「歌とギターとブルースハープ」について

加藤喜一「歌とギターとブルースハープ」自己解題ブログ

風花の流れ

風花の流れ   (詞・東海林良  曲・大野克夫)

 

 風花がポトリ 夜明けを連れて

 かすかな光を放つ

 窓際で肩を並べて おまえとそれを見ている

 幸福に酔った季節は流れ

 嘆きが音たてきしむ

 雨だれの奏でる詩が 隙間を埋めてく

 投げやり気な 言葉さえも

 今では傷つけ合うだけ

 自分の世界愛し過ぎたよ

 それを それを 詫びたいよ

 まぶしい朝にそっと別れを告げよう

 

 

 オリジナルは78年リリースの萩原健一のNadjaシリーズ2枚目、Nadja2に収録されているメロウな楽曲。

 歌手としてのショーケンを知ったのは77年のNadjaからだった。そのときオレは中学1年。中学生にはあまりに渋く、オトナっぽく、逆に云えばキャッチーなところはまるでなく、とても地味なアルバムで正直よくわからなかった。だが、ドラマ「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」でファンになってしまったオレは、忠実なファンとしてショーケンを追いかけ続けることをやめなかった。

 Nadja2は前作より、いくぶん明るい楽曲が増え、聴きやすかったが、それでも当時流行っていた歌謡曲、ロックとはかなり趣きが異なり、相変らず渋い内容だった。

 

 ショーケンがソロ歌手としてブレイクするのはその1年後の79年。Nadja3Angel gate~とシングルカットされた「大阪で生まれた女」、それに続くライヴ盤「熱狂雷舞」のヒットが引き金となる。

 79年の6月、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」のラテ欄には出演歌手の名前の前に「異色豪華版」とあり、萩原健一のほかにリタ・クーリッジの名前もあったのを記憶している。

 そのときオレは中学3年。もちろんAngel gateも「大阪で生まれた女」も聴きこんでいたのは云うまでもない。歌っている姿を観たことがなかったので期待を込めてテレビの前で待っていた。

 

「・・・!!!」

 

 正直、ぶっ飛んだ。度肝を抜かれた。カッコイイ!!!!!!!

 ショーケン本人はもちろん、バックの柳ジョージ&レイニーウッド、特別出演の井上尭之も素晴らしい。そしてレコードで聴いていたものとは明らかにテンションの違う、ライヴ感いっぱいのプレイだった。しかもテレビで2曲!生放送の1時間.の番組でほかに出演者もいるのに2曲!!当時では考えられない豪華さだ。

 完全に打ちのめされたオレは、この年、ショーケンのコンサートに行こうと思ったのだが、中間テスト、期末テストと重なり泣く泣くあきらめてしまった。翌年のコンサートには行ったが、そのときは柳ジョージではなくDonjuanというバンドに変わっていた。ソロ歌手としてのショーケンファンの多くはこのDonjuanからファンになっていると思われるが、オレはいまだに柳ジョージがバックだった79年のショーケンが忘れられない。それほど強烈なインパクトだったのだ。テストと重なったとはいえ、やはりあのとき観に行けば好かったといまだに後悔している。

 

 時は流れて、インターネット時代。You tubeはさまざまな問題も含むが恩恵もたしかにある。

 オレが観てぶっ飛んだ、その「夜のヒットスタジオ」のショーケンがなんとアップされている。よくぞヴィデオを録ってくれたものと感激した。30年ぶりに観ることができた。こちらである。




 

 

 ちなみに上の「どうしようもないよ」のオリジナルは井上尭之。「大阪で生まれた女」はBORO。だがどちらも完全に萩原健一のカラーで塗りつぶされているのは観てのとおりだ。

 

 

 さて、「歌とギターとブルースハープ」では長年思い続けていたショーケンのカヴァーを1曲入れている。ショーケンのアルバムは、ご本人の文学好き、映画好きが反映されていて、本のタイトルや映画のタイトル、内容が歌詞になっていたりするものが多い。Nadjaはシュールレアリズム文学を代表するアンドレ・ブルトンの同名小説から取ったものと思われる。オレとしては思い入れが強いのはNadja2であり、いちばん聴き込んだのもこのアルバムだ。

 ショーケンのカヴァーは、下手すると単なる物真似になってしまう。楽曲択びは悩みに悩んだが、やはり自分がいちばん聴いていたものをピックアップすることにした。「無言劇」と「風花の流れ」だ。そして今ならこれらをきちんと自分のものとして消化できる自信があった。このライヴCDには「風花の流れ」をチョイスした。

 歌詞は東海林良。1篇のフランス映画を観るようなこの人の描く詞に、オレはSALLY時代強く影響を受けている。「Good vibrationはあの街角に」/SALLYではその影響が色濃く出ているはずだ。

 風花(かざはな)とは冬の晴れたときに、雪がちらちらと舞う現象。東京ではほとんど見ることはできないが、幸いなことに、オレは去年仙台で初めて風花が舞うのを見ることができた。それによって、さらにこのカヴァーが自分の中に深く入り込んだように思っている。



nadja2
<Nadja 2 / 萩原健一   1978> 

HEARTはキュートなままでいて

HEARTはキュートなままでいて  (詞・曲 YOSUKE&KEACH)

 

 19855月にリリースしたSALLY時代の4枚目のシングル曲。

 楽曲の経緯に関しては、ブログ「A! Blog of SALLY」に詳しく書いたはずなので、ここでくだくだしく書くのは差し控えたいがひとつだけ。

 「HEARTはキュートなままでいて」をつくるときに参考にしていたのは、マージービートに代表される60年代の洋楽ヒットポップスだったと記憶している。

 それまでのシングルがマイナー・キーのオールディーズ風サウンドだったこと。それに対しロックンロールからの影響が強い自分たちのオリジナルとのギャップに不満と限界を感じ始めていたこと。またデビューして1年のあいだに起きた劇的な環境変化と心理的変化などなど、とにかくあらゆるフラストレーションが一気に噴き出したのを証明するがごとく、立木義浩氏撮影によるジャケット写真には、それまでのモノトーンのイメージを一新する派手なメイクにこれまた派手な衣装をまとったSALLYが映っている。また各々の表情にも変化が窺える。

