あるがままに

あるがままの自分を受け入れ、愛することを大切に

あけましておめでとうございます。

sora1005_S2012年ですね。どんな年になっていくのでしょか。ゆったりと流れる川のように、流れにゆだねてにいこうと思っています。

これまでは、川の流れよりも、自分の意思で、つまり何か目標を決めて、それに向かって進むという人生を送ってきたように思います。まさに「私には夢がある」という言葉に象徴されるように。25歳のときに作ったそんな名前の有限会社を、35歳になって手放すことにしました。この年末で会社組織の解散手続きも終了したところです。

知らず知らずのうちに会社や肩書があることで、自分自身の物足りない存在意義を埋め合わせていたのですが、今は何にもしがみつく必要がなく、ただの自分でいることこそ、楽に呼吸ができるような気持ちになったのです。10年間でたくさんの方のお話をお聞きしました。これからは、そのお話を体を通して体感していくとともに、自分自身の内からわきあがる声に耳を傾けることをより大切にしていこうと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

10日間の瞑想合宿に行ってきました&瞑想会のお知らせ

E2D4C1DB念願叶い、10月に京都にあるヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきました。ゴエンカさんというインド人の方が、ミャンマーに伝わっていた観察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)を、出家者だけでなく一般の人も体験できるように10日間のコースにまとめた合宿でした。ゴエンカさんが語るテープの誘導に従い、朝4時半〜夜9時まで、食事の時間以外は瞑想をするという、これまた修行のような10日間を過ごしてきました。

ほんとに軽い気持ちで行ったのです。瞑想してみたいな、くらいな。でも想像を上回るいろんな体験がありました。瞑想は、イメージを使ったりする集中瞑想ではなく、自分の身体や心に起こることをありのままに観ていく観察瞑想が主体です。そして、簡素な食事と規則正しい生活の中、参加者同士は話をせずに沈黙を守り、携帯や本なども預けて自分の身体と心にのみ意識を集中し、観察していきました。

どんな感じだったかという具体的なことは、なんと書いていいのか、まだうまく消化しきれていないので、改めて感想を書けるときがきたら、書こうと思っています。とにもかくにも、瞑想というものが、私の人生の中でとても大きな位置を占めるようになったことは間違いないです。もう数年前からその兆候はあったのですが、今回の合宿もその勢いをつけてくれたように思います。

日常が瞑想。私はそう思っています。起きてすぐ呼吸を感じ、ベッドの中での自分の身体を感じて、その後起きたあとも、「いま、ここ」で自分がしている行動に、気づいていく。心の中でわきあがる気持ちにも気づき、考え事にひきずられそうだったら呼吸を感じて今に戻って・・・。料理しているときも、こうしてパソコンをしているときも、常に自分としっかりいるような感じを意識しています。身体に気づきを戻すことは、「いま、ここ」に戻るのにとても分かりやすい大切なポイントだなと、最近改めて感じています。

そんな折、日本人僧侶のプラユキ・ナラテボーさんが来日されるとの連絡。伊勢と東京で瞑想会を企画させていただきました。プラユキさんの気づきの瞑想(観察瞑想)のお話は、とてもわかりやすいですし、なんといってもプラユキさん自身の人柄が私の目標とするところであり、みなさんにぜひお会いしていただきたい方です。お時間の都合がつけば、いらしてくださいませ。※ゴエンカさんのヴィパッサナー瞑想と、だいたい考え方の枠組みとしては同じです。同じ観察瞑想ですし。でも私はプラユキさんの気づきの瞑想の方が、しっくり来ています。

■伊勢瞑想会・・・2011年12月10日(土)午後
http://www.yumearu.com/ise111210.php
■東京瞑想会・・・2012年1月7日(土)午後
http://www.yumearu.com/seminar120107.php

神話占合

111008_1425~01伊勢に住み始めてちょうど2年がたちました。ほとんど知り合いがいなかったのですが、ありがたいご縁に恵まれ、素敵な方たちに出逢いました。そんな出逢いの中で、「こんなことやってみないか?」という話があがり、今日オープンした「伊勢 菊一」の看板商品である、「神話占合(しんわうらなひ)」の原稿を書かせてもらいました。伊勢に引っ越してきて最初にしたことは図書館へ通うことで、そこで神話や神道の本をひたすら読んだ半年間が、今になって形に現れてきたようです。

111008_1426~01神話占合とは、神話を読みやすい形にまとめ、その場面から読みとれるメッセージを占いのように添えたものです(1回100円です)。神話とは、古代日本人の心のありようを感性豊かに描いたもので、民族の記憶装置ともいえるそうです。今の私たちに必要なメッセージを神話からくみ取り、未来につなげていければと願っています。簡単な遊びのようでありますが、読み方によっては奥深いメッセージをくみ取れるのではないかと思っています。伊勢にお越しの際には、菊一に足を運んでみてください。2枚目の写真は伊勢ひのきに穴を開けて作った特製もの。この刺さっている棒をおみくじのように引き抜きます。なかなか楽しいです。

