時間が少し短く論議というところまではたどりつけなかったようですが、さまざまな立場の方から質問が出されました。
議事録は西成区から発表があると思いますので、詳細はそちらをご覧ください。写真で、会場のようすをお伝えします。
市営住宅、医療、駅前開発、労働施設の4検討会議に分かれて今後は話し合いが行われるそうです。
医療について質問が委員の方から出なかったのは、もしかすると事前に顔合わせ的に行われた検討会議でかなり突っ込んだ議論ができたからかなと想像します。
また国と府が主催する労働施設の検討会議について、参加委員が選定されていなかった点、国と府がまだ地域の声を聞ける段階にいたっていないことを表しているようで、質問が多く寄せられていました。
この点については、行政と有識者の方たちとの今後の取組手腕にかかっているともいえます。
地域の団体としては、まとまった申入れ等を考えていくべきかもしれません。










社会問題解決のための作業ルームより転載 (http://solutionroom84.blog.shinobi.jp/)
1975年から大阪湾縁の南港を中心に宿泊所を建てて実施されていた大阪市の越年対策事業が、今年から釜ヶ崎の地域内3箇所(自彊館本館、三徳寮、今宮シェルター)、港区の第二港晴寮に分かれて行われている。
釜ヶ崎支援機構は、今宮シェルターの運営を行うことになった。
はじめての試みをどのように乗りきるか。今までは一日ずつの宿泊を夜間だけ受け入れるシェルターしか動かしたことはない。24時間となって果たしてうまくいくのだろうか。
200人が食事をとるから食堂がいる、ベッドだけではなくくつろげる場所(娯楽室)も必要だ。宿泊棟からベッドを取りはらって、テーブルをおいたり、畳を敷いたりとたいへんである。
そして、3交代だから通常のスタッフに加えて、一日あたり40人を雇い入れないといけない。はたして年の瀬のだれもが休みたい時期に人が集まるだろうか?
不安に押しつぶされそうになるときほど、よいアイデアが浮かぶものだ。
そうだ、特別清掃(ホームレス状態の方のために大阪府・大阪市が実施している社会的就労)の登録者やシェルターに泊まっている方の中から、スタッフを募ればいい。なんでこんなあたりまえのことにきづかなかったのか!(ズバリ、支援者の位置に安住していたのでしょう…)
仕事がかたく、人との関係の取り方をうまくこなせる人を、特別清掃スタッフが推薦する形で採用していった。
年金や仕事などをやりくりして簡易宿泊所やアパートを維持している人もいるが、多くの人が普段はシェルター暮らしや野宿生活。当然のこと年越しの宿代を工夫できない場合もあるので、いっしょに安い宿を探し、貸付を行った。
たいていの方は、「仕事がある時はたまに使ってるとこやねん」、「昔はよう泊まってたんやけど」など行き先があるのだが、けっこう「どこを探したらいいのかわからない」という方がいたので、驚いた。釜ヶ崎に何年もいるわけだし、それだけ「ドヤに泊まる」ということから遠ざかってしまっているということだ。
そんなことは釜ヶ崎ではあたりまえといえばあたりまえのことだが、もう一つのあたりまえの発見があった。採用面接の時、酒気帯びらしき人はいなかった。また働くときも酒気帯びの人はいない。ところが採用の結果を訊きに来るとき、それから働く間の宿の相談のとき、8割がたの人が酒気帯びだったということに、改めて驚いた。訊きに来る方は一回のことだからいいが、受け付ける方は連続になるので、臭いだけで酔いそうである。
もちろん釜ヶ崎はアルコール依存症の問題が集中する地域であることは分かっているのだが、仕事のことで業者と話をするってときにひっかけてくるのは、どうか?釜ヶ崎はまぁそんなものなのだが、改めてアルコールの問題、孤立の問題の重さをひしと感じた。
うまくいけば、短期間とはいえ、一日40人規模での仕事の機会の拡大である。がぜん力が入ろうというものである。働きあいのまちをつくることをめざす釜ヶ崎支援機構らしい運動の創り方/受託事業のこなしかただ。そうでなければ、設備の整った新シェルターで行われるはずだった越年時対策が、工事入札不調で、古い今宮シェルターしかなく、越年時用の乾燥機を宿泊者が使用するとたびたびブレーカーが落ちるような状態であるので、気が滅入っていたにちがいない。
そもそもシェルターはあいりん総合センター1階の開放や野営闘争の自主管理からスタートしたものだし、開設後も野宿している人からスタッフを募っていた。ある意味もともとの精神に立ち返ったともいえる。
29日、宿泊者の受入がはじまった。宿泊者から採用されたスタッフに「おお、なにしてんねん」と声がかかる。スタッフは、照れと矜持と半々の雰囲気。休憩でタバコを喫ったり、弁当を食べたりするのも一緒の場所だ。
はじめてで準備期間の足らない地域内での臨時宿泊所開設と施設の不備とで不満が累積する可能性もあったが、今のところそうしたようすは見られない。むしろ和やかなかんじである。「仲間の手で」というのが活きたと思う。
短期間とはいえ収入アップにつながる採用されたスタッフはこれを機会にいろいろなつながりや考えをそれぞれ見つけていってくれればいいと思う。やっぱり働いている時はイキイキとする。初めてのことに取り組むときは不安に思いながらもいろいろ工夫する。ちょうどいい按配にそうした経験が人生の中では続いていくべきだし、それを支える、また支える仕組みを作ることがわたしたちの仕事なのだと思う。
「健康で文化的な最低限の生活」というものがあるらしいが、健康は「病気でない」状態を言うのではないだろうし、文化というのはますます意味がわからないが、おそらく国を構成する人の活動の総体をいうのであろうから、人の知恵の進歩とその共有の状況からいって、酸いも甘いも行動に伴う不確定さ(スリル)を抜いてしまってはいけないだろう。
さて、今回の釜ヶ崎地域内での臨時宿泊所運営で、1日40人のホームレス状態の方、生活困窮状態の方の仕事づくりに結びつくことができたのだが、さらに想像してみよう。年末年始臨時宿泊所を使用する方は当面500人を超えることはないと思うが、この500人のために仮に仕事出しをして一日あたり社会的就労と同じ賃金5,700円を支払うとともに、簡易宿泊所にお願いして給料から天引きなどで、泊まる所を確保したとすると
5,700円×500人×7日=19,950,000円
仕事出しの監督さんや物件費はもちろんかかるだろうが、3,000万円を超えることはないだろう。この費用をどうみるか?
もちろん働くことができない状態の方や依存症の治療が優先される方などは別に、しっかりケアされる対策がいるけれど、南港で何億円も費やしていたことと比べれば、仕事出し方式の方が地域も活性化するし、わざわざ臨時宿泊所を開設するよりいいんじゃないだろうか。
通年となるといろいろ問題もあるだろうが、期間限定ならありじゃないだろうか。
ホームレス支援に関しては、ユニークな取り組みもしてきた大阪府・大阪市のモデル事業でどうでしょう?