2010年11月08日

食ってみよう、BL

五十嵐大介 / 「SARU」



を読了。

今までに存在した文化の中で、意味のないもの
なんて1つもないという事なんだなぁ。

文化を継承するという行為が生きる意味そのものだと
いうことを五十嵐大介には珍しい戦闘モノに置き換えて
伝えようとしている。

文化とか宗教とかレベルの存在を語る上で五十嵐大介の画
ほど効果的なツールはないように思う。

漫画というディフォルメを宿命付けられたジャンルで
劇画のような写実主義ではなく、マキシマリズムを極める
事で逆にミニマリズムを感じる域まで達した世界観。

今、マスとコアのバランスがもっともとれている漫画家
のように思う。


んで、最近きっちりとジャンルとまでいえる規模になってきた
BLを通過した漫画家たちのメジャー進出。

中村明日美子とかヤマシタトモコとか よしながふみ 、志村貴子
達の画は基本はポップなミニマリズム。

最小限の線で勝負するタイプ。

もちろん、少女マンガからの流れがあるのでしょうがないし、
むしろその横のつながりで”点”→”線”→”面”と地場を
広げてきた。

でも、それだとまだ”面”に”しか”なってなかったと思える
ようなこの漫画の爆発力で、”面”から3次元的な深みが出る
ジャンルに成長すると思われる。

尚 月地 / 「艶漢」




キャラ、背景のこれでもかのマキシマリズムを
独特のカット割りでミニマルに配置する手腕。

劇画を進化させた荒木飛呂彦は真面目すぎて笑えるという
熱量がすごいのだけど、それと同じ構図をBLで、しかも
超ポップに描いている。


これは大業なプログレにハードコア、ラテンの要素をミックス
してチャートにまで乗っけたマーズ・ボルタ、




あるいは古典としてしか存在価値がなくなっていたジャズ
をスウィング時代に退化させずに、オーケストラルにドーピング
して現代音楽にまで進化させたシネマティック・オーケストラ



の存在と似ている。

これが、スピリチュアルジャズとかになっちゃうと別で
結局薬がないと退屈な音楽になっちゃう。

あくまでも大衆性を持ったマキシマリズムだというのが
凄いのだ。


んー、盛り上がってるジャンルからは面白い才能が坩堝
のように沸いて出てくる。
しかも元々虐げられていたジャンルなだけに日の目を見た
時の爆発力、すげーよ。

BL系〜Fellows!界隈は漫画界のブルックリンだな。

食わず嫌いって、その時点で差別だろ。
食って腹壊してからでも嫌うのは遅くないよ。


NERI



vmjstyle at 14:35│Comments(0)TrackBack(0)mixiチェック NERI | 漫画

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