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12:30
「結果」って何だろう?

結果がすべてだ、今日はそんな言葉をたくさん見ました。結果って何なんでしょうか。ゲームで言えば勝つことでしょうか。ビジネスで言えば稼ぐことでしょうか。それは表面的にはそうなのでしょう。では、ゲームやビジネスには何故ルールがついてくるのでしょう。ババ抜きで勝つなら、相手をぶん殴って強引に開いた手にババを握らせたほうが、「引いてくれー」ってお祈りするより確実に勝てるのではないでしょうか。でも、そうはしない。

ゲームってのはそれをやることが楽しいからやるわけでしょう。面白いからやるわけでしょう。相手がババを引いたとき「やったー!」「くやしー!」って思うからやるわけでしょう。だから、その面白さを守り、増幅するためにルールがあるわけでしょう。同じように、ビジネスってのはお金を払ってでもしてほしいことがあるから成り立つわけでしょう。互いにお金を奪い合う行為ではなく、自分ができる役に立つことをしてあげて、誰かができる役に立つことをしてもらうときに、お金をやり取りする仕組みにしただけでしょう。

その本質を考えたときに、ゲームが求める「結果」は「楽しい」という気持ちだと思うのです。ビジネスで求める「結果」は「誰かの役に立って、自分も助かった」だと思うのです。イカサマでいくら勝っても、それは全然ゲームの楽しさではないじゃないですか。詐欺でいくらお金を集めても、誰の役にも立たないじゃないですか。だからルール違反なんだと、僕は思うのです。

じゃあ、ゲーム大会の「結果」って何なのかなと考えたとき、やっている人が楽しくて、見ている人も楽しくて、みんなが楽しかったなーと思えることだと思うのです。その楽しみを生み出すのは、ドキドキする競り合いや、真似のできない超絶テクニックや、ほほーと感心する工夫であり、ゲームそのものなわけです。そうしたいろいろを引き出すための目安として勝ち負けがあるだけでしょう。目安に向かっていろいろやることが楽しみを増幅するのであって、勝ち負け自体が楽しみではないだろうと、僕は思うのです。鞠を蹴っていること自体が楽しいが、「地面に落としたら負け」って決めたらより熱かったという話で。

たとえば「不戦勝」って楽しいですかね。そりゃ短期的には、喜びもするでしょう。でも、100試合のゲーム大会があったとき、100試合とも不戦勝で100連勝したら「何だコレは…」って思わないでしょうか。ひとりぼっちのゲーム大会優勝者は滑稽ですよね。野球の試合を見に行って「本日は対戦相手欠席により不戦勝です」って言われたら、勝っても最悪につまらないでしょう。それなら100連敗でも、相手がいて、実際にゲームをして、競り合いや工夫があったほうがいいんじゃないでしょうか。ゲームをするのが楽しいから始まったはずのことが、勝ち負けという目安のほうが大事になってしまって、勝ち負けを求めるあまり「これ以上ゲームをしないほうがいい」となってしまったら本末転倒じゃないでしょうか。

「逃げの戦術」と「ゲームをやらない」は違うのです。逃げという戦術に対して、追うという戦術があって、その過程でいろいろ工夫をするぶんには楽しみを生み出せるでしょう。鹿島アントラーズがよくやる相手陣内のコーナーフラッグでの時間稼ぎは、全力逃げVS全力追いの競り合いが楽しめるじゃないですか。麻雀のベタオリや野球の敬遠でも、ゲームはつづいているのです。でも、双方合意で「やらない」を選択したら、そこでゲームは終了です。時間が過ぎるのを待っているだけ。何もやらないゲームからは、何の楽しみも生まれないのです。5分、10分、そういう気持ちに傾いた時間は短いかもしれないですが、すごく残念な「アンチゲーム」な行為だと思うのです。物珍しい滑稽な風景があるだけで、そこにゲームの楽しみは何もないと思うのです。

勝てばお金がもらえる。勝てば名誉が得られる。勝ちは実利のあることですが、それは全部ひとつの同じ源泉である「楽しい」から出てくるものです。楽しいからお金を払っても見たいし、楽しいからそれを見せてくれた人に感謝したり讃えたりするのです。人気のゲーム大会というのは、とてつもなく楽しいから人気なのでしょう。それは過去のたくさんの名人がすごい競り合いやすごい技術やすごい工夫を見せてきたから、このゲーム大会は楽しいぞとみんなが思ったから人気なんじゃないんですかね。

すごい楽しいと評判のゲーム大会だから、そこに登場する演者はそれだけで敬意を集めるし、お金ももらえるのでしょう。だから、そこで勝ち進むことは途方もなく難しく、素晴らしいことなのでしょう。それは全部、過去の信頼からくるものなんです。ゲームに挑戦して、精一杯やって、みんなを楽しませた人が過去にたくさんいたから、そういうすごいゲーム大会になっているんです。ならば、そこに出る者は相応のプライドを持って、ゲームでみんなを楽しませないといけないんじゃないかと僕は思うのです。自分さえよければいいという話ではなく。

「勝ったから俺たちは楽しい」は微妙に違うのです。

「やっている本人が楽しんで、見ている人をたくさん楽しませてくれる人が勝つようなゲームが素晴らしい」のです。

だって、楽しみを生み出すためのゲームなんですから。その意味では「やらない」を選択させるようなルールは不備があるし、「やらない」を選択するプレイヤーはプレイヤーでなくなってしまうし、「やらない」を後押しする人は本質とズレていると思うのです。あまりに勝ちと楽しいがゴッチャになりすぎたことで、何故ゲームをやっているのかさえ見失ってしまっているのではないかと思うのです。

