2009年10月12日
特別支援学校
7月に特別支援学校へ2校見学に行ってきた。息子の進むべく道に現実を思い知らされた。パニックになったと思われる生徒が廊下で大きい奇声を上げていた場面にも遭遇し、学校というより病院かと思われるように感じたことが何度かあった。
トイレの数もやたら多いし。ク-ラ-もなく、更衣室を教室の隅でカ−テンをして着替えたりと・・・建物にしても古く、これからの日本を背負っていく子供たちの為に教育分野に税金の使い道を考えて欲しい。妻とも
「建物も何もかも古いし狭いし、生徒がかわいそうやな〜。宝くじでも当たればな〜・・・」
自分が知っている高校、学校とは、随分と違う。息子の進むべく学校だが、心から喜べない、心の中のモヤモヤがとれない。まだ、自分の心の奥に障害を受け入れていないかと思うと情けなくなる。
生徒一人一人の顔は、実にいい顔をしている。思春期特有の社会にも学校にも不満があって、とんがった生徒は一人もいないと感じた。
特別支援学校に通わせている知り合いの方から、
「行かせて本当によかった、中学校から行かせたかった」と聞くと生徒一人一人にあった教育を正面から取り組んでると感じる。
運動会にも行ってみると、素直に真面目に真剣に取り組んでる姿がよ〜くわかる。隣を見ると生徒のお父さんだろう。目頭をハンカチで・・・隣の隣のお父さんも・・・
・・・・大変なことも、つらいことも、嫌なことも色々とあっただろうし・・・何より子供が出来る範囲で一生懸命に取り組んでる姿は、美しいし胸を打つ。
お母さんたちは、子供の頑張りを日ごろからわかってるからか、お友達と笑って応援。
母は、強し。 我が家も・・・・。
2009年06月12日
修学旅行
5月にいくはずの息子の修学旅行がインフルエンザの影響で延期になった。予定が変更になるのを極端に嫌う息子からは、
「あ〜あ、修学旅行が中止になった。」
「大丈夫!大丈夫!9月ごろにあると思うよ」と連日、やりとりが続いた。でも調整がつかなくて本当に中止になったらと思うと・・・
外食に行くのにも、車の中で行き先を決めると息子の案が、基本的に通る。我が家は、息子が柱であり息子の言葉が指針となっている。娘からは、
「いつもお兄ちゃんの行きたいとこばかりや」と・・・楽しいはずの外食が車中では、何故かどんよりと暗い。
息子には、
「みんなの意見を聞こうよ」
「わかった」
「約束やで」次に行く時は、又、繰り返し。コントである。
最近は、外出前に息子抜きの家族会議。行き先をはっきりと決めて、息子には
「今日は、○○に行くからね」
「わかった」息子が、考える前に答えを出しておく。・・・なんか面倒だなと思われるが、これが、「我が家のいきる道」である。
息子は、修学旅行に行ったとして寝る前に独り言をしゃべるのだろうか???友達には、気を使うのだろうか???
