2006年10月14日。この日は僕にとって忘れることの出来ない一日となった。ニカラグアの首都マナグアで強盗に襲われた日である。その日は僕にとっては長い長い一日で、今もなお思い出したくない苦い記憶だ。しかし、僕と同じような不幸な旅行者が現れないよう詳細を書き残すことにした。

 

 マナグアが危険であることは充分知っていた。当時の外務省のHPにはこう書いてあった。

  

 『首都マナグア市内においては、2005年中に13件14人の日本人が拳銃・刃物の使用による路上強盗事件の被害に遭っており、年々増加しています。こうした事件は昼と夕方に発生しており、昼夜を問わず危険です。』

 

 しかし、コスタリカからメキシコへ陸路で目指すには、首都マナグアを経由して通らざる負えなかった。そこで考えたのが、マナグアの東にある近郊の街グラナダから西にあるレオンを経由するルートだ。こうすればマナグアはバスで通り過ぎるだけとなる。

 

 朝も明けぬ5時過ぎにコスタリカのタマリンドから、国境近くの街リベリアを経由し、ニカラグアに入国し、一旦リバスという小さな町に到着した。本来であればリバスから更にバスを乗り換え、近郊の町グラナダへ向かう予定だった。

 

 しかし、時計を見るとまだ午前11時。今日のうちに一気にマナグアを超えて、西のレオンという街まで辿り着いてしまおう。しかもこのバスは、このままマナグアまで行くので丁度いい。そう考え、僕はバスに居残ることにした。

 

 リバスは何もない町で、ニカラグアの様々な町へ向かう中継地点となっていた。バス停が止まった場所は、市場のようで多くの人が行き交っていた。

 

 リバスの町で、僕の隣に座ってきたオバサンは、肌が黒く、大きなサングラスを掛け、特大の荷物を抱えていた。彼女は座るなり、僕にわかりやすいスペイン語で話かけてきた。「マナグアは危ないからお金は隠しておいたほうがいい」と言っているようだ。わざわざブラジャーを見せてくれて、「私はここにビニル袋を括り付けて隠しているわよ」とアピールする。さらにカバンのなかにイヤリングや指輪を分散して隠しており、防犯対策を徹底しているようだった。

 

 僕は、腹巻の貴重品入れに現金などの貴重品を隠していたが、オバサンの指示通り、靴の下にも分散して隠すようにした。その後もオバサンはバスで通り過ぎる地名を教えてくれたり、車中の物売りからクッキーを買ってくれたりと、とても親切にしてくれた。こうして僕はすっかりオバサンを信用してしまっていた(まさかこの親切なオバサンが変貌するとはこのときは想像だにしなかった)。3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マナグアのバスターミナルに近づいた辺りで、オバサンが僕に話しかける。

 

 「ワタシもレオン方面に行くから一緒にタクシーで次のバス乗り場へ行こう」。ガイドブックで確認すると、確かにレオン行きのバス停はかなり離れている。

 

 オバサンが着いて来いというので、僕も従い一緒に降りた。降りてすぐに流しと思われるタクシーを拾って、オバサンと二人で乗り込んだ。僕のバックパックは大きいのでトランクへ放り込む。車が動きだしてすぐに他の客が乗り込んできた。ニカラグアは乗り合いタクシーが基本らしく、これも仕方ないのだとオバサンはいう。いつの間にかタクシーは助手席に2人、後部にオバサンと僕と恰幅のいい若い男。僕は後部座席の真ん中で挟まれるように座る形になっていた。

 

 しばらくすると右隣の若い男が話しかけてきた。USドルを両替してくれないかと。僕はニカラグアの通貨は国境で両替していたので必要ないと断った。何だか胡散臭い男だ。早くタクシーを降りたい。それから10分ほど走り、バス停はまだかと思い始めたとき、突然胸に激痛が走った。

 

 何が起きたか咄嗟に理解できない。

 

 右隣の若い男が僕に対して、ものすごい勢いで立て続けにエルボーで襲っていたのだ。エルボーを防ごうにも、右手は若い男の足で完全に挟まれてしまった。左手で庇おうとすると、今度はオバサンがありえない力で僕の体を押さえ込む。

 

 運転手に助けを求めても何も答えない。助手席の連中は加担しないが何もしない。やられた!どこまでグルかはわからないが、密室タクシーの中で1VS5のシチュエーション。

 

 しかも体は完全に抑えられている。どうする???

