我が家の春の花(その2)

今年の花は、例年咲いていた花が今年はあまり芳しくなく、反面昨年まで目立たなかった花が今年は花を咲かせるなど、今年の天候異変を反映している。ために 本来咲くべきはずの 牡丹などの開花を待ってる間に結局は咲かずじまいで、撮影チャンスを外すことが多い。
IMG_2779













挿し木で育ったリンゴの木の花。昨年まで何とか小さい実を付けたが、今年は実が見えない。花だけ見れば かなり期待を持たせるものであったが?但し、着果しても大きくはならずじまいではあったが。
IMG_2780













その代り今年は、苗木を買って4年目の別のリンゴの木に 花数は3個くらいであったにも係らず、一個の実が今では約1cm位の大きさまで成長している。
IMG_2777













アケビ 以前の台風で垣が倒れ 現在までそのまま。これにアケビがしっかり絡み付いた状態で、花はいつも通りしっかり開花。
IMG_2778













それなりの期待もあったが 今現在、実は見当たらない!
IMG_2784





























トキハマンサク 今年も立派な花飾り。咲いてる期間が短めだったような。手前の伊予かんの木が小さく見えます。しかし、この伊予かん 昨年は16個の大きさも見事な果実が付き、十分味わって・・・。
IMG_2786





























パッションフルーツ(実付き果物時計草)  花はまだ早いが、初めての冬越しに成功。二鉢が成功。今年は早めの開花と着果が期待できそう。そして、今年こそ 久し振りに私の胃袋に収まってくれるのか?最早実が付くのは毎年の恒例であり、遅咲きのため完熟が遅く、観賞で終わらせたくないもの。しかし 今年も苗を一個購入、手持ちと比較のために。
IMG_2797













IMG_2796













極楽鳥花  これも無事冬越しに成功、今年も綺麗な花をつけてくれました。そろそろ来年あたりは、大鉢に植え替えか?
IMG_2832





























れんげつつじ  毎年綺麗な黄色で鮮やかに
IMG_2850





























他を圧倒
IMG_2833













庭植えつつじ 満開には少し早い?
IMG_2834













このように手入れが届かない方が 結果が良いものも。隣家からの眺めがよさそう。
IMG_2835






























IMG_2836






























IMG_2837





























八重咲きの珍しタイプ
IMG_2842





























ウィステリア  前年の剪定が強過ぎ、いつも花数が少なく見栄えが今一つだったのが、昨年多忙で放置した結果、逆に期待を超えることに。隣のビワの木に絡み付いたのが成功の秘訣?その代り、ビワの木が枝枯れを起こしてる感じ?影響ありやなしや?
IMG_2841













これは我が家の藤の花。すぐ裏手の鎮守の森?にも、毎年藤の花開花。例年西側]方面にのみ生い茂っていたのが今年は、遥かに成長したのか、反対側の東側にも花がしっかり。写真は撮ったものの、サイズが大きくこの画面に転送できず残念です。
IMG_2843













家の前 前面道路のクレマチス。一昨年?地植えから鉢植えに。根付いたのか、今年は花もつく。
IMG_2847













道路に面して、巨大に開花。これも放置の結果。近くの人に言われて その圧倒的な大きさに初めて気付く。家の前であるが、この場所は車で通過するので、目には映っていても脳まで届いていなかったよう。灯台下暗しの典型。
IMG_2849






























IMG_2851





























残念ながら まだ名前が?
IMG_2853





























タニウツギ  3分咲きか?繁殖力が強く強剪定もものともせず。
IMG_2852













花数が少なく、花の良さが出ていない。これを書いてる頃が丁度見頃。
IMG_2855





























キングサリ  年数はかなり経つが、成長が遅すぎる。両側のミカンの大木?のためか?
IMG_2854













今年の開花数は3? 移植を真剣に考えるも、枯れては元も子もなし と新規に苗を買い求める。但し、これも有毒らしい。
IMG_2856





























スモモの実  前回の投稿時はまだ花全開。短期間でこの状態。2~30年前の全盛期を彷彿とさせる実の付き具合。これがそっくり完熟すれば、全盛期に迫る写真が撮れるかも と期待。
IMG_2857













これも 八重咲きであるが、成長が見えない。やはり隣のミカンの所為か?
IMG_2865













バンマツリ  昨年の異常天候により枯れ死寸前であったが、見事に生還を果たす。縁側から。
IMG_2864





























外から見れば まだ復活途中、早い回復が望まれる。紫で生まれ、白色に変化する面白い花であるが。匂いが難点。ジャスミンの匂いと言われるが、決していいものではない。
IMG_2863













親株から コンクリートの下を根が伸び、育ったのか? 実が落ちて?育ったのか?植物の強さを証明。
IMG_2862













これは、別の場所の 親株から根が伸びて、育ち始めた苗木?を切り離し、鉢植えにしていたものが、今年初めての開花。
IMG_2867













サボテンの花も。この後続々咲いてます。
IMG_2868





























やっとアマリリスの開花
IMG_2869





























IMG_2870





























ハンカチの木  今年も新聞には田主丸?の園芸業の開花(苞)が報じられていたが、我が家は残念ながらダメ。これは今年初めに 主木(幹)が老齢化のため枯れ死したため。しかし、このように新木(側枝)が新たに旺盛に伸び 葉付きの多さは来年以降の成長が期待できる。
IMG_2872













購入以来、いつ枯れるかと心配されたが、次第に株数も増え、一人前に。目の前の水路には自然生え?のもの(若干色合いが違う)が増殖中であり、負けじと頑張ってるよう。

昼の会合で飲んだ酒が効いて、逆に疲れが取れず、やっと書き上げることに。

                               以   上

石丸山公園堀干しまつり

弟3回 堀干しまつりが1月28日(土)、石丸山公園の周辺で開催される。気にはなっていたが、初めて見物に出かける。幸い当日は天気も良く、参加者にとって最高の日和。以前は「堀干し・ゴミ上げ」という言い方をしており、農作業の一環として重要な春先の行事であった。父親の勤務の関係上、父親代わりに 学生時代は何度か私も参加しましたが、確かに重労働ではありました。今では 若い人たちが理解できるかどうかは別として、ゲーム感覚の「イベント」として昔の生活を振り返る 町ならではの行事?であり、大人にとっては「郷愁」を覚えるものではないでしょうか?
IMG_2632













まつり広場で打ち合わせ中
IMG_2618













公園内は綺麗に整備されており、(まだ冬場だから当然か?)、少し寒さを感じながら会場へ向かう。
IMG_2637













堰(固定)をつくり水を汲み出す
IMG_2633













IMG_2635













この水車 飾りではないと思いますが、実用性は?小さい頃、田んぼの水揚げに何度かやったものです。回転のスピードが上がり過ぎ、水車のスピードに追い付かず、足を踏み外したことも。是非、子供の体力づくりに活用してみたいもの。危険を理解する一助にも。この後、体験コーナーもあったようですね。
IMG_2647













会場に着いた時には、既に水はこのように全部なくなり、魚もすべて確保された後でした。これが所謂「堀干し」風景。時がゆっくりと流れる過去の世界に戻ったような気持ちに。
IMG_2620













広場では 即席のプールに捉えた魚を入れて、子供たちが魚のつかみ取り。
IMG_2639












 
このように十分に。この公園周辺のクリークだけでこれだけの魚がいたんでしょうね。
土地改良が行われ、「堀」と呼ばれたものが、今では「クリーク」と呼ぶにふさわしく、綺麗に「堀」が整備されたものの、釣りを楽しむ子供も大人もいないのは寂しいものです。地区外からの釣り遠出組は結構多いですが、年2回の地区清掃作業を理解してるのでしょうか?
IMG_2623













