「グエムル-漢江(ハンガン)の怪物」「埋もれ木」

September 05, 2006

「力道山」3

監督/ソン・ヘソン

Story
『オアシス』のソル・ギョングが20kgもの体重増加に挑み、伝説のプロレスラー・力道山を熱演した伝記ドラマ。第二次大戦下の東京。朝鮮人という理由で差別を受けた力道山は相撲界に見切りをつけ、国籍に関わりなく自...(詳細こちら


「力道山」という名前は知っているが、詳しくは知らなかった。
映画である以上、フィクションだし忠実に再現することに意味があるとは思えないし、私は元々監督志望だったため、監督の想いがスクリーンに映っていればそれで良いと思っている。

さて、この映画は監督の想いが映っているかと言われれば、私はノーと言うだろう。
監督が力道山を知り、彼の生涯を撮ってみたいと思うのは良い。
しかし生涯を点として描いたところで歴史の勉強でしかなく、それは物語を伝えたことにはなっていないと思う。
物語とは、人間の感情を語るものであると私は思う。
だから語る人の感情が入ってないといけない。モノだけを取り出して提示するのは機械がすることで、そこにその本人の想いが盛り込まれていること、これが物語であると思う。
力道山が朝鮮人であって、相撲部屋で虐められていたこと、それによって強く志しを持ったことは朝鮮人でなくても日本人でも同じことだ。
朝鮮も日本も文化的に負けたことが一度はある国である。よって物事を判断する時に「勝ち負け」がまず基準にあるのは当然で、では他に判断基準はあるのかと言われれば、ないのである。
勝つか負けるかの二極だけを日本人を含め、戦争をしたことがある国の人間に思い込ませたことそこ、戦争が落とした最大の事象だ。洗脳なんて言葉では到底かなわない、医学が進歩しても命そのものは作ることができないが、人間は作れるのだ。
力道山もその1人だ。
戦争が残した飯を食べて人間が1人、できた。その周りにいる日本人も然り。
焦点が勝ち負けにしか収束しないのだ。

この映画の目的はそういうところにあったのか。

この映画なら、もっとエンターテイメントにすることはできたと思う。
これだけお金をかけられるなら、力道山と綾の話にすべきだった。
綾が見ていた力道山でもいい。
この映画だと、綾は生涯、力道山につくしました。どんなことがあっても力道山に「すべてうまく行きます。」と言い、力道山と綾の住む家があることを彼に理解させ、相撲、プロレスに没頭させた。くらいにしか映らない。
現在とは違って、昔の女性はそうやって尽くすことが普通であったが、そうではなくて、戦争によって残ってしまったものが、女性というものを「一時的に」形成した。しかしそれも力道山が勝ち続けることで、自らの本当の気持ちに気が付いたということを描けば、面白いのに。


ソル・ギョングも演出次第でどうにでもなるのか。
中谷美紀はいつも通り。
藤竜也は相変わらずやくざが似合うし、
萩原聖人は、この役に限っては彼の影が見えない。

ソン・ヘソン、10年後にもう一度力道山を撮ってみて欲しい。
今のままではまだ何も見えていないし、力道山への圧倒的な憧れだけしか映ってませんでした。



voila_ma_vie304 at 23:23│Comments(2)TrackBack(0)映画批評 | 韓国映画

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by あっしゅ   September 19, 2006 23:44
こんばんわ。あっしゅです。
読者に申請していただきありがとうございます。
こちらからも申請させていただきました。

「力道山」、、、。
これみたいって思ってるんですが、借りられててなかなか観れない作品です。
今度見てみたいと思っています。

今後ともよろしくお願いします。
2. Posted by akira   September 20, 2006 17:16
あっしゅさん>

「力道山」はソル・ギョングが出ているんで観てみました。
「シルミド」が売れたのでソル・ギョング好き、力道山好き、中谷美紀好きが借りてるのでしょうかね。
レンタル屋って地域によって出て行くDVDにかたよりがあって面白いです。ほんのちょっと柄のわるいところなんて「ミナミの帝王」がよく出たり、と。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
「グエムル-漢江(ハンガン)の怪物」「埋もれ木」