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最後ではなく、新しい最初の内村さんへ!

とても納得感のある、いかにもそうだろうと思える引退会見でした。体操競技史上最高の選手・内村航平さんの引退会見に貫かれていたのは体操への愛と、体操と人生とが決して分かつことができないほどに結びついた内村さんという人間の姿でした。「●●が恋人です」と自分の仕事をたとえる言い方がありますが、体操と結婚した人がここにいて、これからも永遠に愛しつづけることをみんなの前で誓ったのです。まるで体操との金婚式か何かのようでした。





ゆずの「栄光の架橋」に乗って会見の舞台に登場した内村さん。その曲を聴きながら「どっちかと言えばそれはアテネ感…」などと思ったりもしますが、少し隙があるのも内村さんらしくて安らぎます。聞けばこの日は特に食事もせず、話すことを準備もせず、ノープランでやってきたとのこと。そのノープランで聞く人々の心に突き刺さる言葉を次々に紡ぐのですから、大したものです。「自然体」の完成形を見るようです。

いざ会見が始まり、いつもと同じ薄っすらとした笑顔で引退について語り出す内村さんですが、受け止める側の世間とは異なり、内村さん自身はこれを特別なこととは捉えてはいない様子。それもそのはずで、質疑応答のなかでじょじょに明らかになっていきますが、どうやら内村さんの意図としては「もう競技会には出ない」というだけのことである模様。

身体が動く限りは体操の研究をしていくと意欲は十分ですし、「世界で一番体操を知っていたい」という野心も見せます。心技体で言えば「体」が長年の酷使で厳しい状態になり、競技会に向かうという意味での「心」が盛り上がってこないというだけで、「技」を極めようとする「心」はいささかも衰えていないのです。「内村航平が体操を辞められるわけがない」と確信はしていましたが、あっけらかんとその通りだったことに「ですよねー」とコチラも和みます。

逆に、引退会見どころか3月12日に東京体育館で6種目を演じる「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル」なる演技会のお知らせをするのですから恐れ入ります。内村さんは燃え尽きてもいないし、立ち止まるわけでもない。泣いたり、しんみりしたりすることのないこの会見は、引退会見と名づけてはいけないもので、「新プロジェクト発表会」とでも呼ぶべきものだったなと思います。万難排してぜひ行きたい、そう思います。何なら大会名も「コウヘイ・ウチムラ ブランニュー・アドベンチャー」とか未来志向のものでもいいなと思いました!



「質問されるほうが得意」ということで、競技引退にあたっての内村さんの想いは質疑応答のなかで明かされていきます。印象的なトピックがいくつもありましたが、まず、大半の質問に対して一旦自問自答するような間を作る内村さんが秒で即答した「自分の体操でこだわってきたものは?」「着地です」というやり取りは、やはり内村さんを象徴するような一言でした。勝敗でも、種目名でも、技の要素でもなく、「着地」を挙げるその姿勢、内村さんらしいなと思います。

誰もがひと目で明確に出来・不出来がわかる着地は、得点としては一歩動いて0.1減点とか大きく動いて0.3減点とかで、勝敗を決定づけるまでの要素ではありません。しかし、その演技の出来・不出来を決定的に左右する要素です。0.1点とか0.3点では換算できない無形の価値があります。画竜点睛です。内村さんはそれをずっと追求してきたのだろうと思います。吸い付く着地で降りたあとの、すべてを支配して「できた」というあの瞬間を。

別の質問では印象に残る技を挙げて「リ・シャオペンは一番難しかったし、考えたし、実際できてもこれが合っているのかなと考えながらやっていた」と語っていた内村さんでしたが、そこには人間の身体をどう操作するのか、誰も知らない答えを探してきた人の奥行きがありました。技自体はできているのです。跳馬のリ・シャオペン、ロンダートひねり前転とび前方伸身宙返り2回半ひねりは何度も決めてきているのです。できているけれど「正解」でできているかはわからなくて、まだ探っているのです。やりましたハイ終わり、ではない。

そもそもリ・シャオペンに至るまでには、ロンドン五輪でも見せたロンダートから入る「シューフェルト」という技があり、さらに「ヨー2」というリ・シャオペンと同じ後半の動きをする技があり、それをひとつずつ極めながら両方を合体させて「リ・シャオペン」に至るという道のりがありました。その過程では、どう走る、どう跳ぶ、どう手をつく、どうひねる、どう浮く、どう回る、どう降りるといった無数の謎があり、そのひとつひとつを解き明かす研究があったはずです。

技に挑み、技ができたときの喜びを感じ、さらにその技の正解を探り、また新たな技を目指す。そうやって積み重ねた数百の技があり、改良を重ねてきた幾千幾万の時間があり、誰よりも正解を考えてきた試行錯誤がある。それが「世界一の練習をしてきた」という自信であり、「世界中のどんな体操選手・コーチよりも自分が一番(体操を)知っている」という自負なのでしょう。そうした研究の部分こそが内村航平という体操選手の本質であり、それが試合で実践されるからこそ「6種目やってこそ体操」「美しい体操」という価値観も世界に広まったのでしょう。

内村さんは体操という学問の研究者だったのだなと思います。新たな理論を見つけ、実践し、身をもって証明してきたのだなと思います。ならば、競技会から退いたとしても「引退」になるはずがありません。自分自身で試すのが若干しんどくなっただけで、研究はこれからもつづけるのですから。本人は指導者への意欲を今のところ見せていませんが、将来的には指導もするだろうと僕は確信しました。思いついた理論があったら試したくなって当然です。自分の身体が動かなくなってきたら、代わりに試してくれる若者を探したくならないはずがない。そんな未来もまた楽しみになります。

↓2015年世界選手権個人総合より、内村さんのリ・シャオペンをどうぞ!