どれを捕まえようかな?じっと見つめる。真剣そのもの!
IMG_2625













プールの外から、こんな大きいやつ どうやって捕まえた?
IMG_2626













お父さんの持つビニール袋にしっかりと収容。今夜の食卓に上るかな?魚は私の大好物です、特に川魚は。肉は×?ですが。
IMG_2628













女の子も頑張りました。これは間違いなく、鯉のようです。鯉も何かを言ってるようです?放してくれ!とか。今日の親子の話題は「魚とり」で尽きないでしょう。
IMG_2621













今日の収穫
IMG_2640













誰の口に入るのか?いくら「釣りきち」でもこんなには釣れないでしょう。
IMG_2648













「ゴミ(泥)上げ」開始の準備中。左側では、待機中の若い男女の作業前の語らいが聞こえてきそう。
IMG_2649













このように堀の底に溜まった泥(ゴミ)を 機械を使って田んぼに上げる作業(勿論、機械の側までは 専用の「泥掻き籠?」を使い 人力で集める)によって、水質の改善を図り、且つ田んぼの肥料の一部として経費削減にもなっていた昔も 今の合理化の波に抗しきれず「イベント」化してしまった。この光景を若者は何思う?農業後継者すらいないこの時代、まさに「漂流農業」とも言えるのでは?どこに流れ着くのか誰も先(将来)が見えない!
H21年の12月初めには 柳川市の蒲池地区の国営水路でも40年振りの「堀干し」を復活させた記事が新聞に載ったことを思い出す。それっきりで、今は何も?なのか?水郷柳川の復活は?
IMG_2643













来場者には「魚料理」を振る舞ったり(無料?)、「堀干し音頭」の踊りが披露されてました。
IMG_2641













テレビ局も?ケーブルテレビ?

              以   上

我が家の春の花(その1)

既に春一番の花も散ってしまい、二番手の花も咲いてる今日この頃。遅まきながらもう一度春一番を味わってもらえればと思いつつ・・・。
IMG_2663













IMG_2665













白木蓮の花  大幅に枝を剪定したため、花数が少なめに。2年続けての失敗を繰り返し、反省が足りないことを痛感す。紫木蓮の花は 今年既に咲いて散ってしまったのか?
IMG_2666













ミカンを買わなくて済むようにと 小さい頃植えていた八朔や夏みかんは今では振り向きもされず、スウィートスプリングや太陽?ザボン以外はこのままゴミとなってしまう。反対に心が貧しくなってしまったようです。
IMG_2673






























IMG_2690













スモモの木。数年来の剪定の効果が表れて、最近ずっと花付きは期待通りに。しかし 果実の収穫は雨の多い時期に当たり、取りこぼしも多い。
IMG_2676













グミの木。今年は大幅に剪定。花付きもそれなりに、賑わいを。しかし、最近、実付きが悪く私の口に入ることはない。枝振りは立派なのに?原因不明?
IMG_2672













水仙の花(フォーチュン?)
IMG_2678





























らっぱ水仙。今年は黄色系統が花を付けず。
IMG_2681






























古いタイプ(糸葉スイセン)。黄色が際立つ。
IMG_2686













素朴な、どこにでもある・・・。(通称口紅ズイセン)
水仙の開花は例年の10分の1どまり。今年の天候異変を象徴する?同時に 植え付けてから今まで 一度も植え替えをしておらず、付けが回ってきたものか?来年は時間を作ってでも。
IMG_2679













タチイブキ(エン麦の一種)。瓢箪の連作障害を防ぐもの。この麦を植えることに因り、瓢箪の根に寄生するネコブセンチュウを退治して より正常な瓢箪の形を維持するために。
IMG_2688













スノーフレーク(スズランスイセン)
IMG_2685













ムスカリ(別名グレープ・ヒアシンス)
IMG_2680













IMG_2785













オウバイ(先日の新聞ではオウバイとロウバイを混同していたような写真が載ってましたが)
IMG_2683













レンギョウの花
IMG_2689













チロリアンランプ(ウキツリボク)
IMG_2650













IMG_2653













IMG_2652





























今年2月11日の恒例の積雪。朝8:30頃の時間帯。この地では1シーズン1回積雪を見ないと春が来ないみたいです。
この日からわずか2ケ月でこのような花が咲くことににも驚きを隠せません。

                         以  上

佐賀バルーンフェスタ(その3)

今回のバルーンフェスタにはいろんなことが起きてたようです。新聞記事によれば、動画サイトに爆破予告を投稿して、威力業務妨害の非行内容で 千葉県の中学1年生が佐賀県中央児童相談所に通告を受けていた由。11月2日自宅の家庭用ゲーム機から、「会場のどこかに爆弾を設置し、午後2時に爆発する」 と投稿。会場の約3万人が避難、競技も一時的に中断された。自分のやった行動に責任の持てない日本人が、外国人の目にどんな風に映ったのか、完璧治安が売り物の日本も、これでは他国と大差なしか?
IMG_2450













会場運営には 大会の成功を願って いろんな人がいろんな持ち場を、守っています。係員も大変です。大空の下 子供から大人まで楽しめるイベント。無事に終わって当たり前、大変です。
IMG_2348













準備万端、簡易テントも活躍してます。自然の中でのランチタイム 最高です。
IMG_2425













イギリス人 ドミニク・ベアフォードさんの熱気球。パイロット歴 6年。
IMG_2470













やはり計測がうまく進みません。時間が経つばかりで、予定は大幅に変更。
IMG_2473













そろそろ、退屈に?縫いぐるみ も登場し、気を紛らわす?
IMG_2503













IMG_2507













数人のサンタさんも 何をするのかな?てな感じでした。
IMG_2518













やっとバルーンファンタジアが始まる。これはコマーシャルベース?
手前は「人KENまもる君あゆみちゃん」  神奈川のパイロット歴26年の大西修さん。「NTT西日本ドリーム4号」は佐賀のパイロット歴22年の峰一雄さん。

IMG_2515













これはニャンコの目?ドラ猫か?
IMG_2498













「ASIMO」 埼玉のパイロット歴10年の町田翔吾さん
IMG_2522













パンダ君  本当はかなり凶暴とか?
IMG_2526













佐賀の関本明子さん パイロット歴23年の「トム」
IMG_2539













佐賀の雪竹英典さん、パイロット歴23年。「フライングモーモーⅢ号」
IMG_2537













北海道のパイロット歴36年の山下暁彦さん 「バブル君」
今日(今回)は大幅な予定時間オーバーのため、本来予定のバルーンが大幅カットされたのでは?という気がしました。楽しみにしていた子供達には少々心残りがあったやも?