早く修学旅行の日程が決まればいいのにね〜
2009年04月17日
こだわりからみえる個性
春休みも終わり義務教育最後の1年であるし、息子にとってタ−ニングポイントの年にもなるのでは?とも思う1年である。
息子を見ると、コブクロのDVD三昧である。同じ場面を何度も何度もリピ−ト。息子の心の奥底にある「安心」を何度も何度も確かめる。同じ質問を何度も繰り返しするのも「安心」を確かめる理由だろうか?。質問の返答も毎日同じように息子の目を見つめ、にこやかな顔カをしないと「不安」のスイッチがすぐに入る。
「何回も同じ質問をしたらあかんやん!前にも言ったよ!」とさえぎると「あっ、そうか」と答えるが、とたんに息子の心の中に「怒られた・・・」と息子の心の中に消えうせることのない出来事としてインプットされる。何年か先に怒られた時によみがえる。
会社から帰ると 「イ○-ヨ-○堂の駐車場は、右からでも左からでも入ってもいいの?」・・・ここ2.3ヶ月のいつもの質問である。息子にとっては、大事な言葉のキャッチボ−ルである。グロ−ブもはめていないのに息子からボ−ルが投げられる。それも暴投である。小学生の頃は、ボ−ルが投げられても捕らなかったり、怒りながらボ−ルを返球したり。息子が何故同じ質問をするのか?理解出来なかった。今は、息子の顔を見ると、いつ投げられてもいいように準備をしている。息子にとって大事なコミュニケ−ションだとわかったし、息子の個性と思うようにしている。ここまで、自分を納得、息子を理解するまでに何年かかったか?田舎に帰省すると私の母親より「同じ事を何回も聞かないよ!」と・・・。母親にも特徴は、伝えてあるが・・・・父親として何年もかかってるのに・・・仕方ないか・・・
友達とのかかわり・・・想像通り、厳しい!!!。同じクラスの男友達とおしゃべりしたことを「○○君がしゃべってくれてうれしかった!!」と。先生とは、おしゃべりするがクラスの子としゃべらない日が、たくさんあるように思える。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ〜息子が楽しく学校に行ってるから、いいか!!!
昨年の今頃は、1年生の3学期から家族全員が疲れ果てていた。学校への信頼関係が、完全に崩れていた。妻のショックは、相当なもので父親の私は、のんきに構えていたが、妻の涙と落ち込みようで真剣に取り組むことにした。教育委員会に連絡し、学校訪問・・出来ることは、した。
春休みには、新しく入られた先生方に息子の特徴やいろいろな場面での対処法を説明した。若い先生もたくさんおられた。昔、客先相手に講習会をしていた経験が役に立つ。子供の成長と思いが伝わるように・・。 渡した資料、声が役にたっていると信じているし、息子の状態からしてもやってよかった。なぜなら、今年は、説明会の必要がなかったからだ。
先生方も戸惑いもあるだろう。自分たちよりもたくさんの子供を見ていて、子供の特徴や伸ばし方も知っているだろうが・・・・・
・・3年生は、テストも多くなるし・・・まあ、ゆっくり、やっていくか!
2009年02月01日
懺悔
「見舞いに行かなくて本当にごめんな〜」
棺の前で謝ることしか出来なかった。後悔と自分の不義理を詫びるしかなかった。
今迄で数えるぐらいしか、かかってこない後輩からの電話。名前を見て何か、ただならぬ事があったとすぐに察知した。
「○○が死んだ!」
「うそやろ〜・・・・わかった、すぐに帰省する」
亡くなった後輩とは、19歳より2.3年一緒に寮で生活した、一番金がなかったけど、何故か楽しかった、おもしろかった、青春のひと時を一緒に過ごした同士である。晩飯を食べる金もなく、晩飯をチョコレ−ト1枚で過ごし病人に一番近かった私よりも、金にも困らず、酒もたばこもやらない一番健康だった後輩が亡くなるなんて。
盆に帰省した際、4年ぶりに後輩に電話した。
「元気か?今、○○におるから、飯でも・・・」
「今、入院中。糖尿病になってね。右足のひざ下切断した」
「うそやろ〜、病院に行くわ」
違う病院に行っていた。
面倒になって
「又、行くな!。今度会うときに飯でも食おう!」
本当に最後の会話となってしまった。
