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09:00
新プログラムを憧れの人たちに捧ぐ!

「そうきたかー」というのが第一印象でした。30日の公開練習で発表された羽生結弦氏待望の新プログラムは、意外性もありつつ納得感もある、もしかしたらじっくりと考えたら当てられたかもしれない、やられたー、という心の虚を突かれるような選択でした。

ショートプログラムの曲目はジョニー・ウィアーさんが04-05シーズン、05-06シーズンのフリープログラムで使用した「秋によせて」。そしてフリープログラムはフィギュアスケート界においても伝説級のプログラムのひとつである、エフゲニー・プルシェンコさんが03-04シーズンのフリーで使用し、当時の採点方式における芸術点満点を獲得した「ニジンスキーに捧ぐ」(使用曲中の「アート・オン・アイス」をアレンジ)。いずれもが羽生氏自身の憧れの人であると公言するスケーターの作品を由来とするものです。ある面で原点回帰であり、ある面では大きな挑戦ともなる、そんな選択と言えるでしょう。

なにせ、このプログラムには原典があり、その作者が今もなお熱いまなざしで羽生氏のスケートを見つめているのです。もしも何の由縁もない選手が「ニジンスキーに捧ぐ」をやると言い出したなら、少し眉をひそめるような気持ちにもなると思うのです。オイオイそれはプルシェンコさんのものだよ、と。シェイクスピアまでさかのぼったならもはやパブリックドメインというか、誰もが等しく向き合える公共の芸術という感じもしますし、誰がいつ挑戦したとしても「ほー」と思うだけでしょう。しかし、羽生氏が選んだ新プログラムは持ち主がいて、まだその手のなかに作品を握りしめているのです。「気安くやれることではないぞ」と背筋が伸びる想いです。

↓このプログラムで世界選手権も制し、プルシェンコさんの代表作となった「ニジンスキーに捧ぐ」!


↓腕を足の下に通して行なうパンケーキスピンに特に影響を受けたというジョニー・ウィアーさんの滑り!


いろんなところに、「影響受けてるなぁ」と感じさせる先達の演技!

今回は影響を受けるだけでなく、挑戦します!



公共のものならば自由かつ斬新な解釈も許されるでしょう。たとえば「織田信長は女体化しようが魔王にしようが文句を言ってこない」ように。しかし、憧れの人が握りしめたものを触るなら、相応の姿勢というのが要求されます。単に同じ楽曲を使用すれば、同じ振り付けを使用すればいいということではありません。その作品が何故生まれ、どういう想いで作られたかを踏まえて、そのうえで演じる必要があります。「おふくろさん」に前口上をつけることが、本当に作品に込められた想いと合致するのか、考え抜いて答えを出さなければなりません。

その姿勢は「ニジンスキーに捧ぐ」を「Origin」として演じるという点に早くも「いい意味で」感じることができます。ニジンスキーに捧ぐ、「Tribute to Nijinsky」と題された原典は名前のとおりに、ロシアの偉大なバレエダンサー・ニジンスキー氏にロシア人であるプルシェンコさんが捧げるからこその演目であり、想いがあるものです。それをそのまま「ニジンスキーに捧ぐ」として演じれば、羽生氏とニジンスキーの間には特別な由縁はないわけですから、白々しい印象になるのは避けられません。

だからこその「Origin」。「ニジンスキーに捧ぐ」でも「アート・オン・アイス」でもなく「Origin」。あえて言うならばこれは「プルシェンコに捧ぐ」であり「Tribute to Plushenko」。自身のスケートの礎になった人の作品に、敬意を込めて滑るという表明がこのタイトルにはあります。あえてあからさまに「プルシェンコに捧ぐ」と名づけなかったことも含めて。それはロシア人舞踏家としてのプルシェンコさんがニジンスキー氏に捧げたような想い、受け継がれた命脈を、今度はスケーターからスケーターへと捧げ、受け継いでいくという関係性に置き換えたもの。あえて言わずとも隠しようもなく伝わるでしょう、あなたを尊敬しています、そして「あなたのスケートを受け継ぎます」という想いが。

それに応えるために、共演したアイスショーでプルシェンコさんが「ニジンスキーに捧ぐ」を演じて見せていたかと思うと、「師匠の稽古」のようで尊い気持ちにならずにはいられません。まぁ、別の視点から言うと「完璧なコスプレ」を追求した結果として世界一のスケーターになってしまった異次元プルオタが、金メダルのお祝いに自分の好きなプログラムやってもらう権をゲットし、お客には販売しない自分用SSSS席でご鑑賞(ご本人とのトーク権付き)、そしてフリータイムで愛を告白したらキミこそ僕のヒーローだよなんて言われてズキュュュュュン、恋するって本当に幸せ!ワタシ生きててよかった!もうドキドキが止まらないよぉ!!、という清々しいカップル誕生感もありますが。何だこのご褒美プレイは!

