久しぶりに公園に行ってみた。
まだ紅葉はほんの少し。絵本『葉っぱのフレディ』の木を見つけた。
眺めていると、絵本の一節
「僕たちは葉っぱに生まれて 葉っぱの仕事をぜんぶやった。太陽や月から光をもらい雨や風にはげまされて 木のためにも他人(ひと)のためにもりっぱに役割を果たしたのさ。だから 引っこすのだよ」というダニエルの言葉が思い浮かんだ。
「引っこしをするとかここからいなくなるとか きみは言ってたけどそれはー死ぬということでしょ?
ぼく死ぬのがこわいよ」
というフレディの声も聞こえた。
木はこうして葉っぱを紅葉させ、落としてまた春に再生するけれど、人はどうなのだろうか?と思った。魂はきっと再生を繰り返すのだけれど。
木が生い茂っている場所では、鳥がさかんに鳴き交わしていた。冬に向けての打ち合わせをしているのではないかと思った。
どんな風に命を終えるとしても、1日1日の出来事に丁寧に向き合って、自分の考えや感じたことを言葉にして表現していくと、後悔のない日々になるような気がした。言わないことが、自分を傷め、変化をもたらさない日常になるのではないかと。
どんな形でもいい。声でもメールでも、誰かに伝えると、人生は変わっていく。
そんなことを思った。
まだ紅葉はほんの少し。絵本『葉っぱのフレディ』の木を見つけた。
眺めていると、絵本の一節
「僕たちは葉っぱに生まれて 葉っぱの仕事をぜんぶやった。太陽や月から光をもらい雨や風にはげまされて 木のためにも他人(ひと)のためにもりっぱに役割を果たしたのさ。だから 引っこすのだよ」というダニエルの言葉が思い浮かんだ。
「引っこしをするとかここからいなくなるとか きみは言ってたけどそれはー死ぬということでしょ?
ぼく死ぬのがこわいよ」
というフレディの声も聞こえた。
木はこうして葉っぱを紅葉させ、落としてまた春に再生するけれど、人はどうなのだろうか?と思った。魂はきっと再生を繰り返すのだけれど。
木が生い茂っている場所では、鳥がさかんに鳴き交わしていた。冬に向けての打ち合わせをしているのではないかと思った。
どんな風に命を終えるとしても、1日1日の出来事に丁寧に向き合って、自分の考えや感じたことを言葉にして表現していくと、後悔のない日々になるような気がした。言わないことが、自分を傷め、変化をもたらさない日常になるのではないかと。
どんな形でもいい。声でもメールでも、誰かに伝えると、人生は変わっていく。
そんなことを思った。