「歌とギターとブルースハープ」について

加藤喜一「歌とギターとブルースハープ」自己解題ブログ

スローバラード

スローバラード  (詞・曲 忌野清志郎 みかん)

 昨日はクルマの中で寝た

 あの娘と手をつないで

 市営グランドの駐車場

 二人で毛布にくるまって


 カーラジオからスローバラード

 夜霧が窓をつつんで

 悪い予感のかけらもないさ

 あの娘のねごとを聞いたよ

 ほんとさ確かに聞いたんだ


 カーラジオからスローバラード

 夜霧が窓をつつんで

 悪い予感のかけらもないさ

 ぼくら夢を見たのさ

 とってもよく似た夢を


 

 ライヴCD「歌とギターとブルースハープ」最後の曲は、09.6.17のアンコール・テイクであるRCサクセションのカヴァー「スローバラード」。くしくもこのひと月前に忌野清志郎は癌で逝去した。オレはリスペクトの意味を込めてこの曲をチョイスした。

 

 「スローバラード」を初めて聴いたのはいつだったのだろう。はっきりとは思い出せない。

 初めてRCサクセションのステージを観たのは80年の一橋大学学園祭だった。そのときすでにRCは再ブレイクしていたので、「スローバラード」も当然演っていたのかもしれない。が、それ以前に聴いたことがあったような気もする。

 

 オレがRCを、というより忌野清志郎の世界をより深く意識して触れるようになったきっかけは、音楽評論家・吉見佑子さんの勧めと影響である。吉見さんが廃盤だったアルバム「シングルマン」の再発実行委員をしていたことは、ご本人の口から聞くまで知らなかった。

 SALLYの、3枚目のアルバムの制作中だった85年、詞を書くことに煮詰まっていたオレは、よく吉見さんに相談させてもらっていた。そのとき「シングルマン」や「初期のRCサクセション」などを詳しい解説とともに聴かされた。

 70年代のフォーク時代のRCは楽器こそアコースティックだったが、そのプレイにも、また詞と曲にも、強烈で激しいインパクトがあった。それらはとてつもなく純粋で、リスナーに媚びることはもちろん売れセンなどまったく頭にないような、身近な思いをシンプルでストレートに歌った楽曲ばかりだった。当然ながらそこにロック・スピリットを感じたのは云うまでもない。

 

 吉見さんによく云われたのは、「何事も自分の言葉で書きなさい」ということだった。それはそうだ。いくら忌野清志郎に感動し触発されたとはいえ、そのフレーズを借りてくることはできない。だが、若干20歳だったオレが作詞するためにノートに書き始めたのは、明らかになぞるような、時には真似に近いセンテンスばかりで、しかもアルバムの締め切りには間に合わず、その大部分はボツとなってしまったのは当たり前と云えば当たり前の結果だった。

 シンプルに、ストレートに、そして自分の言葉で書くということがどれほど難しいことか、オレはこのとき初めて思い知らされた。

 

 

 ところで今、あらためて「スローバラード」の詞を眺めてみて、これが全然色褪せていないことに驚きを隠せない。むしろキラキラとした部分はかつてよりもよく理解できる気がする。

 たとえば、「市営グランドの駐車場」なんて一見何でもない言葉だが、これが「なんとかドーム」(もちろん当時はそんなものはないのだが)ではなく、ただの「市営グランド」だからこそ、このラヴ・ストーリーは急に身近に、よりリアルさを持ち始める。さらには「市営グランド」が似つかわしいこの主人公たちの生活感さえも感じ取れるような気になる。

 また、「ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を」では、似ているだけで決して理解し合えてはいなかったということを、醒めた目で見つめているのがわかる。

 この部分、以前は相手を誤解していたことへの落胆と諦めとして解釈していたが、今読むと、多くの人間関係が実は厖大な誤解で築かれているとも云えるこの世の中で、ほんのちょっとでも理解できた瞬間があったことへの、実はささやかな安堵とも取れるように思えてならない。そしてたぶん忌野清志郎はそのことを直感的に知っていたのではないのか。それゆえこの曲は真にストレートなラヴ・ソングとして心に響くのではないだろうか。

 

 忌野清志郎は著書「十年ゴム消し」に、「単純なラブソングこそ最高」とし、「詩は見るが歌は見ない=本当に感じることはできない」と書いていた。まさにそのとおりだと思う。

 「スローバラード」は、敬愛するオーティス・レディングからの影響も大だと思う。歌い方を始め、曲調はオーティス風のR&Bスタイルを踏襲している。オーティスのいくつかのスローナンバー、たとえば「cigarettes and coffee」などに、それこそよく似た匂いがする。また間奏とエンディングの梅津和時のアルトサックスも心に響く素晴らしいプレイだ。

 後年、忌野清志郎はオーティスのバックを務めたブッカー・T&The MG’Sとアルバムを発表しているが、その後も自分の音楽的ルーツにより忠実だった彼の姿勢には、ミュージシャンとして深い共感と尊敬を覚える。加えて周知の通り、どんな状況でも揺らがない自分自身を貫き通した人生は、まさにロックのお手本のようにさえ感じる。

 

 「スローバラード」は、日本のロックとしては数少ない後世に残る1曲ではないかと思っている。



singleman
<シングルマン/ RC SUCCESION   1976>

On the sunny side of the street

On the sunny side of the street  (lyric; Dorothy Fields/ music; Jimmy McHugh)

 

Grab your coat and get your hat,

Leave your worry on the doorstep,

Just direct your feet

To the sunny side of the street.

 

Can't you hear a pitterpat?

And that happy tune is your step,

Life can be so sweet

On the sunny side of the street.

 

I used to walk in the shade

With those blues on parade,

But I'm not afraid,

This rover crossed over.

