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ありがとう平成、よろしくね令和!平成最後の更新です!

ついに今日、平成が終わります。元号が変わることによって暮らしや世界が一変するとまでは思いませんが、それでも心機一転するところはあります。大晦日から元旦になったところで何が変わるわけではないけれど、何かが違うような気がするように。一日ごとにそうやって少しずつ、「何が変わるわけではないけれど、何かが違う」を繰り返すことで時代は移ろい、風は変わっていくのだと思います。

スポーツという切り口で言うならば、平成初頭(1989年〜)というのはまだまだ暗く、前時代的な色が濃かったと思います。鉄拳制裁は当たり前のように行なわれ、日の丸を背負った選手は「楽しむ」と口にすることさえも許されないような空気感。軍隊のような…という形容もあながち間違いではないでしょう。1980年モスクワ五輪と1984年ロサンゼルス五輪は東西冷戦構造(今の人にしてみれば何?って話でしょうが)のなかで西側・東側がそれぞれ参加をボイコットし、1988年ソウル五輪で久々に米ソ両大国(ソ?)が揃ったという時代。「第三次世界大戦」にも十分なリアリティがありました。トマホークが飛び交っていました。

1996年のアトランタ五輪では、競泳の千葉すずさんがその美貌から大会のヒロインとして取り扱われ、一方で競技結果は振るわない部分があったため、「オリンピックは楽しかった」「日本人はメダルばかり評価する」という趣旨の発言が期待の裏返しでバッシングを浴びました。すずさんの言い方もイヤーな感じではありましたが、それ以上に選手が「楽しむ」ことを許されない時代でした。今ならば「チカラを出し切れなかったらあんまり楽しくはないだろうな」と心で思ったとしても、「楽しめたならよかった」と労う場面でしょう。奮闘努力でつかんだ夢の舞台なのですから。

過渡期だったと思います。千葉すずさんが昭和の価値観に翻弄されたのとは対照的に、男子サッカー代表の自由・自立的な振る舞い(前園さんの言うとおり〜)や、女子マラソン有森裕子さんの「自分で自分を褒めたい」という印象的な言葉は、国や郷里を背負うこと以上に「自分」というものの存在がクローズアップされるような動きだったと思います。自分を出し過ぎれば叩かれもするが、出すことによって目を開かされる部分もある。そんな過渡期。

そして、この30年で個人的にもっとも大きな「分岐点」として記憶されるのが、シドニー五輪での高橋尚子さんの金メダル。笑顔いっぱい、元気いっぱい、レース直後の「すごく楽しい42キロでした」の言葉。それは国と郷里の期待を背負って苦行に臨むマラソン競技…ひいては五輪の見方を引っくり返すものでした。スポーツは「楽しい」ものだ、五輪は「楽しい」ものだ、楽しんでいいのだ。そんな印象を残す明るさと楽しさがある場面でした。



明るく楽しいヒーロー像はアテネ五輪での北島康介さんの「超気持ちいい!」によって、より華やかに、より自由闊達になります。アテネ五輪から北京五輪、ロンドン五輪まで連覇した吉田沙保里さんは、よく戦い、よく遊び、国民のおもちゃとなっている自分をも楽しむようなスターでした。言っていることは「骨折したけど試合出て勝ちましたー」とかわりとクレイジーなのですが、そこに悲愴さを感じさせないようなところがありました。苦しむことで勝つのではなく、苦しさも含めて楽しめるような心持ちにこそ勝利があるとでも謳うように。

世の人々が求めるものもまた、そうしたヒーロー像と連動して変わっていったのかなと思います。

シドニー五輪当時、高橋尚子さんの偉業につれてベストセラーとなったのが故・小出義雄監督の著書『君ならできる』でした(※刊行はシドニー五輪前/本人曰く強化費用の借金返済のため)。この本は監督の指導術・調整法などをまとめたものであり、表題にあるのは小出氏が選手のモチベーションを引き出してきた言葉のひとつでした。「君ならできる」と言いつづけることで自信と意欲を引き出し、練習に向かわせ、チカラを伸ばすのである…そういうタイトルです。