「伊勢 菊一」 伊勢市本町18-18(伊勢市駅から徒歩3分、外宮参道中ほど) TEL 0596-28-4933

天地初めて発けし時・・・

14_八咫烏_02月刊なごやという雑誌の「随想」というコーナー(2011年8月号)に、以下の文章を寄稿させていただきました。私の神話との出会いが書いてあります。もしよかったら読んでみてください。

■神話との出逢い

「天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の御名(みな)は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・・・」

 古事記冒頭のこの一節を読んだとき、心の奥底の心神(たましい)とでもいう部分に力のあるエネルギーが流れ込んだ。潜在意識が喜んだ、と表現してもいいかもしれない。とにかく私は、この神話が納められている古事記というものに、底知れぬなつかしさのようなものを感じていた。
 この神話との出逢いが、約2年前のこと。東京から伊勢に移り住んだ私は、せっかく住んでいるのだからと神道のことを調べ出し、神道に縁の深い神話の世界の扉を開くことになったのだ。その扉の先には、古代日本人の感性豊かな世界観、言霊、そして叡知と祈りがまぶしいほどに光っていた。

■日本人の精神性が眠る場所

 戦後、アメリカ経済に押され、成果主義、競争社会、個の尊重などの概念が日本人を包んだ。教科書から神話も消え、大和魂は封印されていった。大切なものが何なのかが見えなくなった私たちは、自分の生き方を求めて彷徨し、外に外にその答えを探しにいった。
 しかし答えは外にではなく、内にある。私の内面を深く掘り下げていくと、そこと神話がつながるような気がした。自分の中に眠っているものから目をそむけてもいいのだろうか。根なし草のような私たちが目を覚ますためには、神話が必要だ。そう思った。そこに日本人の精神性が、つまりは私たち自身の大切なものが、眠っていると確信したからだ。
 
■神道ファンタジー「倭姫」を発売

「念ずれば花開く」という言葉通り、その後、神さまのお導きのような出逢いがあった。そして伊勢コアネットワークが誕生する。伊勢から今の時代に必要な精神性が、水の波紋のように広がっていくとよいなと思ってつけた団体名だ。最初の活動として、伊勢神宮神職の河合真如さんに、『倭姫』を書いていただき、平成23年5月5日に出版した。倭姫とは伊勢の地に天照大神を祀った皇女で、本書はその倭姫の神話をファンタジーという創作物語として表現したもの。美しい言葉の泉の中にひたるような文章に、墨絵の挿画を合わせた32ページの読み物となった。

以下の文章は、「倭姫」の冒頭のメッセージ。読んだ方の心の奥深くに、ゆるやかに波紋が伝わっていきますように。

人は天下(あめのした)の神物(みたまもの)なり
心神(たましい)を傷(いた)ましむることなかれ
―倭姫命(やまとひめのみこと)の言葉―

【注】「倭姫」は一般書店での取り扱いはありませんので、ご注文は、JUING合同会社(電話0596-23-0028 ホームページ http://yamatohime.jimdo.com/ )まで。

月明かりの鉄砲ユリ事件

鉄砲ユリ北陸内観研修所の周りは畑が広がり、すぐ目の前は小高い山があり、とてもゆったりとした環境の中にあります。内観のためにはじっと座って自分の過去を調べるのがよいのですが、それでもずっと座っていると見たくない昔の感情がわきあがってきたり、落ち着かない気持ちになるので、ちょくちょくお茶を汲みに行ったり、顔を洗いに行ったりしていました。それでも外に出ることはなかったのですが、7泊8日の最後の夜、満月だったので、縁側の窓から庭に出て、散歩をしました。庭は少し広めの公園くらいの大きさがあり、くるぶしくらいまで生えている草をずんずん踏んで、真中あたりまで行き、月を眺めて帰ってきたのです。

次の日。朝日を浴びる庭を見て、ヒヤリとしました。庭には、鉄砲ユリがところどころ生えていたのです。月明かりの中では草だと思って踏み散らした中に、犠牲になったユリもあったかと思うと、悪気がなかったとはいえ、申し訳ない気持ちになりました。そしてこの、暗くて見えなかったから踏んでしまったけれど、明るくなると全部が見えてくるこの話は、まさに内観というものを象徴的に語っているようにさえ、思いました。

小さいころにたくさんもらっている愛情に気付かず、自分本位という我執により視野を狭くさせ、自分が迷惑をかけられたこと、自分が困ったことばかり覚えている。だけれど、事実をしっかり思い出して光をあてていくと、お世話になったことがどれだけ多いことかが見えてくる。そして見えていないばかりに知らず知らずのうちに、人に迷惑をかけて育ってきているということ。

