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12:00
愛、お疲れ様!これからもよろしくね!

世間と兄との乖離のようなものを感じる数日間でした。「福原愛が卓球選手としての一線を退く」ということが、ここまで大きな話題となり、感傷に浸るような動きを生むとは意外なことだったのです。選手としての大きな節目はリオ五輪で迎えていたわけですし、女性としての大きな節目もまたリオ五輪後の結婚・出産というところで迎えていたわけで、ここまで世間を騒がせるのは意外に思え、改めて愛の存在の大きさを感じる日々でした。



婦人公論 2017年 12/27、1/6 合併特大号


腹違い・種違いの兄としては愛はもう僕の手を離れたというか、巣立ったというか、「幸せにおなり」の儀式のあとだったので、もう一度別れの場に引き戻されるというのは率直に言って驚きでした。台湾のリアリティショーで毎日チュッチュしてるのを見たら、愛がコートに帰ってこないことは世間の共通認識だろうと勝手に思っていたところもありましたし。それでもキッチリと区切りをつけるというのは、愛らしい誠実さだなと思います。

おそらくはずっと前から愛のなかで、こういう結論を出すことはわかっていたのでしょう。もし選手として次を目指すのであれば、リオを終えてから一度もコートに立たないなんてことはないのです。発表まで2年かかった、そう言ってもいいくらい。2020年が東京でなかったなら、この発表はもっと早いタイミングだったでしょう。

東京を目指してみたいという選手個人としての気持ちは、当然ながら誰にでもあるでしょう。周囲の人からは「東京」という言葉や期待を掛けられる機会もあったでしょう。しかし、現実的にスケジュールを逆算していけば、世界ランキングなど選考基準を満たしていくためのデッドラインはもうきています。仮に世界一のチカラがあったとしても、2019年は現役の第一線で戦っていなければ選考に間に合いません。

東京へのデッドライン。

あいらちゃんの1歳の誕生日。

理事をつとめる卓球Tリーグの開幕。

いろんなことが重なったからこその「今」だったのでしょう。自分がやりたいことと、自分が求められること、自分がやれることを考えたとき、自然と結論はひとつにおさまっていった。東京は江クンのサポートという立場で目指す。自分が引っ張るという気持ちから解き放たれ、生来の性分に合った「みんなをうしろから支える」という運営側・裏方にまわる。そして、母としての時間を大切にする。

これは周囲の支えでどうこうということではないのです。愛が仕事の間は台湾のご両親があいらちゃんを見てくれていますし、江クンも全力で支えると言ってくれるでしょう。ただ、愛はもう自然と新しい未来へと視線が向いており、そういう暮らしをすでに2年間してきており、「選手」以外の人生を歩み出していたのです。今は、いよいよそれをお知らせしなければいけない時がきたというだけのこと。

まるで花園のような華やかな会場での愛の引退会見。

愛はバンビの頃からずっと、こうしてテレビカメラに囲まれてきました。国民の妹として、娘として、「愛ちゃん」でありつづけました。どこかで断絶があれば、あるとき急に「福原選手」というよそよそしい関係性になったりしたかもしれないけれど、ずっとカメラを通じて見守ってきたことで、まだ何者でもなかった少女のまま、「愛ちゃん」のままそこにありつづけてくれた。強く、健やかに、美しく。

改めて言うことではありませんが、「愛ちゃん」こそが今の卓球界を盛り上げ、大きくしてきました。テレビカメラにとっての卓球はすなわち「愛ちゃん」でした。ただ強いだけでなく、成長や飛躍を我が事として見守らずにはいられない「愛ちゃん」の歩みだからこそ、たったひとりでそのジャンルごと持ち上げてしまう偉業も成し得たのだと思います。世界で一番強くなくても、世界で一番愛しい、そんな「愛ちゃん」だからこそ。

24日に開幕したTリーグ、愛は理事として盛り上げ役をつとめ、キャスターとしても奮闘しました。しかし、夜のスポーツニュースでは「愛ちゃんが頑張った」という切り取り方はもはやなく、「東京五輪でメダルを目指す張本…」などとすでにニュースターたちが話題の中心となっていました。愛の挨拶さえ映らずにその話題は伝えられていました。愛の仕事は成就したのだなと思います。「愛ちゃん」がいなくても卓球は大丈夫なのだと、愛が背負ってしまった荷物をようやく下ろせたのだと。

↓面白いことする担当は平野早矢香さんがやってくれそうだし、もう愛じゃなくても大丈夫…!



ただ、僕はまだ愛にはやり残した仕事があると思っています。愛は確かに卓球を盛り上げ、「卓球をやりたい」と思った少年少女たちに道筋をつけたと思います。愛ちゃんの歩んだ道のりがモデルケースとして示され、卓球を生業とし、卓球に人生を懸けることで生きていくことができるのだというビジョンを伝えたと思います。多くの選手が愛ちゃんを見て、その道のりを歩んできたであろうと。

しかし、この先のビジョンはまだボンヤリとしています。卓球に人生を懸け、ひとつの区切りを迎えたあと、どうやって日々を過ごしていくのか。指導者なのか、運営なのか、あるいはもっと違う形なのか。卓球に人生を懸けた人が、卓球に携わったまま生きていく道のり。「卓球人の生涯」のモデルケースとなるのは、やはり愛なのだろうと。年を取って、おばあちゃんになったとき、4歳からのVTRを振り返りながら卓球おばあちゃん・愛ちゃんとして、ずっとそこにありつづける。こういう人生も素敵だよね、という見本となって。

卓球に人生を懸けてもいいんだ。

卓球に懸けた生涯はこんなに素敵なんだ。

そういう姿をこの先も見守ることができたなら、卓球はもっと大きくなっていく。お兄ちゃんはそう思うのです。

婦人公論 2017年 12/27、1/6 合併特大号


一線だけじゃなく二線・三線があるのが文化!目指せ卓球おばあちゃん!