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痛みを抱いて生きる、その心!

コロ助め……。ついにコロ助の猛威と恐怖は世界全体に広がってきました。チームに感染者が出たF1、選手に感染者が出たNBAは試合の中止・延期を決めました。クラブ内で感染者が出たことでレアル・マドリードも活動を一時停止しました。続報に次ぐ続報。世界中で影響が続出しています。アメリカやイギリスも本格的に震え出しました。そしてカナダでも、日本からも大きな注目が注がれていたフィギュア世界選手権も中止が決定。10月以降の代替開催を目指すとしていますが、状況は不透明です。

↓参加予定であった羽生氏もコメントを発表!
 中止になってしまったことは残念ではありますが、選手のみならず、観に来られる皆さまや大会運営のスタッフの方々への感染拡大のリスクが、少しでも減ったことに安堵する気持ちもあります。このような状況の中で、選手に競技の場を設けようとギリギリまで尽力してくださったISUに感謝の意を申し上げます。

 今回の中止を受けて、改めて新型コロナウイルスについて、また、ウイルス感染について考える機会ができたと思っています。このような対応がなされたからこそ、より一層、注意を払って生活していかなくてはと思いました。

 そして、今シーズンの最後まで応援してくださった方々、本当にありがとうございました。来シーズンに向け、今の限界の先へと行けるよう、練習していきます。



簡潔にして不足のないコメント!

ありがとうございます!

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ちょうど3月11日過ぎということもあって、今回の事態を東日本大震災と重ねてしまうようなところがあります。仕事がなくなり、経済が停滞し、「生きる」とか「死ぬ」とかいうことがにわかにリアリティを持って迫ってくるような気持ち。むしろ今回のほうが個人としては大きな部分もあります。震災のあと、海から遠く離れた自分の家に津波がこないことはわかっていましたが、新型コロナウイルスはいつどこで接触してもおかしくないのですから。

だからこそ、同時に思います。逃げるばかりではいられないなと。一時退避はあっても、やっぱり生きていかないといけないのです。生きる以上はリスクがありますし、それをゼロにすることはできません。「生まれなければ死なない」のは確かですが、それは無でしかありません。リスクがある「生きる」という行為のなかで何を成すか、生きる者には責務……と言うと大袈裟過ぎるかもしれませんが、何もしないではいられないだろうと思います。

羽生氏などはその葛藤をくぐってきた人です。

震災という体験を経て、その先でとりわけ大きな何かを「成して」きたひとりです。だからこそ、簡潔にして遠くまで届く言葉となって、心情が伝わってくるのだろうなと思います。こうした感情や状況を幾度も見つめ、繰り返し考えてきた人だからこそ、こういう言葉になるのだろうなと。

「中止」はもちろん残念です。それは選手として第一等に自然なことです。この大会を見据え、人生の一部を投じてきたのです。羽生氏のチカラならまた別の機会があるかもしれませんが、これが最初で最後の世界選手権という選手もいるでしょう。この日が人生で最高のハイライトとなる人もいたかもしれない。その機会を失ってしまったことは大きな痛みです。

ただ、「生命」まで失うわけにはいかない。「たとえここで死んでも」と思いながら挑む機会はときにあるでしょうが、本当に生命を失うリスクを許容するわけにはいきません。それは自分自身もそうですし、周囲の人もそうです。自分が出場すれば、ことさら多くの自分のファンが来るとわかっていた羽生氏です。ひとりぶんの生命の重さでなく、たくさんの重さを背負っています。

何かを成したい。でも死ぬわけにはいかない。

これは人生のすべてに横たわるリスクとチャレンジのバランスです。震災やウイルスが出てきたからではなく、日常のすべての瞬間にあるバランスです。電車やクルマは事故を起こしますし、病気はいつだってかかる恐れがある。スポーツをすれば怪我をすることもあるでしょう。ただ、そのリスクを承知し、最小にする術を模索しながら、恐れを超えて何かを成す。それが「生きる」ということだと思うのです。

簡単に諦めてしまうのではなく、リスクとチャレンジのバランスを見定めながら、境目を潜り抜けていくこと。そこに人生の面白さがあるでしょうし、大きな成功もあるだろうと思います。だから「ギリギリまで尽力」すべきだろうと思うのです。この大会をめぐっては「駅でレッドカーペットを歩く」とか「有名選手のサイン会を実施」とか「熱は38.0度までOK」とか、昨今の世情を鑑みるとやや呑気な面もありましたが、その土地その土地でのバランスもあろうと思います。武漢でできること、日本でできること、カナダでできること、その程度はまったく同じではないだろうと。

最終的にはカナダでも死者が発生し、クラスターと思しき事例が出てきたことや、そもそもこの大会の参加者を勘案すると「日本基準」にすべきではないかという部分もあり、中止という判断にいたりましたが、最初から諦めてしまわず、最後まで突っ走らなかったことは、十分に「感謝」に値するものでしょう。この日を楽しみにし、この日こそが生き甲斐だと思って、最後まで「チャレンジ」に振っていた人がいるでしょうから。選手にも、観戦者にも。すべてはバランスです。「0」と「100」を除いた、「1から99」のリスクのどこかで行なうチャレンジです。「生きる」という行為は。

