夕焼け 吉野弘
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
この詩を、今日は読む機会があった。
今まで何度も読んだ。
感動したり、斜めに構えたり。
でも今日は、なぜか涙が出てしまった。
昨日の夜の瞑想ヨガの時、先生と罪悪感について話した。
罪悪感を持っていることが罪悪感になる、と言われた。
終わりのない負のスパイラル。
昨日の朝、クリスタルアライカード(ナイーシャ・アーシァン著)を引いたら、ブラックトルマリンのカードだった。
意味は浄化。
「利用不可能なネガティヴなエネルギーを吸収し、それをニュートラルで利用可能なエネルギーに変容する」こと。
出来事の善悪にとらわれると、罪悪感が生まれてしまう。
そうではなく、そこにくっついたネガティヴなエネルギーを浄化して変容すること。
それは、「霊的なシャワーを浴び、オーラを洗浄し、自分の中心を定めるとともに、個人的なエネルギーを取り戻すこと」
この言葉に救いがあった。
いつまでも罪悪感に浸っていても何も進まない。
この私で、新しい明るいものを生み出そう。
「夕焼け」の美しい詩から外れてしまったが、そんなことを考えた。