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春は大山、夏は大山、秋は大山、冬は大山!

少年のエモーショナルな言葉に大変感銘を受けました。話題の詩、『春の大山』。阪神ファン、野球ファンそしてたくさんの人生を前向きに生きている人々にさわやかで温かい気持ちを与えてくれた。何度も何度も読み返したいような言葉でした。



これは阪神タイガース・大山悠輔さんのことを綴った詩です。タイトル、内容、詩の周辺に描かれた野球ボールと背番号3のユニフォーム。背景には黄色の色鉛筆で「OHYAMA YUSUKE」と名前も綴られています。間違いなく大山悠輔さんです。大山さんは2016年のドラフト1位で阪神に入団し、今年で3年目。初年度から7本塁打を放つなど活躍を見せ、今では阪神の若き主砲となっている選手です。

その活躍ぶりの特徴は、夏場から秋口、シーズン終盤にかけて上昇していく夏男ぶりにあります。2018年は7月まで打率1割台と低迷しながらも、8月・9月で急上昇。9月には月間9本塁打を放つ大活躍を見せました。その上昇カーブと大活躍はきっと少年の心をつかんだことでしょう。

つまり「春の大山」とは夏を待つ雌伏の時間であり、花の季節で言えばまだ「冬」の感覚。まだダメかもしれない、早く夏はこないかな、大山よ早く咲き誇れと祈って見守る時間なのです。一見して明るい言葉、桜満開の花見景色でも広がりそうな言葉の陰には、しっとりとにじむ不安があります。その相反する情景が、この「春の大山」という言葉にひときわ深みを与えているように思います。

そして、その「春の大山」という言葉と同様に、この詩全体には「一見した明るさと陰に潜む落胆」「一見した不安と沸き起こる喝采」という、相反する情景が巧みに織り込まれています。そのことを受け取るには、彼が言葉にした情景と、言葉にしなかった情景をつかむ必要があります。

「あったかいし6時だ。」

まずこの冒頭の一節は、この詩以前の情景と、この瞬間の情景とでは何かが切り替わっていることをうかがわせます。自分を言い含め、理由づけるかのような「あったかいし」という言葉。「お腹すいたし、帰ろう」のフレーズのように、この「し」は行動を起こす前の理由を自らに与えるときにたびたび使われるもの。「あったかい」と「6時」は彼に行動を起こさせる理由なのです。毎日ご飯を食べるように、結局は毎日サンテレビを見るのでしょうが、ことさらに理由があるのです。それはすなわち「あったかい」ことから生まれる夏男・大山への期待感です。

オープン戦、案の定大山さんは静かでした。打率2割2分4厘。ホームランこそ4本を放ちますが、まだまだこれからという状態。そんな低空飛行からの変化の予感として「あったかい」がある。暖かさが少年に「そろそろ大山が打つんじゃなかろうか」という気持ちを呼び起こさせるのです。サンテレビで阪神戦を見るという視聴習慣、その一語だけで詩全体に広がる阪神感はテクニックとしても巧みです。六甲おろしの響き、黄色いスタンド、緑の芝生、土のダイヤモンド。見る者を甲子園球場に引き込んでしまいます。

つづいて登場する「西」「近本」という単語で、この情景が2019年のことであると確定します。このふたりが阪神に加入したのは今年から。鳴り物入りでFA移籍した西勇輝と、ルーキーながら早速の活躍を見せている新人王候補・近本光司。阪神の希望を担うかのような選手たち。第1連では、彼らの「ピッチング」「ヒット」という活躍とともに希望を全体に滲ませます。

そんななかで、「でもこれがいちばん」と少年が期待をかけるのが春の大山です。ただし、これは夏ではなく春の大山なので、希望の陰にはしっとりと不安もあるのです。それを示すように、少年の言葉はじょじょにトーンダウンしていきます。ホームランからヒットへ、ヒットからダブルプレイへと。

先にホームランがきていることで、あたかも「大山大活躍」を綴った部分かのように見えますが、実はコレは少年の想像上の光景であり、期待の奥から不安が首をもたげてくる瞬間の情景です。実は今季、西さんが登板した試合で大山さんはホームランを1本も打っていません。そして詩で言及されているダブルプレイは西さん登板試合ではひとつもなく、今季全体でもまだ2つしかありません。「西のピッチング、大山のホームラン」試合は存在しない「想像上の光景」なのです。

「あったかいし」「ホームラン」と期待から始まった情景が、どんどん不安によって押し込まれていく。西・近本というニュースターの存在に、春の大山は日陰へと押しやられていく。そんな落ち着かない情感を少年は自らの想像によって膨らませ、それでも「まあまだ春だから」と自身をなだめ、変わらない心で、まだまだ不安の残る「春の大山」へ「打つんだ」と声援を送るのです。

つまりは、「頼むぞ頼むぞ…でもダメかも!!」という野球ファンなら誰もが知るあの感情が最初の段落には包み込まれています。一見すると華々しい言葉のラッピングで。包み紙の華やかさと内包する感情の不安、その相反する情景が深みを生み、球場やテレビで見守る「生の野球」のざわざわと落ち着かない感じを、よく漂わせていると思います。

↓みんなが知っている感情が美しく綴られたからこそ、こんなに共感を生むのでしょう!

その気持ちが好きで、見てるんだよ!

野球とかを!



