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美しい体操は、楽しそうな体操!

日本体操界、いや世界体操界の「キング」である内村航平さんが現役を退くことが発表されました。まだ所属事務所からの発表という段階で本人からのコメントはありませんが、不思議と心は穏やかです。寂しいとか悲しいといった気持ちはなく、きっと笑顔で労うことができる、そう思います。

個人・団体あわせて五輪で3個、世界選手権で10個の金メダルを獲得した偉大な選手。2009年から2016年まで連ねた個人総合の金は、栄光に彩られた王者の道でした。現役終盤は数々の故障に苦しみましたが、痛む身体に鞭打って、困難のなかにあった東京五輪へと僕らを導いてくれました。もうすでに、あらゆるものを見せていただきました。ただただ感謝、感謝するばかりです。




選手としての業績は一口に言い表せないほど数多くありますが、やはりその最大のものは体操という競技を新たな次元へと上昇させたことに集約されるでしょう。ともすれば「一芸の曲芸」になってしまいがちな体操という競技において、内村さんは6種目すべてを高い次元でやり抜くことを旨とし、「身体操作」というこの競技の原点を貫き通しました。一概にスペシャリストの存在を否定するわけではありませんが、全部やってこその体操であり、さまざまなことができてこその体操選手なんだという価値観で世界を統べたのです。

そして、それは単に「できる」だけではなく「美しくできる」だった。言葉としてはずっとずっと昔から「美しい体操」という表現はあったでしょうし、冨田洋之さんら先人たちが示してきた概念ではありますが、それがどういうものなのかを真に世界が理解したのは内村さんという実例を通じてだったと思います。真っ直ぐに伸びた手足、どんな回転でも割れることのない足、無用な力みを伴わない動作、吸い付く着地、すべてがひとつながりとなった6種目を見守るなかで、ようやく「こういうことか」と理解しました。こういうことができるのだと実感しました。これが体操なんだと思いました。



内村さんが一過性の存在ではなく、そうした価値観のもとで世界を統べた長い年月は、継ぐ者たちを育てるのに十分でした。「これが体操なのだ」と思った選手たちが生み出す新たな時代は、まさしく「美しい体操」の世界でした。2021年の東京五輪において、新たな王者となった橋本大輝さんもまた内村さんに心酔して育った「美しい体操」の選手であったことは、内村さんが示した価値観がしっかりと根付いたことの証でした。

内村航平という存在を経た僕らは、もはや不格好な体操では満足できなくなってしまいました。すべてを、高い次元で、美しくやってこそ体操なのだと思うようになってしまいました。単に数多くのメダルを獲ったから内村さんは「キング」なのではなく、その価値観で世界を統べたからこそ内村さんは「キング」なのだと僕は思います。

だから、現役を退くという報せを受けても、それは決して「別れ」ではないと思うのです。本人が実施するかどうかはさておき、この世界には内村航平の体操が遺っています。僕らもまた、内村航平という基準を心に備えて、これからも体操を見ていきます。「現役」は終わっても「時代」は終わらない、これからもつづいていく。ならば、別れの寂しさも、ほんの少し感じるばかりです。




世のなかにはさまざまなスポーツがあり、日本からもレジェンドと呼ばれる偉大な選手が数多く生まれています。ただ、そのなかでも内村さんは傑出した存在です。たとえば、野球や相撲をやっている人は限られますし、世界には競技の存在すら知らない人も多いでしょう。しかし、走る、泳ぐ、跳ぶといった根元的な動作は世界のすべての人が行なっています。今この瞬間にも、全世界何十億の人が宙返りに挑戦することができます。国籍や性別を問わず全人類がチャレンジできることです。

そうした根元的な競技が陸上であり競泳であり体操です。ここには取りこぼしはありません。これらの競技の王者は、全世界全人類がチャレンジできるなかでの頂点に立つ存在です。そうした根元的な競技である体操において、歴史上最高の選手として君臨した内村さんは、日本スポーツ史においても「キング」と称されるべき偉大な存在であり、世界のスポーツ史においてもその名を省くことはできない存在です。ウサイン・ボルトやマイケル・フェルプスと並び立つような。

それなのに、内村さんはとても身近です。

はにかんだような笑顔と砕けた言葉は、近所のお兄さんのようです。内村さんがやっていることからすれば、天上界の孤高の存在となっていても不思議はないと言うのに。内村さんが住んでいるのは僕らとは別の世界のはずで、その世界のことを理解できるのはごく一部の仲間たちだけのはずなのに。いつも難しそうな顔をして、観念的なよくわからないことを話しているような人でも不思議はないのに、内村さんはそうではありません。孤高の存在ではないのです。

むしろ、内村さんは誰にでも寄り添ってくれます。子どもたちに体操を教え、大人たちには体操の魅力や難しさを語り、仲間たちには自分の技術を惜しみなく伝えてきました。悩みも苦しみもあけすけにしてきました。孤高の存在として自分だけの体操を追求するのではなく、むしろみんなと一緒に体操を楽しんできました。個人のメダルよりも団体のメダルが欲しいと語り、団体の金を何よりも喜んだ「みんなの内村さん」でした。

内村さんを通じて見た体操は、「美しい」ものであると同時に、「楽しそう」なものでした。難しい技に挑戦することは楽しいんだ。上手くなるのは楽しいんだ。失敗しても、やっぱり楽しいんだ。体操クソ馬鹿野郎と自称した内村さんの生き様は、体操がとても楽しいことで、何だか自分でもやってみたくなる、出来そうな気がする、そう思わせてくれるものでした。実際問題バク転のひとつもできるわけではないですが、少なくとも「内村航平という特別な人間がやる、特殊なこと」ではありませんでした。あの着地だけでも真似したい、そう思って階段から跳んだりしたでしょう。

世界の選手にとってもそうだったのではないかなと思います。内村さんがやっていることで、「ほかに誰もできない」ことはひとつもありません。ウチムラという唯一無二の難技で勝ってきたわけではないのです。誰かができることを、ただひたすらに美しく、ただひたすらにいくつも重ねてきただけなのです。どこまでも身近で、どこまでも高い頂点。目指したくなる目標だったことでしょう。

例えて言うならば「富士山」のような人だったと思います。

挑戦の糸口すら見つからない絶峰ではなく、広い裾野から誰もが一歩ずつ目指せる頂き。もちろん険しい側面はあるのでしょうが、登ったら楽しそうな気がする道のり。眺めているだけでもとても幸せな気持ちになる景色。その頂がどれだけ高かったとしても、高さよりも身近さを覚える存在。だから、空中での美しい動作以上に、地に降り立ったときの姿が思い出されるのかなと思います。天上にありながら、麓の裾野まで降りて来てくれた体操の神、そんな存在であるかのように。

今こうして脳裏で振り返る内村さんはいつも笑顔です。

そういう人と同じ国で、同じ時代を生きられたことを、とても嬉しく思います。

「僕は内村航平の演技をこの目で見たことがある」ことを生涯の自慢とします。

これからも何らかの形で体操と関わり、活躍していくことを楽しみにしています。

お疲れ様でした、ありがとうございます、そして、これからもよろしくお願いします!





内村さんの「美しい体操」を、これまでと同じようにこれからも楽しみます!