voicevoice2のブログ

声についてボイスセラピーで気づいたこと、ちょっとしたアドバイス、絵本や詩についてのカウンセリングについて、スピリチュアルなメッセージを書いていきます。ボイスセラピーの情報もお知らせします。

自然の中で生きること

朝の散歩

今朝は珍しくすんなりと夜明け前に目覚めた。
最近は、いろいろな出来事はあるけれど、いくつかの塊(仕事、家のこと、母の施設、少しの自分の時間)を繰り返して生きていると感じていたので、寒くなる前に自然の中に身を浸したかった。
まだまだ紅葉が途中の木もあり、季節はゆっくり進んでいる。
わたしの人生もゆっくり進んでいる。
どこへ向かって?

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サクサク

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「ヘンゼルとグレーテルの森」
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ゴールディ/恵良五月さん作『石の歌う森』を読んで

1話目を思い切って読み始めたら、ハマってしまって、どんどん読み進めてしまった。
人が手間や時間をかけて、食べることを中心に体で感じることを手放したイシアスの世界。
これは人が行き着くもう一つの未来なのだろうか。
とてもつらいと思った。
そして正反対の森の世界。
縄文時代を思わせる狩猟を中心にした、自然と一つになる生き方。
その描写一つ一つが繊細で美しく、やがて変化していかなくてはならない人々の、前へ向いていこうとする痛みと決意。

私は登場人物のセシルとすっかり同化してしまい、一緒になって森を走り、ウサギを解体し、自然からいただいた恩恵に浴した。
中でも好きだったのが、風と一つになる、水と一つになる描写。

ミオはそう言うと、背負いかごから網を取り、水の中へ歩いていった。そして、水深が膝辺りのところで立ち止まり、静かに膝をついて頭を垂れた。
…ミオの体が透明な水になり、その体が噴水の終わりのようにパシャンと崩れて湖の中に消えたのだ。
…風が吹いて森の木の葉がざわめき、湖面にさざ波を立てる。岸辺に寄せる波がたぷんたぷんと音をたてている。何分待っただろう。セシルは、今この世界に自分しか存在していないような心細い気持ちになった。
 そのとき、少し離れた岸辺に大きな大きな水柱が立った。もうもうと湯気が立ち昇っている。セシルが呆然とその光景を眺めていると、
「間欠泉だよ」
とすぐそばでミオの声がした。大きさも種類もさまざまな魚たちでいっぱいの網を手にして、ミオが立っている。ずぶ濡れで湖から上がってくると思っていたのに、つゆほども濡れていない。
「ねえ、どうなってるの?」
『石の歌う森』第7話より

人がもう何千年も前に手放してしまった感覚がここに描かれている。
自然と一つになること。
また、ここに出てくる黒曜石の矢じりが、なんとセラピールームのテーブルにここ1ヶ月置いてあったことの偶然。
私も石の声を聞くことを、始めたいと思った。

私はこの中で、小学生の頃『赤毛のアン』のご馳走の場面を嬉しく読んだこと、ターシャ・テューダーの生活にとても憧れながら、こんなに衣食住に時間と手間がかけられないと感じたことを思い出した。
丁寧に生きるってどういうことなのだろう…。

ゴールディさんの描写力と、大地・空・地球と一体になれる感覚。
暑くてエネルギーが無くなっていた私に、新しい命を吹き込むような作品だと思いました。


 https://www.google.com/url?q=https://note.com/satsuki_era3362/n/n93c676c96db1&sa=U&ved=2ahUKEwi0lZrUm-mHAxX-bvUHHQwVC0UQFnoECBMQAQ&usg=AOvVaw1RPyT8cbeCuw5mWdoB4-fG

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朝の散歩

今朝は珍しく早く目が覚めたので、近くの公園に散歩に行った。
蝉の大合唱。ところどころ犬の散歩に来ている人たちはマスクをしていない。
私もマスクを取って歩いた。
新しいスニーカーとストレッチパンツに、その気になった。道具は大切。
もやっとした春の空気、焦げるような濃い緑、美しい紅葉、枯れた草を踏む音。
かつて犬の散歩で感じた四季の喜び。
私は犬に散歩に連れてもらっていたんだ、ということに気づく。
今日は海の日。
私は森の日。

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かつてヘンゼルとグレーテルの森と名付けていた。

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紫のスニーカーは気に入っている。

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タンポポは一年中咲いている?

立春にて

はる
靄のなか
雨滴が地面をほぐし始める
草木が芽を出しやすいように
はなひらく支度が粛々と進むように
新しい命が動きやすいように

ひとは
からだが柔らかくなって
高い声を空へ放つ
愛を伝えたい
新しく生き直したい
聞いてほしい
熱い願いを
つらぬきたい
本当のわたしを

ことほぎ
遠い雲を突き抜け
祝福の微風
静かに呼吸する
悲しみを洗って
からっぽになって
まっすぐ前を向いて
踏み出す勇気
はぐくみたいから

素直に
いつも正直に
生きていく
後悔しないように
自分を責めなくていいように
偽りのわたしを脱ぐ
ほのかな風のあたたかさ
新しい芽の匂い
それだけを
まとえばいい

