June 2009

June 28, 2009

いっぱいいっぱいって

今日、無事にタイ公演へ向けてのオーディションが終わりました。
みなさんお疲れ様。
見に来てコメントくれた方ありがとうございました。


さてさて、そんな今日このごろ自分が考えていることは、
「いっぱい、いっぱいとはなんぞや?」ってことです。

いっぱいいっぱい、てんてこ舞い、キャパオーバー。
最近よくみみにするような気がするのは気のせいでしょうか。
たぶん、意味合い的には、自分のできる範囲を超えてしまって、任された役割が果たせていない状況に自分がいるときに、使われる言葉達なのではないでしょうか。

だったら、自分のできる範囲とは、誰が決めるのか。
1.先輩でしょうか。
2.一緒に活動するメンバーでしょうか。
3.それとも、自分自身でしょうか。

1と2の場合、自分以外の人に自身の限界を見切られるわけで。
3の場合は、自分で自身の限界に見切りをつけるわけで。
言葉の使い方だとは思うけど、どれにせよ、ようはやるかやらないかの判断をするってことです。

1と2に自分がいる場合、僕はあんまりひとのできる範囲とかを個人の視点で判断したくはないと思うわけです。いろいろ提案や推薦をするけど、できることなら、やっぱり本人の意思で考え抜いた先に出した答えを信じて欲しいな、と思ったり。逆に3の立場にいるときなんかは、なにくそ精神でチャレンジしてみたいとか思ってしまうわけで。

客観的に無理難題と思われることを人に勧めてみたりすることも、自分が役割をたくさん担っているときに無鉄砲に新しいことに飛びついたりすることも、失敗に繋がる可能性はある。かといって「挑戦」なくして「成長」は見込めないんじゃないかな、とも思ったり。

まとまってないけど、このブログで言いたいのは、キャパがどうのこうのはおいといて、とりあえず行動してみて、だめだったらなんとかしようとあがけばいいんじゃないかと思うわけです。挑戦しようとする人をあざ笑ったりするのは阿呆のすること。先輩はサポートができて、新入生とかはじゃんじゃんがっついていけたらいいんじゃないかなーと思ってます。

いっぱいいっぱいなんて簡単に使ってちゃいつまでたってもいっぱいいっぱいっすよ!

別に誰に対して思ってることだ!とかじゃないです。
ただ考えていたことをアウトプットしたかっただけです。

挑戦と一生懸命さ、それらを感じるとまた自分も熱くたぎるわけです。


けんぢ

wadaikoraku at 02:12コメント(3) 

June 20, 2009

ハングリー

新入生の積極的な舞台参加、いいねーーーー!!!!!!

zumasa


wadaikoraku at 22:05コメント(0) 

June 16, 2009

MIYAKE

「従来やかましく唱えられた自立という概念は、交流の前提となるべきものであって、それ自体が目的ではあり得ないと、そんなことを考えています。」

亀の井別荘の中谷さんのこのセリフ(観光のことについて言ったことだと思うけど)は、今の楽にも、そして甘えて生きてきた僕自身にも当てはまるのではないかと思っています。

楽のメンバーからよく聞く「交流」という言葉。それの前提として、自分達は何であるか、学生時代しかいない(であろう)別府という地域でぼくたちが演奏することで、自分たちにも町にも何が残るのか?そういったこと(いま ここ ある)を考えて初めて交流があるのではないでしょうか

追悼公演はそんなことを考える、絶好のチャンスだと思います。

また

結果は
方法+続ける 事かなと思います。「継続する力」はいくら人と交流したからといってなかなか得ることが難しいと思けれども(自分は中学生から方法だけにしか目が行ってない)
いかに一瞬の欲に勝てるか(おれはまだまだまだ猿です)
神着きは一瞬の欲に立ち向かう最高のツールではないんかなぁなんて最近思いました。

山、海、森、昔の日本人はいたるところに神様はふらふら(遍在?)していて、そんな神様をひとつの場所に呼び出すために中が空になった神社をつくったり、太鼓どんどんしたりしてた。と思う、たぶん

神着きで、一瞬の欲を我慢してたどりついた先には「神さま」?かそれともなんなのか?楽のメンバーみんなで考え、見てみたいです

小泉


wadaikoraku at 18:01コメント(0) 

June 13, 2009

「オーディション」「努力」「結果」その2

コメントしようとしたら却下されました。
800文字までらしいです。
みなさん注意を!!!


