先日、わたしも断捨離を行おうと、長い間開けていなかった戸棚の整理をした。そこには、子育てで悩んだ記録がノートに閉じられていた。
もうすっかり忘れていたこと。当時の担任の先生の手紙が挟んであった。この人には愛がない、といつも批判的な気持ちを持っていたけれど、今読むと、先生も困っていたのだなと理解ができ、その頃の自分の行動は独りよがりだったことに気づいた。あの頃は今のように感じる自分など、想像もできなかったことだろう。
ずっと追求していくと、私は自分の取り扱いが大変だったことに気づく。
どうしたかったのか?どんなふうに生きて、どういう家族でありたかったのか?そこに焦点を当てることなく、ただ今ある辛い気持ちを解消したくて人に依存し、自分をゼロにして、でもうまくいかなくて、不安や不満でいっぱいだった。
きっと1番しっくりする答えが出せるのは自分だったのに、心も体も「とっちらかって」いて、よくわからない。だから人の気持ちもわからないで生きていたと思う。
「マハラリィの花」というアイルランドの曲をハープで練習していたら、急に物悲しくなって、なんて無駄な時間をたくさん生きてしまったのだろうと思った。
でも、よく考えると、今はようやく自分を真ん中に置けるようになった。
依存しすぎず、人にはまりすぎることなくいられる時間が増えた。そうすると、自分で勝手に支配されて苦しくなることもなくなり、不安も不満も減り、感謝もでき、不必要なものも手放せるようになってきた。
まだまだいつもら迷ってばかりだけれど。それでも、ようやく、自分の取り扱いが楽になってきたと思う。
もうすっかり忘れていたこと。当時の担任の先生の手紙が挟んであった。この人には愛がない、といつも批判的な気持ちを持っていたけれど、今読むと、先生も困っていたのだなと理解ができ、その頃の自分の行動は独りよがりだったことに気づいた。あの頃は今のように感じる自分など、想像もできなかったことだろう。
ずっと追求していくと、私は自分の取り扱いが大変だったことに気づく。
どうしたかったのか?どんなふうに生きて、どういう家族でありたかったのか?そこに焦点を当てることなく、ただ今ある辛い気持ちを解消したくて人に依存し、自分をゼロにして、でもうまくいかなくて、不安や不満でいっぱいだった。
きっと1番しっくりする答えが出せるのは自分だったのに、心も体も「とっちらかって」いて、よくわからない。だから人の気持ちもわからないで生きていたと思う。
「マハラリィの花」というアイルランドの曲をハープで練習していたら、急に物悲しくなって、なんて無駄な時間をたくさん生きてしまったのだろうと思った。
でも、よく考えると、今はようやく自分を真ん中に置けるようになった。
依存しすぎず、人にはまりすぎることなくいられる時間が増えた。そうすると、自分で勝手に支配されて苦しくなることもなくなり、不安も不満も減り、感謝もでき、不必要なものも手放せるようになってきた。
まだまだいつもら迷ってばかりだけれど。それでも、ようやく、自分の取り扱いが楽になってきたと思う。