演じるにあたってはプルシェンコさんとジョニー・ウィアーさんにも直接申し入れをして快諾されたということだそうですが、それ以上に、敬愛するふたりのプログラムに挑戦するにあたって、自分自身のなかで「資格を得た」という許しが、羽生氏にはあるのかもしれません。もとより文句を言うようなふたりではないのですが、ふたつの金メダルと世界最高記録を手にした自分となって、ようやく資格を得られた、そんな気持ちがあるんだろうなぁと。慎ましすぎるかもしれませんが、それぐらいでいいと思います。捧げるものは最上級でなければ恥ずかしいでしょうから。

↓勝ち負けや結果から解放されて「自分への恩返し」と楽しむことを宣言して挑む、「プル様とジョニーに捧ぐ」!

いいんじゃないの!

新しい世界が広がりそう!



一応、構成面で言うとショートにはサルコウとトゥループの4回転を含み、フリーは「4回転ループ⇒4回転トゥループ⇒トリプルループ⇒4回転サルコウ+トリプルトゥループ⇒4回転トゥループ+ハーフループ+トリプルサルコウ⇒トリプルアクセル+ダブルトゥループ⇒トリプルアクセル」のジャンプを予定しているとのこと。今季中には4回転アクセルを組み込みたいという意向も示しているということで、もしもそれがフリーの最後に組み込まれたなら、エフゲニー・プルシェンコという「どんな状況にあっても4回転への挑戦を止めなかった選手」への最高の捧げものになるのではないでしょうか。あなたの挑戦が僕を駆り立て、ついに人間はすべての4回転を制覇しましたよ…と胸を張って捧げられるような。

遠い将来、また少し時代がくだって、今を生きる人が語り部となって新しく生まれた人たちに知識自慢をする際、この時代の羽生結弦は外すことのできない金字塔として語り継がれていくでしょう。そのとき代表作はやはり「SEIMEI」であろうと思いますが、一連の羽生結弦作品のひとつとして「プル様とジョニーに捧ぐ」もまた語り継がれていくのです。どこかであるとき、原典に触れる機会があったなら、そのつながりに歴史と命脈を感じるような作品として。そして、原典を演じたふたりにも「羽生結弦が自分のプログラムで演じるくらい、この人たちを尊敬してたのかぁ」と知らないながらも注目してしまうような作品として。

ちょっと競馬のようだなとも思います。僕などは「ニジンスキー」と聞くと名競走馬にして大種牡馬のニジンスキーを先に思い出すのですが、馬の血統表のなかには長く種牡馬としてのニジンスキーの名前が残っており、命脈が受け継がれています。父ニジンスキーがマルゼンスキーに、母父マルゼンスキーがスペシャルウィークに、父スペシャルウィークがブエナビスタに受け継がれ、その配合の過程では父方のニジンスキーと母方のニジンスキーとがクロスするのです。子孫と子孫が、歴史の果てにもう一度出会うのです。歴史と命脈があってこその面白さがあるなと思います。

そんな風に、エフゲニー・プルシェンコとジョニー・ウィアーの影響を受けて育ったユヅル・ハニュウが、新たな世代に影響を残していくときに同時にエフゲニー・プルシェンコとジョニー・ウィアーも受け継がれていく、そういうプログラム、そういうシーズンになるのかなと思うのです。歌い継がれる名曲があるように、滑り継がれる演目もある。今季は羽生氏のなかに過去の偉大な命脈を探すのも楽しみのひとつとなりそうです。1%くらい「この振り付け…この頭の上で合掌する始まり…この手をヒラヒラさせるところ…マンマやんけ!」と思っちゃうような要素があればいいのになぁと思いながら。

そして、捧げ・捧げのショートとフリーであるならば、エキシビションにも捧げものがあると面白いなぁと思います。「You're Beautiful」の曲にのせてスピンしまくるとか、チャップリンの映画の曲でパントマイムに挑戦とか、あるいはムキムキの肉襦袢を着てパンツ一丁…コレはさすがに受け継がなくていいかもですが、何か由縁が感じられるものだとシリーズ感も出てよいのではないでしょうか。ナイと思いますが、「スーパーマリオでハチャメチャ」とかも可能性としてはゼロではないはずです!ナノミクロン!

ようやくの新情報、とにかく今季も試合が見守れることが楽しみです。

試合があること、演技があること、それがすべてのスタートラインですから。


将来、どこかの英雄が「SEIMEIに挑戦します」と言い出す未来もあるな!