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今がこの風に乗るチャンス!

最近僕はおクスリを濫用しています。ロキソニンという名前の薬物です。飲むと身体に不調も生じますが、とにかく気持ちよくなるのです。それまでの震えや頭痛が止まり、スーーッと気持ちよくなる。ハッキリ言って依存しています。

そして思うのです。「気持ちよくなる」を自力で止めるのは難しいな、と。だって気持ちいいから。イヤなことでも辞めるのは簡単なことではないのに、ましてや気持ちいいことを止めるのは難しい。そこには根本的な不安があり、理由があり、効果への依存があります。「飲まなかったら具合悪いかも…」という不安があって、「でも遊びに行きたい」という理由があり、「うわーー気持ちいいーー」という効果がある。止めるタイミングなどどこにもないのです。



「クスリはよろしくない」という理想と「でもクスリはそこにある」という現実。「クスリがなくてもクスリっぽい」という理想と「いつまでもクスリがなくてもクスリっぽくはいられない」という現実。まったくどこにもなければ一生知らずに終わったかもしれないことでも、そこにあったら手を出してしまうのは人の性。不安があるから。理由があるから。気持ちいいから。

こうしたおクスリ事例の際に過去の作品が消されることがありますが、ある程度仕方ないことだろうと僕は思っています。なぜなら、クスリが消しているのではなく、好感度が消しているのですから。CMという「好感度」こそが起用の理由であるようなものは当然ですし、テレビ番組や映画など広く万人から収益をあげようと思うようなコンテンツもそうです。

この作品がこう思われたい、こういうイメージでありたい、あるいは「この作品を管理している会社はこういうイメージでありたい」というイメージがあり好感度があるときに、それにそぐわないものにブレーキがかかるのは仕方ないこと。作品自体に罪はなく「過去の大丈夫だったときの作品」であったとしても、「その作品を管理している者」の好感度は今まさに現在進行形で変動しているのですから、「おクスリ問題華麗にスルー」がマイナスに働くと考えたなら、作品の公開・販売を自粛することはあり得るでしょう。少なくとも現時点で「おクスリ問題華麗にスルー」はプラスに働く振る舞いではないわけですし。

ただ、それは好感度の問題でありますから、ここからまだ変動していくものでもあります。そもそもとある人物が世間に大影響を及ぼすほどのたくさんの作品に出演しているのは、その好感度的なものがグーンと上がったからでしょう。真夜中のラジオで裕木奈江さんを徹頭徹尾バカにしていたイメージよりも、「いい人」イメージが上回ってきたからこそそうなった。ならば、もう一度それが浮上する機会があれば、また風向きも変わるというもの。

やっちゃった人が寿命まで現実世界に存在することは変わりません。フタをしても、そこにいることは変わりません。「おクスリは気持ちいいから止めらない、だからまたやりそう」と思うなら観察が必要ですし、「おクスリをやると行動がヤバくなるから危険」と思うならなおのこと観察が必要。ずっと養っていくわけにもいかず、放置するわけにもいかないのですから、やっぱり立ち直ってもらうことが必要だと思うのです。それが一番効率がいい。

さぁ、そこで僕からの相談案件は清原和博さんです。今まさに話題の人物とは異なりますが、2回目がいつなのかと非常に危ぶまれている人物です。清原さんは一定期間の断薬を経て、その後も専門の機関などに相談をつづけていますが、まだまだ立ち直ったとは言えない状況です。社会のなかで必要とされ、自立して生きるには仕事が必要ですし、仕事のなかでこそ再びの「好感度」浮上というものもあります。

「治療」だけでなく「仕事」が必要です。

小さな仕事でも、それをやり切ったら「あぁ意外に大丈夫だね」と思うでしょう。その仕事の質がよければ「あぁ意外に大丈夫だね」と思うでしょう。そうやって階段をのぼっていくことが再びの「好感度」浮上の道であり、同時にそれは効率のいい「観察」にもなるわけです。目つきがおかしいな、最近行動が荒いな、といった小さな変化にも周囲の人は気づくでしょうから。

ミュージシャンなど「自分が運営する自分の仕事場」「自分自身の好感度とは一定の距離がある音楽という商品」などがあれば、再浮上への動きはスムーズだろうと思います。その人しか出ないライブは、その人のファンしか気にしませんし、音楽が一人歩きすることもあるでしょう。耳に入ったとき「いい曲だね」と思わせることができたなら、グッと再浮上は近づくのです。

その点で、清原さんはまだまだ危うい。スポット的な活動はしているものの、自分の生来の好みや特長を活かして、「自分が社会に必要とされている」と思えるような仕事の機会は得られていないのです。観察は不十分ですし、不安が入り込む余地や、気持ちいいを求めてしまいそうな環境はそのままです。今こそ、「すっごい好感度の高い人」の同様事例で吹く風に乗って、「清原さんのことも前向きに考えてあげてください」と伝えたい。

↓最近の新聞の1面でもまだまだ世間からの風当たりが強いことを感じずにはいられない!

薬物依存で捕まった話かと思ったら、違った!

これがもともとの好感度から生まれる1面の地域差なのだとしたら、世間は冷たい!



ミュージシャンと同じで清原さんには手に職があります。野球が上手です。特にホームランを打つことに関しては、歴代で10番以内くらいの腕前です。逮捕から丸3年が経過した今、どこかその技術を活かせる場で、自分が必要とされているんだと感じられるような再出発ができないものか。子ども相手…は時期尚早にしても、比較的クローズドな環境で大人相手に技術指導や論評をするような機会はどこかであってもいいのではないかと思います。

教えられることはたくさんあるはずです。「オイ、それグリーニーやないか」「飲み方が違うぞ!」「グリーニーはコーヒーに混ぜたほうがええんや」といった豆知識から、「筋トレすればクスリはいらんいう話も出とるがアレは嘘や」「ワシはむしろ筋トレにハマった時期とおクスリが並行しとる」「不安を解消するために筋トレをしたりおクスリをしたり、できることをいろいろやっちゃうもんやないか?」などの実践的体験談も伝えられるはず。結局、野球界隈が「立ち直る」ための王道だと思いますし、そこで生きる道があってほしい。

今、何となく、「断罪」よりも「復帰」を考えることが必要だ、という世間の風を感じます。

そういう考えをめぐらすとき、ぜひ清原さんのことを思い出していただきたい。

もともとの好感度に差があるかもしれませんが、内容としては一緒です。

「おクスリをやっちゃっただけの、すごい野球選手」なのです。清原さんは。

「監督」のような看板に起用すうのはまだまだ難しいにしても、野球関連の職場で働くことや、過去の作品を普通に鑑賞したり語ったりすることは、そろそろ解禁してもいいのではないかと思うのです。51歳の男性、これからまだ20年以上は現実世界に存在する見込み。これからまだまだ人生はつづくのですから。

↓約束の時間に約束の場所に来て、観衆の前で違和感のない会話をすることくらいはできます!


痩せたら痩せたで「アヤしい…」と言うくせに、太ったら太ったで「アヤしい…」と言う世間の冷たさ!

アヤしいと思うなら、なおのことアヤしい人から目を離したらダメです!




「5分が限界だったのでは…?」みたいな疑いは一回捨てましょう!