今回は中止となり、「生命」を守りました。

何かを成すことはできませんでしたが、その「痛み」を抱いて「次なる未来」を守りました。

あの震災のあと、生き残った人が抱いたであろう葛藤と同じ性質のものがこの決断には宿るのです。何故生き残ったのか、生き残った私はどうすべきなのか。僕はこの一連の羽生氏の言葉のなかで、一番に引きつけられるのは二段落目にある「このような対応がなされたからこそ、より一層、注意を払って生活していかなくてはと思いました」という部分です。これこそまさに「生き残った自分」が宿る言葉でしょう。

たくさんの「痛み」を抱いてウイルスという危険を避けた以上、その痛みを無駄にはできません。たとえば、「ちょっとヒマになったし屋形船でも行くか…」なんてことで感染拡大にでもつながれば、あのときの「痛み」って何だったのという話になるでしょう。失ったものが無駄にならないように、守ったものを大切にしていく……そういう姿勢が柔らかく示されているのかなと思うのです。「より一層、注意を払う」ことにおいて。きっとそれは、この9年間ずっと意識してきたことなのだろうなと想像しながら。重荷を背負わすようで恐縮ですが、自然に背負ってしまうのだろうと思います。痛みの先を生きる人は。

だからこその「来シーズンに向け」という約束。

もしかしたらこの大会で4回転アクセルを決めたら、競技を去ってしまうのではないか……なんて気配も漂わせていた羽生氏ですが、最後に嬉しい約束をしてこのコメントを締めくくってくれました。「ファンの人の旅費が…」とか狭い範囲のことをあえて言う場ではないわけですが、まぁ、いろいろ考えずにはいられなかっただろうと思います。羽生氏のように視野が広いと、自分の痛みだけでなく、自分につながる人の痛みも考えずにはいられなかっただろうなと思います。あえて言及はしませんし、慰めたり、詫びたりする筋合いでもないのですが、考えてしまっただろうなと。

この「痛み」は「次なる未来」とのバランスで負ったもの。

じゃあ、自分につながる人の「次なる未来」って何よ?と。

それは「来シーズン」しかないのです。次があるんだよ、と。生命を守っただけではなく、未来があるんだよ、と。その表現が「来シーズン」であるという点については、4月や5月に会う機会はないのかもしれないなと仄かに感じる部分もありますが、とにかくここが終わりではないことだけは約束されました。次があるなら、痛みに耐えて元気よく生きるしかないでしょう。次、次、次です。



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この日はちょうど、東京五輪聖火リレーの採火式が行なわれていました。これまでも何度も見た式典ですが、東京のトーチを、アテネで輝いた野口みずきさんが手にして走る光景には、いよいよだなという想いが高まりました。胸に迫るものがありました。長い時間の積み重ねが、いよいよクライマックスを迎えるのだと。その一方で、この採火式が無観客で行なわれたということについては、寂しさも覚えました。何かを失いつづけている今を感じました。

もはやこの大会が最高の満足で行なわれることはないでしょう。中止という可能性を含め、延期、無観客といった制限が掛かったり、制限がなかったとしても能天気に過ごすことは難しいだろうなと思います。ハグ、ハイタッチ、大歓声、難しいだろうなと。たとえそれが1年後・2年後ということであったとしても、同じ能天気さではいられないだろうなと。

しかし、それでも。

むしろ、だからこそ。

ギリギリまで尽力していきたいなと思います。自分の生命を守りながら、どこまでチャレンジできるのかを身をもって示していきたいなと思います。僕が何をしたらどうなるものでもないでしょうが、ひとりぶんの強さで、この街で何かを「成す」ことができるのだと示しつづけたいなと思います。東京がこのタイミングを引いてしまったと嘆くのではなく、東京しかこのタイミングは担えなかったという心意気で。

手を洗う、よく食べる、よく寝る。マスク、咳エチケット、リスクの高い環境の回避。世界よ見てろよ、という気持ちです。世界一の長寿大国は偶然できたものじゃないんだぞと。先進的医療と、国民皆保険のシステム、そして何よりもこの国のひとりひとりの衛生意識の高さと、それを徹底することができる自制心が、リスクを抑制し、チャレンジを可能にしてきたんだぞと。

次がある選手もいるだろうけれど、このタイミングを逃せば次がない選手もいるでしょう。この一年が最後の炎という選手もいるでしょう。簡単に諦めてしまうことはできません。簡単に「次があるよ」とは言えません。全員を満足させることはできないかもしれないけれど、全員を納得させる尽力はしてみせる。たくさんの大会が中止になっていくなかで、より一層の強さで臨みたいと思います。この先の苦渋の決断の連続に。そして、この取り組みをレガシーとして遺したいと思います。この先また同じような苦難が訪れたときに、この時の東京が何を考え、何を取り組み、何を諦めたのかを。どんな痛みを負って、何を守ったのかを。それはきっと、世界の財産となるものです。ギリギリの尽力、見せましょう!



「アポロンの神から火をもらいました」
「よし、これで根こそぎ燃やしましょう」
「ウイルスは火に弱いですからね」
「そうですね、燃やせば死ぬでしょう」
「弱いかどうかは知りませんが」
「燃やせば確実に死ぬでしょう」
「燃やしましょう、燃やしましょう」

ギリギリまで尽力し、それでもダメなら、次への希望を遺します!