さて、オーディションお疲れ様でした。

オーディションについて批判覚悟の意見、自分にもあります。

「努力」というのにも、いろんな形があるんではないかなと思います。

太鼓を叩くときは、人それぞれいろんなことを考えながら打ってると思います。体にしみこむまで打ち込む人、ビデオをみて客観的に自分をイメージする人、人の打ち込みを見て自分のイメージに落とし込む人、あれこれ考えずにただひたすら一生懸命叩く人(・・・それも一種、考えないことを考えているわけで。)、言葉でのコミュニケーションでその全てをメンバーと共有する人、などなど。

自分がどんな努力をするのか。その積み重ねがオーディションににじみでるのだと思います。オーディションに向けての練習も確かに必要だとは思います。でも、それ以前に日頃からどんなことを意識して打ち込むか。意識されることは、遅かれ早かれ絶対に表現に繋がると信じています。

オーディションは変なプレッシャーもかかるし、緊張するのも当たり前。そんな中でも、いつもの自分(日頃の積み重なり)が表現されるように、「いつも」をイメージして、精神統一をする。平常心、みたいな感じでしょうか。

もちろん毎日少しずつではあるけれど、必ず今日の自分と明日の自分は、いい意味をもったり、悪い意味をもったりで、変化すると思います。どんな努力をして、毎日をいい状態にキープするか。もしくは、向上させていくか。それが大切なんだと思ってます。

結果はそれに付随するもの。結果がでないなら努力の「how」が悪いってこともあるのではないかと思う。結果がでないからすぐに舵をきることは、いささか乱暴な気もしますが、そこは個人の判断なのかな、とも思います。これはあくまで個人の意見だけど、僕は悪いなら良い結果がでるように、努力の方法を変えてきました。(あきらめる、とはまた違いますよ。)

僕自身4年間常にこうやって太鼓に向き合ってきたような気がします。だからいつまでたってもゴールが見えないマラソンを走っているような感じがするような?

自分からあつみに言えるのは、悔しさ・虚しさを感じるならそれを跳ね除けるくらい打ち込んだらいいってこと。まだまだタイ公演もオーディションが続きそう。

お互い高みで切磋琢磨できるように、自分の考えを大切にして打ち込もう!!

どうせなら打ち手も感動する打ち手になりたいな〜とか勝手に妄想してます。

おわり

けんぢ

wadaikoraku at 00:50コメント(2) 

June 12, 2009

「オーディション」と「努力」と「結果」

ブログを閲覧中のみなさん、こんにちは!
2回生のあつみです

きのう、第2Q最初の固定練で追悼公演のオーディションが
ありました。みなさんお疲れさまでした☆

そこから私が感じたことをちょろっと書きたいと思います。
賛否両論だと思いますが、聞いてください☆

【オーディションを通して私が思ったこと】

・「努力」は「結果」がでないと意味がない
・「結果」は「努力」に応じて自然についてくる
・「自分が納得できる結果」が出るまで「努力」し続けることが必要

文章でじっくり書くと意味の通じないものになりそうだったので
過剰書きにしてみました。昨日オーディションのあと、いろいろ
考えが廻ったのですが、冷静にまとめた結果、上記した3点に
なりました。

正直悔しいです。正直結構努力してきたと心のどっかで
思ってしまってたので。その気持ちがまだまだ甘すぎ
ました。技術が劣ってるとかではなく、「努力」がみんなに
劣ってたことが、自分の中ですごい悔しいと感じてます。
何よりも、一瞬でも甘い考えを持ってしまった自分が
すごく恥ずかしいです。

そんな中、きちんと真剣にコメントをくれた
メンバーのみんな、本当に嬉しいです。
ありがとう。

あたしの個人的な考えですが、まだまだ伸びれると
思ったからコメントくれたんだと思ってます。そう言うと
すごく自意識過剰かもしれないけど、私がガツガツと
コメントするのは相手に対してそういう気持ちがあるからです。
ある意味、相手に満足できないからです。

そう考えれば、まだまだ未来の自分があると思えるし、これを自分に
とって前向きな機会にできると思います。悔しい気持ちはずっと
変わらないけど、そこから先は「自分がどうするか」だと思います。

「今」しかない!

こんな真剣な仲間がいる私は単純に、本当にすごく幸せです。



タイ公演のオーディションは絶対悔しい思いしないぞ!
前向いて行こう!

最近ユニオンは切磋琢磨に一歩ずつ近づいているのでは
ないでしょうか☆みんなでお互いによい刺激を与えられる
存在でいられたら本当に素敵だと思います!