 

 目の前の風景が現実とは思えなかった。まさか自分が強盗に襲われるとは。映画の風景の一シーンのように時が止まる。早送りしてこのシーンを飛ばしてしまいたい。

 

 抵抗を試みようと動くと、更に強烈なエルボー。そして今度はパンチが返ってきた。全体重を掛けた男のパンチは、今まで味わったことのない痛さだった。胸に4発、顔に2発。こいつは素人の腕じゃない。早くも出血していた。このまま打たれたら間違いなく致命傷になるだろう。隣の男を倒せたとしても、タクシーをどう止めたらいい?僕に武器はない。僕は抵抗を諦め、男に従うことにした。

 

 オバサンは「まず足の裏を確認しろ」と男に指示を出した。若い男は僕の靴とショルダーバック、そして貴重品を隠していた腹巻を一箇所づつ、丁寧に調べ上げていく。品定めしながら、嬉しそうに取り出していく男の顔を僕は生涯忘れることはないだろう。

 

 しかも抵抗していないにも関わらず、男の攻撃は執拗に続いていた。無抵抗なことをいいことに殴り、いたぶることを楽しんでいるように見える。何故、異国の旅行者が金を持っていて、自分たちに金がないのかを憎んでいるようにも思えた。

 

 腹巻の貴重品袋からクレジットカードとキャッシュカードを取り出し、男は「いくらあるんだ?」と聞いてきた。僕はスペイン語がわからない振りをする。するとまた強烈なエルボーとパンチが胸を直撃した。さすがにそろそろ体は限界だ。痛みで意識が遠のいていく。それでも僕は答えない。銀行のATMまで連れていかれ、現金を引き降ろされるに違いないからだ。

 

 黙秘を続ける僕に、男はかなりイライラしていた。しかし、ポケット等に分散して隠しておいた1100ドルの所持金を全て見つけると、機嫌が変わり嬉しそうにケラケラ笑いだした(幸か不幸かこの現金のお陰で銀行までの拉致は勘弁してもらうことができた)。

 気がつくとタクシーは人気のない野原を走っていた。若い男は僕のサングラスまで取り上げ、似合うかと楽しそうに聞いてきた。あれだけ分散しておいた貴重品は全てを取られていた。腕時計や来ているジャケットまで毟り取られた。

 

 もう何も残っていない。ただ命だけは助けてもらいたい。

 

 「僕をどうするつもりだ?」英語で聞くと男は銃のポーズをとった。

 

 窓の外はまったく人気の無い野原だった。殺されてもおかしくない場所。生まれてはじめて「死」を意識した。人生って実にあっけないなあ。34年間の記憶が走馬灯のように甦る・・・いや、待てよ。まだ僕はあと50年ぐらいは生きたいのだ!

 

 僕は恥らいもなく命乞いをした。「とにかく助けてくれ」よく映画でギャングに襲われた人間が媚びへつらっているシーンがあるが、まさか僕がそんな役をする羽目になるとは。

 

 目からは自然と涙が溢れる。「生かしてくれればとにかく何でもする。助けてくれ。」

 そんな僕の姿をあざ笑いながら、男が実際に取り出したのは拳銃ではなかった。見たこともない薬品の瓶だった。これから何が起こるかわからないが、とにかく命だけは助かりそうだ。

 

 薬品で眠らされるのかと思ったが、男はそれを目に塗りこんでいった。同時に激痛が目を襲う。目潰しの薬のようだ。痛みと涙で目はほとんど見えなくなった。

 

 「パスポートだけでも返してくれ!」

 

 命が助かるついでに何度も懇願してみた。最初はうるさいとばかりにまた殴られていたのだが、あまりのしつこさと大金の現金に満足したのか、男はパスポートとクレジットカード1枚だけを返してくれた。

 

 命も助かった上に、不幸中の幸いだ。もしかしてちょっと良い奴かも。今までこの男に散々な目に合わせれていたにも関わらず、何度も「サンキュー」とお礼してしまった。

 

 僕は用済みとなったのか、後部座席のドアが開けられ野原に向かって蹴り出された。

 

 もちろん目が開けられず、車のナンバーは見えない。カメラやPCなどが入った僕のバックパックはトランクに残したままだ。車が走り去るエンジン音と男の高らかな笑い声だけが聞こえていた。概ね今夜は、僕の金でパーティしようなどとほざいているのだろう。次第にその声も遠ざかっていく。

 

 恐怖は去った。生・き・て・い・る!とにかく殺されずよかった。

 

 しかし、ニカラグアの人気のない野原で、置き去りにされたうえ無一文。おまけに目は痛く何も見えない。殴れた後遺症による胸の激痛。骨は大丈夫なのか。息をするだけで痛みが走る。

 

 映画の主人公ならどうする?

 

 そうだ、まず助けを呼ばなくては。いつまでも寝てはいられない。そう思って、僕はゆっくりと立ち上がったのだった。

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