若松団地
2008年12月16日
2008年07月06日
南船橋を見つめてきた宇宙飛行士@船橋市若松団地(2)
船橋市若松2丁目の若松団地(若松2丁目団地)は,大がかりな改修工事をおこなっている. その最終段階として,給水塔の外装などの改修をおこなっていたがその作業も終了した.
若松団地があった場所は,遠浅の良好な海だった. 戦後の高度成長時代の工業化を背景に,比較的早い時期に埋め立てられた. 左の写真は,排砂管と呼ばれるパイプライン(サンドパイプ)で連続的に埋立地まで送る方式(送管方式). ポンプ船で航路や港になる部分から砂などを掘削し,強力なポンプで海水ごと土砂を吸い上げて,埋立地を造成していった. 最近の,羽田空港第3滑走路や関西国際空港,神戸ポートアイランドなどは,山砂で埋立てられている.
若松団地は,1967年ごろに日本住宅公団(現UR都市機構)により建設された. 給水塔はこのときに作られたものだ. このころから給水塔は,南船橋を見つめ,人とともに暮らしてきたのだ. 写真には,船橋サーキット場と船橋ヘルスセンターの巨大なプールが見える.
このころは,現在の船橋市立若松小学校と船橋市立若松中学校はまだ海で,中学校は現在のJR南船橋駅付近,小学校は現在の若松児童ホームあたりあった. 当時の若松小学校には,谷津干潟の観察室もあった.
↓1974年(昭和49年)ごろの航空写真. まだ,関東自動車道も国鉄京葉線(京葉貨物線)もなかった. 給水塔の宇宙飛行士の壁画は,若松団地側にしか描かれておらず,入居者募集などの宣伝目的で書いたものでないことがわかる.
船橋市立若松中学校は,1978年(昭和53年)3月に現在の位置に移転.
↓建設中の,国鉄京葉線が見える.
↓若松団地の給水塔の前に,世界最大の屋内スキー場ららぽーとスキードームザウス(SSAWS)が見える. 1993年7月15日から営業を始めた. 当初入場料金(2時間滑走)は5900円だったが,その後一日5400円となった.
ザウスのゲレンデ内の気温は,-4度から-2度に保たれ,真夏でもスキーやスノーボードが出来た. 上質な積雪を保つために,強力な空調設備が設置されたが,その熱交換装置を逆に利用した温水プールも併設されていた. しかし,利用者が少なかったたのと利用料金(1000円)が高かったため,まもまく閉鎖になっている.
しかし,スキーブームは去り,今後入場者の増加は見込めないため,2002年9月30日で営業は終了して閉鎖された.
<関連記事>
(2008年07月05日)南船橋を見つめてきた宇宙飛行士@船橋市若松団地(1)
若松団地があった場所は,遠浅の良好な海だった. 戦後の高度成長時代の工業化を背景に,比較的早い時期に埋め立てられた. 左の写真は,排砂管と呼ばれるパイプライン(サンドパイプ)で連続的に埋立地まで送る方式(送管方式). ポンプ船で航路や港になる部分から砂などを掘削し,強力なポンプで海水ごと土砂を吸い上げて,埋立地を造成していった. 最近の,羽田空港第3滑走路や関西国際空港,神戸ポートアイランドなどは,山砂で埋立てられている.
若松団地は,1967年ごろに日本住宅公団(現UR都市機構)により建設された. 給水塔はこのときに作られたものだ. このころから給水塔は,南船橋を見つめ,人とともに暮らしてきたのだ. 写真には,船橋サーキット場と船橋ヘルスセンターの巨大なプールが見える.
このころは,現在の船橋市立若松小学校と船橋市立若松中学校はまだ海で,中学校は現在のJR南船橋駅付近,小学校は現在の若松児童ホームあたりあった. 当時の若松小学校には,谷津干潟の観察室もあった.
↓1974年(昭和49年)ごろの航空写真. まだ,関東自動車道も国鉄京葉線(京葉貨物線)もなかった. 給水塔の宇宙飛行士の壁画は,若松団地側にしか描かれておらず,入居者募集などの宣伝目的で書いたものでないことがわかる.
船橋市立若松中学校は,1978年(昭和53年)3月に現在の位置に移転.
↓建設中の,国鉄京葉線が見える.
↓若松団地の給水塔の前に,世界最大の屋内スキー場ららぽーとスキードームザウス(SSAWS)が見える. 1993年7月15日から営業を始めた. 当初入場料金(2時間滑走)は5900円だったが,その後一日5400円となった.