つづく第2連までの空白、ここには不安的中からの落胆…おそらくは「現実の光景」があるのでしょう。打たなかったのでしょうね、さっきの試合では。そうであるからこそ、少年は後半の段落で非常にネガティブな心情に飲まれています。「でも今日はだめ」と先に言ってしまっている。そもそもの観戦も「あったかい」より強い「あつい」の状態でようやく始まっています。「今日はあついから今度こそ打つんじゃなかろうか」と、ようやく落胆から脱して再起する気力を得たのでしょう。

でも、心は不安でいっぱいです。「でも今日はだめ、春の大山」と夏がまだ遠いことに心をとらわれ、ダメそうだと決めつけています。しかし、第1連とは逆に、じょじょに少年はチカラを取り戻していきます。ダブルプレーから始まりキャッチャーフライ、そして相手のエラーへ。ヒットという単語こそないものの出塁するところまで、大山さんへの期待感が戻ってきています。

そのとき対比される存在として出てくるのが岩田稔さんと糸井嘉男さんです。岩田さんが35歳、糸井さんは37歳、ふたりともベテランの域に差し掛かった選手です。第1連ではニュースターとの対比であったものが、今度はベテランとの対比に変わるというコントラストの見事さ。ふたりは年齢を重ねながらも奮闘をつづけている選手であり、苦難の先にも道は長くつづいていくことを示す選手たちです。

このふたりに比べれば、大山さんはまだまだ若輩者。ニュースターとの対比では「日陰」となった大山さんですが、今度はベテランとの対比において「若さ」を与えられます。まだ24歳、伸び盛り。これから10年も15年もの未来が大山さんにはあります。まだ大山さんの野球人生は始まったばかりなのです。

だからこそ「でもだいじょうぶ春だ」なのです。

第2連での春は大山さんにとって「低迷の春」であると同時に、まだまだこれからだという「若さの春」でもある。まだ大山さんは「春」であり、これからたくさんの時間があり、岩田稔さんや糸井嘉男さんのように大きな選手になるための無限の未来が残されているのです。時間や伸びしろ、すなわち「希望」が。第1連とは逆に、暗鬱とした言葉にラッピングされた内側には、実は大きな希望が再び生まれているのです。

そして、現実の阪神に目をやれば「ダブルプレーにキャッチャーフライ、たまに相手のエラー」もやはり少年の想像上の光景であることがわかります。大山さんの今季のダブルプレーはふたつで、いずれも岩田さんの登板試合ではありませんし、むしろ岩田さんの登板試合は大山さんは非常によく打っています。4月18日に岩田さんが今季初勝利を挙げた試合では、大山さんは2本塁打4打点の大暴れ。4月25日にも1本塁打、5月2日は二塁打、5月8日も2安打1打点、そして詩が書かれたあとの試合ですが5月15日にも1本塁打を含む2安打3打点の活躍。おそらく少年も感じていたのでしょう。「岩田の日、めっちゃ打つやん!」と。なるほど、そうでしょう。今季の7本塁打のうち4本が岩田さん登板試合なのですから。

第2連は第1連とは逆に、一見すると暗鬱とした言葉のラッピングによって「ダメかもダメかも…でも頑張れ!!」を謳い上げています。今度は尻上がりに希望を強めていく形で。「春の大山。」とひときわ強く溜めて。きっと、最後の「打つんだ。」のあとに、現実の大山さんは打つのです。映画で言えば、エンドロールの最後に「カーン!」という快音が響いているような感じで、この詩は終わっているのです。だからこそ、一見すると言葉のトーンは下がっているはずなのに、さわやかな読後感が生まれるのです。言葉は暗くとも、少年はどんどんどんどん希望を高めてこの詩を終えているのですから。

↓岩田さんに今季初勝利をプレゼントした2発!


この試合なんか、まさに刺激を与えそうですけどね!

詩人の創作意欲に!




少年は実際には「西の日はてんでアカンかったけど、岩田の日にめっちゃ打ったでー!」という観戦体験をしたのではないでしょうか。そして、一喜一憂し、ヤキモキし、落胆と喝采を行き来するような気持ちで大山さんを見守っていたのでしょう。その感情自体は僕らもよく知るものですが、少年がそれを言葉にするとき「落胆はあえて書かず」「喝采を送る直前に筆を止めた」ことでこの美しい詩編が生まれたように思います。

「打たんのぉー」と書けば愚痴になるものを、空白の一行によって書かずにやり過ごした。「打ったでー!」と書けば陳腐になってしまうものを、未来への美しい予感だけを漂わせて止めた。一喜一憂を書かないことで、変わらない気持ち、どんな日も応援しつづける気持ちだけをそこに遺した。素晴らしいセンスだなと思います。あえて言わないことで、さざ波のように少年の感情があとから伝わってくるでしょう。その正体がよくわからないままに。

こんなに愛してくれるファンを得た選手と、こんなに愛せる選手を見つけたファンは幸せだなと思います。大山さんを見守るなかで生まれる落胆と喝采は、日々の暮らしをとても豊かにしてくれるでしょう。毎日の6時が楽しくなるでしょう。どうぞこれからも春も夏も秋も、大山さんを見守っていってください。同じ野球ファンとして、「その時間、最高だよな」と僕も思います。控え目に言って、最高だよな、と。僕にとっては清原和博がそんな選手でした。清原の打席を待って過ごしたナイターの夜。あのときの気持ちが優しく甦ってきました。

「清原和博。打つんだ。」

僕もそう思っていたし、みんなもそう思っているのです。

想い人の名前だけ、それぞれで入れ替えながら。

「打つんだ」と。

それはとても幸せな時間なのです。打とうが、打つまいが。


推しの選手を得ると、毎日がすごく楽しくなっていいですよね!