IMG_2543













今回の私にとっての目玉は結果的に、「モーターパラグライダー」ショーとなりました。会場放送の声がよく聞き取れず、??状態でしたが、皆が頻りに上空を眺めていたので、見上げると微かに豆粒ほどのものがやっと見える。ヘリコプターが旋回をしているものの、あまりに高いため、望遠を使ってもやっとこの有様。
別のところから得た情報では、バルーン運営側とオロナミン(ドリンク)との協賛による「レッド ブルー」チームによるモーターパラグライダーショーとのこと。このチームは世界的にも有名で 熟練度の高いメンバーで構成されており各地を転戦?していると。
IMG_2546













あの高空から次々に飛び降り、滑空を。後方の煙をみればかなりのスピードがわかります。
IMG_2548













高度とスピードがあり 望遠では捉えるのが難しく、撮影枚数が少なく、残念な気がしました。
IMG_2550













着陸態勢に入ります。
IMG_2551













一人目に続いて 二人目が全く同じ方向から侵入を。
IMG_2553













続いて3人目が。あの高空から この狭い一点を目指し、図ったような間隔で着地するのが如何に難しいか、見ている人には一目瞭然です。素晴らしいショーを見ることができ大変満足です。
IMG_2560






























ドローン愛好家には厳しいですね。通常とは違った 素晴らしい俯瞰写真が取れそうな気もしますが。
IMG_2567













迷子の受付センターも、色鮮やかに目立ってました。

IMG_2535













バルーン会場ともお別れです。
そして帰路に就く。
IMG_2580













恒例の「嘉瀬かかしまつり」を見ながら帰ることに。
IMG_2310













IMG_2581













IMG_2589













IMG_2587













生身の人間と案山子とがしっかり溶け込んで雰囲気を盛り上げてました。
次回訪問時は、夜間係留を楽しむことができれば と考えながら、今回のバルーンフェスタも終了です。

                    完

佐賀バルーンフェスタ(その2)

当日の目玉の一つであった、佐賀出身の「はなわ」氏による「トークショー&ミニライブ」のイベントは?でした。これが決め手となって、出かけてみたのですが。中止になったのか?多分 競技のターゲットめがけて投げたマーカーまでの距離測定にかなりの時間を要して、時間オーバーとなった模様。ただ、「はなわ」氏は翌日も出番があり、折り込み済みか?この間、見物人はなぜか??の待機中。測定員の事前打ち合わせ不足?かなり接近したマーカーが多く、測定がより慎重になったものか?次回からは迅速性を望みたいもの。
IMG_2398













気球に気球の絵が。極めて珍しいもの。ヨーロッパアルプスを飛行するバルーン?

IMG_2391













IMG_2476













ターゲットにマーカーがかなり集中。確かに測定次第では順位が変わることもありか?この日は競技6日目であり、各選手 佐賀の風を読むのに慣れてきたのか、ターゲット間近まで近づくバルーンもあり、見てる側からすれば簡単に思えたものだが。
IMG_2426













狙いを定め。野球の練習も必要か?
IMG_2427













ターゲット近くまで来ながら、より近づくことは出来ず、マーカーを投下することに。後は運を天に任せ、祈るのみ。残念だったか?結果良しか?
IMG_2452













魚眼レンズで
IMG_2375













かなりの高度からの投下。どうしてこんなに遠くから投下するのか??でしたが。競技のルールにタイムリミットとがあり、どうしても風を読めず、近づくことができない場合、少しでもポイントを稼ぐためには投下する以外に方法がない!
昨年の11月(2016)&12月に放送されたテレビでは、競技のルールを説明しながらの大会の振り返りをやってましたが、これを見たことで競技の面白さと難しさが随分わかったような気がします。
 日本選手を中心にフォローしながらの放送で、佐賀出身の上田選手ですら、簡単には風を捉えることができず苦労している様子が!しかし 結果的には13位。やはりhomeーfield advantage!(いま流行の 風の忖度か?)
前回優勝の藤田選手は 家族による地上クルーの応援空しく11位に。
今回初めて知ったことは、ゴンドラの搭乗員一人が操作をして気球を飛ばせているのではなく、地上で車を走らせながら、風の方向などの状況を ゴンドラに無線で伝えながらの綿密なる連携により、初めてバルーンの楽しさが味わえることを確認。これまでは、上空を漂うバルーンとその搭乗員のみに目を向けてましたが、やはり裏方あっての、表があるんですね。
IMG_2360













風に流され、ターゲットは遥か1km以上も彼方。でも風を読めず タイムリミットが迫る中、マーカーを投げ出すこともありか?マーカーが小豆田の中に着地したり、大きな高い倉庫の屋根に乗ったり。地主さんの了解をもらって田んぼに入って測定したり、倉庫の所有者に屋根からとってもらったりと 通常目視できない大変興味を感じさせてくれたテレビでした。競技の種類(タスク)は約20種類もあり それなりに変化はあれど、ターゲットに近いほど高得点であることには変わりなかったような?前日には、メンバーは室内での図上訓練を繰り返し、試合に臨むようですが、見知らぬ土地での戦いにはハンディーは不要か?でもルールは単純がいい?
IMG_2495













会場の前方西側には嘉瀬川が東西に流れており、催し物?か 船に乗っての優雅な見物!何やら宮廷貴族の物見遊山らしき!今回初めて目にしたが、大会中 定期的に運航されてるようで、毎回少しずつ、イベントが追加されるのは主催者側は大変でしょうが、観客にとっては大変ありがたいことです。
IMG_2436













見事に並んでくれました。偶然に。
IMG_2477













鉄橋上をJRの列車が通過中。これにも多数の観客が?佐賀市での熱気球大会は1980年に始まり、当時の観客数は3万人程度。今回は131万人。佐賀県の人口は直近で約83万人。大した集客力です。 こういうイベントは地方創生のモデルケースとして大いに真似をすべきでは?政府の残業時間管理が 本当に民間の末端まで浸透すれば、生み出された時間を「精神と肉体的」ゆとりに回すことも出来るのでは?ただ、GDPがどうなるかは??ですが。中国主導のAIIBではすでに70か国以上が加盟しつつあり、すべてにおいて中国の後塵を拝することのないことを祈りつつ・・・。
IMG_2364













IMG_2465













計測員もなかなか苦労を強いられてる?こちら側から見てる限りでは、まとめ役(リーダー)はどこ?状態に見
えましたが?かなりの数の外国人の参加があるものの 通訳士の活躍は殆ど話題にもならないが、日本語に堪能な外人さんばかり?

IMG_2471













退屈した子供達、会場内の道路上では遊びに夢中!
IMG_2472













勝負あった!
IMG_2462













今年も会うことができました、ワンちゃん連れの人物。常連さんでしょうか?列車では無理だから、車で来れる近くの人か?毎回会えるのは、偶然か?それとも大会中 毎日来てるのか?手押し車には 余裕たっぷり感が満載です。

                     完

佐賀バルーンフェスタ(その1)

やっと投稿する気分になりました。
既に約4ケ月半が過ぎ、忘却の彼方・・・と思える「2016佐賀熱気球世界選手権」の写真を整理する気持ちになりました。同時に10日後には母の一周忌を迎えることに。家族を亡くすことがこんなに大変なものか おぼろげながら今痛感しているところです。父は既に33年前に他界しており、その時自分は現役の社員であり、節目節目の法要も母に任せきりで、仕事の多忙を理由に時を過ごしてきたような気がします。
 今年(H28)のバルーンは 1997年以来、19年振りの世界選手権の開催地として、31の国と地域から105機が参加し、かなり注目度の高いイベントになったようです。(10/25の記事によれば187機が集まるとも)
 2003年の新聞記事によれば、その時は15カ国・地域の112機が参加しており、参加国数は2倍になったものの、参加機数は逆に減少?これは開催日数・開催場所(広さ・東京周辺ではなく地方都市)の影響もありか?
 昨年(H27)も見物に出かけたが、適当な出発時間が災いして、午前の部は既にバルーンは飛び立っており、午後からの部は開催直前ギリギリまで空模様との様子見もダメに。結局中止と相成り 今年こそは是非飛び立つ瞬間を写真に収めたいと、少しは計画的に通り組むことに。

IMG_2309













 そして10/28~11/6の期間中、天候と諸用事の調整の中で、結局5日(土)に車で二人で出かける。6:00am起床、6:50自宅スタート、前回通り佐賀市役所近くの駐車場へ7:40着。しかし満車で、神野小の運動場へ移動。ここからシャトルバスでバルーン会場へ向かう。予想に反して満席の一歩手前で、貸切状態で気分も楽に。会場に近づくに従い、既に飛び立っているバルーンが大空に。これでも遅かった!
IMG_2311