ザウスのゲレンデ内の気温は,-4度から-2度に保たれ,真夏でもスキーやスノーボードが出来た. 上質な積雪を保つために,強力な空調設備が設置されたが,その熱交換装置を逆に利用した温水プールも併設されていた. しかし,利用者が少なかったたのと利用料金(1000円)が高かったため,まもまく閉鎖になっている.
しかし,スキーブームは去り,今後入場者の増加は見込めないため,2002年9月30日で営業は終了して閉鎖された.
<関連記事>
(2008年07月05日)南船橋を見つめてきた宇宙飛行士@船橋市若松団地(1)
2008年07月05日
南船橋を見つめてきた宇宙飛行士@船橋市若松団地(1)
船橋市若松2丁目の若松団地(若松2丁目団地)は,大がかりな改修工事をおこなっている. その最終段階として,給水塔の外装などの改修をおこなっていたがその作業も終了した.
給水塔は,若松団地内に送る上水道の水圧を安定して給水するためのもので,内部は巨大なタンク(貯水槽)になっている. 特に若松団地の場合,居住棟が 4F から 6F の高さがあるため,それ以上の高さの給水塔が必要になる. この給水塔は,鉄筋コンクリート製のソリッドタイプと呼ばれるものだ.
しかし,団地内の給水塔が撤去されることが多くなってきている. 給水塔の耐震基準をクリアできないものがあるからだ. また,技術的に,給水塔を使わなくても水道の本管から直接各戸へ給水できる直結方式(直結直圧方式/直結増圧給水方式)が登場してきている. 給水塔のメンテナンスがいらない,というメリットもある.
だが,この給水塔(貯水槽)が見直されてきている. もしもの災害時に,直結方式の場合はすぐに断水になってしまうが,給水塔を使った貯水槽方式の場合,本管が断水になった場合でもタンク内の水が無くなるまで利用できる. 病院や学校などは,この貯水槽方式を採用するのが一般的となっている.
若松団地の給水塔だが,JR京葉線側からはよく分からないのだが,若松団地側から見るとアポロ宇宙船と宇宙飛行士,宇宙から見た地球が描かれている.
若松団地は,1967(昭和42)年に1916戸建設された. ちょうどそのころ,米国が進めていた「人間が月まで行って帰ってくる」というアポロ計画が進められていた. 1968年(昭和43)年10月,初の有人飛行がアポロ7号によって行なわれ,地球を11日間にわたって周回して無事帰還した. そして,1969年(昭和44)年7月16日に打ち上げられたアポロ11号は,ついに史上初の有人月面着陸を果たしたのだった.
↓左写真が,改修後の給水塔. 右写真が改修前の2004年9月の給水塔の絵. ほとんど変わっていないことが分かる.
給水塔は,若松団地内に送る上水道の水圧を安定して給水するためのもので,内部は巨大なタンク(貯水槽)になっている. 特に若松団地の場合,居住棟が 4F から 6F の高さがあるため,それ以上の高さの給水塔が必要になる. この給水塔は,鉄筋コンクリート製のソリッドタイプと呼ばれるものだ.
しかし,団地内の給水塔が撤去されることが多くなってきている. 給水塔の耐震基準をクリアできないものがあるからだ. また,技術的に,給水塔を使わなくても水道の本管から直接各戸へ給水できる直結方式(直結直圧方式/直結増圧給水方式)が登場してきている. 給水塔のメンテナンスがいらない,というメリットもある.
だが,この給水塔(貯水槽)が見直されてきている. もしもの災害時に,直結方式の場合はすぐに断水になってしまうが,給水塔を使った貯水槽方式の場合,本管が断水になった場合でもタンク内の水が無くなるまで利用できる. 病院や学校などは,この貯水槽方式を採用するのが一般的となっている.
若松団地の給水塔だが,JR京葉線側からはよく分からないのだが,若松団地側から見るとアポロ宇宙船と宇宙飛行士,宇宙から見た地球が描かれている.
若松団地は,1967(昭和42)年に1916戸建設された. ちょうどそのころ,米国が進めていた「人間が月まで行って帰ってくる」というアポロ計画が進められていた. 1968年(昭和43)年10月,初の有人飛行がアポロ7号によって行なわれ,地球を11日間にわたって周回して無事帰還した. そして,1969年(昭和44)年7月16日に打ち上げられたアポロ11号は,ついに史上初の有人月面着陸を果たしたのだった.
↓左写真が,改修後の給水塔. 右写真が改修前の2004年9月の給水塔の絵. ほとんど変わっていないことが分かる.