
2009年6月25日(木) 14:26 (日本時間6月26日朝),世界的なスーパースター
マイケルジャクソン(Michael Jackson)がロサンゼルス西部のベルエアの自宅で倒れ死去した.

50歳だった.

マイケル(マイコゥ)の透き通った
ボーイソプラノはすばらしい.

誰もが認める,
マイケルの天才的なサウンドとダンスはどこから来ているのだろうか.

その起源は,
ジャクソン5(The Jackson Five)だ.
ジャクソン家などが集まって作ったグループで,
マイケルは,その
ジャクソン5のリードヴォーカルだった.

1962年(昭和37年)に結成されたが,当初幼い
マイケルはメンバーに入っていなかった.

マイケルは,
ジャクソン家の10人兄弟姉妹の8番目(6男)としてインディアナ州ゲーリーのアフリカ系アメリカ人として1958年(昭和33年)8月29日に生まれる.

4歳ごろから
マイケルも,
ジャクソン5のメンバーに入るようになってくる.
マイケルが入ってから,しだいに
黒人アイドルグループでありながら,
白人にも受け入れられるようになる.

ジャクソン5のサウンドは,同じような家族編成バンドであった,
スライ&ザファミリーストーンや
アイズレーブラザーズなどの影響を強く受けている.
スライ&ザファミリーストーン(Sly & The Family Stone)は,1967年(昭和42年)-1975年(昭和50年)にかけてサンフランシスコを中心に活動したバンドだ.

1960年代後半には,斬新なサウンドで革命を起こし,多くのアーティストに影響を与えた.

↓
スライ&ザファミリーストーン.


2007年には結成40周年を迎え,約20年ぶりのツアーを開催した.

東京ジャズフェスティヴァル(東京JAZZ)にも参加し,
東京国際フォーラムで2008年8月31日(日)に初来日公演を行なっている.


また,
アイズレーブラザーズは1950年代に結成されたヴォーカルグループだ.

だが,1983年後半には分裂してしまう.

↓
アイズレーブラザーズ.

マイケルの透き通った
ボーイソプラノは,これらのグループからコピーできるものではない.

実は,この
マイケルの歌声には秘密があった...
男性歌手は,声域が低い順にバス,バスバリトン,バリトン,テノール,カウンターテノールに分類される.

一方,
女性歌手は声域が低い順からアルト(コントラルト),メゾソプラノ,
ソプラノに分類される.

その
ソプラノの声域を発声できる
男子は,
変声期前のごく一部の
少年男子に限られ,それを
ボーイソプラノという.

かつての
宗教音楽では,
ボーイソプラノの帯域を出せる
少年男子が重宝された.

当時の
女性は,
教会内で沈黙をしなくてはならず,歌を歌うことはできなかったため,
聖歌の歌唱に
ボーイソプラノはなくてはならない声域だった.


だが,一般的に
少年男子は,中学生前後の第二次成長期(11歳-14歳)なると,
変声期ををむかえる.
変声後の声は,
1オクターブ程度低くなる.

苦労して発掘した
ボーイソプラノも役目を終えてしまう.

それを,回避する方法が
カストラートだった.
男性ホルモンの分泌をコントロールして,男性を
女性化するのだ.


実は,この
カストラートを,
マイケルもおこなっていた.
ジャクソン5やレコードレーベルの
モータウンは,まだ少年だった
マイケルの,高い声を売りにしていた.

その人気を維持するため
カストラートをおこなったのだ.

昔とは違い,現代の
カストラートは簡単だ.
女性ホルモン剤(エストロン)を投与するだけだ.


米国の
ジャクソン5の成功の話は,日本にも届いていた.

そして,テレビを中心に活動していたアイドルグループにも影響を与えた.
個人授業や
学園天国の曲で,ミリオンセラーとなった家族構成の
フィンガー5だ.
学園天国は,その後
小泉今日子や
慎吾ママにカバーされている.
フィンガー5は,沖縄出身だが,もともとは
オールブラザーズという名前で活動をスタートした.

その後,
アキラ(晃)と
タエコ(妙子)が,後から嫌々ながら参加させられた.


1972年(昭和47年)5月15日,
沖縄は日本に復帰した.

そんな時代に
オールブラザーズは
フィンガー5 として再デビューした.

米国で当時大ヒットしていた,同じ5人兄弟グループの
ジャクソン5を意識したものだった.

メインボーカルであった
アキラが
ジャクソン5の
マイケルに相当する存在だ.
ジャクソン5 の
ベンのテーマ(映画の主題歌)や
愛はどこへもカバーしている.

↓当時の
フィンガー5.


思惑通り,日本の
フィンガー5 は当たった.

しかし,
アキラも
少年男性だった.
アキラにも,
女性ホルモン剤(エストロン)を投与しないかという声はかかった.

しかし,
アキラと家族は,それを断った.

結果,
変声期をむかえた
アキラは,高い声が出せなくなり急速に人気が急落した.

女性だった
タエコにボーカルを替えたものの,人気は急降下した.

そして,1978年にはグループを解散したのだった.

マイケルの精神不安定は,この少年期に大量に投与された
女性ホルモン剤(エストロン)が原因だったのでは,という人もいる.
<関連記事>

(2009年10月24日)
伝説になったマイケルジャクソン@浦安市舞浜イクスピアリ編(5)

(2009年10月24日)
伝説になったマイケルジャクソン@浦安市舞浜イクスピアリ編(4)

(2009年10月24日)
伝説になったマイケルジャクソン@浦安市舞浜イクスピアリ編(3)

(2009年06月25日)
伝説になったマイケルジャクソン@船橋市・レンタルショップ編(1)