……………………………………………………
風は冷たくても、陽射しが暖かくなってきました。薄曇りのもや〜とした朝は、うれしくて、春の兆しを探したくなります。
眠くてたまらなかった冬を終えて、今は寝るのがもったいなく、何かを探している自分がいます。

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きっと

先週の木曜日に、車の中から見た夏空。
まだまだ暑いけれど、きっと夏は確実に行ってしまう。
だから、この写真を今あげておこうと思います。

秋来(き)ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 藤原敏行

きっとこんな感じなのでしょう。
今も窓の外からは虫の声が聞こえています。
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地球の魂からのメッセージー新コロナウィルスについて

粗雑に生きること
そのつけが今来ている
食べ物、水、空気、土…
全て生きるために必要なものを
大切に扱うことを
忘れてしまったために

今教えられている
多くの痛みとともに
自分だけが良ければいいということではなく
人だけがよければいいということでもなく
すべての生き物たちがいただいた命を
光として生かすために

それは大きな愛をまず自分の心に持つこと
見えないものを丁寧に育てること
いつも静かにして
今与えられているものを確かめること
自分のすべての感情を受け止め、ゆるすこと
そばにいて共に生きてくれる人に感謝すること
その中の美しいものを見ること
暗い影と共に受け入れること
粗雑にではなく
丁寧に
丁寧に

その心が、地球を浄化し、命をきれいにしてくれる
多くの情報をやたら恐れてはならない
恐怖はあなたを傷め
動けない心と身体をつくり
本当に必要な行動を見えなくする
危機をすぐにキャッチできなくなる
目を閉じる時間を持ち
今何をすべきかを考えなさい
それは小さなことでいい
そして焦らない
ゆとりのない心が粗雑を生む
荒れた心を作る
自分を見失わないように
静かに呼吸しなさい
そばに息づく多くの命を感じながら
それは地球そのものだから
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秋晴れ

今日は空が高く、とても気持ちの良い日。


素朴な琴 八木重吉
 
このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしづかに鳴りいだすだらう

この詩が自然と思い出される。 公園を歩くと、紅葉はまだだけれど、少しずつ秋が進んでいるのがわかる。
秋が輝いている。

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『アメリカインディアン聖なる言葉』より

心配ごとはすべて未来にあるのだから、
あなたがなすべきは
現在に立ち戻ること。
あなたが未来にいることに気づいたら、心配ごとのスイッチを切って
「今」に生きなさい。

一息ついて
自己に立ち戻りなさい。
アー・ダ・ニン(心の中の家)に立ち戻りなさい。
あなたの内なる泉の
甘い水を飲みなさい。

時間の使い方について、この間から考えていた。
仕事以外にあれもこれも、したいことができるにはどうすればいいか?
一度は朝の時間を使おうと、夜早く寝ていたが、夜早く寝ることが難しくなって、朝も起きられなくなって…が続いていた。
もう一度立ち戻って、自分が本当にしたいことの順番をつけた。
自分の行動の一番の障害は、うまく出来なかったことの罪悪感。
これが足を引っ張って、サクサク動けないことがあった。
だから、今日決めたことは、出来るだけやれればいいと思うことにした。
隙間の時間がうまく使えればいいけれど、ぼーっとする時間もそれでいい。

この本は何度読んでも、どこかの箇所が心に響く。
いい本は、きっといつの時も何度でも、パラパラとページをめくりたくなる本なのだなと思った。

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剪定(せんてい)

87歳で亡くなった、詩人の吉野弘が、木について、たくさんのエッセイや詩を書いているのを知った。

盆栽をはじめ、人間が栽培している果樹や観賞用の花木、あるいは街路樹などの場合は、余分な枝をすべて、人間が切りはらうけれども、山野に自生している樹木の場合は、風の力を借りて自己剪定するという。
風の強いとき、枝と枝とが互いに打ちあい、こすれあって、密生した枝がはらい落とされるというのである。
すさまじい話だと思った。
梢の激しく打ちあう音が耳に聞こえてくるような気がする…「剪定」より

木は何て強いのだろう。
私たち人間は、自分の余分な枝葉を払い落とすのが大変だ。
自分のなかの執着心や安定への望み、常識が邪魔をして、なかなか思い切って動くことができない。
根をしっかり地面に張りながら、シンプルに生きようとする木。
木がますます好きになった。
見習いたい。


草の不思議

母なる大地を体験せよ。
彼女とつながれ。
その鼓動を感じるのだ。
そうすればあなたは
自分を体験する。
自分とふたたびつながる。
自分の鼓動を感じる。

草の葉に心をとめよう。
さあ、たくさんの中から一枚を選んで。
よく知り合って、
緑色をしたあなたの親戚と親しくなろう。
宇宙の中でこんな草の葉は
ただこの一枚だけ。
(アメリカインディアン 聖なる言葉)


草にすわる       八木重吉

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

ーーーーーーーーーーーーーーー
葉っぱや草ーその力は大きい。
大地から育ち、季節とともに緑が変化していく。
葉っぱは、一枚一枚色も形も模様も違う。
無理もなく、嘘もなく、風に吹かれるまま雨に打たれるまま生きている。
いつも真実の姿でそこにある。
その強さに触れると、本当のあなたの姿が見えてくる。









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