voicevoice2のブログ

声についてボイスセラピーで気づいたこと、ちょっとしたアドバイス、絵本や詩についてのカウンセリングについて、スピリチュアルなメッセージを書いていきます。ボイスセラピーの情報もお知らせします。

詩について

カマキリからゾウガメまで

今朝、運転してまもなく、フロントガラスにカマキリがいるのを見つけました。カマキリはしばらく尾のところを曲げながら耐えていましたが、途中でいなくなってしまいました。
どこか歩道の脇の草むらに飛ばされたらいいのに…と願いながら、停車できなかったため、セラピールームまで走ってしまいました。

岡山で逃げ出したゾウガメのアブーは、無事見つかり、懸賞金が役に立ちました。優しい顔をしたゾウガメに癒されました。
2002年6月24日、ガラパゴス諸島で、たった一頭生き残ったゾウガメ「ロンサムジョージ」が死んだことを思い出しました。
その時に書いた詩です。

ロンサムジョージ

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
ガラパゴス諸島のピンタ島で
たった一頭生き残った100歳のゾウガメ
長い航海の食糧として
仲間は大量に捕獲され
人間が持ち込み野生化した
ヤギが豚が野ネズミが
日々の糧の葉を食い荒らし
巣穴に生んだ卵をほじくり
生まれて間もない子ガメを食べ
天敵の来ないはずの絶海の孤島で
ついにひとりぼっちになってしまった

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
そのしわだらけの
皮膚の奥にまたたく眼は
深い絶望と慟哭をかくして
静かに何も語らない
繁殖のためにと送り込まれた
1頭の雌のゾウガメにも
もはや何の興味も示さず
全ての望みを削ぎ落して
淡々と
今日もゆっくり歩みを」すすめる
はるかに美しい海を見上げて
最後のいのちの果てる時まで

「名古屋短詩型文学祭」に応募して、初めて小さな賞をいただき、その後詩の世界→ポエトリーリーディング→ボイスセラピーの道へ進みました。
そのせいかゾウガメには、とても親しみを感じています。
カマキリからゾウガメまで、いろいろ考えがおよびましたが、カマキリを助けられなかったことを、今日は少し後悔しています。

風のうたつた歌 立原道造

一日 草はしやべるだけ
一日 空は騒ぐだけ
日なたへ 日かげへ過ぎて行くと
ああ 花 色とにほひとかがやきと

むかしむかし そのむかし
子供は 花のなかにゐた
しはあせばかり 歌ばかり
子供は とほく旅に出た

かすかに揺れる木のなかへ
忘れてしまつた木のなかへ
やさしく やさしく笑ひながら 

そよぎながら ためらひながら
ひねもす 梢を移るだけ
ひねもす 空に消えるだけ


立原道造は、昭和14年、わずか24歳で亡くなった詩人。
この詩を読むと、春を探しに出かけたくなる。
そして、この絵本は、ずいぶん前に北鎌倉の「葉祥明美術館」で見つけた。
美しい緑の風景に心を奪われた。
こんな緑が恋しい日々です。

空のように 八木重吉

空のように きれいに なれるものなら
花のように しずかに なれるものなら
価(あたい)なきものとして
これも 捨てよう
あれも 捨てよう


こんな強さがほしいです。
どんな状況になっても、
泣いたり自分を責めたり、うつむいたりしない自分。
いつも堂々と前を向いて
静かに今の時間を過ごせる自分。
動揺せず、
やたら胸を傷めず、
流れゆく時間の中に無でいられる自分。
どんなに楽だろう、どんなに穏やかでいられるだろうかと思います。
そして不要なものは手放せる勇気を持てるようになりたいです。

春が

はる        谷川俊太郎

はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしは  いつまでも
のぼって  ゆける

はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした

     『二十億光年の孤独』より

この詩を読んでいると、春の暖かい光を浴びて、どんどんのびていく自分を感じる。
待ち遠しい春。
でも実際、春になってみると
生あたたかい空気を持て余したり、
家でぼんやりしている時間が急にもったいなくなったり、
まわりのすべてがどんどん成長していく中で、取り残されたような哀しみを感じたり…
春は命が萌え出すときだから
ついていきたい、ついていけない、いろいろな気持ちを感じるのだろう。
それでも、春が待ち遠しい。