IMG_2316





























シャトルバス用入場門。朝早いためか、まだ人出は多くない。けれど バルーンはもう上がってる。

IMG_2320













既に多数のバルーンが! ほぼ逆光に近い状況で 鮮明度に欠ける。
IMG_2327













今回は競技初日の29日朝、バルーンが会場近くのJRの鉄橋の架線に接触する事故もあり。これは河川敷鉄橋から300m南のターゲットに向った際に接触したもの。地元有田のベテランパイロット梶山氏と若手のロシア人が搭乗していたが、バーナーの一つの種火を付け忘れたため、上昇力不足を招いたためと。二人の会話は果たして日本語?ロシア語? 梶山パイロットは2003年には メーン競技のパシフィックカップにおいて3位に入賞。
IMG_2330













見物には 大変華やかな夢を膨らませてくれる、一見の価値あるものではあるが、反面リスクも伴う。
2002年には 競技中のバルーンが操作ミス?により、地面に激突、その後舞い上がり上空で炎上 落下するという事故も発生している。パイロットはイギリス人パリー氏(50代)。パリー氏と競技役員二人の計3人搭乗。原因はターゲットにマーカーを落とす競技中、上空300mからかっこよく?急降下する際に、制御できず、地面に激突したもの。そして、バーナーの火がボンベのガスに引火してゴンドラが炎上。3人は激突の際に 偶然にも地面に転げ落ち、脱出 軽傷で事なき?を得たと。しかし、バルーンは炎上しながら 再び舞い上がり空中で爆発、そして燃え尽きた模様。ボンベの一本は民家の敷地内に落下 とも。
IMG_2333













良く似た事故が 数年前のエジプトのルクソールでのバルーン炎上事故。この時も、基本動作のミスが原因と思えるが、数人が亡くなったのでは?炎上中のかなりの上空のバルーンから飛び降りる写真は想像を絶するものがある。この時は 炎上し再び舞い上がる直前に 危険を覚悟の上で飛び降りた人は生き残り、生死を分ける判断を求められた時の人の運命によるものなのか?
最近エジプト旅行した人の話では、旅行会社も募集しているものの、やはりムバラク大統領政権崩壊後のエジプトは政情が不安定であるのも事実で、ボディーガード付きの観光であった由。観光バルーンの再開はやはり??
この時の写真と2002年のバルーン炎上写真が良く似ており、十分参考にしたいものです。
楽しみには常に危険がつきものも、やはり常識?しかし このイベントは委縮してはならないものの一つ と。
IMG_2335













会場には このような参加国・地域の国旗が掲揚されて、華やかさを盛り上げる。
IMG_2336













恒例の大画面を使って ホンダトライアルバイクショーを多くの人に見てもらえるよう。すぐ近くの現場で見れるのは限られた少数の人だけ。(人の頭を見ることに?)
IMG_2339













人間が小さく見えます。一度乗ってみたいものです。
IMG_2345













正式の入場門?
IMG_2349













朝早く、久保田周辺を飛び立ったバルーンが、見物人が待ち受ける嘉瀬川河川敷のターゲットが設置されてるローンチエリアに集まってきた。
IMG_2356













IMG_2355














IMG_2362













狭い場所(上空)でターゲットに集中するあまり?こんな場面も。やはりヒヤリハット(ハインリッヒの法則)は避けたいもの。
IMG_2354













IMG_2361













大空を漂う?人がやらないことをやれる!どんな気持ちでしょうか?羨ましい限りです。

               
                        完




ひょうたんの成長と収穫

11月25日の大出血を見るも、自然治癒の力を信じて入院をせず今に至り、やっと現在かなりの程度まで回復したかなと?
今年のひょうたんは昨年とは一味違ったものに。大瓢箪がメインに、それに豆瓢?が花を添える。
ここは 大瓢箪 専用の畑 この棚作り約10万円。今の時点では、8個は収穫期待。
IMG_1959













よく成長してくれました。途中の世話を怠った所為か、傷だらけ。まだまだ初心者?
IMG_1961





























初めての 豆瓢箪。豆瓢箪専用の畑。自分が属する瓢箪会の会長より種を分けてもらい、初めての栽培。よく実が付いてくれました。
IMG_1962













サイズは 高さ約10cm未満
IMG_1963













この頃、ノウゼンカズラが綺麗な花を開花させ始めている。
IMG_1964





























玄関先の生垣剪定中、左手指先を脚長蜂に刺されて、痛い思いをする。辞書を見れば、抗体ができるのでまた刺されると危険 と書いてある。昔はよく刺されていたけど?
「復讐するは我にあり」?というハードボイルド小説を実行に、殺虫剤を。真ん中は蜂の巣。
IMG_1966













最初の収穫。種も一部採取。豆瓢箪・中瓢箪・大瓢箪の勢揃い。種は大瓢箪のもの。理由は不明(多分肥料不足では と会長の指摘)だが、外皮が弱く、種出しと、腐敗物の取り出し時に大瓢箪の割れるものあり、大変残念な思いも。中瓢用の専用畑も別に用意していたので、計3の畑が今後の遊び場に。
IMG_1976













福岡市内での会員向け、瓢箪への布張り講習風景。私を含め、結構遠方から多数の参加有。
IMG_2279













見事な出来栄えです。
IMG_2280













遂に収穫。これまでの種だし・腐敗物出しに長期間を要し、は元々腰を痛めている私にとっては大変苦労の時期でした。大瓢箪・中瓢箪
IMG_2286













破れ瓢も
IMG_2282













初めての豆瓢箪で、作業的にも時間と道具が必要となり毎日が忙しく。
IMG_2283













やはり会長の助言で、今年は悪臭対策も実行。いろんなことを教わり、それなりの収穫もあった年でした。
豆瓢は出来具合の悪いのが約半数。結局約200個を乾燥。
IMG_2284













年の瀬も押し迫った中、仕上げの方法が浮かばず、思案中です。
取り敢えず、町の文化祭に3点を出品。
IMG_2593













今は来年の作付に備え、畑の準備中。連作を嫌うため、タチイブキという麦の品種をネットで購入、初めての麦蒔きを。瓢箪は根瘤ができ、連作を阻害するとのこと。この瘤を除去する方法の一つが麦の栽培と やはり会長から。しかし、連作を続けてる人が結構いますよ とも。
今年は、新しい方法をいろいろ取り入れたので忙しいことになりましたが、外皮の厚さ強化など課題も一杯残り、来年は更なる挑戦です。
                      以  上








にっぽん丸クルーズ:天草

3日目。10月16日(日)。早朝からの軍艦島周遊も終り、朝早くて眠たかったので、再度眠りの30分。この関係もあってか、今日の天草オプショナルツァーはバススタートがすべて11:00発。時間調整をしながら朝食をすまし、旅支度。本船は 天草(本渡港)の岸壁への接岸ができず、沖合へ錨泊し、通船(テンダーボート)にて上陸。上陸地点は天草市役所近くの本渡港フェリーターミナル。波が荒れるなどの気象条件次第では、通船の使用不可もあるらしい。今回のオプショナルツァー選択の基準は、特に決め手がなく(天草上陸は初めて)、結果的に昼食が基準となる。昨日が海鮮料理であったので、それを避けて天草牛料理に。そして、イルカウォッチングと天草キリシタン館見学コースを選ぶ。
通船内様子
IMG_2245