30分ぐらいで病院に行くことが出来たのに・・・ただただ後悔するばかりである。
葬式に行く前に青春を過ごした仲間と飯を食った。
これまた、4年ぶりの再会である。趣味の話をしたりして時間をつぶした。亡くなった彼の話は、みんな避けてたのか、しんみりなるのが恐いのか話題にあがらなかった。
写真の中の後輩は、私の脳裏にある顔と違っていた。痩せている。一般的には、普通だが昔の面影とかけ離れている。棺の中の顔は、眼鏡もかけていないし、痩せていたので別人のようにも思えた。4年ぶりの再会が、こんな形とは悲しすぎる。
参列者の年齢が、若く、誰もが早すぎる死を嘆き、顔をクシャクシャにしながら終わった。会社においての後輩の人となりが、よくわかった。
帰りの新幹線の中で、アドレスを消去しようとしたが、・・・1周忌まで残すことにした。
・・・訃の連鎖か・・・
携帯にかかることが、ありえない知り合いから電話があった。
「亡くなったよ」
92才で大往生なのだが、・・・・寂しい。
年末から悲しいことが、多すぎる。
最近、携帯の着信が怖い。ドキドキしてしまう。名前を確認するまでは・・・
1年が始まったばかりだが、どうしたもんか・・・・そういえば、5年ぶりぐらいにインフルエンザにかかってしまった。ん〜
2008年11月01日
いきがい
「いらっしゃいませ!レギュラ−満タンですか?」
テスト勉強もない日々は、ガソリンスタンドで毎日仕事をしている。時々夜の10時まで仕事をしている。・・・息子の一人ごっこ遊びだ。
チ−ムバチスタの執刀医が、手術前にイメ−ジトレ−ニングをしているかのごとく、息子が将来の夢に向かって、息子にしか見えない車の窓を拭いたり、レジからおつりをだしたり、お客さんが来るまで椅子に座り、新聞を見たり、店が終わったあとのドアを閉めたりと・・・息子の頭だけにある映像を再現している。
幼稚園の時から何故か?ガソリンスタンドが好きで見に行ってた。今では、近所のガソリンスタンドのおっちゃん達と、仲良しである。
息子と一緒に働くことが息子の為と勝手に考えていたが、全く親のエゴである。
中学2年で自分の将来の夢をしっかり持ち、夢に向かって予行練習をしていることが、すごいと思える。
不安がないかと云えば嘘になる。コミュニケ−ション能力が9才レベルと診断されているのでお客さんとの会話が出来るのだろうか?考えれば考えるほど頭が痛くなる。
・・・その前に高校である。
「高校、どこに行こうか?」
妻とは、公立の支援が受けられる高校の情報をいろいろとあたってみたが、競争倍率が高すぎて・・ため息と愚痴しかでない。
「養護学校でいいや
」
高校入試をしなくていいとわかってるからだと思うが。
私も妻も普通学校に行かせたいという、心の中のモヤモヤしたちっちゃなプライドは、息子の答えがスイッチとなり強力なバキュ−ムで吸い取ってくれた。晴れやかな心になった。たぶん、妻も私以上に快晴だろう。
1番は、息子が将来に向かって一人で生きられるようにする事だ。社会の歴史が出来なくても物理が出来なくても生活は、出来る。子供たちが自然と身につく社会人としての心構えや最低限の一般常識、生活する上での最低限の知識を学んでもらわないといけない。 妻の夢は、
「息子より遅く死ぬことだ」その夢が、変わるように・・・
息子の前にある壁は、私が壊し息子の手を無理やりでもひっぱって進めばいいと考えていた。こういった考えが変わってきた。息子の後ろからついていこうと、どうしてもの時は、おしりを押し、おかしな方向にいく場合は、そっと誘導し、バックしてきた時は、受け止めてやろうと・・・
考えがだんだん変わってきたのは、息子のことをわかっってきたのではなく、息子がゆっくりながらも成長することで私の考えに変化をもたらした。
障害児を抱えるご両親が、「これは、無理やろ〜」と心にあるドアの鍵を一つづつ、はずしていけるように、長い目で子供たちの成長を信じて欲しい。いつか飛び立つ事を願い・・・・
息子を見ると、大好きなコブクロのDVDを見ながらバランスボ−ルに座り、手には、柔らかいゴムボ−ルをポンポンしながら体も上下に動かし見ている。 よく、上下に動きながら見れるな〜。
今日は、仕事休みなんやな〜