この月明かりの鉄砲ユリ事件は、自分中心にわがままに生きてきた私の生き方そのものだったなあと思ったのでした。これからは、月明かりの中のユリに気付けるように、しっかりと足元を見て、細やかな気づきを持って生きていきたいと思っています。

夏休み、富山で内観してきました。

立山0夏休みは実家の富山に行ってきました。富山は、まさに山に囲まれているので、晴れている日は剣岳などの山が雪をかぶって青々とそびえたっています。8月10日、誕生日の前後、7泊8日で、北陸内観研修所に集中内観に行ってきました。内観はこれで3度目。1年に1度受けに行っていることになります。

ほんとは、今年は静かな時間を瞑想をして過ごそうと思い、京都のヴィパッサナー瞑想に行こうと思っていたのですが、人気のようで予約がとれず、方向転換して内観に行きました。でも行けてよかった。このタイミングで必要だったように思います。

内観は心の奥底の凝り固まった気持ちや、トラウマなどを根こそぎ癒してくれる、とてもダイナミックな心理療法で、離婚後の心の整理にはぴったりでした。過去2回の内観は、表面だけしか捉えられていなかったなと思えるほど、今回は深く味わいつくすことができたように思います。特に母に対する内観で、意識としてはもう感謝に満ちていると思っていたのですが、潜在意識の奥底に眠る怒りやわだかまりが噴出し、それが愛と感謝に変わっていく時の、あの号泣しながら身体に光が降り注いで視野が開けていく様は、感動でした。

すべては自分が撒いた種が、実を結んだ結果として表れているんだということ。そして今までどれだけの方にお世話になり、私という存在を支えてもらったかということ。自分の見たくな面を洗いざらい見つめたこと。これらのおかげで、自分という存在を卑下もせず、過大評価もせず、ただあるがままに認めている、そんな心境に近付けたように思います。

マリアン・ウィリアムソンの詩

TS3R01600001最近、こんな詩を紹介してもらいました。涙が出ました。伊勢に来てから、内省する日々で、どちらかというと今まで見過ごしてきた闇の部分を重点的に掘り起こして向き合っていました。自分が見たくない自分の一面。それらを自分の一部として認める、影の統合のプロセスは、自分を受容するための必要なことでした。だけれど、あまりにも影の面にフォーカスしすぎて、自信がなくなったいるとき、ある詩に出会いました。光も、影も、どちらもありのままに見られるようになりたいですが、まだ視野の狭い私は、1つ1つを見ていくというプロセスをたどっているようです。そんな私に必要な言葉がつまっていたのが、以下の詩でした。

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私たちの最も深刻な恐れは自分の力が足りないということではない。
私たちの最も深刻な恐れは 自分に力がありすぎるということだ。
私たちが一番おびえているのは 自分の光であって闇ではない。

私達は自問する。
この自分に輝かしく、華麗で、有能ですばらしい人間である資格などあるのだろうか、と。
だが実際にはそういう人間であって当然ではないか。

あなたはこの宇宙が生んだ子供だ。
卑小な人間を演じていても世の中の役に立たない。
周りに不安を抱かせないように縮こまって生きていたら誰にも光を与えられない。
私たちは宇宙の栄光を明らかにするために生まれる。
そしてその栄光は私たちの中にある。
一部の人の中にあるのではなく、全ての人の中にある。

そして私たちが自分を光り輝かせるとき
私達は知らず知らずのうちに、ほかの人にも同じことを許している。
そして私たちが自分自身の恐れから解放されるとき
私たちの存在はおのずと他の人をも解放する。

マリアン・ウィリアムソンの詩
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タイでの日本人向け瞑想ワークショップ(マヒドン大学主催)9月9日〜12日

蓮2年前の蓮が咲く時期、タイに瞑想の旅に行きました。瞑想にはサマタ(集中)瞑想とヴィパッサナー(気づきの)瞑想があるということすらも知らずに、ただただ友人に(お荷物だったろうと思いますが)連れて行ってもらったのでした。

タイは95%の人が仏教徒なのだそうです。インドで生まれて南伝して日本に伝わった大乗仏教に対して、タイで信仰されているのは出家するための瞑想に重きをおいた上座仏教でした。そんなタイでは一般人でも瞑想への意識がとても高いことにびっくりしました。中でも一番びっくりしたのは、カンポンさんでした。