あつみでした


wadaikoraku at 20:04コメント(6) 

June 06, 2009

感謝

みなさんこんにちは!
改めまして、今年度から代表になりました野口裕未です。笑

みなさんクオーターbreakどのように過ごしてますか?
私は練習したり、どっか行ったり、いろいろ考えたりしてます。色々なんだけど、ほとんどが楽メンと一緒で、楽のこと楽メンのことを考える時間が多いです。なんて幸せなんでしょうね☆私、代表になってから、和太鼓"楽"と向き合う、向き合える時間が増えたように思うんです。正直、代表決めMTGの時から代表という柱を避けようとばかりしてました。代表になったら他にやりたいことができない気がして…。でも、違う!代表だから出来るんだって!今は思えるんです!楽がある、楽メンがいるからやれることがいっぱいで、可能性は無限大で…なにかやるたびに、本気で向き合って、気が済むまで練習して、反省・改善の繰り返し。上手くできないと、自分にむかつくし、悔しい。技術面だけじゃなくて、精神面も。だけど、やり遂げた時の達成感とか喜びってのは何とも言えないほど嬉しい!
細かいことだって、みんなで共有して、解決していく。みんなで一体となって動いていく。まさに、みんながいての和太鼓"楽"だと思います。
私、楽が大好き!楽メンが大好きです!!だから自分にやれることがあるならできる限りやりたい。まだまだ、手探り状態だし、自分に納得出来ない事もたくさんある。でも、あっちゃんと一緒に、みんなと一緒に新しいカラーを出していきたいです。今必要とされなくても、自分が必要とされる人間になればいい。ひたむきに、自分らしく頑張っていきます。
みんな、代表をやれせてくれてありがとう。

wadaikoraku at 23:59コメント(4) 

サンキュー公演 その2

これはほんと危機的な状況だと思いませんか?こんな歪んだ考えで日本人が自分の国に自信なんか持てるはずがないわけで。

右翼的な発言ですが(笑)こう考えると結構リアルにやばいと思いませんか?

よく和太鼓“楽”でお客さんに「生きる原動力」を与えたい!って話しますよね。
この生きる原動力って何やろ?とずっと思ってて、生きるための電池みたいなもの?そんな力を果たして与えれるのか?と最近までよく解らなかったんです。
でもやっとあくまでも自分なりに解釈ができました。それは「日本の伝統芸能をやることで日本人としての誇りや自信をあげる」ことじゃないのかなーと。あくまでこれは自分なりの解釈です。みんながみんなこう思ってるなんて思ってませんので悪しからず。例えば別府のどこかでオファーが来て、公演をやって“楽”の演奏を客席からおじいちゃん、おばあちゃんが涙流しながら聞いてくれてはるのもそういった自分が解釈した生きる原動力によってじゃないのかなと思ったりするわけです。「守るべき日本の美の1つである伝統芸能を日本人、しかも若い大学生が一生懸命やってくれてはる。これ見て自信を持てた。自分ももっと頑張って長生きしないとな」とか思ってくれてたりしたり。
伝統って道行く人が自信をもつような不思議な力があるのと同時に国の財産みたいな物だとも思う。それぐらい凄いものをやる責任感ってのもまた大事だと思う。そういう意味でもちろんそれ以外の事も含めてこれからも舞台は大事にしたい。中途半端な練習、生半可な気持ちしかないんやったら公演には出たくないし、やりたくもない。伝統はそんな姿でできるもんじゃないと思うから。例えプロじゃなくて普通のサークルでも…

脱線しちゃいましたが(笑)

もちろん地域に感謝するのは大事!その一方で伝統、その伝統を守ってきた日本に感謝するサンキュー公演をやりたい僕でした。(立案者のけんぢ君、いかがですか?)

無駄に長くなってしまいましたがすいません。


wadaikoraku at 20:58コメント(5) 

