7月半ばから1週間、昨年亡くなった義母のマンションの片付けに別府へ行った。
今回は業者に入ってもらって、大型家具を撤去してもらったので、広々とした空間が出現したのだけれど。
5日目。
古いものが発するマイナスのエネルギーにやられてしまったのか、気持ちは落ち、ヒステリックになってしまった。
なぜだろう?と考えた時、その日開けた段ボールの中身は、義母が所属していた「八雲短歌会」の中の冊子「八雲」(2015年刊行終了)
毎月、全国の会員の方々の歌が載っている。
主宰の故田吹繁子さんは、別府市の野口公園に胸像があり、義母の継母にあたる人だった。
そのつながりか、義母はずっと短歌を作っていた。
その原稿や、田吹繁子さんに添削してもらった歌の封書の数々。
熱心に学んでいたのだなと思うと同時に、繁子さんとの関係性や毎月歌を送るのがしんどかったことがあったのではないかと感じた。
楽しいけれど、厳しい世界。その気持ちが、段ボールに詰め込まれていた気がする。
翌日はまた元気になった。
その中で、私がある期間だけだったが、毎日送っていたハガキが、大事に保管されていたのを見た時は胸が詰まった。
義母の遺稿集を作ろうと思いながら、目の前のことに追われる日々。
名古屋に戻ってきて、またその日常にならないようにと思っている。
ただあまりの暑さに、今は目の前のことを追いかけられない私もいる。
#短歌
今回は業者に入ってもらって、大型家具を撤去してもらったので、広々とした空間が出現したのだけれど。
5日目。
古いものが発するマイナスのエネルギーにやられてしまったのか、気持ちは落ち、ヒステリックになってしまった。
なぜだろう?と考えた時、その日開けた段ボールの中身は、義母が所属していた「八雲短歌会」の中の冊子「八雲」(2015年刊行終了)
毎月、全国の会員の方々の歌が載っている。
主宰の故田吹繁子さんは、別府市の野口公園に胸像があり、義母の継母にあたる人だった。
そのつながりか、義母はずっと短歌を作っていた。
その原稿や、田吹繁子さんに添削してもらった歌の封書の数々。
熱心に学んでいたのだなと思うと同時に、繁子さんとの関係性や毎月歌を送るのがしんどかったことがあったのではないかと感じた。
楽しいけれど、厳しい世界。その気持ちが、段ボールに詰め込まれていた気がする。
翌日はまた元気になった。
その中で、私がある期間だけだったが、毎日送っていたハガキが、大事に保管されていたのを見た時は胸が詰まった。
義母の遺稿集を作ろうと思いながら、目の前のことに追われる日々。
名古屋に戻ってきて、またその日常にならないようにと思っている。
ただあまりの暑さに、今は目の前のことを追いかけられない私もいる。
#短歌