天草は本渡港を抱える天草下島と天草上島に大きく二分され、町村合併により下島は苓北町と天草市(人口86,116人)、上島は東側部分が上天草市(パンフ類をいくつ見ても表示が良く理解できない)。私の住む町も、昨年12月銃免許更新講習時に、久留米市の一部と間違われたくらいだから 止むなしか?
上陸時には、マスコットキャラクターや高校生によるハイヤ踊りの出迎えを受けるも、立ち止まることもなくあっさりと通過するのみ?
ハグ!O.K.でしょう!
IMG_2248













IMG_2249













300年の歴史を持つハイヤ踊り
IMG_2246













本渡港から再び船に乗って、天草下島北部に位置する五和の「通詞島」沖合へと向かう。この場所は一年中野生のミナミバンドウイルカ(体長3~4m)が回遊している珍しい場所と。その近くまで 船上からイルカを求めて約80分。定員一杯で椅子席に座れないもの多数。全員海の上を、目を凝らしてじっと見ているも それらしきもの見えず!天気良好で少しは気晴らしにもなったが、回遊している可能性の高いと言われる海域に近づいても??パンフの見事なイルカの大群との遭遇を楽しみにしていた人たちの気持ちや如何に?私はイルカウオッチングのことすら忘れていたからでしたが。近くに出漁している船とも交信して 必死に探しているとの放送もあったが、その兆候なし。東京・大阪などの遠方組にはどんな思いが残ったでしょうか?私の感想、ホントにいるのかな? 本日は天気が良くて旅行に出かけてるようです、で終。昔は何百頭ものイルカがおり、いつでも見れたが、今では約200頭くらい。この海域がイルカの餌になる小魚が住むのに適している場所だから、サメもイルカの大群に恐れをなして近づかず、今でも素潜り漁がおこなわれている由。これからはイルカ発見の日はカレンダーにレチェックが欲しい。さすればどんな頻度で会えるか分かりすぎて、反ってXか 2~3年前の小笠原クルーズでもクジラのホエールウオッチングが一つの目玉であったので、停泊してかなりの時間を費やしたがX。その時は天気も悪く、船長の決断でやっと上陸したくらいだから、良しとすべきではあった。本船内ではルール通り救命具を着用してます。
IMG_2253













波止場には海鳥?が何を待つのか 一杯とまってる様子は不思議な光景でした。
IMG_2255













到着した二江港。このようにイルカウォッチングは大きな観光目玉に。
IMG_2261













昼時になり、天草牛の焼き肉を、「たなか畜産」で。
IMG_2264













肉嫌いの私でも こういう時だけは食べます。
IMG_2262













結構雰囲気を大事にするお店の様子。ノスタルジアを誘うもの・・・木炭火鉢?
IMG_2263













取り敢えず満腹感に浸り、本日のメインの天草キリシタン館へ。
IMG_2265













玄関では天草四郎が出迎え。にっぽん丸の写真班も
IMG_2266













島原・天草の乱(農民一揆 1637年)の主導者と言われる天草四郎の像(16歳の美少年であったと)。
この乱の約200年前 英仏の百年戦争の際に、「オルレアンの少女」と言われる フランスの農民の娘「ジャンヌ・ダルク」が やはり16~17歳くらいで イギリス軍に包囲された「オルレアン」を1429年に解放し、その後も連戦連勝し国民的英雄となったことと大変似通っている。ジャンヌは霊感を得て 神の啓示を受けフランスの解放をするため、シャルル7世の軍隊を動かし、シャルル7世の戴冠式を実現する。その後戦場でイギリス軍の捕虜となり、異端の宣告を受け(魔女裁判?)、火刑にされるも シャルル7世により再審が行われ、名誉を回復。1920年には聖女に列せられる。運命的なものを感じます。天草四郎はジャンヌ・ダルクの生まれ変わりか
IMG_2268













案内板は斯くの如し。館内ではキリシタンと乱(一揆)の関連性を詳細に
IMG_2267













いざ館内に。しかしここも録音・撮影禁止。残念ながら、メモを取るか記憶に残すか です。今まで知りえなかった細かいことも沢山説明されてるのに、何も残せない!これでは 来館者も ただ来たその時だけのことで終わってしまうのでは?つまり、入館前と入館後が同じレベルになるのでは?「宝の持ち腐れ」のような気がします。改善を願うばかりです。
例えば、「天草四郎陣中旗」なるものも知らなかった。でも手元にあるパンフには たまたまその写真が載ってる。ジャンヌ・ダルクの絵画にも いつも片手にやはり「旗」を持っている。類似性ありか?
「島原・天草の乱」は日本史上最大規模の一揆と言われ、年貢の重税に喘ぐ農民と弾圧され続けたキリシタンの反乱であるが、これまでの私の捉え方は、「キリシタンの反乱」と位置付けていたような?。しかし、今では農民一揆がメインと捉えられるように。いくつかの本に触れるにつれての結果
天草四郎つまり天草四郎時貞を首領として 幕府軍との戦いに当初は優勢であった一揆側が、幕府軍の物量作戦の前に約37,000人が戦死した悲惨な歴史。天草四郎はキリシタン大名小西行長の家臣益田甚兵衛好次の子と言われている。
「島原・天草の乱」は島原領主の松倉勝家(重政の子)・天草領主の寺沢堅高の時代に その領民に対する過酷な重税・キリシタン弾圧に対抗して 農民が立ち上がった戦い。そして たまたまその地域でのキリスト教布教が浸透しており 農民たちの中に信者が多かったから、キリシタンの反乱とも見えた。幕府は九州の諸大名を中心に一揆の制圧に当たるも、総大将であった板倉重昌が死亡し、老中松平信綱を派遣、総力戦で原城を攻め落とし 1638年2月28日一揆軍を壊滅させる。そして、天草は天領に。
キリシタン館のすぐ傍に
IMG_2271













しかし、この結果多数の死者が出て、当然農業を担うものがいなくなり、幕府は 各地から農民を強制的に島原・天草に移住させてきた。そして その名残は今でも残る。また、その後 初代代官鈴木は 反乱を招いた反省から農民重視の改善努力に注力したと。
その後 天草のキリスト教徒は「潜伏キリシタン」となり、明治6年(1873年)の禁教令解禁までの約250年間信仰を守り続けることとなる。解禁後 崎津集落には崎津教会、大江地区に大江教会が建設される。
また 禁教令後 表向きは仏教徒になっていたが、1804年に「潜伏キリシタン」が発覚し、翌年5205人ものキリシタンが発覚。さらに江戸末期の1865年には長崎の大浦天主堂で、潜伏キリシタンが信仰を告白する「信徒発見」が起こり、「信徒が絶え果てた」と考えていたヨーロッパに驚愕的に伝わり、「奇跡」と呼ばれることに。
キリシタン墓地
IMG_2272













館内の説明の中で、私の一番興味を引いたのは「反乱軍を攻めあぐねた幕府軍が対策の一つに、伊賀の忍者を使うも失敗する。その理由が 現地の言葉が分からず諜報戦?の役に立たなかった。」と。???でした。
「アダム荒川処刑の油絵」など興味を引くものもあったが、説明書きを読む時間もなく・・・。
これで「天草」観光も終了。バスで港へ。そして通船で、にっぽん丸に帰船。