僕はそんなに勝ち負け自体にはこだわっていません。勝っても負けてもそこにゲームがあることが楽しみであり、勝ちを目指して取り組む「いろいろ」こそが楽しみですから。ゲーム大会の目標設定を「勝点2」にしたのは、それが一区切りの時点での勝ちを目指すのに必要な最少スコアだからです。勝点1だと一区切りの時点で必ずゲーム終了になりますが、勝点2を取るペースなら、次のステージに進む可能性がありますし、まずもって途中でゲーム終了になったりはしないでしょう。

そういうスコアを獲得してくれたら、一区切りの時点まで最大限ゲームを楽しめるだろうし、追加のステージがあるかもしれないという意味で「勝点2」なんです。適当な数字を言っているわけじゃないんです。大相撲なら千秋楽の結びの一番まで優勝を目指したゲームがつづいていたら楽しいなぁと思うから、そこまで頑張るのが横綱の仕事だと言っているのです。そこまでいったら、勝っていても負けていてもまぁまぁ納得で終われるのです。

推しが勝てばそりゃあ嬉しいですが、ゲームそのものの楽しみに比べたら、勝ち負けは些末なことなのです。ゲームとしての勝ち負けは別れても、推しが精一杯やって、最高の自分を発揮して、満足の笑顔を見せてくれたら、それがすなわち僕にとっての楽しみ=「結果」になるのです。勝っても笑顔半分な微妙な表情だったり無関係の人からブーイングを浴びているくらいなら、負けても晴れがましい笑顔でいるほうが、推しも、僕も、楽しいはずなのです。それは美学に酔った美しい負けなんかじゃない。それこそが本質なのです。それこそが求める「結果」なのです。

その笑顔の分岐点となるのが「自己ベスト」だと思うのです。4年間頑張った、もうこれ以上はできない、この歩みに悔いはない、そう思って出た結果であればそれが勝ちでも負けでも楽しめるでしょう。愛せるでしょう。自己ベストを出す方法は、相手がコケるのを待つことじゃないはずです。自分にできることが残っている間はそれをすべてやり、つかめるかもしれないチャンスのすべてに手を伸ばす。そうでなければ自己ベストなんか出やしないでしょう。

4年に一度の人生の大勝負。その舞台に挑めるのは一度か、二度か、多くても5回くらいでしょうか。数少ないチャンスだからこそ目一杯頑張れるし、そこでしか発揮できない生涯最高の自分というものがあるのです。最高に楽しいという気持ちを味わえるチャンスがあるのに、勝ち負けという二次的なものと順番を取り違えて、そのチャンスを見送ってしてしまうことが何よりも残念で、つまらない。生涯最高に挑まずに、相手がコケるのを待っているなんて、もったいない。せっかくそこまでたどり着いた選手たちを、そうせざるを得ないように追い込んでしまったことが心苦しい。自分たちを信じられなかった。それこそまさに選手ファーストに反すること。目先の利益によって、選手自身にそれを仕向け、本当に素晴らしい人生の瞬間があったかもしれない時間にチャレンジをさせられなかったのですから。

あの10分、精一杯自力での勝ちを目指してトライしたら、どれだけ素晴らしい可能性があっただろうかと思うのです。その結果として、相手がコケて助かりましただったらよかったのです。「フェアプレーの勝利」だと喜色満面で誇り、讃えられるのです。ルールに基づいた正当な勝者ではあるけれど、そうさせてしまうルールには改善の余地があるなんて考えることもなく。あんな複雑な表情を見ることもなく。負けたら負けたでそれが実力なんだから、しゃーないじゃないですか。

勝ちゃ何でもいいなんて僕は思っちゃいません。

勝ちさえすれば最高の「結果」だなんて思っちゃいません。

逆に負けたら最悪の「結果」とも思っていないですし、負けたことだけが理由でグダグダ言うつもりなどないのです。

ただ生涯最高を出し切れなかったとき、その無念に繰り言をするだけです。

1位とか2位とか3位とか、メダルの有無とかではなく、生涯最高かどうかが大事なのです。銀メダルで悔し泣きする人もいれば、惨敗でもそこに立ったことだけで晴れがましい人もいる。それは生涯最高かどうか、他人と相手が決める勝ち負けでは測れない本質の基準があるからです。それは個人競技だからとか団体競技だからとか、人数で限定されるものではないでしょう。見ている人は、推しのそういう姿を見たいんじゃないんですか。そういう笑顔を見たいんじゃないんですか。そして「日本代表は、日本のサッカーは、素晴らしい」と胸を張りたいんじゃないですか。不本意ながら、ではなく。僕はこの話をするたびに、相手と話が噛み合わないたびに、そこが本当に理解できないのです。

意見が合わない人がたくさんいるのは百も承知ですが、僕もまぁ、ここでこういうことを一方的に言い放つことにも楽しみを覚えているものですから、自分自身の気持ちのために言ってみました。もう何度も同じことを繰り返し言っているので、「またその話か」と食傷気味かもしれませんが、言いたいときは言うのです。ごくまれに目撃することがある「生涯最高」が見られるゲーム大会になることを祈る代わりに、言うのです。

「ボール回したーのしーーー!」
「相手が勝手にコケるの最高ーーー!」
「ゲームしないで勝てるならそれに越したことはない」
「私、下手なんでやめときます」

って感じる人は、まぁ、それはそれだと思います。尊重します。

僕はもっと楽しい瞬間があると思う派です。それを目指すべき派です。

今度は、それが見られますように。

そのための不本意だったと締めくくれますように。

それこそがやる人にとっても、見る人にとっても、最大の「結果」だと信じて。



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