シューフェルトをあと半分ひねれば、「ウチムラ」(のちのシライ/キム・ヒフン)になったんですけどね!

それよりも自身の終着点と定めたリ・シャオペンを目指し、完成させたのだから、それでいいのです!



だからこそ、定番の質問に対しても特別な答えが出てくるのだなと唸りました。「内村さんにとって五輪とはどういうものですか?」と問われた内村さんは、「自分を証明できる場所」「世界チャンピオンになりつづけて、果たして自分は本物のチャンピオンなのかと疑いつづけて、オリンピックで証明することを2回もできた」と答えました。

「本当にこれで合っているのか」「自分は本物の世界チャンピオンなのか」と問いつづけた研究者にとっての、一番大がかりな実験の場がオリンピックだったのだ…僕はそんな風に理解しました。きっと正しいはずだ、これが正解のはずだ、実際に試してみよう、「できた」。誰も答えてくれない真理を証明し、自分自身で納得できる場所、それが五輪だったのだろうと。疑いつづけた人に納得を与える仕組みがそれだったのだろうと。

だから、五輪という舞台で初めての挫折を味わったあと、もう一度その舞台を目指すモチベーションが失われたことも、何となく納得できるのです。五輪で初めての挫折を味わったとき、図らずもわかったのだろうと思うのです。この舞台で証明をしなくても、自分が積み上げてきたものや解き明かしてきたものは間違いにはならないのだと、初めて気づくことができたのかなと思うのです。

意欲が衰えたのではなく、疑いが晴れた。

自分を試さなくても認められるようになった。

東京五輪の予選で落下したあとは、「自分はもう主役じゃない」とか「土下座したい」とか自分を否定するような言葉を数多く残した内村さんですが、きっと出会う人誰もが「そんなことはない」と内村さんの言葉を否定したはずです。「勝ったから正しい」とか「負けたから間違い」ではない、不変の価値はちゃんと伝わっていた。証明できなかったことで納得できた、そんな逆説的なこともあるのかなと思うのです。



さて、競技においては「ウチムラ」なる新技は披露しないという選択をしてきた内村さんですが、むしろこれからの活動においてこそ、内村航平でなければできない「新技」披露の可能性はあるように思います。すでに成し遂げた「プロ体操選手」という立場であったり、3月12日の引退発表後の演技会というのも、内村さんの「新技」のひとつだろうと思います。

会見の最後で述べた「(子どもたちには今はまだ)体操をやると楽しいんだよ、くらいしか言えない」という言葉には、体操が生涯の仕事にはなっていない現実を変えていきたいという想いが滲みます。富や名声というものはもちろん、体操をすることで生涯に渡って人生を充実させることが現実としてできていないという点を課題に感じているのでしょう。

33歳の内村さんは体操選手としてはすでに「おじいちゃん」の年齢です。これまでの多くの選手ならばここで体操を離れてしまうタイミングです。まだ人生半ばの若さですが、体操は終わりを迎えてしまう時間なのです。記者会見でも「自分も体操をやっていた」という質問者がいましたが、たとえばそこに「もう今はやってないの?」という寂しさのようなものを覚え、それを変えたいと思っているのではないかと僕は想像するのです。

一部のトップ選手だけがわずかに指導者として業界に残り、そうではない多くの選手は体操から離れていく現在。もっと裾野を広げ、体操が人々の日常の一部になり、公園でおじいちゃんが大車輪しているような世界があってもいいはずです。内村さんが「競技者ではなく演技者としてやっていく」ことも、新しい世界を切り開く一歩だろうと思います。体操と共に生きていく、そういう未来像やロールモデルを示していくための。

未来を担う子どもたちに「何でもいいけれど、自分の好きなことを見つけて、やりつづけることで勉強や習い事にも転換できる」「好きなことを見つけてほしい」とメッセージを遺した内村さん。その好きなことの選択肢として「体操をやりなよ」と言える未来を作ることが、これからの内村さんの新しいチャレンジとなるのでしょう。「体操界に遺したものは?」という質問に答えあぐねていた内村さんですが、きっとそれが内村さんのレガシーとなるはずです。

体操と共に生きる。

それが一部の特殊な事例ではなく、ひとつの選択肢になる未来。

技を決めるよりも難しいことかもしれませんが、内村さんでなければトライできないチャレンジです。質疑応答のなかで、後輩たちに求めるものとして「大谷翔平くんや、羽生結弦くんのような人間性」という点を挙げた内村さんですが、それはまた自身に対しても意識していることなのでしょう。世の中に影響を与え、人々の心を動かし、未来を変えていく、そのために。

だから、引退会見にはまったく不相応な言葉ですが、「ますますのご活躍をお祈りしております」がこの会見には一番よく似合います。まずは「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル」でお手並み拝見といきましょう。従来の体操競技会のイメージを塗り替えるような取り組みに期待します!

↓「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル」はAbemaTVで生中継されるとのことです!

2022年「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル」

2023年「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル2」

2024年「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル3 イン・パリ」

みたいな感じになってもイイと思います!



物語は2025年「コウヘイ・ウチムラ ザ・ファイナル4 リブート」へとつながる!