったところを、休むという選択肢を残したうえで最善手を探れるのですから。



個人的な予想としては、試合に出るのだろうなと思います。どう考えても出られないような状態であるならば、すぐに発表するでしょう。黙っている以上は出るという意志表明です。もし出場したならば、万全の演技にはならないかもしれませんが、グランプリファイナル出場も十分取れるでしょう。極端な話、4回転をすべてやめて出来栄え勝負でも勝ち負けができます。それぐらいのチカラがある。

もともとが、軸が傾いた状態の際どいジャンプを着地で帳尻を合わせたことで起きた怪我です。「こらえる」ところを減らし、余裕を持ってフワリと下りるようにすれば演技中の痛みも抑えられるでしょう。体操のように「ピタリ」で決めるのが一番負担が少ない。ならばむしろ、「怪我なのに神演技(怪我だからキレイにまとめることを重視した結果、すごく出来がいい演技)」が見られるのではないかという期待さえあります。

本番で「うわーーー!」「さすが!」「抱いて!」「うん、いいよ!」「ありがとう!」「チューもしたい!」「うん、いいよ!」「ありがとう!」「寝る前にホットチョコレート飲みたい!作って!」「うん、いいよ!」「ありがとう!ホッとする!」「僕も作ってあげる!」「ありがとう!」「ハイ、キシリトールガム山盛りのホットチョコレート!」「美味しい!」「ありがとう!」「料理上手だね!」「毎日作ってあげる!」「ありがとう!喜びすぎてこぼしちゃった!」「大変、すぐ拭くね!」「ありがとう!」「洗濯するから着替えて!」「ありがとう!」「僕のワイシャツだけどいいかな!」「ありがとう!」「さすがにワイシャツ一枚じゃ寒いよね!」「そうだね!」「寒いから布団買ってきた!」「ありがとう!」「何か時計もらったよ!」「すごいね!」「寒いからもう寝よう!」「うん、寝よう!」「布団一枚しかないけど!」「うん、いいよ!」「おやすみなさい!」「おやすみ!」と盛り上がるために、あまりポジティブな想像はしないでおきますが。

「羽生氏だよ?大丈夫でしょ!」

羽生氏の風貌がカワイイせいなのか、世間はとかく不安になったり慄いたりします。しかし、世界最高のチカラを備えたゴールドメダリストは、世間が思っているよりずっと高い位置にいます。ウサイン・ボルトが足を傷めたというニュースがあっても、「あぁ…もうダメだ…ボルトオワタ…」なんて思わないでしょう。本当のチカラの持ち主には、それなりのやり方というものがある。僕はそれを信じて、お疲れ様のホットチョコレートの準備をするだけなのです。



元気な姿でホッとさせてほしい!ホットチョコレートだけに!