サンキュー公演 その1

ども、ジョニ畑です。いろいろありましたが昨日、やっと別府に帰ってきました。

さて、最近では別府サンキュー公演。というのが案として出てるみたいっすね。まだエントリーしてないんですがめっちゃ興味ある人間の1人です。
このサンキュー公演、自分なりにいろいろ妄想してました。妄想してた内容
☆演目:湯源(湯の町、煙の町にふさわしい)
☆場所:別府商店街or竹河原温泉(人通りが多い)
☆メンバー:日本人と国際学生→4:6、6:4
(国際学生多いよってアピール)
で、企業理念からパクって公演理念。
1:別府市へ感謝。
2:伝統に感謝→日本に感謝。
で、内容はいつもみたいにただ公演するだけじゃなく、市民と触れ合う時間(太鼓体験)とかもったらおもしろくなりそうやなーとか思ったり。(立案者けんぢ君どうですか?)
あと公演理念なんですけど別府に感謝するのはもちろんなんだけどこの際伝統についてもう一度考えて踏まえた上で伝統にも感謝できたらなと思うんです。
どういう事かと言うと例えば和太鼓という伝統。古くからある伝統って昔の日本人が一生懸命残してきてくれたおかげで今日俺らは趣味として楽しむことができるわけで。
日本にあるこの古き良き伝統芸能に大学生活の青春を掛けて楽しんだ競い合ったという経験をしたことを自分はほんとに日本人として誇りに思ってます。
そういう意味でこういう伝統芸能を生んでくれた日本や日本人にも感謝したいなと思うわけです。
おいおい、日本まで?とか思うかもしれないけどそんなにおかしなことでしょか?結果的にある地域に感謝するということと国に感謝することは長い目で見れば同じ感じがします。
ところが最近の日本ってほんっとに不思議で日本を肯定する活動や行動をしたらバカだとか逆に悪人扱いされたりしますね。ちょっと前にある航空幕寮長が「日本は良い国だった」といったら「日本がいい国だったとは何事や。政府見解では悪い国になってるんや。お前はクビや!」と航空幕寮長を辞めさせるようなもっと政府見解が自虐的なんだから自虐的な事を言えと言わんばかりの事をやったり。
つまり今の日本はこれまでの日本のプラス面を一掃してでもマイナス要素を大事に大事にしようとしてる。ということはこのままいけばこれまで大事に守られてきた伝統も何もかも平気で捨ててしまうような国になってもおかしくない。
<次へ続く…>

wadaikoraku at 20:15コメント(0) 

June 03, 2009

今年の追悼公演について。

こんばんわ。

一将です。
今日和太鼓“楽”全体でミーティングを行って、
第五回追悼公演にあたる公演を行うことになったので、ここでも報告します。

ただ、今年から追悼公演という名前を対外的には変えようということになっています。
なぜなら、現メンバーには宇津野さんを知る人も、れいなさん太鼓を打った経験のある人がいない中、追悼という名前で受け継ぐ必要があるのか、ということと、
また、追悼の言葉が一人歩きし、本来、「自分を見つめなおす」ための公演ということを理解し辛くなっているからです。
さらに、学校関係者の方々、そしてこれまで“楽”と繋がってくださった方々への感謝を太鼓で表すものとして、よりわかりやすい名前にしようという理由からです。


僕、それから現時点で立候補してくれているメンバーとしては、
追悼という名前から、自分を見つめなおすことに目を背けがちになり、「いま、ここ、ある」を感じられる追悼公演が無くなることで、これまで大切に語られてきた“楽”の歴史や追悼にかけるみんなの真剣な想いが“楽”から薄れ、毎回のオファーが当たり前のものとして、太鼓があることが当たり前のこととして、こなされるようになることを最も心配しています。

追悼という言葉が一人歩きしてしまうのは、宇津野さんを知らない以上、れいなさん太鼓を知らない以上、無理もないのかもしれません。
僕も知らない世代です。
ですが、僕は自分自身と自分がいる団体を見つめなおすことは、
“楽”が続いていく以上、目を背けてはいけないことだと思っています。
過去があっての「今」ですから。
自分と向き合うために、そのためにずっとあの、
最低限の人数でやる、精神面でも技術面でも高度な神着きをやりたいと言ってきましたし、
去年は「つづれ」として打たせていただきました。
もちろん、その想いは今年も同じです。

だから、今年からは宇津野さんへの特別な追悼の意は無くし、楽メンが自分たちを見つめなおし、学校関係者の方々、そしてこれまで関わってくださった方々(宇津野さんを始め)への感謝を太鼓で表す公演として受け継ぐこととしました。

対外的な名前を変えても、宇津野さんの為に創られた神着きの構成のまま受け継ぎます。
それは、僕たちが卒業した後に、なぜ感謝公演(仮)をしているのかという理由をメンバー全員がその原点が追悼公演にあるということが視覚的にも認識でき、何より感謝を忘れてほしくないという想いからです。
追悼の意味を公演自体にもたせなくなったとしても、原点が何なのかをみんなに認知しておいてほしいのです。