先日、小出氏が亡くなられたというニュースを聞き、自然と当時のことや、この本のことを思い返していたのですが、当時は感じなかった違和感を僕は覚えていました。もし、2020年にあの偉業があった場合、それを「まとめる」本はきっとコレではないんだろうなという違和感を。もしも今あの偉業があり、それを「まとめる」ならばまず選手本人の著書となるでしょう。指導者側を切り取るならば、マネジメントなどに取り組む人に向けたより具体的な指導法や技術論の書籍を標榜し、「君ならできる」と名づけられるのは親御さん視点でのそれとなるように思います。

それはスポーツや人生に取り組む主体そのものが変わってきたということなのかなと思います。今ならば、指導者が「君ならできる」と語った過程があったとしても、「私はできる」と選手が実感した瞬間にこそ最大の光が当たるのではないでしょうか。指導者によって受動的に導かれる(ように見せる)のではなく、指導者の助けを借りつつ最後は自分自身が主体的に選択し、取り組む形こそが「よりよい」という感覚で。そこまでいかないと「まとまった」という感じにならないのかなと。国や地域、チームや師弟ではなく、「自分」こそがすべての行為の主体となり、また、そうあるべきだと思われるようになってきているのではないのかなと。ごく自然に思うのです。そんな形のほうが「求められているよね?」と。

シドニーから10年後、同じようにスポーツ界の偉業から生まれたベストセラーはサッカー日本代表・長谷部誠さんの『心を整える』でした。以後、アスリートの自己啓発本ブーム(丸山桂里奈『逆転力』など)を生むこととなった書籍は、「テレビのリモコンをキレイに並べる」などの習慣を通じて、自分で自分を律する本でした。スポーツという人生によく似たもので成功した人に、その人自身が主体となって自分自身の人生を切り開く言葉が求められた。サッカーのやり方ではなく、人生のやり方が。

それは、人間の幸せというものを模索するなかで必然の変化だったと思います。世界にひとりしかいない自分の幸せは、自分にしか決められず、自分自身でしか実現できないのです。誰かの助けを借りることはあっても、「委ねる」ことはできない。そして、自分自身の人生に主体的に取り組むことは、誰かに押しつけられた苦行ではなく、自分で選んだ道となります。自分で選ぶことによって、過酷な体験をも「楽しみ」としていく。そういう人生への向き合い方がメジャーになってきたのだと思います。

今はコーチも練習法も、環境も自分で決めていく時代です。平成最後の五輪・平昌を代表する羽生結弦氏や小平奈緒さんも自分でコーチの門を叩き、その指導を選んできましたし、そうした決断・行動にこそ素晴らしさというものを感じさせる時代です。実は高橋尚子さんや有森裕子さんもそうやって小出氏の門を「選んで」「叩いて」いたのですが、当時の僕はそういう選手の主体性よりも「名伯楽の導き」というものに、まだまだ強く惹かれていたように思います。「私ならできる」と選手が思う瞬間よりも、「君ならできる」と名伯楽がささやく瞬間にこそ、魔法を感じていたように思います。

実はその「名伯楽を選び、求めた」選手の決断や、名伯楽の指導に心底納得して取り組んだ選手の意志にこそ、真の魔法があったはずなのに。今ならそういう視点も持ち得るのに、「すごい先生だなぁ」で僕自身は終わってしまっていました。それが「20年前」ということなんだなぁと思います。

やらされるよりも、導かれるよりも、自分で選び取る時代。

それはスポーツにおいてもそうであり、スポーツが縮図であるところの「人生」においてもそうなのかなと思います。当たり前の幸せ、画一的な幸せはなくなり、ひとりひとり違う形の幸せを自分で選び取ることが尊重されるようになってきています。『世界にひとつだけの花』を咲かせることが尊いのだと。平成を駆け抜けた僕は、その変化をいいことだと思っており、そういう方向へ進んできた平成という時代はいい時代だったと思っています。

次は令和の終わりに、そう思えるように。

「何が変わるわけではないけれど、何かが違う」という日々を積み重ねて、令和の時代を振り返ったときに意外に先へと進んでいる自分たちの道のりを喜べたらいいなと思います。平成にも素敵なところはあったけれど、最初のほうに戻ることは考えられないよねと思う今のように、令和も素晴らしかったけれど最初のほうにはもう戻れないよね、と。駆け抜けたマラソンは楽しかったけれど、スタートに戻ろうとはもう思わないように。もう一度走るなら、次の新しいレースであるように。





とっても楽しい平成の31年でした!本当にありがとうございました!