詩と声と音楽と…セラピールームにて

春の祈り    銀色夏生


目をつぶるとかなしいきもちがやってくる
だから目をあけて
次つぎといろんなことをして            
気もちをやってこさせないようにした               

そんなことがいくつもあって
もうだいぶんつかれていた
冬はさむくこごえていたから
つめたい風をさけるために
いつもうつむいて歩いていた

ぼんやりとしていたら
いつのまにか 風がつめたくなくなっていて
よい香りもしていた
うす緑の新芽があざやかだった        
やわらかく 空気がほどけていくようで    
ひさしぶりに目をつぶってみた
どんなにかたくつぶっても
いつものあのかなしい気もちが
いつまでもやってこなかったので
あまりにもやってこなかったので
不思議に思って目をあけた
 
いつどこがどんなふうにかは わからないけど
すべては変わっていくだろう
希望は明日へすいよせられる
変化という包容力

さっぱりとしたいさぎよさの

毎日がはじまる     




先日、久しぶりにこの詩を音楽をかけながら読んでみた。

暖かい陽射しがいっぱい降りそそぐセラピールーム。

まだ、これから寒くなってくる頃なのに

春がヒタヒタ満ちてくるようだった。

言葉と声、そして音楽。

それだけあれば、こんなにも豊かな時間を過ごすことができる。

人に生まれてよかった…と思ってしまった。

静かな午後のひとときでした。

八木重吉の詩

花がふってくると思う

花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらに うけとろうとおもう

この詩を読んだ時、ざわざわかした心に、清水がひとすじとおったように感じた。
遠慮も自己卑下もなく、素直に美しいものを頂こうと思った。

29歳で結核のために亡くなった八木重吉の詩は、透明でまっすぐ。洗われたり、苦しくなったり、木洩れ陽のように心にやわらかく射してくる。

金子みすゞ「わらい」

わらい 金子みすゞ

それは きれいな ばらいろで、
けしつぶよりか ちいさくて、
こぼれて つちに おちたた とき、
ぱっと はなびが はじけるように、
おおきな はなが ひらくのよ。

もしも なみだが こぼれるように、
こんな わらいが こぼれたら、
どんなに どんなに きれいでしょう。

この詩は、ことばの句切れの初めの音ーたとえば「それは」の「そ」、「きれいな」の「き」ーが、「お」で始まる言葉を除いてはみな子音で出来ているという特徴がある。
しかも、いろいろな音から始まっているので、詩全体が万華鏡のようにキラキラしている。
50音ヒーリング講座のラストは「は、ば、ぱ」
「ぱ」は、一箇所だけれど、「ぱっと はなびが はじけるように」はこの詩の中で、印象深い箇所になっている。
この詩を読むとき、区切られた言葉を、それぞれ違う高さの声で出すと、表情豊かに、万華鏡のキラキラが表現できる。
以前教えていた学習障害の子どもたちの学園で、この詩を取り上げたとき、「もしも なみだが こぼれるように」のところで、涙を流した生徒がいた。
今回も受講して下さった方が、ここで涙ぐまれた。
涙をこぼすような日々があるから、小さなことから生じたわらいが、はなびがはじけるように、大きなはながひらくように、美しく輝くものと感じられるのだろう。
光と影を上手に詩の中に組み入れた金子みすゞ。
私たちの暮らしにも、わらいと涙がある。
2014-09-14-09-36-51

ロンサムジョージ

大西洋のカーボベルデ共和国では、孵化するウミガメが、メスばかりになっているそうです。
これは地球温暖化が原因とのこと。
2012年6月24日、ガラパゴス諸島で、たった一頭生き残ったゾウガメ「ロンサムジョージ」が死んだことを思い出しました。

ロンサムジョージ

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
ガラパゴス諸島のピンタ島で
たった一頭生き残った100歳のゾウガメ
長い航海の食糧として
仲間は大量に捕獲され
人間が持ち込み野生化した
ヤギが豚が野ネズミが
日々の糧の葉を食い荒らし
巣穴に生んだ卵をほじくり
生まれて間もない子ガメを食べ
天敵の来ないはずの絶海の孤島で
ついにひとりぼっちになってしまった