一旦6階ラウンジで軽食休憩後、夕食前に大浴場へ。そこで出会った年輩の男性と立話を。東京から、何度か天草に来たことありと。いろいろな経験談を。そして夕食。明日は博多へ帰港のため、船長によるカクテルパーティが開催される、主だったクルーの紹介が。そして、最後のショータイム「庄野真代 秋風コンサート」に参加。
彼女は流石に話もうまく、しっかりした語り口は安心感を。1978年に「飛んでイスタンブール」を大ヒットさせ、一躍スターに。数曲を語らいの中で歌い上げ、十分堪能す。当たり外れがあるも、今回は◎。以前の松崎しげるも熱狂的に歌い上げる姿に満足。旅の最後を飾るに相応しいショーでした。
10:30pmに終了後、最後の決着をつけるためカジノルームへ。手持ち1万ドル(船内用)。今日は最後の日、皆が持ってる$にケリをつけるため集まってくる。よって12:15pmまでオープン。今日は調子が芳しくなく、勝のリズムに乗りきれない。一進一退を繰り返し、終了時間も迫ると 半分投げやりになる。そして大勝負に出るも 4度 全敗かと思うこともあったが その都度復活。やっとチャンス到来、一気に1万ドルをオーバー。ここで、勝ち逃げを決め、1万ドルをバンダナに変え(手持ちバンダナ3個に)、残余を捨て勝負。そして、明日7:00amのスーツケースの宅配準備を手早く済ませ 就寝。
無事17日(月)9:00頃博多港へ戻り、自宅着12:00am。
本当に楽しい4日間を過ごすことができました。

                    完

にっぽん丸クルーズ:軍艦島周遊

3日目、10月16日。今日は早朝から軍艦島巡り。但し、上陸はなしでした。残念ながら、船上よりの眺めとなるため、前日5:30~6:15pmの時間帯に6階ラウンジ「海」にて 小杉徳寿(ノリヒサ)氏(軍艦島コンシェルジュ)により、VTRの上映と説明を受ける。
早朝の軍艦島(端島ハシマ)
IMG_2218













通称「軍艦島」、正式名称は「端島」。昨年の2015年7月に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に、登録される。産業革命遺産として残るのは西欧以外ではここだけと?。年間10万人が訪れる。南北に約480m、東西に約160m 面積6.3万㎡ 周囲1.2km 約3分の2が埋立地。長崎港から18kmの海上に位置する。名称の由来は 大正時代の軍艦「土佐」にその全景が似ているところから。いつの間にかこの名前が有名に。私がこの名前を知ったのは、44年前の昭和47年。会社に入社した年に、配属先の1年先輩が、長崎大出身で 軍艦島近くの「野母崎半島」に釣りに一緒に出掛けたことから。その時は釣りが目的で、世界遺産?の時代なので、意識として記憶に留めていただけではあったが。
軍艦島近くを通過するのは6:00~6:30am頃の予定とあり、眠たいのをこらえてデッキに出てみれば、?愛好家がカメラを構えてズラリ。まだ辺りは暗く写真もこの通り。この暗さの方がより軍艦らしく見えますね!
IMG_2203













この島では江戸時代後期(1810年?)に石炭が発見され佐賀藩の経営となるも、三菱合資会社に経営権が変わり明治23年(1890)に本格的な海底炭鉱として操業を開始。 昭和49年(1974)には閉山となる。閉山2年前に偶然軍艦島を見ていたとは 自分でもびっくりです。現在は無人島であるが、最盛期の昭和35年には約5,300人が住み、当時の東京都の9倍の人口密度となり、1916年(大正5年)には日本最古の鉄筋コンクリート造り7階建てアパートが建てられている。狭い島に多数の炭鉱従業員とその家族が住むには、自ずと上に伸びる方法を取ることになったものか。しかし、その繁栄も石炭から石油へのエネルギー革命の荒波に呑み込まれ、福岡県の筑豊炭田、大牟田の三井三池炭鉱同様、生き残る術はなかった。
少し時間が経つとともに、辺りも明るくなり 望遠でのカメラ映りも大分良くなる。
IMG_2209













このような高層ビルが林立し、とても小島の中とは思えません。島の中には小中学校、病院、映画館、パチンコホールなども建設され、10階建てビルの屋上には保育所も設置される。他方土地の少なさから、屋上に土を運び、野菜類を育てることも行われ、屋上菜園の先駆けに。運動会も盛大に開催される。島内には、禅宗の泉福寺も置かれていたが、便宜上 諸宗派をまとめた全宗としての位置づけになった由?。小島故、台風時には常に高波の被害をうけ、慣れっこになって、屋外で大波の見物をすることも。アパートもすべて一様ではなく、エリート層 所謂幹部用住宅の3号棟には、電話、トイレ等も完備していた。昭和33年頃には、テレビの普及が始まるも、ビルの屋上にびっしりと林立するアンテナのVTRは圧巻でした。この有様は多分日本一ではなかったかと。
この島は 日本の最先端を走っていたと。
IMG_2212













約40年間荒廃するままであったため、建物など殆ど朽ちかけている現状であるが、直近の記事によれば 昨年世界遺産に登録された結果、ユネスコの世界遺産委員会からは、国に対し保全計画をたてるよう勧告を受けることに。長崎市では2018年度からの段階的な保全計画案を 9月の議会に諮るなど計画を策定中。その予算 期間30年・費用約108億円と。具体的には3号棟の保存に ひび割れ防止に薬剤の注入、炭鉱作業員が出入りした立て坑のれんが積み建物の補強などその他を。
IMG_2215













炭鉱の有りようは、海底炭鉱の立て坑方式で、採掘作業は海面下1,000m深くまで及んだ。産業革命を支えた探鉱作業は 勾配はきつく、気温30度C、湿度95%の劣悪な環境下での労働を伴っていた。ために ヤマの男たちはいきおい気性も荒くなり、ツルハシやカミソリを持ってのケンカも絶えず、牢屋のお世話になる者も多々あった様である。また、立て坑内での移動には、直径6m近くのエレベーターで、深さ636mまで上下各25人計50人が同時に運ばれる仕組みであった。
IMG_2236













しかし、気になることが一つ。今や「軍艦島」はかなりの知名度を誇る存在に。その近くにあり、軍艦島の親鉱ともいえる「高島炭鉱」の存在が霞んでいるような。辞書によれば 「高島」は長崎港より15kmの海上にあり、軍艦島より長崎港にはより近い。その島上に「高島炭鉱」が 「端島炭鉱」より早い19世紀の初頭に佐賀藩の直営鉱山として開発され、採掘が行われていた。1868年にスコットランド人トーマス・グラバーのグラバー商会と共同経営になり、そして洋式技術の導入を図り、日本で最初の近代的炭鉱になる。1874年には後藤象二郎の手に移り、更には1881年に岩崎弥太郎に売却される。岩崎家はこの炭鉱から得られた巨額の利潤を、三菱財閥形成の基盤とした。
この「高島炭鉱」が世界遺産群に含まれているのか、大変気になるところではあります。
IMG_2232













かなり明るくなり、最後の全景
IMG_2240













記念写真を
IMG_2219














                          完

にっぽん丸クルーズ・新上五島町(2)

10月15日(土)、2日目。今日はオプショナルツァーで上五島に上陸。
その前に 前回の追伸あり。昨年H27.11.18の新聞記事によれば、「神宿る島・沖ノ島」が報道陣に公開されていた。ここは女人禁制のため、約40人の男性が荒天の中、裸で海に入り、みそぎをした後、険しい参道を登り沖津宮・其の周辺の説明を神職・市の職員から受け,信仰の足跡を肌身で感じたと。報道人が羨ましい!

