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150116-0001



1.近代科学の成立
 ルネサンス、宗教革命を経て、ヨーロッパにはいよいよ近代社会が成立していきます。資本主義経済、議会制民主主義など今までの社会の枠組みとは異なる、新しい社会へと生まれ変わっていくのです。このような歴史的な変化はいずれから生み出されたのでしょうか。20世紀のドイツの社会学者ウェーバーは「合理化」という新たな動向が生み出したと主張しています。

 人々の心に生まれた「合理化」。これは具体的には当時の人々のどのような変化なのか。それは「脱呪術化」に他ならないとウェーバーはいいます。呪術というとおどろおどろしいイメージもありますが、宗教的なものだと考えればいいでしょう。今までは自然の脅威に対抗するためには、神や精霊に頼ってきたのですが、もうそうする必要がなくなってきたのです。自然科学の発達によって予測可能な現象が増えてきたからです。16、17世紀にかけて、様々な科学者が自然や宇宙の姿をとらえようと研究を重ねてきました。彼らの科学的業績により、各々の自然の事象を説明し、コントロールすることが人々の問題となり、神様にお祈りすることだけが関心ごとではなくなってきたのでした。

 このような人々の自然への革命的な考え方の転換を「科学革命」と呼びます。イギリスの歴史家バターフィールドが用いた言葉であり、彼はこの「科学革命」こそがイエスの生誕以来の重要な歴史的事件であると主張しています。また、アメリカの科学史家クーンは、この科学革命は共通した思考の枠組みや支配的なものの見方そのもの(これをパラダイムといいます)が大きく転換するということで「パラダイム・シフト」と呼びました(クーンに言わせれば、20世紀の一般相対性理論などもパラダイム・シフトとなります)。



2.代表的な科学者たち
 では、当時どのような科学の発見があったのでしょうか。代表的な人物の紹介とその業績を取り上げていきます。近代科学成立の動きは天文学から始まりました。中世までは、地球は宇宙の中心であるという天動説(プトレマイオスなどが唱える)が揺るぎない中心でした。それに対する疑問をいだいて、地動説を唱えたのがポーランドのコペルニクスです。彼は太陽を中心とする宇宙観を唱えて、天動説の上に成り立つキリスト教の宇宙観を大きく揺るがしました。

 そして、ドイツのケプラーやイタリアのガリレオ=ガリレイが地動説に賛同し、衛星の発見や惑星の運行の研究に大きな成果をあげました。とはいえ、当時のキリスト教社会において地動説をおいそれと受け入れられたわけではありません。地動説を擁護する書物を著したガリレオは宗教裁判にかけられているんですね。「地動説をこれ以上言うなら、異端だ!」と脅されたんでしょうね。彼はそこで自説を撤回させられています。 ちなみに、コペルニクスのあとを受け継いだブルーノという学者は自説を曲げなかったので教会によって火刑に処せられています。怖いですね。そんな命がけの状況で研究がなされていたのです。

 そんな先人たちの功績を受け継いで大発見をしたのがニュートンでした。彼はかの有名な万有引力の法則と運動の三法則(慣性の法則など)を含む大著『プリンキピア』を世に出し、地球や宇宙のあらゆる運動を法則によって説明、予測するという恐るべき理論を示したのです。このニュートンの業績によって、近代哲学に「機械的自然観」が確立していきます。代表的なのはデカルトです。いよいよ近代哲学のフルコース突入です。本格的に近代哲学、思想を学んでいこうと思います。では、また次回。