 その後、昇華されたフラストレーションとそれに伴う経験は、結果的にSALLYにさまざまなことを学習させることとなる。

 

 さて、ライヴCD

 SALLY時代から現在に至るまで、オレは曲作りに関してはギターでつくることがほとんどということもあり、ギター1本だけでも十分聴けるものになるよう自然と心がけている。

 原曲はシンセサイザーやエレクトリック・ドラムなどが多用されているが、今回アコギとブルースハープだけの演奏でその骨組みだけが残った。それでもこのマージービートっぽい楽曲のイメージは損なわれていないと思うし、そう感じていただければありがたく思う。

 

 間奏のブルースハープのソロは、サビのメロディーラインをリフレインしているのみで、ほとんど遊びはない。ライヴではほかの曲にアドリブソロが多いので、何も施さないものもバランス的に必要ではないかと考えたからである。

 前曲の「crossroads」の勢いをそのままに一気になだれ込んでいるが、これはその日(’09.4.14)のセットリストそのままだ。

 

 ところで、HEARTはキュートなままでいて。いまだにオレの女性に対する思いはそのままである。いやむしろ、年齢を経てなおそういう女性を魅力的に感じるようになったかもしれない。蛇足と云えば蛇足ですけど・・・。

 

hearthacute




















<HEARTはキュートなままでいて/ SALLY    1985>


the_best_cd
















<SALLY THE BEST/ SALLY      1986>

Crossroads

 Crossroads blues   (lyric, music; Robert Johnson)

 

 I went down to the crossroads , fell down on my knees

   I went down to the crossroads , fell down on my knees

   Ask Lord above for mercy, save me, if you please

 

 I went down to the crossroads, tried to flag a ride

   I went down to the crossroads, tried to flag a ride

   Nobody seem to know me, everybody passed me by

 

 

 

 十字路に立って/車を拾おうと/手を上げるが/みな通り過ぎてしまい/打ちひしがれている/という、シンプルであるゆえに意味深い内容とも云えるブルース。

  オリジナルはクロスロード伝説で有名なミシシッピのブルーズマン、ロバート・ジョンソンで1936年にレコーディングされているが、オレがこの曲を知ったのはきっと多くの人がそうであるように、イギリスのバンド、クリーム(エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー)のライヴ・ヴァージョンだった。そのライヴが収められている「Wheels of fire」が発表されたのは1968年、オレは3歳である。当然ながらリアルタイムではない。

 

 オレは中学生のときにビートルズをよく聴いていたのだが、「White Album」に入っている「While my guitar gently weeps」でエリック・クラプトンのむせび泣くようなギターにノックアウトされ、友人から借りた「Layla」を聴いてさらにぶっ飛び、クラプトンの過去のバンドであるクリームに遡ってブルースの入り口にたどり着いた。これが中学3年生のときだ。

 とりわけ「Crossroads」はギター雑誌にその楽譜がたびたび取り上げられ、多くのギター少年たちがこのクラプトンのソロをコピーしていたはずだ。

 

60年代はアメリカの古いブルースをバックボーンにしたブリティッシュ・ブルースバンドが大流行するがクリームもそのひとつだった。それまで黒人のものとされていたブルースを現代的にアレンジし、なおかつ人種を問わず広く世に知らしめたのは白人である彼等の功績だと云われている。

 ロバート・ジョンソンは1930年代に活躍したブルーズマンで、レコーディングされた曲は29曲しかない。だがそのほとんどがクラプトンをはじめローリングストーンズ、レッドツェッペリンなど後のロックバンドに大きな影響を与え、カヴァーされた。

 ロバート・ジョンソンのスキャンダラスな人生やブルース・ヒストリーについては、数多くの専門書はもちろんwebサイトにも詳しく記されている。それをここでオレなどが紐解くのはおこがましいので割愛するが、末端ながらオレもまたブルースに大きな影響を受けたひとりであること、そして音楽的拠り所となっていることはたしかである。

 

 さて、「Crossroads」。

 オレはクラプトンをベースにしている。だがこれをそのまま演るわけにはいかない。クラプトンを消化したうえで自分の中に取り込むには、あの有名なギターリフから脱却しなくてはいけない。オレの場合、アコギとブルースハープでのプレイなので、リフはブルースハープでアレンジし直し、ソロもブルースハープで演らざるを得なかったのだが、かえってそれが幸いし、結果的に自分の「Crossroads」が出来上がった(・・・と思っている)。現在ライヴでは、そのときどきに応じてリズムやテンポに多少変化を持たせることもある。またセッションによっては取り上げるようにしている。いずれにしろ自分にとってはライヴでのレパートリーとしてだけではなく、音楽的バックボーンとしても大事な1曲だ。

 

 何はともあれ、「Crossroads」はブルースそのものであり、今後もずっと世に受け継がれていくことは間違いないだろう。

 冒頭の歌詞はクラプトン・ヴァージョン。オリジナルの「Cross road blues」と「Traveling river side」の4番をミックスしている。ロバート・ジョンソンのオリジナルは「KING OF THE DELTA BLUES SINGERS」や「THE COMPLETE RECORDINGS」で聴くことができる。



wheels_of_fire
<WHEELS OF FIRE/ Cream    1968>


robert
 <
THE COMPLETE RECORDINGS/ Robert Johnson 2004>

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