さて 五島列島も初めての訪問であり、これまで大まかにしか理解していなかった。今回のツァーで如何に認識不足かよくわかる。今では月1回、この五島から魚介類を満載したトラックが我が町にやってきているにも関わらず・・・。一口に五島列島と言っても、北の部分は「小値賀町」、真ん中が「新上五島町」 南部分が「五島市」(福江島として一番よく耳にしていた)。小値賀町もつい2~3か月前か?やはり新聞で高校教育問題であったと思うが、極めて独自の方針が取られ、すばらしい結果をみているとあったような気がします。
船は8:00amに新上五島町の青方港へ入港。ここはH16.8.1に旧五町が合併し、今の名前となり、人口約2万人、1万世帯。特産品は、椿の実からとれる椿油・五島うどん他。

いつもの2階「瑞穂」で朝食を摂り、ツァー出発の準備をする。
IMG_2102













岸壁には地元の皆さんが小中学生を含め総出で 若さ溢れる歓迎の踊りを披露。7月の寄港では、大太鼓のイベントがあったようですね(パンフ)。
IMG_2103













土曜日とは言え これだけ多くの動員!地元民のクルーズ船歓迎の気持ちがよく伝わってきます。
IMG_2104













すでに殆どの乗船客は下船をしており、5コース毎にバスへ乗り換え。勿論下船しないで船内のいろんな催しを、寛ぎながら堪能している人も。
IMG_2109













「キリシタン洞窟」見学のため、青方港より若松港へバスで移動。バスのガイドさんの説明では、五島列島には50のキリスト教会があり、そのうち29がこの上五島にあると。すべてカトリック教で 司祭が常駐する小教区が10、普段は司祭がいない準教会が19からなる。全体的にはほとんどが仏教徒であるが、約1/4がキリスト教徒。
しかし、布教活動が純粋に宗教目的ではなかったような文書を見るにつけ、真実は如何に?と思うことも多い。
植民地の拡大を目指す西洋の列強ポルトガル王の命を受け 東洋への布教伝道の一環として スペイン人フランシスコ・ザビエルは1549年7月3日に鹿児島に到着、7月22日に上陸。1年前の新聞記事によれば 豊後のキリシタン大名大友宗麟の保護を受けて、平戸・山口・京都へと布教活動を続けた。これが日本初のキリスト教との出会いである。しかし大友氏の本当の狙いは、西洋技術の導入であったのではと。つまり戦国大名にとって領域拡大に一番大事なのは武器の確保であり、その銃弾であった。豊後の府内で見つかった遺物の鉄砲玉の原料の鉛が タイのソントー鉱山で採れるものであったことが近年の科学の発達で判明したと。それ故か?宗麟が洗礼を受けたのは、キリスト教との出会いから27年後であったとも。そしてザビエルは日本上陸後、鎖国中の中国への布教を目指すも、目的を果たせず1552.12 広東港外の小島で病没。日本での滞在期間は3年半。
尚 種子島銃は1543年、種子島に漂着したポルトガル人により齎されていた。
IMG_2114













ここから、目的の一つ「キリシタン洞窟」へ専用船によるクルーズ。バス2台分、約40名が乗船。満席状態で、殆ど移動不可。窓ガラスは、合理化か手抜きか、汚れが激しく船内からの写真はすべて??であった。
IMG_2113













このような小船舶でも船内の機器類は多すぎて 船長免許が如何に大変かよくわかります。洞窟見学は片道約20分ほどで。
IMG_2115













途中はこのような切り立つ小島の連続であり、洞窟は徒歩では行けず、船を利用しての場所にある。これは何とか船内からの撮影。
IMG_2118













ガイド氏・パンフによれば 幕末から明治初期にかけてもキリシタン弾圧は続き、この地 里の浦地区の3家族数名が迫害を逃れるため、船でしか行けないこの場所に、3か月ほど?身を潜めて信仰を続けていた。しかし、朝餉の煙が立ち上るのを見た、近くを航行中の漁船に通報され、役人に逮捕され、算木攻めなどの拷問を受けた。江戸幕府による禁教令が解かれる明治6年(1873)まで、激しい弾圧が繰り返された想像できない歴史を、我々はこれまで表面的な文書でしか触れることもなかった。現場でしか感じることのできないものを得られたような気がする。
IMG_2125













見学のため一時停止した間に乗降口から順番に各自写真を撮る。キリスト像の後ろが洞窟への入り口となっており、幅5m、奥行き70mの洞窟。洞窟の入り口の前にあるキリスト像は昭和43年、苦しみに耐え信仰を守り抜いた先人たちを偲び、その悲しみを永く記念するために建立されたもの。洞窟の中の壁にはレリーフのマリア像があった痕跡も。毎年11月には百名ほどが集まり、ミサを行い祈りを捧げていると。「8信徒発見のマリア像」とも呼ばれる。
IMG_2124













その帰途の珍しい 正面の縦長の割れ目は、糸を通す「針の穴」に良く似ていることから「ハリノメンドレ?」と呼ばれており、・・・・・でしたが、メモがなく?? 前面がこのような斜めではなく、真正面ならば穴の向こうに見える風景から何かに良く似ているとも説明があったような・・・??
IMG_2126













今回の旅は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」候補巡りであり、殆どがキリスト教関連である。
秀吉のキリスト教弾圧以前は 大友宗麟、大村純忠、高山右近、小西行長他の諸大名の保護を受けて、キリスト教は次第に九州でかなりの布教の成果も。1582年2月には織田信長の命を受けた 主席正使の伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの 当時13・14歳だった4人はローマ法王グレゴリオ13世やスペイン国王にも面会。所謂天正遣欧少年使節団である。キリスト教の扱いが如何に重要性なことがらであったかよくわかる。しかし、4人が長崎港を出発した4か月後に本能寺の変が起こり、4人が帰国した8年後の1590年には秀吉の天下に。そして禁教令の時代に。天才少年4人が滞在約2年間で得られたであろう功績も海の藻屑と。伊東マンショは小倉、中津で布教後、43歳で病死。千々石ミゲルは棄教、原マルチノは国外追放、中浦ジュリアンは穴吊りの拷問後殉教。タラ・レバではないが、もし織田信長暗殺がなかりせば 国内のキリスト教の普及率は現在如何に。より西欧化が進み西欧中心の世界地図が今と違ったものになった?
伊東マンショの出身地は宮崎県西都市。今地元では、その功績を発信しようと取り組みを開始。

中の浦教会。若松港の近くにあり。バスで移動中の車中より撮影。前面の水面に映る教会の姿が美しいことから「水鏡の教会」と呼ばれ、特にクリスマス期にはイルミネーションがより一層素晴らしい。
IMG_2133













乗客サービス用の写真から(体験できない人用)。車中回覧時。
IMG_2134













移動中のバスの車中より、後方に見えた岩。矢堅目(ヤガタメ)公園。高さ120mの尖った岩山。東シナ海が見渡せる、外敵の見張り場として守備兵で固めた防衛要害の地。頂上部の形がアニメ映画の「トトロ」に似ていることから「トトロ岩」と。よく見れば 確かに耳の形に似てます。撮影角度が悪く、現場で見た人ならではの・・。
IMG_2137













青砂ケ浦(アオサガウラ)天主堂。中通島の北部の位置にあり。キリシタン洞窟からはそれなりの距離にある。現在の建物は明治43年(1910)鉄川与助の設計・施工による「レンガ造り」の建物で、3代目に当たる。レンガ造りの形態はイギリス式で 1階と2階の間にはっきりと段差があり、外観からも明瞭である。外国の影響が如実に。ゴシック式で 側壁のガラスはステンドグラスで「槍十字と百合の花」の組み合わせ模様で飾られている。大天主ミハエルと聖母マリアを祀る。大変残念なのは、堂内 撮影禁止!これでは宝の持ち腐れでは!もっと普及を図るべきでは?最近の記事で、外国のかなり有名な観光名所?これまで撮影禁止だったのが一部解除になったと報じられたばかり!
IMG_2139