 

If I never have a cent

I'll be rich as Rockefeller,

Gold dust at my feet,

On the sunny side of the street.

 

 さあコートをつかんで帽子をかぶって

 この際悩み事は玄関の脇に置いといて

 陽の当たる通りに出てみよう

 

 足元からピタッパって

 ハッピーな歌が流れてきたよ

 そうさ 人生は素晴らしいものなんだ

 陽の当たる通りに出ればなおのこと

 

 思えばずっと日陰の道を歩いてきた

 あんなこんな憂鬱とともにね

 でも、もう恐れはしない

 だって、通りの向うへ渡ったんだから

 

 たとえお金がなくったって

 心はロックフェラーのようにリッチさ

 陽の当たる通りに出てみれば

 足元から金色に輝く埃が舞い上がるはずさ

 

 

 1930年に発表されて以来、たくさんのアーティスト、ミュージシャンにカヴァーされてきているジャズ・スタンダード。このシンプルで爽やかなメロディー、一度はどこかで耳にしたことがあるかもしれない。

 自分で訳したので、英文法的には合ってないところもあるが、歌い手のニュアンスとしてはこんな感じで良しとして欲しい。

 一見、明るさに満ち溢れているように感じるが、この歌は途中のフレーズにあるように、長い憂鬱から脱け出した歓び、あるいは脱け出そうという強い意志が垣間見える。

 この曲は、20年代に起きたアメリカの金融恐慌後の重苦しい空気を反映していたとされているが、今なお歌い継がれているということは、この楽曲の持つ核心部分がいつの時代にも人の琴線に触れるからにほかならない。そしてオレもそのうちのひとりである。

 

 オレの長い憂鬱は、病気によって酒を断つこととともにようやく去った。去ってみて、初めてこの歌のイメージするところがはっきりと理解できた。

 エラ・フィッツジェラルドの圧倒的な歌いっぷりで、この曲へ憧れを抱いたのはずいぶん前だ。

 いつか歌ってみたいと思ってはいたが、なかなかその機会は訪れなかった。そりゃあそうだ。人生の転機になろうかという曲がそう簡単に歌えるはずがない。かつて柳ジョージが、サム・クックの「A change is gonna come」が人生の転機になった1曲だったと自著の「敗者復活戦」で語っていたが、そういうものは「求めない心境」になったときに初めて訪れるのではないかと思う。歌の方から歩み寄ってくるとでも云えば好いだろうか。歌が人を択ぶ。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、そういうことは実際あり得るのだ。

 

 2004年に再起してから今に至るまで、KOTEZ&YANCYには色んなことでサポートしてもらっているが、彼等もまたこの曲を演っている。ライヴでスローにアレンジされた「On the sunny side~」を初めて聴いたときもまた、何とも云えない戦慄が走ったのを覚えている。

 ライヴCDのオレのヴァージョンは、彼等へのリスペクトとしてKOTEZ&YANCYのエンディング・フレーズを使わせてもらっている。ちなみに最後に聴こえる歌声は、ちょっと酔っ払ってゴキゲンのCHADのマスター・本田さん。本田さんはかつてラテンバンドのヴォーカルを務めていたこともある。オレとしてはお気に入りのテイクでもある。

 

 今後も、いやたぶん音楽を続けていく限り、オレはこの曲をずっと歌っていくつもりだ。


sunnyside 

 


















<On the sunny side of the street/ Ella & Basie   1963>









愛しのマリア

 

愛しのマリア (詞・秋元康  曲・鈴木キサブロー)

 

 夜明けが来る迄 二人で踊った

 甘いバラード 誰かの胸で聞くのか

 バス・ルームのルージュ あの日のままだよ

 セシルカットのお前ほほえむ フォトグラフ

 

 マリア ネヴァ・フォーゲット

 何も出来ずに

 今は遠くで見守るだけさ

 マリア ネヴァ・フォーゲット

 ひとりつぶやく

 OH! ハッピー・バースデイ 朝迄 LONELY NIGHT

 

 

 オリジナルは852月リリースのSALLY3枚目のシングル。東映「パンツの穴・花柄畑でインプット」の主題歌。

 これもまた曲の経緯についてはBlog of SALLYに詳しいので割愛したいが、簡単に触れると、デビューヒットとなった「バージンブルー」の路線を忠実に守っているのは明らかだ。ちなみにこの頃、マイナー進行の似たタイプの曲は、アイドルたちも歌っていた。

 

 現在、「愛しのマリア」をライヴでよくチョイスする理由は、時を経ても尚自分が歌い馴れしていたことと、曲がアップテンポでライヴ向きであるからと自己分析している。

 歌い馴れとは、すなわち口づさみやすさでもあり、それには歌詞がポイントとなる。

 秋元康さんのこの詞は、当時から歌いやすいと感じていた。発音しやすいのである。特に上に掲げた2コーラス目はノリやすく、歌っていて気持ち好い。歌のリズムと詞のリズムがぴたりと合っている。

 歌において、口づさみやすさは、時に詞の意味を凌駕する。

 こう云ってはなんだが、たとえば詞に出てくる「セシルカット」が、フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよ、こんにちは」で主人公セシールを演じたジーン・セバークの髪型だったとオレが知ったのは、ずっとずっと後のことだ。

 

 ライヴCDは、元のサックスソロをブルースハープでリアレンジしている。またこのテイクからつづく3曲は、同じ日(09.6.17)のライヴ録音である。その前までの6曲は別の日(09.4.14)であり、ニュアンスが異なっている。

 

 ところで主題歌となった映画はいまだに未見のオレである。いつの日か観る機会が訪れるのだろうか・・・。

 

maria
<愛しのマリア /SALLY   1985>

sallys_magic
<Sally's MAGIC /SALLY   1985> 

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