カンポンさんは、日本でいうと「五体不満足」を書いた乙武洋匡さんのような存在。体育教師として順風満帆の人生を送っていたのですが、水泳授業中の事故で全身麻痺となった方です。今はベッドの上でほぼ生活し、1日に少しだけ車いすにも座れるというカンポンさんの生活を聞くと、何の楽しみをも見いだせずに苦しんでいると考えても当然な状況でした。もちろん最初はそうだったそうですが、仏教に出会い、気づきの瞑想に触れていくにつれて、自分の身体というものを理解し、身体の不調に心がとらわれなくなっていったのだとか。私がうかがったときは、とても自然体の穏やかさとジョークなどを言って笑わせてくれる、一輪の蓮のような存在でした。お坊さんが語る瞑想や仏教の話よりも、より目線が私たちに近いカンポンさんだからこそ表現できることもあり、しかもたとえなどがとてもわかりやすいので講演者としてひっぱりだこのようです。

そんなカンポンさんの話もお聞きできるというタイへの瞑想ワークショップを、浦崎雅代さんが企画してくれました。マヒドン大学で2011年9月9日(金)12時〜9月11日(日)12時で開催されるそうです。→詳細を見る

これは、瞑想に興味を持っていらっしゃる方にはとてもいい機会だと思います。なぜなら、気づきの瞑想、ヴィパッサナー瞑想の本を、私は何冊か読んでも、その感覚が全然わからず、気づきとは何かすら、本だけではなんだかつかみきれなかったのです。それが、現地に行って話を聞くと、「ははぁ〜ん」と腑に落ちるところがあったのでした。

カンポンさんの本『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(佼成出版)にはこう書かれています。 続きを読む

ありがとう

TS3R01540001今日で「私には夢がある」は設立後丸8年がたち、9年目に入りました。何度ももうやめようと思ったことがありますが、今も続けているのは、私自身がこの会社が大好きだからだと思います。そしてこの会社があることで関わることができた人たちの縁が、何よりもの宝です。大切な大切な人たちです。どうもありがとう。いろんなこともかきたいのですが、何かを言葉にしていくほど、本質からずれてわき道にそれていきそうです。だから今は多く書きません。
・・・・・・ありがとう。それだけが心の中でわきあがっています。

※写真は今日、子どもと遊びに行った五十鈴川の写真です。

「倭姫」のHPができました。

倭姫今年の5月5日に出版させていただいた、神道ファンタジー「倭姫」のホームページが、ようやくできあがりました。ネットからの注文もできるようになり、遠方の方の手元にも届きやすくなったように思います。この「倭姫」に関わらせていただくことになった経緯も、語れば長い。神様がうまく出逢いを演出してくださり、ご縁が数珠のようにつながって、共感した者同士がエネルギーを1点集中して作ったのがこの本です。

神話を知ってほしい。この日本に昔からある精神性に触れてほしい。いま、日本を新たに創り直そうという時だからこそ、大切な原点を思い出してほしい。そう思って作りました。よかったらHPを見てみてくださいね。
http://yamatohime.jimdo.com/

センス・オブ・ワンダー

6月の夕日先日、夕焼けがあまりにもキレイなので、歩いてすぐの川の堤防をお散歩。空は夕方に、なんで赤くなるんだろ・・・。

小学校のころ、宇宙のことを考えたりすると、わからないことが多すぎて、これはすごいことだぞと思っていたのです。知らないということは、これから知っていいく可能性があることが山ほどあると思ったので。大人になるころにはどれくらい私はわかっているんだろう、とわくわくしていました。

大人になったいま、わからないことが減ったかというと、そうでもない。わかることは増えたけれど、わからないことはもっと増えたような気がしています。

変容のただ中で

お久しぶりです。いろんなことを感じ、内面の変化が少しづつ外にも表れるようになってきたのですが、まだうまく言葉にできません。中から気持ちがわきあがってくるのを「待つ」というプロセスの途中なのだと思っています。そして、その待つプロセスの中の大事な要素として、「手放す」ということを今、体験しています。

家の中のモノはだいぶ手放して、かなりシンプルライフになってきました。ただ、見た目はガラクタに見えないけれどもたまっているものが、パソコンの中にありました。それが、ブログとHP。過去の履歴がかれこれ約10年分。これはどうしようかなあと思い、最後の最後まで手をつけなかったので、一番執着がある部分でもあったようです。ブログは過去ログを消し、HPは必要最低限の情報にスリム化しました。ふぅ〜、大掃除したあとのような気持ちです。スッキリ。

今まで何をしてきたか、何を考えてきたかは、誰からも見られなくなっても、私はちゃんと覚えてる。そして今現在の私が、それまで生きてきた経験すべてを吸収した存在なので、今の私がいれば十分だな、と思ったのです。そしてそして、まだまだ心底理解はしていないのですが、その私という存在すらも、心の中で概念化したものだということに気付きかけています。

蝶は変容のシンボル。最近とても気になっています。



紹介
  • ライブドアブログ