教会の前に建つマリア像。今では教会前には広場もあり、その前には道路も通っているが、以前は広場直前まで海が迫っていたと。
IMG_2142





























昼近く、昼食に向う。海鮮料理がウリであり、料理の量は十分であったが、写真を撮るのを失念。正面建物の中で食事を済ます。椅子席で、まだ左足が不十分な私にとって、一安心。
IMG_2148













この建物何かに似てませんか?バスの中でバスガイドさん。以前この地区ではクジラ漁も盛んだったので、意識の中に留めるべく 屋根をクジラの形にしたと。写真は ??の気持ちを感じて、偶然撮影したもの。
IMG_2147













ここで バスの前で数名が記念撮影。自分たちの写真を撮るチャンスは殆どなし。
IMG_2149













次の訪問地、頭ケ島(カシラガシマ)天主堂へ。山の上を移動中のバスの中から、目的地の天主堂を中心に僅かの集落を見下ろす。ここは前方の海からも発見されにくい場所で 隠れ住むに適地であり、隠れキリシタンが住み着いた場所。
IMG_2153













頭ケ島天主堂。新上五島町の東側、有川」地区に位置する「頭ケ島天主堂」。大変珍しい「石造り」の教会。これも鉄川与助の設計施工。明治43年、信者が長い年月をかけ、島や対岸の砂岩を切り出して着工、大正9年に完成。
天主堂=教会=教会堂。呼び名変われど 同じと。

IMG_2158













参道?を歩く
IMG_2157













入り口の前には「賽銭箱」が今も残されていた。これは幕府の弾圧を避ける手段として、仏教に帰依したかのように振る舞い 仏教を祀ってるような偽装工作の一つ との説明も。
今回もらったパンフには、教会見学のマナー欄の箇所には「見学のをお礼として、献金箱へ寄附をお願いします。」とも。
IMG_2167













この天主堂も内部の撮影禁止。残念です。堂内はやはりステンドグラスの窓があり、「ノイバラ」の花模様で彩られてます。大変美しく「花の御堂」(ハナノミドウ)とも呼ばれてる。堂内には絵画が14個掲示されており、キリストの受難を表す、いろんな場面が描かれてます。「14の留」と呼ばれてるそうです。15個の絵画があるところは「15の留」と。話変わって、私が毎年購入し毎年ダメにしてしまう「パッションフルーツ」の意味は「キリストの受難」をさす言葉だそうです。発見者のスペイン人が花の形から連想して名づけたものと。決して「情熱」という意味ではないそうです。最近やっと、明確に認識しました。
「14の留」について、質問をしたところ、ガイドさんは、誰にもわかるほど有名な画家が描いたものではなく、徐々に集まって14個になったのでは と説明があるも、建物外のすぐ近くにいた天主堂の責任者?と思しき若い女性が、「同時に全部ありましたよ!」と。
キリシタン墓地  こんなに多くのものも、更にはキリシタン墓地自体も初めての経験。
IMG_2154













墓石の上には 十字架。本当にキリシタンの集落だと実感しました。
IMG_2155













隠れキリシタンが厳しい拷問を受けた五六石
IMG_2164













五島に初めてキリスト教が伝えられたのは、1566年。その後 秀吉の伴天連追放令、1614年の徳川幕府による禁教令。キリスト教徒は厳しい迫害を受け、隠れキリシタンに。1797年からは 弾圧を受けた外海町の約3000人の信者が五島へ移住。その後の厳しい迫害の後、明治6年(1873)禁教令の廃止とともにキリシタン信仰の復活 、一気に教会建設へとなり、その説明が。時間がなくゆっくり読むのは?でした。

IMG_2163













IMG_2166













教会を出て、そこからそう遠くない坂本龍馬ゆかりの地へ。こんな所に龍馬が?
IMG_2171













「五島祈りの龍馬像」 龍馬が組織した亀山社中(日本初の貿易会社)が所有する 長崎のグラバーから購入した木造帆船ワイル・ウエフ号が潮合崎(シオヤザキ)の沖合で遭難。若くしてこの世を去った池内蔵太ら12名の志士たちの冥福を祈るためこの地を訪れた龍馬のブロンズ像が建つ。
IMG_2173






























見学も終り、乗船の時間も近づき 一路日本丸へ。岸壁では ツァーから帰着した乗船客に対して無料の「五島うどん」が振る舞われ、心尽くしに感謝です。初めての味で うどん嫌いの私にも大変おいしく、お土産にも買って帰ることに。麺の太さが少し小さめであったためか?
岩壁上では 担当の先生による指導の下、高校生の吹奏部による 我々も良く知っている曲を演奏して、共感を高める。
IMG_2179













打楽器もしっかりと。こんな場所でも・・・。クルーズ船の見送りも板についてる・・・。
IMG_2181













この場面は、4人の合唱であるが、この前には一人一人が独唱を声量たっぷりに、素晴らしい歌声を。歌手を目指してる話だったような?兎に角本格的な歌いっぷりでした。
IMG_2185













それぞれの見送り風景。新魚目地区(シンウオノメ)からも大漁旗が。
IMG_2188













マスコットも見送りに参加。子供たちも準備万端。仕事を早く繰り上げてお見送りに参加する人が、車でどんどん駆けつけてくる。島民総出の見送りには感謝です。いつでも行けると思っていた五島が こんなに遠い存在だったことを改めて感じました。
IMG_2191













銅鑼の合図とともに船は離岸。
IMG_2190













テープを投げて、別れを告げる。残る島民の気持ちは如何に?切なさも残る?
IMG_2193













人影が小さくなるまで、いつまでも手を振る。人情の厚さを・・・。
IMG_2197













五島列島に別れを告げ、船内活動に。
まず最初に 明日船上よりの見物となる 「軍艦島」のVTRと講演を聞くことに(次回ブログで)。その後、食事前に大浴場に。やはり5~6名と少ない? 17:30より、瑞穂で夕食を摂り、今夜のメインテーマ、「にっぽん丸寄席」に参加。4階ドルフィンホールでの「落語」付き「ビンゴゲーム」であり、今日の目玉とも言えるもの。落語は古今亭志ん吉さんの 長屋に入居した人が、隣の他人の部屋まで釘を打ち込み問題を起こす というものであったが盛り上がりにはもう一つの感あり。3年後が楽しみか?
肝心のビンゴゲーム、いつも通り部屋は満杯状態。200人は軽く超えているか?早速ゲーム開始。過去のゲームでは なかなかうまくいかなかったが、今回は違った。開始間もなく、家内がリーチになったと!まだ3人しかビンゴ上がりはいない。しかもその人たちは皆女性なのに、賞品はお酒を選ぶ。あがったら何をもらおうかと私に話しかけてるところに、これにしようと私が答え終わると同時に家内がビンゴ!と叫ぶ!まるで神がかり!何か
幸運の女神がついてるような気分に。勿論賞品は以前から欲しかった「タペストリ」風の「international code of signals」。一方私の方は全くダメ。復活ゲームの「一番くじ運の悪い人」に期待をかけるも、いつも通り最後の5人の一歩前で敢え無くダウン。実はこれが本ゲームの最大の賞品となっている。75~6歳くらいのおばあさんがゲット。どうもこの船の常連さんか?
本日最後のカジノへ。昨日の16000$を20000$にと 少し欲張った期待を込めてルーレットにチャレンジ。
逆に10000$を割って不安になる。粘りを見せてやっと10000$に戻すも、11:00pm過ぎに。明日のツァー
に備えてこれで切り上げることに。就寝。

                             完

livedoor プロフィール
最新コメント
QRコード
QRコード