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
そのしわだらけの
皮膚の奥にまたたく眼は
深い絶望と慟哭をかくして
静かに何も語らない
繁殖のためにと送り込まれた
1頭の雌のゾウガメにも
もはや何の興味も示さず
全ての望みを削ぎ落して
淡々と
今日もゆっくり歩みを」すすめる
はるかに美しい海を見上げて
最後のいのちの果てる時まで

9年前、「名古屋短詩型文学祭」に応募して、初めて小さな賞をいただいた時の詩。
その会場で出会ったひとに誘われて、時野さんの主宰する「ミルテの会」に入れていただき
詩の勉強を始めたのが、今ここにいる原点のわたしです。
詩じたいは、事実の羅列で上手とは言い切れないのですが、当時人間のしてきたことが悲しくて憤りを覚えたことを思い出しました。
また、6月24日は、7年前に亡くなった愛犬の誕生日。
自分にとっていつも意味のある数字です。
写真: 大西洋のカーボベルデ共和国では、孵化するウミガメが、メスばかりになっているそうです。
これは地球温暖化が原因とのこと。
2012年6月24日、ガラパゴス諸島で、たった一頭生き残ったゾウガメ「ロンサムジョージ」が死んだことを思い出しました。

ロンサムジョージ

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
ガラパゴス諸島のピンタ島で
たった一頭生き残った100歳のゾウガメ
長い航海の食糧として
仲間は大量に捕獲され
人間が持ち込み野生化した
ヤギが豚が野ネズミが
日々の糧の葉を食い荒らし
巣穴に生んだ卵をほじくり
生まれて間もない子ガメを食べ
天敵の来ないはずの絶海の孤島で
ついにひとりぼっちになってしまった

ロンサムジョージ
孤独なジョージ
そのしわだらけの
皮膚の奥にまたたく眼は
深い絶望と慟哭をかくして
静かに何も語らない
繁殖のためにと送り込まれた
1頭の雌のゾウガメにも
もはや何の興味も示さず
全ての望みを削ぎ落して
淡々と
今日もゆっくり歩みを」すすめる
はるかに美しい海を見上げて
最後のいのちの果てる時まで

9年前、「名古屋短詩型文学祭」に応募して、初めて小さな賞をいただいた時の詩。
その会場で出会ったひとに誘われて、時野さんの主宰する「ミルテの会」に入れていただき
詩の勉強を始めたのが、今ここにいる原点のわたしです。
詩じたいは、事実の羅列で上手とは言い切れないのですが、当時人間のしてきたことが悲しくて憤りを覚えたことを思い出しました。
また、6月24日は、7年前に亡くなった愛犬の誕生日。
自分にとっていつも意味のある数字です。

のちのおもひに 立 原 道 造

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のちのおもひに
立 原 道 造

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

可憐な、そしてどこか侘びを感じさせる水引草。この季節に思い出す立原道造のソネット形式の14行詩。秋という別れの季節の雰囲気にあわせるように出会いと別れが歌われるが、それはパステル画のように淡い手応え。
飾り紐の「水引」は、約1400年前の飛鳥時代に、隋の使者が携えてきた贈り物に、海路の安全を祈願して紅白に染められた麻紐が結ばれていたものが起源だといわれているらしい。

2001.9.11 アメリカ同時多発テロを偲び祈ります。 『最後だとわかっていたなら・・・』

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2001.9.11 アメリカ同時多発テロを偲び祈ります。
『最後だとわかっていたなら・・・』

原作は Norma Cornett Marek さん
(訳:佐川 睦 さん)

http://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


【原文 全文】

Tomorrow Never Comes
Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.


引用:
『最後だとわかっていたなら』
作 / ノーマ・コーネット・マレック
訳 / 佐川睦
出版社 / サンクチュアリ出版
2001年のテロ事件の後、チェーンメールで世界中に広がった詩。
2001年は、私自身の人生が180度変わりました。人生の最も困難な時期の始まりでした。ターニングポイント。
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