やり方は何も変えません。
妥協もせずに自分自身を追求し続けましょう。
そして、本番、一打一打に思いを込めましょう。

もちろん、生半可な気持ちでやるメンバーが一人でもいたら今年も途中でも辞めますし、来年からもそうしてください。

以上で報告を終わります。



エントリー締め切り: 6月6日(土)24:00

黙祷日時:7月4日(土)13:45〜13:50@ウェーブ
公演日時:7月9日(木)12:10〜12:25@噴水前

wadaikoraku at 23:13コメント(1) 
三宅 

June 02, 2009

仲間意識。

今日は、僕が「仲間との時間を大切にする」ことについて学んだエピソードを書きたいと思います。ちょっと長くなってしまったけどごめんなさい^^;

あれはちょうど、和太鼓“楽”の5周年記念公演と人権フェスタの練習が入り、
バイトを始めた3年前の9月頃でした。

あのころの僕は、余裕が無かったためか、何を見てもイライラしたり、周りを不安にさせてしまうほど、怖い顔をして常に緊張を張り詰めてしまっていたように思います。

人権フェスタのメンバー皆で湯源のイメージを共有するために地獄巡りをしようってなってて、当時引っ張って下さった先輩から地獄めぐりの詳細のメールを受け取ったとき、
僕は、「本番が近いのになんでですか?地獄巡りには行きません、僕は練習しときます。」と一言メールを返したんです。

新進公演から夏休み期間まで休まずにオファーを受け続けていて、きっと自分のキャパシティを超えていたんでしょう。覚えているはずの湯源のリズムすらまともに打てないスランプに陥り、自己管理ができない状態になっていました。
そんな自分が嫌で嫌で、練習しときますって返信したのを覚えています。

結局、先輩から「練習じゃできないことをする。皆で同じ場所で同じ時間を過ごしたり、イメージを共有することは舞台にとって大切なんだから。とりあえず来て。」と言われて疑いながらも行く決心をしました。

が、当日は寝坊で大幅な遅刻。
僕が現地に着いても「よし、これで全員揃った!」って言って何も怒らずに笑顔で迎えてくれた先輩。
そんな先輩の姿にも僕は気付かずに、誰の横にも立たず、機嫌悪く列の最後尾をひとりで歩いていました。

ただの不良ですよ。

でも、時間が経つにつれて、
周りには一緒に同じものを見て笑ったり、驚いている仲間達が居ることに気付いたんです。
温泉ってこんな風に湧いてくるんだ!
温泉の魅せ方も色々あるね!
温泉でゆで卵作っとうやん!
なんで温泉にワニやねん?!とか。

仲間と同じものを見て、
自分はこう思うってアウトプットして、
それを周りが聞いて、私も思った!とか、
俺はこう思ったよ!っていう場がそこにはありました。

それまで自分しか見えてなかったことが馬鹿らしくなって、
そこで感じることに皆のようにもっと素直になりたい、
もっと自分の感じたことを知って欲しい、皆のことも知りたい!って思った瞬間でした。

このあとにあった舞台は、当時の1回生(僕たち)が大半を占めていたために
技術的にはまだまだだったと思いますが、気持ちではどの公演にも負けない気合の入りようでした。
ですが、それも先輩2人が引っ張ってくださって、
そして、出演しない先輩方も僕達を温かく見守ってくれたおかげでした。


3年も前の出来事の一部始終が今も頭に残っていて、
たまにこのことを思い出すのは、
僕の中ですごく良い思い出となっているからだと思います。

3年前の人権フェスタ本番の映像をまだ持っている方いましたら連絡ください♪


なんで今日このことを書こうと思ったかと言うと、
実は今日は新入生歓迎会の日なんです。
そんななか、昨日の練習中にある新入生が新歓に来ないと言うので、なんで?って聞くと、当時の僕みたいなことを言っていたんです。
それを聞いてなんだか昔の自分を見ているようで恥ずかしい反面、懐かしくなったからです。

こんなことを振り返りながら、今年の目標を見てみると、
「みんながいての和太鼓“楽”」ってありますね。
なんだか、不思議な縁を感じて嬉しくなりました。



そして、元??(今も??笑)問題児として、僕なりに、今“楽”に来ている後輩達を引っ張っていきます。

『4回生へ。
人権フェスタの時みたいに結束するぞーー!!笑』

気持ちが高ぶってきたので、今日はこの辺で♪笑

“楽”が1年、歳を重ねる日でもありますね。
今日はめでたい!!!楽しく飲むぞー!!!!

「みんながいての和太鼓“楽”!」

wadaikoraku at 15:08コメント(4) 
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